第10話 おやすみのキスをした。

「あのね! ぼっ! ってね! なってね、そしたらね! おかぁさまがね! どんって! あとね、せる……せるいおす? せるみおる? せる……になってね! すごかったの!」


 いつものようにベッドに一緒に入って、寝しなのお話をしようかと思ったが。

 今日はアティのお喋りが止まらなかった。

 昼間の事を興奮冷めやらぬ感じで止めどもなく喋る喋る。

 ベッドに横になりつつも、顔を真っ赤にして激しい手振りで私に説明してくれている。

 私は笑顔でうんうんうなずいていた。

 うん。天使。パタパタ動かす短い手足が最高よ。そのまま翼が生えて飛んでいきそう。飛んでもいいよ。捕まえちゃうからっ!


 しかし良かった。

 今日の出来事がトラウマとかになってたらどうしようかと思ったけれど、幸いそうはならなかったよう。それが本当に良かった。

 乙女ゲーム中の悪役令嬢・アティは、攻略対象の婚約者・エリックに関わる時は、背中の傷の事を本当、執拗しつように、一種その不幸に陶酔とうすいした状態で、何度も何度も何度も何度もネチネチねちねちネチネチ言っていた。

 恐らく、トラウマになったと同時に、その傷がエリックと自分を繋ぐ「絆」のように感じていたのだろう。それをエリックに理解させたくて、思い出させたくてシツコくしていたんだろう。

 アティは父である侯爵との縁が薄い。乙女ゲーム中の継母からは冷遇れいぐうどころか蔑視されていたようだったし。


 私はそんな事しないもんね。だってアティ天使だもん。宝ですよ宝。至宝です。


 さて、問題はここからか。

 事件が未遂に終わったせいで、恐らくここから色々な事が変るだろう。

 乙女ゲーム中の設定とは大きく変わったのだ。

 アティの背中には傷はない。

 またそれによって公爵家との婚約も盤石にはならかった。

 さて、あの家庭教師サミュエル子守頭マギーはどうでるかな……?

 こっから先は慎重にいかないとな。


 アティを、無事自立した一人の素敵な女性にするまでは、気を抜かないぞ!


 心の中でそう拳を握りしめて天へと掲げていたら、キョトンとした顔でアティが私の顔をペタペタと触ってくる。

「おかぁさまは、せるいおる、なの?」

 ……ああ、そうか。アティはいつも私の顔を間近で見てるからね。

 流石にアティにはバレちゃうか。

 でも。アティの口から万が一事実がバレたら面倒だし。

「私はセレーネだよ。セルギオスは……誰だったんだろうね」

 そう優しく囁いて、頭をそっと撫でた。

 アティは、よく分からないといった顔をする。


 ゴメンね。嘘ついて。

 でもね。

 私はどんな嘘をついても、アティを守るよ。


「セルギオス、カッコ良かった?」

「かっこよかった!」

「そっか!」

 アティのヒーローになれたのなら嬉しい。

 よし。これからアティを影で守る時はセルギオスになろう。

 影のヒーロー。カッコいいじゃないか。

「じゃあ、夢にセルギオスが出てくるといいね」

「うん!」

 アティにしては随分と興奮してる。全然寝てくれる気配ない。今日の夜は長そうだ。

 でも嬉しい。普段は大人しくて感情の発露はつろがあまりなかったから。こんな子供らしいアティが見れて嬉しい。

 ああもう。最高! こんな夜なら大歓迎! 女二人で朝まで騒ごうぜイェイ!!


 コンコンコン


 盛り上がった私の気持ちに水を挿したのは、そんなドアのノック音だった。

 ……誰だ、こんな時に。


 どうぞ、という声とともに開いた扉の向こう側には──

「おとぅさま?」

 アティは、予想だにしなかった人間がそこに立っていた為、突然身体を硬直させた。

 そう、そこにいたのはアティの父・カラマンリス侯爵だった。

 今まで、私がこの部屋にいる時に侯爵が訪ねてきた事はない。アティの反応を見る限り、多分今までほとんど来た事はないのだろう。

 アティが、どうすればいいのかと固まってしまった。

 私は、そんなアティの頭をゆっくりと撫で

「お父様よ。おやすみの挨拶をしに来たの」

 そう説明した。

「おやすみの……あいさつ?」

 アティがまんまるの目にして、私と侯爵を見比べる。したことないもんね。そりゃ驚くわ。

「そうよ」

 私はサラサラとアティの前髪をかき分け、その額にそっと唇を落とした。

「ね? 侯爵様?」

 そして、ゆっくりと侯爵へと振り返り、軽く顎でしゃくる。

 その瞬間、侯爵はビクリと身体を揺らした。

「そうよね? 侯爵様?」

 お前の番だ。

 私は目で、そう告げる。


 侯爵は、しばら逡巡しゅんじゅんした後、ギクシャクとしたぎこちない動きでアティのベッドの横まで来る。

 しかし、またそこで動きが止まった。

 アティも頬っぺたを真っ赤にしてドキドキしながら待っている。

 私はもう一度、侯爵に見せつけるように、アティの額にキスを落とした。

「おやすみアティ」

 そして私はベッドから降りる。

 スッと立ち上がり、硬直する侯爵をジッと見つめた。

 行け。今だ。チャンスを逃すな。

 目にあらゆる念を込めてヤツに叩きつける。

 それを受けて、侯爵はアティのベッドに手をかけた。

 ギシリとベッドがきしむ。

 ノロノロとした動きで、アティの額に手をかけた。

 そして。

 ゆっくり、アティの額に口付ける。

「お……おやすみ、アティ」

 身体を起こし、侯爵はボソリとそう呟いた。

 よし。やれば出来るじゃん。

「おとうさま、おやすみなさい」

 アティは、今にも泣き出しそうな顔で、そう返事をした。

 分かる。あれは、嬉しいんだ。

 感極まって涙が溢れそうになったアティは、それを隠すように布団を頭まで被ってしまった。何その可愛い仕草。そんなんアリか。

 胸に広がるキュウンという締め付け。もう! そんなん見せられたら、その布団ごとアティを抱きしめてベッド中転げ回るのに!!

 今はしないよ。侯爵がいるからね。

 いなかったら? してるよ。秒でな。


 アティの返事に、侯爵は布団の上からアティの頭を一度ゆっくり撫でる。

 顔を上げた侯爵の顔は、アティに負けずに真っ赤になっていた。


「よくできました」


 私は彼の背中に、そう小さく囁きかけた。


 ***


 侯爵の寝室に呼ばれた。

 ま、そういう意味じゃないのは重々承知しているが。

 来たのは侯爵を泣かせた日以来か。

 あれ以来、彼は私を徹底的に避けていたからな。


 導き入れられ、寝室の中に入る。

 アティが待ってるし、ゆっくりする気もなかった為、私は部屋の真ん中まで歩いて行ってからゆっくりと振り返った。


 扉を閉めた侯爵は、盛大にため息をついて、さっきまでいからせていた肩をガックリと落とした。余程緊張していたんだな。

 まぁ仕方ない。今までアティにまともに接した事がなかったからな。リハビリだよリハビリ。

 こっからしっかりアティと接して愛情を感じさせてって欲しいもんだ。


 しかし。

 ここに呼ばれたという事は。昼間の例の件について説明してもらえるって事だな。

 アティを助けた以外の話は私も知らないから、是非詳しく聞きたいところだ。


 彼から言葉を発するのを待っていたが、上着を脱いだりカフスを外したりして、一向に喋り出す気配がない。

 仕方ないので自分の方から切り出した。


「今日、アンドレウ邸で何があったのですか? 確か、婚約の為の顔合わせでしたよね? アティの髪やあの頬はどうしたんです?」

 勿論、何も知らないテイで話を始める。

 あの場に侯爵はいたけれど、まぁ私だとは気づかなかっただろうし。私の男装は誰にも見破れないからな! 何故かッ!!!


 一応、問い詰める感じではなく柔らかく聞いたつもりだったが、少しキツめな声になってしまったかもしれない。

 まぁ、焦れたから、とでも思ってくれればいい。


 私の声に、侯爵は私をチラリと一瞥いちべつ

 ベストのポケットに一度手を突っ込み──そのまま何も掴まずに手を抜いた。


 そして、クルリと私へと身体を向け直すと、真っ直ぐに私を見つめて口を開く。


「セルギオス、という名に聞き覚えは?」


 侯爵から、いの一番にその名が出るとは予想していなかった為、私は思わず身体を固くしてしまった。

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