第16話 兄の事を聞かれた。

 セルギオス。

 私の兄。

 完全に予想してなかった。またここでその名を聞くとは。

 兄の──妹だから。


 ……ん? どういう事?

「侯爵様は、兄と、お知り合いなのですか?」

 兄はずっと昔に死んだし、体も弱かったからあまり外には出なかった筈だけど。

 誰かが外から兄の元に訪れることも少なかったけどなぁ。

 私の言葉に、侯爵はフッと自嘲気味に笑う。

「昔、何度か、剣術大会で。軽く、何度か言葉を交わした程度ではあるが」

 ベッドに改めて座り直した侯爵が、少し遠い目をしながら語り始めた。

あなどりはあった。貧乏貴族、と。

 しかし、何度か対戦してそんな侮りなど払拭して挑んだが、勝てなかった。一度もな」

 ……んー?

 既視感デジャヴがあるぞー?

 その話、もしかしてー??


「そ……その大会とは、数年前の?」

「ああ、そうだ。しかし、ある時からヤツは試合に一切顔を出さなくなってな。聞いたら、病で死んだ、と。

 私は、セルギオスに、一度も、勝てなかったのだ」

 ……あー。

 それ、私や。

 コッソリ兄の名前と身分で剣術大会に何度か参加してたら、それが母親の耳に入って自宅軟禁された時の事だねー。

 ホントはもっと昔に兄は亡くなったんだけど、娘が参加して他の貴族子息を剣で打ち負かしたと知られたくない母が、体裁ていさいつくろって、試合の後に兄は死んだと誤魔化したんだ。


 ……そっか、あの大会の対戦相手に、侯爵いたんだ。全然意識してなかった。

 言葉交わしたと言ってたけど、全然覚えてないわ。

「ち……ちなみに、どんな会話をかわされたのですか……?」

 下手な事言ってないよな、自分。

 そう尋ねると、侯爵は肘を膝について、少し眩しそうに目を細めた。

「……負けた後、何故そんなに強いのだ、と一度聞いてみた。そうしたら──」

 そうしたら?

「私はただ、自分の剣の強さを知りたいだけだから、と。自分の名誉や家の名声の為につくろってないから、と」

 ああ、それは誰かに言った気がする。

 なんかさぁ。

 対戦相手の貴族たちはさぁ。

 自分の強さを先にひけらかそうとしたり、家の身分の高さを傘に来て威圧したり、なんかつまんねェ戦い方してたからさぁ。

 剣術大会に参加したのだって、普段は『女だてら』とか『女にしては強い』とか『女なのに』とか言われるから、アッタマきたからだし。

 純粋に、性別を超えてどこまで自分の剣の腕が確かなのか、確認したかった。

 女の姿で戦うと、手加減したとか油断したとか言われるし、それがホントなのかウソなのか分からないしさー。


「全てのしがらみを背負っていない彼は、確かに強かった。体躯たいくは病の影響か細かったが、相手の力を利用して返したり、隙をついて的確な場所を攻撃してくる比類なき正確さは、本当に凄かった」

 ウットリ空中を見つめつつ語るカラマンリス侯爵。

 その顔には、陶酔とうすいの色が浮かんでいた。

 多分、今侯爵の頭の中には、当時の思い出が美しく飾られてキラキラした状態で再生されているのだろう。


 これは。

 あの。

 つまり……?


「あの、もしかして。私をめとったのは、セルギオスと縁続えんつづきになりたかったから、とか、セルギオスの……その……」

 恐る恐るそう尋ねると、侯爵の頬にさっと赤みが差す。

「……ああ。そうだ。それに、あの才能を失ってしまうのは惜しい。

 あの者はもうこの世にいないが、その双子の妹がいると知ってな」


 ははは。つまり、そういう事か。

 まぁ、なんとなく、裏があるんじゃないかとは、思っていたけど。


 気づいた瞬間、ムカムカと腹の底が煮えてきた。

 コイツ、私を見てるんじゃない。

 私を通して、私の後ろにいる、セルギオスを見てる。

 やっぱりな。

 つまりそういう事なんだな。


 私は、ベッドに腰掛けた侯爵のそばまでそっと寄り、両手でその顎をすくい、少し上を向かせる。

 侯爵が、懐かしい思い出に潤んだ瞳を私に向けてきた。

「セレーネ、だから──」

「ふざけんなコラ。お前は私を舐めてんのか?」

 私は、なんとかその怒りを抑えつつ、でも声音にその怒りをダダ漏れさせながら、侯爵の顎をガッと掴む。

「アレだろ? 昨日、私に聞きたかったのは、『もしかしてセルギオスは生きてるんじゃないか?』って事じゃねぇのか?」

 昨日、侯爵の部屋でセルギオスの事を私に確かめようとしたのは、あの時乱入してきたのが私なのではないかと疑ったのではなく、セルギオスが死んだという情報が嘘だったんじゃないか、という事を聞きたかったって事かよ。


 なら、アティに何があったのかを私に説明する気はねぇわな。

 あの時、侯爵の頭の中を占めていた事は、心配する私でも、火傷したアティの事でもなく、セルギオスの事だったんだもんな??


「せ……セレーネ?」

 侯爵が、目を白黒させている。

 私がキレてる理由が、分からないようだ。

めとったのは、自分の子供が欲しいからじゃなく、セルギオスの血を継いだ子供が欲しいからって事かい」

 そう言うと、侯爵がハッとした。

 私の言いたい事が分かったか?

 分かっててもヤメねぇけどな。

「アレだろ? 私の体の傷なんて、セルギオスの血を継ぐ事を考えたら、なんて事はない、そういう事だろ?

 結局、『傷を見なかった事』にしてんじゃねぇか。私を馬鹿にすんのも大概にしろよ? な??」

 侯爵の顎にかけた指がメリ込む。このまま砕いてやろうか。

「私はそんなつもりは──」

「つまんねぇ言い訳すんな。結局、『私』じゃなくてもいいんじゃねえか。

 これが、私の妹たちでも同じって事だろ?

 あ? どうだ? 違うか?」

 問うと侯爵が口籠くちごもる。図星かコラ。

「まぁ、そんなヤツに大切な妹たちを渡せねぇけどな?

 考え変えた。いつでも離縁されてもいいと思ったけど、お前がその考えを改めるか、お前が枯れるまで、無理にでもこの地位に齧り付いてやるからな? 覚悟しとけよ」

 私は、掴んだ侯爵の顎を突き放す。

 その勢いに、侯爵はベッドに手をついた。

 後ろにバランスを崩した侯爵の腹に膝を突き立て、その胸ぐらを掴み上げた。

「私が実力行使で、侯爵様の大事な所を潰さざる得ないような事にならないように……。

 大人しくしていて下さいな、侯爵様」


 そう伝え、彼の唇に触れるか触れないか、近づいて離れた。


「それでは、お休みなさい」

 私は彼からサッと離れて扉のところまで歩く。

 そして扉を開け放ち、うやうやしく頭を下げた。


 しばら逡巡しゅんじゅんしていた侯爵だったが、私が動かなかったので、諦めて私の部屋から渋々と出て行った。


 バタン! と、盛大な音を立てて部屋の扉を閉めた。

 全く。どいつもコイツも! ムカつくわ!!

 結局誰も『私』じゃなくて、私の家柄、縁、周りの事しか見てねぇなっ!!


 それに。

 侯爵に男装バレたらマズイ事だけは分かった。

 アイツに正体バレたらどうなるか分からん。


 どうしてこうなった。

 私か?

 私が男装してたのが悪いのか?

 もうヤメようかな、男装。


 ──かっこよかった!


 その瞬間、アティの嬉しそうな声が耳に蘇る。

 いや、アティのヒーローではいたい。アティがセルギオスを求めるなら、私は何度でも彼になろう。


 どうか、兄さん、私に力をお貸しください。

 アティを守るための力を。


 アティと兄の事を思い浮かべたら、スッと怒りが引いてきた。

 私は、そのまま、兄とアティの事を思い返しながら、扉に鍵をかけてベッドに潜り込み、ついでにアティの頭皮の匂いを思い出しながら眠りにつくのだった。

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