第11話 侯爵に詰め寄られた。
セルギオス。
私の兄の名前。
失った私の半身。
知らない訳がない。
あの時、
剣術大会にコッソリ出たりとかした時にね。
「……勿論。兄の名前ですから」
下手な嘘はつかなかった。
こんなの、調べればすぐにバレる。むしろ、侯爵は既に知っている筈だ。
何故先にそれを私に聞いた?
もしや、バレてたのか?
いや、そんな筈はない。私の男装は完璧──と、いうか。普通考えないだろう。家にいるはずの妻が別の家に男装して現れるなどと。
「セルギオスが……どうしたのです?」
そう尋ねながら、私の脳みそはフル回転。
ここは、正直に言った方が得策か否か。
侯爵の次の言葉が出るまで、ひたすらその事を考えた。
アティが心配でコッソリついて行った。
万が一バレるといけないので男装して行った。
アティの様子をコッソリ覗いていたら危なかったので助けた。
貴方の立場を思って
うん。全部真実なので不都合はない。
ただ『アティがここで火傷をする事を知っていた』という事を、言わないだけ。
これは言っても信じてもらえないし、不要だから。
しかし──
侯爵にこれがバレた場合、今回のように自由に動き回る事は可能なのか?
そもそも。
あの
もし。
もし、今回のこの事件が、
可能性はゼロじゃない。
愛があるとは言っていたが、その愛の形が、私と同じであるとは限らない。
本人のためだからと言いつつ、殴りつける人間はごまんと居る。
アティの為に、アティの婚約を盤石にして、公爵夫人に確実にしよう。例え、アティ自身が傷つき歪んでしまったとしても──
この男が、そう考えない確証が何処にある?
言えない。
言うとしても、まだタイミングじゃない。
正体をバラすなら、コイツがアティを決して傷つけないのだと、確証が得られてからだ。
そう結論づけたとほぼ同時に、侯爵が口を開いた。ゆっくりと、こちらへと近づいてくる。
「今日の昼間は何処に?」
……さっきの私からの質問は無視かい。
少しイラッとしたが、おくびにも出さずに小首を傾げた。
「今日はアティがいませんでしたから、一人じゃないと出来ない事を。妹たちに、手紙を書いておりました」
嘘だけど。昼間はアティを助けたりしてました。ハイ。
「その手紙は何処に?」
「私の部屋に。まだ書き終わっていないので」
実はこれは本当。
普段アティと一緒にいるのであまり時間がないが、隙間時間を見つけては少しずつ妹たちへの手紙を書き溜めていっている。
やっぱり、探りを入れられてる。
でも確証はない筈だ。──後で部屋に戻ったら、今ある男装セットは処分しないとな。服の焦げ跡とか見つかったら面倒くさい。
私は何も分からない素振りで侯爵を見上げた。
「セルギオスという名前と、私の行動に何かあるのですか?」
先程から侯爵は私から目を離さない。
真っ直ぐに見つめて来ている。
嘘を、見抜こうとでもしてるのか。
いつの間にか、侯爵は私の目の前に立っていた。手の届く、どころか。息のかかる距離だ。
彼の瞳が、アティと同じ
それでも私は、彼の目を真っ直ぐに見返した。
「何が、あったのです?」
問い詰めてみろ。
言い逃れてやる。
沈黙。
お互いに、目を見つめあったまま動かない。
先に視線を逸らしたのは侯爵だった。
よし、勝った。
「すこし、ゴタゴタがあっただけだ。それでアティが少し怪我をした。大事ない。
アティとエリックの婚約は問題なく進む。
今日はもう休め」
それだけを短く告げると、彼は私に背を向けて着替え始めてしまった。
話はこれで終わり、という事か。
色々ムカつく事はあったけれど、私はそのまま侯爵の背中に頭を下げ、部屋を後にした。
アティの寝室に戻る最中。
イライラが止まらなかった。
私は事情を知ってるからいいけれど。
侯爵からの説明は、あってないようなものだった。
何も事情を知らない人間だったとしたら、何も分からないままじゃないか。
なんでアイツは、何も説明しないんだ。
心配させたくないから、とテイの良い説明は出来るだろうが。
そんなの蚊帳の外に置きたいだけじゃねェか。
男はいつもそうだ。
肝心な事は何も言わない。
これで守ってるつもりなのか。
本人の意思は無視して。
それとも意見されるのが邪魔だとか?
馬鹿が。
私たちは、物言わぬ人形じゃねぇぞ。
私はふと立ち止まる。
そして
ゴンッ!!
思いっきり壁を殴りつけた。
その音を聞いて、近くの部屋から家人が出てきた。
「奥様?! どうなさったのですか? 今の音は……」
「ごめんなさいね。ちょっとよろけて壁にぶつかってしまったの。怪我はないから大丈夫よ」
私は笑顔で──有無を言わさぬ圧力をかける。家人は何かを言いたげだったが、大人しく部屋へと引っ込んで行った。
私は、痛みに
***
アティは寝ていなかった。
ほっくほくした顔でベッドに横になり、布団を掴んだままゴロゴロごろごろ転がってミノムシ状態になっていた。
昼間の出来事の事もあるし、父親が初めて「おやすみのキス」をしてくれたのだ。
彼女にとっては今日は、良い意味で忘れられない一日になっただろうからね。
さっきまでのイライラを解消するかのように、私もベッドに飛び込んでアティを布団ごと抱き締め、思いっきり一緒にゴロゴロした。
ついでに頭皮の匂いを嗅ぐのも忘れずにっ!
アティのキャッキャとはしゃぐ声が可愛いよっ!!
女二人のパーティナイッはこれからだよっ!!!
「おかぁさま、あのね、おとぅさまがね! おやすみって!」
「うん、そうだね。嬉しいね。良かったね」
「おとうさま、おひげなかったの」
「そうだね。なかったね。アティは、おひげがあるのが好き? おひげがないのが好き?」
「うーん……」
お、メッチャ考えてるね。考えてるね。いいよ。どんどん考えよう。
「わかんない」
「そっか。そうだね。初めて見たもんね」
「おかぁさまは?」
「え?」
「おひげすき?」
……考えた事もなかった。
うーん、これは確かに「分からない」案件だねぇ。
アティに聞いといて自分は考えた事なかった、はナシだよなぁ。
「そうだなぁ。私は……ない方が好きかなぁ」
身内は
「じゃあ、おとうさま、すき?」
侯爵を好きか?
ハッキリ真実を、ここで述べていいの?
答えはNO。
でも、嫌いかと言われると、それもNO。
答えは「考えた事もなかった」デス☆
そもそも政略結婚ですから。個人的感情を挟み込む余地がなかったし。
結婚直後からは、アティの事しか見てません。ええ、全然見てません。
侯爵はあくまで「アティの父」であり、立場上「私の夫」であるだけって感じ?
会社の同僚って感覚かなぁ。
いや、それよりも少し遠いかな。違う部署の人間で、一つのプロジェクトをたまたま一緒にやるようになっただけの相手、って感じ。
でも、それを素直にアティに説明してもなぁ。
言わなきゃ伝わらないけど、言ってもまだ難しいだろうしなぁ。
どうしよう。
でも、ここで「嫌い」は違うよなぁ。
うーん。
アティに不要な嘘はつきたくなけど──
アティの情操教育上必要なら、嘘の一つや二つ。軽いか。そうだな。
「好きだよ」
私がそう返答すると、アティはふにゃ~という
え。なんで。アティを好きって言ったんじゃないのに?
もしかして、自分の事のように嬉しいの??
もうこの子はッ……!!!
「アティも物凄く大好きだよー!!!」
私は、またアティの身体を布団ごと抱き締めて、ベッド中をゴロゴロと転げまわった。
その日は、アティの寝室から夜中遅くまで奇声が聞こえ続けただろうな。
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