第12話 風邪引いた。

 朝方、ふと目が覚めた時。


 アティの様子がおかしい事にすぐ気が付いた。

 呼吸音が変。顔が真っ赤だ。


 私はすぐに飛び起きて、寝間着のまま家人の元へと走った。


 ***


 侯爵家お抱えの医師の診察の結果は風邪。

 昨日アンドレウ邸で色々あったし、ここ最近環境が色々変わったので疲れが出たのだろうという話だった。


 そうか。

 もしかして、昨日寝しなに変なテンションだったのは、コレだったのかもしれない。

 変に騒がず、落ち着かせてあげればよかったのかな。

 失敗した……


 診察が終わったアティは、ベッドで顔を真っ赤にしてハフハフいいながら寝込んでいた。若干涙も浮かんでいる。本当に苦しそう。

 こんな時に何もできないなんて。本当に不甲斐ない……代わってあげられたらいいのに。


 ごめんねアティ。気づけなくて。

 私母親失格じゃん。

 そう思い、眠るアティの側へと寄ろうとした時──


「風邪が伝染うつるといけませんので、奥様はここにいらっしゃらない方がよろしいかと」

 アティのベッドと私の間に滑り込んできたのは、子守ナニー頭のマギーだった。

 最近、私がしゃしゃり出る事が多くて後ろに控えていた事が多かったけれど、今回はここぞとばかりに前へと出てきた。

「大丈夫です。アティが目覚めた時に、そばについていて差し上げたいのです」

 私は彼女をかわして再度アティに近寄ろうとする。


 しかし回り込まれてしまった!


 動き早っ。なんだその体捌たいさばき! さてはお前タダモノじゃないな!?

 ギリリと歯ぎしりし、一歩下がる。分厚いな、この壁。難攻不落かよ。

「奥様がいらっしゃると、アティ様は嬉しくて興奮してしまいます。今必要なのは安静なのではないでしょうか?」

「ぐっ……」

 痛いところを突かれた。


 そういえば。

 私が来た事によって、子守頭マギーの立ち位置を若干危うくしてるんだよね。

 確かに、着替えとかお風呂とかはやっていないけれど、一緒に寝て遊んで食事するようになったので、彼女の仕事が半分ぐらいに減った筈である。


 敵視されるのは、当然か。


 彼女は、アティを孤独にして共依存に追い込む危険性がある。

 恐らく、昨日もしアティが火傷をしていたら、子守頭マギーのみが献身的にお世話をして、依存の第一歩を踏ませただろう。

 油断ならねぇ、この女。


 しかし。

 本当に現時点から、共依存を狙ってるのだろうか?

 アティが嫁ぐまでまだ十年以上ある。そんな前からの長期計画だとしたら、とても気の長い話だ。

 だからもしかしたら──


「分かりました。私は今日は下がらせていただきます」

 私はペコリと頭を下げた。続けて

「貴女が大切にお世話なさっていたアティに、風邪をひかせてしまって本当に申し訳ありません。私では至らぬ箇所が多大にあったかと思います。

 もし、呼ばれましたらばすぐに参りますので、遠慮なくお声がけください」

 至極丁寧に、子守頭マギーに謝罪を行い、その場を後にした。


 ***


 子守ナニー頭のマギーは、アティが生まれた時からお世話をしている。

 つまり、彼女には『自分が一番アティを知っている』という自負と矜持プライドがあるのだ。

 そりゃそうだ。

 まだ意思疎通出来ない頃から面倒を見て、定期的な授乳で昼夜なく付き添い、ギャン泣きしたり気を抜いたら転んで怪我したり風呂で溺れたりする時期、そして魔のイヤイヤ二歳児期を過ぎて、やっと意思疎通が出来るようになったと思ったら──

 ポッと出の女が横から出てきて、母親ヅラしてアレコレしたら、そりゃ当然面白くないだろう。


 例えばコレが、私の妹たちに置き換えたら分かる。妹たちに、突然世話係がついて知った顔して私を押しのけたらイラっとする。ソイツのオシメ変えてたの私やぞとマウント取りに行くわ。


 ゲーム中を思い出す。

 悪役令嬢・アティを依存から共依存へとステップアップさせた女。

 アティは唯一愛情を与えてくれる精神的な拠り所として依存し、子守頭マギーはアティに必要とされる事で承認欲求を満たし依存していた。


 ただし。

 この関係は無理矢理そう捻じ曲げられたものだとは思えない。

 アティの立場、子守ナニー頭の立場を考えると、少し自然に感じる。


 アティには、私が来るまでは子守頭マギーしか愛情を感じられる相手がいなかった。

 子守頭マギーには、この仕事しか自分の価値を見出す方法がないのだ。


 だから、子守頭マギーは最初からアティに取り入ろうとしているワケではないのではないか?

 むしろ今は、本当にアティを大切に思っていて、真摯しんしにアティに向き合っているのではなかろうか?


 うーーーーーーーん。


 アティの方は、愛情がいろんな人から貰えるのはいい事だ。

 一人からしか貰えない状態は健全じゃない。

 だから私も、アティの一挙手一投足に口出しする気はない。こういうのは適材適所、で様々な人間から愛情や手間をかけてもらった方がいい。

 私からと子守頭マギー、あとは微力ながら侯爵。今はコレだけ。

 今は家人たちとの距離もあるので、そこも少しずつ詰めて行って、色んな人から愛されるようにしていけばいい。

 その働きかけは私からでも出来る。


 問題は子守頭マギー自身だ。

 マギーには、子守ナニーという立場しかない。

 いわば、自分=子守ナニー。だから子守ナニーの立場が危うくなる=自分の価値がなくなる=自身が否定されている、と感じているのではなかろうか?


 しかし。

 これは難しい。

 この世界では、女の生きる道は酷く少なく、しかもどれもこれも茨の道だ。

 子守頭マギーに『子守以外の道もあるんだからアティの依存心に価値を見出すな』なんて、そんな無知で無責任な事は言えない。


 出来れば。

 彼女と協力してアティを育てていきたい。

 私も足りないところが沢山あるし、出来ない事も沢山ある。


 何か、何かないか。

 方法は。


 ……。


 ヨシ。


 私は強く決意して、アティの部屋へと戻って行った。


 ***


「はい」

 アティの部屋のドアを叩くと、中から少し声を抑えた返事が返ってきた。

「セレーネです」

 控えめな声で名を告げると。

「ご遠慮下さい」

 そっけない返事が被せ気味に返された。にべもねェ。

 コンコンコン

 言っとくけど、私はしつけぇぞ。

 ドアをノックしたが返事はない。

 コンコンコン

 返事するまで叩くからな。

 コンコンコン

 手が痛くなってきたら道具使うから延々叩けるぞ。

 コンコンコン

 ちょっと楽しくなってきた。

 コンコンコン

 リズム刻もうかな。

 コンコンコン

 歌っちゃおうかな。

 コンコンコン

 そういえば、歌うと妹たちが飛んできて口を塞ぐんだよね。

 コンコンコン

 なんでかな。

 コンコンコン

 女神の歌声なのかな。

 コンコンコン

 みんな聞き惚れて仕事の手が止まっちゃうからとか。

 コンコンコン

 罪作りね、私の歌って。

 コンコンコ──

「いい加減にしてください」

 扉がそっと開き、中から子守ナニー頭のマギーがイライラした顔をのぞかせてきた。

「マギーと、少しお話しさせて頂きたいのですが」

 私は小声でそうお願いしたが

「話す事など何もありません」

 バタン

 とりつく島もねェ。

 再度閉じてしまったドアを再度ノックし

「貴女が話してくれるまで続けますよ」

 そう、扉越しに忠告した。

 しばらく待ったが返事がない為、またノック開始。

 コンコンコン

 ガチャ

 今度はすぐに扉が開いた。

「アティ様が寝てるんですよ。うるさくして悪化したらどうするんですか。奥様はアティ様が可愛くないのですか?」

 物凄くイライラして若干額に青筋を立てた状態のマギーがまた顔を出す。

「貴女とお話しさせていただければすぐにやめます。これは、アティの為のお話です」

 私も間髪入れずにそう詰め寄った。


 子守頭マギーはチラリとアティに振り返ると

「少しお待ちください。他の子守ナニーを呼びますから」

 そう言って、彼女は扉を開けたまま一度部屋へと戻って行った。


 よし。勝った。


 他の子守ナニーと交代したマギーは、先を歩く私の後ろを、少し距離を空けて(物凄く嫌そうに)ついて来るのだった。

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