第15話 深夜に誰か来た。

 今日は一日色々な事があって疲れた……


 夜、自分の寝室で、重力を実感してベッドにメリ込んでいた。

 久々の部屋の静けさに耳が痛い。

 一人寝は久々な気がする。

 このところ毎日アティと一緒に寝ていたし。

 この家に来た日以来か。


 ベッドサイドで揺らめくガス灯を見つめながら、今日の事を考えていた。


 アティには他の子守ナニーがつくことになった。勿論今日も一緒にそばにいるつもりだったが、マギーと話をした結果──

 たまには他の子守ナニーにもアティの寝顔を拝ませてあげたら、という事になり、スゴスゴと引き下がったのだ。

 それを言われたら……ねぇ。確かに? アティの寝顔を独占してたらさ? 悪いな、と思うよね。だって世界の至宝だよ? 至宝ならみんなで共有すべきよね。


 おっと。アティの可愛さは揺るぎない事実なのでいいとして。

 他の事だよ。アティに怪我をさせようとした人間。

 誰なのか予想もできない。

 当初の乙女ゲームでは、話の流れ的に家庭教師サミュエル子守頭マギーの仕業だと考えた。


 でも、今日日中にっちゅうの二人の態度を見てると違うようにも感じる。

 やっぱり、実は二人の起こした事ではなく、他の人間が起こした事に、二人が便乗しただけだったのかも?

 だとしたら。

 アティが怪我をして得をする人間が、他にいるという事だ。


 一人は侯爵。アティとエリックの婚約を盤石にして、公爵家との繋がりを確実にしたかった、と。また、それがアティの為になる、そう考えてる可能性もゼロじゃない。


 でも、待てよ?


 ふと気がついた。

 もし、アティが怪我をしたとして。

 もし死んでしまったら意味がなくないか?

 人間、全身火傷してしまった場合、最悪死に至る。アティはまだ小さいから、表面積も小さい。一歩間違えたら全身火だるまだ。そんな微妙な匙加減を『ランタンを上から落とす』で制御出来るか? 出来ると思うか?


 ──もしかして、そもそもはアティを殺そうとしていて、たまたま死なずに済んだだけだったのか?


 え。そうしたら更に大事じゃないか。

 アティを殺そうとした人間がいる。


 でも、だとしたら。もしこの屋敷の人間だとしたら、わざわざアンドレウ邸で事件を起こす理由がわからない。この家の人間なら、アティがここにいる時の方がチャンスがあるのでは?


 アンドレウ邸の人間か、第三者?


 ああ、容疑者範囲が広がっていくー。

 私一人では調べるのは難しそうだ。

 誰か、協力してくれる人間がいれば──


 その瞬間、ムカつく片眼鏡モノクルがふと浮かんだ。

 消した。すぐ消した。あっという間に頭から消去した。


 家庭教師・サミュエル。

 確かに今日、彼からアティを守る為の協力を依頼された。

 でも、だからといって本当に味方がどうか分からない。

 いきなり罵詈雑言ぶつけてきた人間やぞ? 油断云々より、人としてどうなんだ。

 ──いや、この場合、私個人の好き嫌いは置いておくとして。

 しばらく利害が一致するなら協力すべきなのか。

 敵だとしたら……そうか。逆にそばに居た方がヤツの動きを把握しやすいか。


 少し、近寄ってみてみてもいいかもしれない。

 それで、もしヤツが危険分子だと判断したらその時は──


 ガチャ……


 かすかに、ドアが開いた音がした。かなりそっと開けられたようで、本当に微かな音だったけれど、部屋が静かだったせいで耳についた。


 誰だ。


 私は、ちょうど扉に背を向けてベッドに横になっていた。

 なのでそちらは見えない。

 しまった。

 アティと寝る時はいつも鍵をかけないから、その癖で鍵をかけ忘れた。

 こんな夜更けに、そっと部屋に入ってくるなんて……

 間者か、暗殺者か。

 だって、私に用があるのならドアをノックする筈だ。

 寝入った私を起こさずに近寄ろうとする以外に、ノックをしない理由がない。


 私は、枕の下に忍ばせていたナイフにそっと手を伸ばした。


 侵入者は、足音を忍ばせてこちらへと歩いてくる。

 コツ、コツ、とゆっくりとした足取り。

 殺気は感じない。

 コイツ、相当の手練れか。

 私は寝たフリをする。

 心臓が早鐘だ。落ち着け、緊張を気取られてはならない。


 気配が、ベッドのすぐそばまで来た。

 音が消える。

 何をしてる。隙を狙っているのか。


 サラリと──


 髪が揺れた。


 今だ!!


 私は髪を触る手を掴み、思いっきり引っ張る。

「うわっ!」

 侵入者が声を上げた。

 ヤツの身体が見えた瞬間、足を絡ませてベッドに引きずり倒し、馬乗りになる。

 そして相手の首めがけてナイフを突き出した。


 ──いけない!


 咄嗟に自分の手を止める。

 そして、自分が馬乗りになった相手の顔を改めて見直してみた。


「侯爵様……何をなさっているのですか」

 私は、首にナイフを突きつけたまま、呆れた声を出す。


 ベッドに転がって、驚いた顔をしていたのは、他でもない。この家のあるじ、カラマンリス侯爵だった。

「何をしている、は私の台詞セリフだ」

 私に負けない程の呆れ顔で私を下から見上げた侯爵は、首に突きつけられたナイフを手でそっとどかす。

「そっと部屋に侵入されたら、暗殺者か何かだと思うではないですか」

「そんな殺伐とした生活をしてたのか……?」

 問われて考える。いや? そんな事はないけれど。でも、寝る時でも警戒するのが騎士ってモンなのでは? まぁ、騎士ではないけど。ホラ、こういうのは、身につけておいて損はないスキルだし。

「まぁ、それはそれとして」

 言い返せないので話題を変える。

 侯爵の上から退こうとして身体を浮かせた。

「危うく怪我をさせるところでした。全く……こんな夜更けに一体何しに──」

「そんな事は、決まってるではないか」

 侯爵に、腰を掴まれ動きを制された。

 え。何。

 そうこうしているウチに、侯爵の手が伸びてきて、片手は頬にあてがわれ、片手は襟元に。

 私は思わず──


 ピシャリ


 その手をハタき落とした。

「……何をする」

「あ、すみません。つい」

 反射的に。

 ついでに腰が自由になったのでヒラリとベッドから降りた。

 なんだか微妙な顔をして、ベッドに寝そべり私を睨め上げる侯爵。

「驚いたので。どうしたのですか? こんな日に限って」

 アティが寝込んでるその日になんて、無神経なのかこの男。

 しかし侯爵は、予想に反してブッスリした。

「……こんな日ぐらいしかないではないか」

 ん? どゆこと?

「お前がアティと寝ない日が、他には殆どないではないか」

 あー……確かに。


 え。

 待てよ?

 じゃあ

「侯爵様は、私の身体が怖くないのですか?」

 傷だらけで、引きっていびつなこの身体を見て、その気になれるって事?

 それを言うと、侯爵は少し私から視線を外した。そして、少し言いにくそうに口元を触る。

「正直、少し驚いた。聞いていた以上の傷だったからな。

 しかし──最初に言ったが、私はお前を、私の子をなすだけの為にめとったのではない」

 ああ、なんか、そんな事言ってたなぁ。

 でも、まぁ普通そう言わね? 身体だけ・子供だけが目的です、なんて隠すよね?

 いや、最初からハッキリと「子供が欲しいだけなんだ」と言われても逆に清々しくて好感持てるけど。


 まさか──

「侯爵様は、ゲテモノ食い……?」

 いや、自分で言ってて切ないが。私はこの身体は誇りだけど、世間一般ではそうじゃない事も勿論分かってるし。

 普通、女は傷がない事が美徳とされてる。汚れなきものが美しい、と。そんな価値観クソ喰らえ、だけどさ。

 侯爵は、まだ壁を見つめつつ口をモゴモゴさせてる。

 そして、意を決したように、私の顔を見た。

「違う。お前が……セルギオスの、妹だからだ」


 また、その名前が予想外の所で飛び出してくる。

 私は、完全に意表を突かれて、身体を強張らせてしまった。

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