第8話 颯爽と助けた。

 思い出せ、思い出せ。

 乙女ゲーム中の悪役令嬢・アティは、背中の傷の事を何か言ってなかったか?!


 消えない傷、傷物に、だから婚約解消は──ええい! 違う! そこじゃない!!


 どこで、どんな風につけられた傷なのか、その情報を言ってなかったか!?

 あんだけ周回したゲームなのに、悪役令嬢であるアティのセリフには注視してなかった。チックショウ! もっとちゃんと彼女の話を読んでおけばよかった!


 屋敷の横を走ったが、庭師などがいるだけでアティたちや偉そうな人間たちがいなかった。

 ここじゃない。ここからではらちかない。

 そばに誰もいない事を確認してから、鍵が開いていた窓から屋敷の中へのスルリと滑り込む。

 廊下を駆け人のいる場所を探した。

 誰でもいい、アティの居場所を知ってる人は!?


 廊下の突き当りの先から、コツコツという複数の足音と女性の話し声が聞こえてきたので足を止める。すかさず上着を脱いで腕まくりし、手巾ハンカチで窓をキュッキュといた。


 足音がより近づき、ふと、止まった。

「え?」

 女性の声が聞こえる。

 そこで私はキリっと振り向き、そこにいたメイドとおぼしき二人に厳しい声を放った。

「そこの二人。何をしている。窓が曇っていたぞ。今日は大切な日である事は分かっていただろう。何故手を抜いた」

 なるべく低い声で、なるべく偉そうに。

「え、あの、私たちは──」

「言い訳無用。窓はその屋敷の顔。そこが汚れているという事は屋敷──その持ち主、旦那様の品性が疑われる事なのだぞ」

 見知らぬ人間からいきなり偉そうに説教を食らったメイド二人は、目を白黒させて困っていた。

「今言いつけられている作業が終わったら窓を磨いておけ。いいな」

「は、はい」

 有無をいわさずそう圧をかけると、慌ててペコリと頭を下げるメイドたち。

 メイドを威圧して恐縮させ、私は上着を拾ってメイドの方へと歩いていく。二人の横を通り過ぎ、そして足を止めて背中越しに再度声をかけた。

「そうだ。あと、アティ様とエリック様は、今どちらにいらっしゃる?」

 本題はコレだ。これが本当は聞きたかった。

「あ、ええと。先ほど談話室からお出になられたので、今は奥庭にいらっしゃるかと……」

 メイドたちは声を震わせてそう答えてくれた。

「そうか。ありがとう」

 そう礼を言い、歩き出そうとして、ふと思い返す。

 私の背中を見ているであろう二人にクルリと振り返り

「他の窓は本当に美しく磨き上げられている。良い仕事ぶりだな。日々仕事に真摯に向き合っている成果だ。素晴らしい。今後ともよろしく」

 そう、賛辞を述べておいた。

 ごめんね。本当は、窓は全部もともとピッカピカだったんだ。話を聞きたくて難癖付けただけだよ。良い仕事してるねっていうのは、本音。アンドレウ邸の使用人たちは真面目で働き者だなぁ。


 二人からある程度離れるまでは優雅に歩き、もういいか、というところまで来てダッシュした。

 奥庭! 奥庭に今アティとエリックがいる! 早く奥庭に行かなければ!


 ……って、奥庭ってどこだよ!!!


 まあ「奥」というからには屋敷の奥の方なのだろう。

 私はアタリを付けて全力で走った。


 どうか、どうか間に合って!!


 ***


 色々な使用人たちとすれ違い、時々呼び止められそうになりながらも、ガン無視して屋敷内をひた走った。屋敷広い!!!

 一階の屋敷の奥の方っぽいところの廊下を爆走していた時、廊下の窓の外側──綺麗に整えられた庭の低木の向うに、チラリとプラチナブロンドの髪が見えた気がした。


 急ブレーキで立ち止まって窓に張り付く。

 目を凝らして見てみると、小さい影が二つ、庭の端の薔薇のアーチの側にうずくまってるのが見えた。

 あれだ! いた!!


 窓を開け放って走り出そうとした瞬間、誰かに後ろから羽交い絞めにされた。

「貴様誰だっ!?」

 男の声。たぶんこの屋敷の使用人の誰か。しまった追いつかれたか!

「離せ! 今それどころじゃない!!」

 押さえつける男の腕をなんとか振りほどこうともがく。

「アティ! アティ!!」

 かなり遠いがなんとか声が届かないかと、喉が張り裂けそうなほど叫んだ。

「アティ!! 危ないからエリックと一緒に屋敷の中に入って! アティ!!」

 怪我をするならおそらく屋外! とにかくアティに屋敷の中に戻ってもらわなきゃ。

 くっそう! 邪魔だなオイ!! 誰だ羽交い絞めにしてんのはっ!!


 私が大騒ぎを起こしてしまったせいか、私の方への人が集まり注目の的となる。

 いや、騒ぎを起こしてしまって良かったのかも。そうすれば何かが起こるとしてもタイミングが悪いと判断されて──


 そう思い、一瞬力を抜いた瞬間だった。

 庭の端にいる、アティとエリックの──上。二階の廊下の窓から、人間の腕がにゅっと伸びてきたのが見えた。

 その手には真昼間にも関わらずランタンが。


 ──私の背中は醜いの。焼けタダれて見るも無残。それもこれも、全部エリック様が悪いのです──


 耳に、悪役令嬢・アティの声がよびがえる。

 焼けタダれ……火傷やけど。ランタン。

 もしかしてッ……!!


「アティィ!!!」

 私は思い切り首を後ろに振り抜く。ゴスッという重い音がして、羽交い絞めにされた腕が緩んだ。その隙に腰を後ろに突き出して、後ろにいた人間の胴体にヒップアタック! ついでにそばにいた誰かの顔に裏拳を叩き込む。

 左右から伸びてきた腕を前転でくぐり、エグれる程強く地面を蹴った。

「アティ上!!! 逃げて!!!」


 全力で走る。

 アティとエリック、幼い二人が私の声に気が付いてこちらを見た。

 上には気づいていない。

 二階の窓から伸びた腕。ぶら下がるランタン。

 フワリ。

 手を離されたランタンが自由落下を始める。

 下にいる、アティめがけて。


 そのシーンは、酷くゆっくりに見えた。


 ランタンが今まさにアティの身体にぶつかろうとした瞬間。

「さァせェるかボケェェェェェ!!!」

 私は、懐に入れてあった懐中時計をぶん投げた。


 カコォンッ!


 その懐中時計は見事命中し、ランタンの落下位置がズレる。

 しかし。


 アティにはぶつからずに地面に落下したランタンが、ボッという音を立てて燃え上がった。

「!!」

 自分の足元で燃え上がった炎に、その場にいたアティとエリックが慌てふためく。


「大丈夫だよッ!!」

 なるべく元気な声を張り上げて、私は二人に声をかけた。

 そして、タックル!!


 二人の身体を抱え込み、二人を押しつぶさないように身体を反転、肩と背中から地面に着地してスライディングした。

 まだ油断できない!

 二人を地面に転がし、服などに燃え移ってしまった火を叩いて消した。

「どこか痛くない!? 熱くない!? 大丈夫!?」

 焦げた服を払ってその先にある二人の子供の肌を見る。

 少し赤くはなっていたが、跡が残りそうな程の火傷にはなっていなかった。


 よかった……


「無事で良かった……」

 心からの安堵に、私は二人の身体をぎゅっと抱き締めた。硬直した二人はなされるがまま。

 よかった。本当に良かった。これなら大した怪我じゃない。冷やしておけばすぐ綺麗に治る。少しの間ヒリヒリするかもしれないけれど、まぁ多少の傷は子供の頃なら当たり前なものだし。大丈夫、大丈夫。問題ない。

 ああ、本当に、良かったぁ……


 ビックリして動けない二人。

 ふと、私の視界に、焦げた髪の毛が入ってきた。

 焦げてチリチリになったプラチナブロンドの毛先──

「アティ!!」

 私はエリックから手を離し、アティの焦げてしまった毛先に視線を這わす。

 すると、長い髪の三分の一程が焦げてなくなってしまっていた。

「アティ……アティ……可哀そうに髪の毛が……」

 あんなに美しかったアティのプラチナブロンドが……

 絹糸のような光沢のフワフワな髪の毛が……


 犯人、マジ、許サナイ

 地獄ガ快適ダナト思ウヨウナ目ニアワセテヤル


「……おかぁさま……?」

 すぐそばからした小さなアティの声に、私はハッとする。

 彼女は、私の顔をペタペタ触りながら不思議そうな顔をしていた。

「だ……だれだおまえ??」

 そばにいたエリックも、私の顔を見て目をまん丸にしている。


 ……しまった。

 私は、ここに居ては、いけない人。

 アティを助けた後の事、全然考えてなかった。


 ワラワラと集まってくる使用人たちを前に、私はどう言い訳しようかとグルグルと思考を巡らせた。

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