第9話 取り敢えず逃げた。

「アティ様!」

「エリック様!」

 アンドレウ邸の使用人たちが、バラバラと屋敷の中から走り出てきて、庭の端にいる私たちを取り囲む。


 うーん。

 どうしよう。

 逃げられるかな。逃げた方がいいかな。

 いや、別に私は悪い事はしてないな。うん。

 ちょっとアンドレウ邸に忍び込んだだけだし。いや、それもアティを助ける為だったワケだし。忍び込んだけれど。忍び込んだんだよね。うーん。ヤバイ??


 いや!

 私は何も恥じる事などしていない!!

 こういう時は堂々としているのが一番だ!!!


 私はアティとエリックをひょいっと抱っこする。重っ。流石に片手で一人の子供を抱っこはキツかった!

 頑張れ自分! 一瞬で済む!!

「私は通りすがりのとある貴族の子息だ!

 アティ嬢に危険が迫っているとの情報を受けて確かめに来た!」

 正々堂々と私は声を張り上げる。

 男装していたから、母だとは名乗らなかった。名乗っても信用されないだろうし。

 なんせ、私の男装は完璧だから。完璧……だから。ははっ。


 みんなが、ギョッとした顔をする。

 そりゃそうだ。なんで通りすがりが屋敷の中の、しかも奥庭に居るんだって話だよね。分かってる。分かってるよ! 分かってるけどスルーして!!

「そうしたら事実、アティ嬢が危険な目に! 一緒にいたエリック様にまで危険が及んだ! 何者かがアティ嬢に大怪我を負わせようとしたのです! 誰か、怪しい者の姿を見た者はいないか!?」

 話を私から反らすんだ! ここで重要なのは、私の正体じゃなくてアティを害しようとした犯人だから。


 人込みの中から、すこしずつ手があがる。

 その手が──私を指さした。

 正解。

 うん。そうだね。通りすがりのとある貴族の子息。怪しいね。

 そうじゃなく!!

「二人が奥庭で遊んでいる事を知り、二階からランタンを落としたヤツがいる! 見ただろう! ランタンが地面に落ちて燃えたのを!」

 それを言うと、使用人たちがザワザワしだした。

 ランタンが燃えた炎は見た人が多いからな。っていうか、まだ燃えてるからな、うん。

 私が今言ってる事が事実だと分かっている人もいるだろう。

 どういう事なのかと、その場にいる人間たちが混乱し始めた時──

「何の騒ぎだ!」

 人込みをかきわけ、奥から身なりの綺麗な人間が出てきた。

 アレは誰だ。あ、乙女ゲーム中のエリックに似てる。って事は、エリックの父・アンドレウ公爵か。ゲーム中では壮年になりかけてたけど、まだ若いな。当たり前か。

 そしてその後ろには、これまたしっかりした身なりの男が。あれは誰だろう? 執事長とかではなさそうだ。貴族だな。アンドレウ公爵の兄弟とかか? にしては似てないけど。


 まあいい。

 この場で一番偉い人が出てきてしまったら話がややこしくなる。

 ヤツの鶴の一声で私が犯人にされかねない。

「アンドレウ公爵! 貴方の屋敷の中で、アティ嬢とエリック様が何者かに怪我を負わされそうになった! 何か企んでいる者・忍び込んだ者がいるかもしれない! 今すぐ屋敷を捜索して警護の強化を!」

 私はそう言いつつ、腕に抱いたアティとエリックを地面におろした。

「お前は誰だ!?」

 ごもっとも。

 高説垂れる前に名を名乗れって事だよね。

 うーん。そうだな。

「私の名はセルギオス! ただのセルギオス!!」


 セルギオス──

 失った、双子の片割れ。

 私の半身、亡くなった兄の名前。


「さらばだ!!」

 それだけを告げ私は人のいない方向にダッシュ!

 人だかりを肩タックルで突破し、野次馬をしにきていた庭師たちを押しのけて庭の木々の中へと逃げ込んだ。


「逃すな! 追え!!」

 後ろから、慌てたそんな声が聞こえてきた。

 ははははは!! 野山を駆けずり回った私の足について来られるかなっ!? 『北方の暴れ馬』の名前は伊達だてじゃないぞ!


 庭木をひょいひょいと避けつつ全力ダッシュ。

 すると、追ってくる人の声が段々遠くなっていった。

 そのまま私は屋敷の外まで無事到着。そして、隠しておいた馬に跨って颯爽とその場を後にした。


 早く帰らないと!

 アティが帰ってきちゃう! 向うは車だからな。急がないと。


 ***


 屋敷に戻り馬を返し、部屋に戻った。窓から。

 服はところどころ焼け焦げていたし、逃亡中に木にひっかけたりして破けたりしていた。ああ、男装用の一張羅いっちょうらがっ……

 実家に連絡して新しいのを──くれるワケないか。お金はもとより「何に使うのです?」という冷たい母の声が聞こえてきそうだ。ははっ。


 アティは無事に助けたし良かった。

 一つ心残りがあるとすれば。

 落下してきたランタンにぶつけた懐中時計だな。あれはお祖父じい様から兄に引き継がれた大切なものだった。

 兄が亡くなった時に、兄の形見として譲り受けたのだ。

 兄の形見を、失ってしまった。

 でも、アティの命や傷には代えられない。


 兄さん、ありがとう。

 兄さんのおかげで、アティが無事だったよ。

 本当に本当に、ありがとう。


 そうしていると、屋敷がザワザワし始めた事に気が付いた。

 ああ、アティたちが帰ってきたのか。

 なんで誰も声かけに来てくんないんだよ。

 ま、勝手に行くけどね。


 私は部屋から足早に出て玄関ホールへと向かう。

 ああ、その前に。

 ちゃんと頭に入れておかないと。

 私は、アティが軽い火傷をしたとか髪を燃やされたとか知らない。知らない。

 だから、アティを見て驚くんだ。驚くんだぞ私。驚けよ。

 ……うーん。事前にこういう事を考えてると、なんか上手くできない気が、そこはかとなくするなー。演技、できるかなぁ。


 玄関ホールに辿り着くと、今まさにアティが屋敷の中へと入って来る所だった。

「アティ!」

 私は声を弾ませてアティの名を呼ぶ。

「おかあさま!」

 私の声に気が付いて、振り向いて天使の満面の笑みを投げかけてくるアティ。

 ああ神の至宝。上天使。笑顔が神々しい!! 既に神!!!

 私は階段を駆け下りてアティの元へと駆け寄る。

 そして膝をついて腕を広げた。

 遠慮なくその胸に飛び込んでくるアティ。

「おかえりなさいアティ! アンドレウ邸はどうだった?」

『楽しかった?』と聞きたかったが、言葉が出なかった。──楽しくはなかった事を、私は知っているから。

 抱き締めた時、またアティの髪が目に入る。

 焦げた部分はなくなっていたが、かなりバッサリ肩口あたりに切りそろえられていた。整えてもらったのか。ああ……あの美しかった髪が……

「アティ、その髪はどうしたの?」

 アティの身体を離して顔を見ると、ほっぺたにもガーゼが当てられていた。

 ……顔も火傷やけどしたのか。あの時は気づかなかったな。アティもエリックも、びっくりしたせいかほっぺたが真っ赤になってたから。

「ほっぺたまで……何があったの?」

 私はそっとアティの頬に触れる。アティが一瞬ビクリと身を引いたので、それ以上触らず、代わりに身体を再度ギュウっと抱きしめた。


「その話は後で」

 アティの後ろから野太い声がする。

 執事たちを引き連れた男が、偉そうに私を見下していた。

「……?」

 誰? これ。

 黒髪にひげのない顔。少しやつれ気味な目元。……え、誰?

「……私への迎えの言葉はないのか」

 迎えの言葉って。なんで知らん人間出迎えなきゃなら──え。まさか。

「こ……侯爵様?」

「何故疑問形なのだ」

「いやだって……」

 ひげ。ヒゲないよヒゲ。あれはお前のアイデンティティじゃないのか?

「お顔が……前と異なっていらっしゃって……」

 だって、乙女ゲーム中も悪役令嬢・アティの父にもひげがあった。そのせいでまぁ人相が悪く見えたもんだったし。まあ悪役令嬢の父ならそんなもんかと思っていいたけれど。

 これは、ええと。どういう事?

 結構年上だと思っていたアティの父は、思ったよりは若かった。私と同じか少し上ぐらいじゃないのか?

ひげった。もう、

 必要がない? ごめん、全然意味が分からない。何? 今までは防寒の為に生やしてて、春だから剃ったとか、そういう事?


 ……あ。この顔。

 さっきアンドレウ邸で、アンドレウ公爵の後ろにいた偉そうな男だ。

 あれ、侯爵だったんだ。……気づかなかった。

 しまったなぁ。ガッツリ見られてたんじゃないか。バレないかなぁ……いや、バレないか。だって私の男装は完璧(涙)


「とにかく、今日は疲れた。話は追ってするから取り敢えず下がれ」

「はい」

 侯爵がヤレヤレといったテイで私を追い払うので、ここは素直に応じた。

 と、いっても。アティを抱き上げてアティと一緒に部屋へと戻ろうとする。

「お……奥様」

 家庭教師のサミュエルが私を止めようとしたが、一瞥しただけで彼は言葉を詰まらせる。ふん。止めたいなら止めてみろ。また壁ドンしてやるぞ?


 家人や他の人間たちがアワアワする中、私はアティを抱き上げたまま、彼女の部屋へと向かうのだった。

 道中、アティにどうだったのかと尋ねながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る