第13話 子守頭と口喧嘩した。

「まず先に謝らせて下さい。出しゃばってしまい、申し訳ありませんでした」


 裏庭まで辿り着き、周りに誰もいない事を確認してから、私はクルリと振り返ってすぐさま頭を下げた。


 相手の反応は見えない。

 しばしの沈黙。

 私は、向こうからアクションを起こしてもらうまで、頭を上げるつもりはなかった。


「……頭をお上げください。屋敷の奥方が使用人に簡単に頭を下げるべきではありません」

 頭の上から、控えめだけれどそんな厳しい声が降ってくる。

 ゆっくりと頭を上げて正面の子守頭マギーの顔を見ると、少しの驚きと呆れが垣間見えた。


 そりゃ驚くか。普通、雇い主である侯爵の妻が頭を下げる事なんてないもんね。

 ウチの実家では、例え雇い主だろうとダメな事をしたら家人に謝る事は当たり前で普通だったけど、それが普通ではなかったのだと知ったのは、最初の結婚先での事だった。

 私個人としては、例え私の方が身分が高いとしても、人間としてのデキは身分とは関係がなく、悪い事をしたと思ったら素直に謝るべきだと、そう思うんだけど。


 なので。

 その事を相手に伝える。

「今は、立場はナシでお話ししましょう。

 侯爵夫人と子守ナニーではなく、アティを育てる二人の人間として」

 そう言うと、マギーは目を見開いて信じられないモノを見るかのような顔をした。いぶかしんでるいぶかしんでる。


「……それは無理です。奥様はまだその役目を引き継いだばかりだと言っても、私の直接の雇い主は奥様です」

 そうくるか。まぁ、確かにそういう仕組みだからなぁ。

 本来、男性使用人は侯爵の管轄、女性使用人はその妻の管轄。つまり、子守頭マギーの人事権は私が握っているという事だ。

 それは揺るがない事実であり、確かにフェアではない。


 しかし、それでは話が出来ない。


「この場では、その立場はお忘れ下さい。今貴女が私に何を言おうと、貴女の立場を脅かす事はない。

 ──仕組み上その権利が私にあれど、今の私の信用度ではその権利は行使できない。行使しようとしたとしても、貴女の方がこの屋敷での信頼度は高いのです。私の意見など、誰も耳を貸さない」

 うう、悔しいけどコレも事実。まだ結婚してそれ程経ってない現在では、私がヒステリーを起こしてマギーをクビにしろとわめいたところで、実際にはそれは無理だ。「疲れてらっしゃる」と部屋に軟禁されてスルーされる。


 マギーは視線を外して少し考えていたが、何かに思い至ったようで、また私を見た。

 そして、改めて口を開いた。

「貴女、気に入らないんですよ」

 おお。

 開口一番ソレかい。

 いやあ、待ってた待ってた、貴賎きせんない意見。

「ですよね」

「その、人前では丁寧な対応も嫌いですね。本当はガサツなクセに、場所をわきまえて猫被る姿とか、ホント吐き気がします。最悪です」

「よく言われます」

「それに何様ですか。嫁いできてすぐ母親ヅラとか。神経疑いますね。頭大丈夫ですか?」

「確かに」

「旦那様に気に入られてるからって調子に乗ってるんじゃないですか? 反吐が出ます」

 ……侯爵に気に入られてはいないしむしろ逆で、関わりたくないから放置されてるだけなんだけど、まぁいい。

「調子乗ってました。すみません」

 浮かれてた。確かに。天使・アティの母親になれるのだと、舞い上がってました。スミマセン。

「サミュエルまで抱きこんで。とんだ女狐ですね。人以下です。いえ、人未満」

 ……抱きこんでないけど、壁ドンはしたからな。それで家庭教師サミュエルがビビって退いてるのは感じてる。

「アティ様は本来は大人しい子なんですよ? それを無理矢理ひきずり回して。無神経過ぎます。貴女は害悪でしかありませんね」

 それはどうだろう。昨日感じたけど、アティはそんなに引っ込み思案ではない気もする。まだ内弁慶なだけで。でも言わない。マギーがそう感じてるなら、その方が正しいかもしれない。

「全く……身勝手すぎますね。食事を一緒にしたり、一緒に寝たり。最低です。しつけには順番があるんですよ? それを無視して……愚かを通り過ぎて粗悪ですね、その脳みそ。ゴミとして処分すべきです」

 確かに、教育にはその家の方針があるもんね。無視したのは事実ですわ。

「申し訳ありません」

「私の方がアティ様の事は分かってるんです! 出しゃばらないで頂けます?!」

 お。やっと出た本音。

「その通り」

「だから貴女は黙っててください! どうせ自分の子供が出来たらそっちのが可愛くなってアティ様を放置するんですから! アティ様に無駄な期待を持たせて裏切らないで!!」


 ……やっぱり。

 子守ナニー頭マギーは、まだ、悪い人間じゃない。

 本当にアティの事を想ってる。

 歪んだのは、のちのちだったんだ。

 乙女ゲームの時は、アティが火傷してそれを献身的に介護し、アティが依存し始めた事によって、徐々に歪んでいったのだろう。


 それに、彼女が心配している事はあり得る話だ。

 この家が私に期待する事は一つ。

 男児を産む事。

 それによって、アティが傷つくのを本当に心配してるんだ。

 でも立場上口出し出来ない。

 彼女は、今日までハラの中を煮えたぎらせていたのだろう。

 でも、それをおくびにも出さなかった。凄い。


 彼女は、取り敢えず言いたい事を吐き出したのだろう。

 肩で息をしている。

 少し落ち着いたのを確認し、私は口を開いた。

「子供が出来る事は恐らくありません。子供が出来るような事を、していませんから」

 事実を告げると、マギーは目をいて驚いた。

 そりゃそうか。普通、他人に夫婦生活の話なんてしない。特に、うまく行ってない場合などは。でも、マギーは知ってる筈だ。私がアティと一緒に寝てるのを知ってるんだから。

「私はそれ程待たずに家を出されます。子供を産まないのであれば私は用済みです」

「それなら余計に──」

「私がやりたいのは、アティを私に懐かせることではありません。

 アティに、立派な自立した一人の人間になって欲しいだけ」


 私は、真っすぐに彼女の目を見て、ハッキリと告げた。

「一緒に食事をするのは、食事の楽しさを覚えて欲しいから。ただ目の前に出されたものを口に運ぶ作業ではなく、自分の好みを把握しつつ、人と同じ事をしながら会話する術を身に着けて欲しいから。

 一緒に寝るのは、寝るという無防備な時に安心させてあげたいから。夜中ふと目覚めた時に孤独と恐怖を感じて欲しくないから。

 一緒に遊ぶのは、色んな事に興味を持って欲しいから。その中から、自分の得意不得意好き嫌いを見つけて欲しいから。

 それを誰もやっていなかったから私がしただけ。

 私は、その役目は私じゃなくても構わない。むしろ、今までの事を分かっている人間の方が上手くできると思ってる」

 真意を伝えると、マギーはオロオロと目を泳がせるが、キッと強く睨み返してきた。

「そんなの私たちがやります」

「やってなかったでしょうがッ!!!」

 言い返してきたマギーの言葉をすぐに私は否定する。

「アンタたちが今までしてきたのは、アティを『見目みめうるわしい人形』にする事じゃない! アティの意志など関係なく、外から見て完璧な作法を身に着け、余計な口を挟まず、問題を起こさないようにする、周りの人間に都合の良いようにする為の方法じゃないか!

 アティは侯爵令嬢である前に! ただの! 一人の!! アティなのに!!!」

 その言葉に、マギーがうっと言葉を詰まらせた。

 ──自覚、あったのか。


 頭に血が上るのを抑える。アカン。ここで私が激高したらダメだ。もう少ししちゃったけど。でもまだだ。まだ大切な事を言えていない。

 少し深呼吸して、息を整えた。

「勿論、侯爵令嬢として身につけなければならない事はある。それは私では教える事はできない。

 だって……私はガサツだから」

 そういうと、マギーがフッと軽くふき出す。オイ。つっこめや。

「それだけじゃない。私は長く、アティのそばにはいられない。でもせめて、アティにはアティ自身に『自分にはちゃんと意志があるのだ』と自覚して欲しいの。

 今のアティはまだまだ周りに流される状態のまま。

 それを、一人の人間として自立できるように、その第一歩を踏ませてあげたい。

 あまり時間がないの。

 だから、マギーにも協力して欲しい。いえ、むしろ、マギーに率先して、そう動いて欲しい」

 真摯に、真っすぐに。私はマギーに訴えかけた。

「マギーからでは進言しにくい事は私からするから。して欲しい事があったら言って。アティの為なら、私はどんな事でもする。

 ──貴女と同じように」

 そう締めると、彼女は視線を地面に落として考え込んでしまった。

 うつむいたので表情はうかがい知れない。


 沈黙の時間。

 ……どうか、伝わって。


「分かりました」

 子守ナニー頭のマギーが、本来の姿勢を取り戻して私を真っすぐに見返して来た。

「その代わり──」

 チラっと、マギーは横を見る。釣られてそちらを見てみたが、何もなかった。

「貴女には敬意を払いませんよ」

 口元が、ニヤリと笑った。

 いいじゃん。どんと来いや。

「勿論。その必要はありません」

 アティにとって良い事が全てだ。敬意が邪魔ならいらない。


 ふと、屋敷側に人影が動いたような気がした。

 その瞬間、マギーは私に深々と頭を下げる。

「先ほどの件は承りました。そろそろアティ様が目覚める頃かと思いますので、これで失礼致します」

 ああ、人前ではそうだね。そうじゃないと、彼女の立場も悪くなるし。

 私もそうするし。

 ゆっくり頭を上げたマギーは、しずしずと歩いて私の横を通り過ぎた。

 その時

「その態度、嫌いじゃないです」


 そう、彼女が囁いた。

 驚いて振り返るが、彼女はさっさと屋敷の中へと戻って行った。


 彼女の言葉に、思わず顔がニヤけてしまう。

 やった。

 もしかして、女友達GETの予感?


 私は、物事が上手く回りだした気がして、ウキウキした歩調で屋敷へと戻って行った。

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