第6話 家庭教師に壁ドンした。

 食事を共にし、一緒に寝て。

 アティとの距離は随分近づいてきた。


 乙女ゲーム中のアティは、悪役令嬢のテンプレートなのかと思うほど酷い女だったけれど、まだ幼女のアティは天使そのもの。

 当初はモジモジしていて距離が少しあったけれど、こちらが素直に接していたら、向こうも心を開いて懐いてくれた。やはり天使。間違いなく天使。


 将来、絶対あんな嫌な女になるようになんか、させないからな。

 絶対にっ!


 しかし。

 それを面白くないと思っていた人間もいたのだ。


 ……なんなんだよこの家。鬼の棲む家かよ。


 ***


「アティ様は、今日は奥様とは過ごせません」

 一緒に寝て起きて朝ご飯を摂った後、アティの部屋に行こうとした私の前に立ちはだかったのは、アティの家庭教師だった。

 多分私と同じぐらいの年か少し。アティの教育工程を全て管理しているヤツ。

 名前は、サミュエル。


「アティが今日、アンドレウ家に婚約前の顔合わせを行う事は存じ上げております。 それなのになんで継母ではあるけど母には変わらないのに同席できないのかは知らんけどアティが緊張している様子でしたので、景気付け── 違った緊張が解けるよう、お声がけさせていただこうとしただけです」

 サラリとそう告げ、廊下に立ちはだかる家庭教師サミュエルを避けようとした瞬間、サッと彼が私の前を再度遮った。なんだコイツ。動き早っ。

「ご遠慮願います」

 ……ん? 今こいつ、なんてった?

「え? なんです──」

「ご遠慮願います」

 若干被せ気味に返答きた。早っ。聞こえてたわ。そういう意味で聞き返したんじゃねぇわ。

「理由をお聞せ頂けないかしら?」

「いいえ」

 は?

 今、コイツ断った? 理由を言う事まで、断った?

「理由をお聞かせいただけない理由をお聞かせいただけないかしら?」

「いいえ」

「あら。そうなの。じゃあ、理由をお聞かせいただけない理由をお聞かせいただけない理由をお聞かせいただける?」

「いいえ」

 ははっ。まだ言うかコイツ。

「そう、残念だわ。ではせめて、理由をお聞かせいただけない理由をお聞かせいただけない理由をお聞かせいただけない理由をお聞かせいただける?」

 私、こういう納得いかない場面ではシツコイからな。覚悟しろよ。


 しつこくしつこくしつこく食い下がると、家庭教師サミュエル物凄スッゴいワザとらしく、仰々しく、大げさに、溜息ためいきを吐いた。

 喧嘩売ってんな。間違いなく。

 左目につけた片眼鏡モノクルの位置を直し、ゆっくり、まるでアティに説明するように、まるで言葉がまだ不自由な人間に説明するかのように、噛んで含めるように言った。

「旦那様のご意向です」

 活舌かつぜついいな、オイ。

 ここで侯爵の名前が出れば、立場が弱い私が引き下がるとでも思ったのか?

 いい度胸だ。

 その通りだ。

 が。

 そもそも、嘘だろソレ。

 そうだったとしたら、もっと早く野郎ヤツはアティから私を遠ざけるだろうよ。それに、そもそもあの侯爵腑抜け野郎の意向なんて知るか。


「そうですか……私がアティを心配する気持ちは、まだ侯爵様にはお分かりいただけていないのですね……」

 口に手を当てて、家庭教師からサッと視線を外す。悲しげに見えるように。

 ここで無理やり押し通っても事を荒立ててるだけだし。迷惑するのはアティだし。

 気落ちしたように見せかけて、一旦退いて別ルートからアティの所へ行こう。

 そう思い、私がしずしずと引き返そうと身をひるがえした瞬間──


「下手な演技はやめろ、『北方の暴れ馬』が」


 そんな罵声が背中に浴びせかけられた。

 と、同時にぶつけられる敵意。

 間違えようもない。今の声は、家庭教師・サミュエル。


「突然どうなさったのですか?」

 ゆらりと振り返る。なるべく笑顔で。まぁ、青筋ぐらいは立ってると思うけど。

 そして、そこに立つ家庭教師サミュエルをなるべく穏便おんびんな目で見た。

 彼は、いつもは常に浮かべている笑顔を全消しし、完全無表情で私を見据えていた。

「下手な演技はやめろ、と言った」

 おい。いつもの慇懃いんぎん無礼ぶれいさはどうした。これじゃただの無礼じゃねぇか。

「下手な演技、と申されましても」

 そんな安い挑発に乗るわけねぇべ。こちとら普段から散々見下されたりめられたり無意識の暴言吐かれたりしてんだよ。こんなんでイチイチ切れてたら女で生きていいけない。

 私は悲しげな表情を作る。しかし、なるべくヤツから視線を外さなかった。

「あくまで演技ではない、と。まぁいい。そっちがそのつもりでも、全部お見通しだからな」

 何をだよ。丁寧に接してるだけじゃねぇか失礼な。丁寧に接してる事が演技だと言うんなら、女として生きる事自体が演技じゃボケ。

「出戻りの欠陥品女が」

 ……今のは聞き捨てならねぇな。

「どういう、意味です?」

 私と家庭教師の間に不穏な空気が漂い始める。気持ち気温も下がったような気がした。

「子供も出来ず離縁された癖に、新しい家に潜り込むとは。しかも、よりにもよって侯爵家に。役立たずの穀潰ごくつぶしが。財産目当てか。上手く潜り込めたと思って、まずは娘から懐柔かいじゅうとは。下賤げせんな女はやる事違うな売女ばいた

 全く何の感情も込めずに、なのにとんでもねぇ罵詈雑言ばりぞうごんを繰り出す家庭教師サミュエル

 その言葉に何の反応も見せない私に、ショックを受けたのかと勘違いしたのか、更に饒舌じょうぜつに暴言を続ける。

「人の良い旦那様やアティ様は騙せても、私は騙せない。その低劣さに鼻が曲がるんだよ薄汚い雌犬メスいぬ。品性のカケラもない顔を隠してサッサと実家に逃げ帰れ雌豚メスブタ

 家庭教師は、ヒトを散々罵倒ばとうして気が済んだのか、息をついて少し満足そうな顔をした。


「……言いたい事はそれだけですか?」

 向こうから言葉が出なくなったのを確認してから、ゆっくりと口を開く。

 少し距離を空けて立っていたので、スッと前に進んでヤツとの距離を詰めた。

 まさか近寄られるとは思ってなかったようで、ヤツは一瞬ギクリとする。

 息が届くかという程近寄り、ヒールを履いている為同じぐらいの身長であるヤツに、顔をグイッと寄せた。

「黙って聞いてりゃ好き放題吐きやがって。耳腐るわ」

 地獄から響いているかのようなドスの効いた声を発すると、家庭教師は目を見開いて一歩後ろに下がろうとする。

 私はその両腕をガッと掴んだ。逃すか。

「何を勘違いしてんだお前。情報収集甘ェんじゃねえのか? その片眼鏡モノクルと頭は飾りか、あ? 今回の婚姻はこの侯爵家からの申し入れだ馬鹿。じゃなきゃ陰謀渦巻く侯爵家なんかに誰が来るかボケ。

 前回の離縁も子供が生まれなかったからじゃねぇよ。調査すんなら中途半端にせずしっかり隅々まで調べろや。中途半端が逆に危ねェんだよ。偽情報掴まされて侯爵家の足引っ張る事になんのはテメェだよ」

 そこまで言った瞬間、カッと彼の顔に赤みが差した。

「お前っ──」

 咄嗟に言い返そうとしてきたヤツの口を手で塞ぎ、サッと足払いを掛ける。

 グラリとバランスを崩した彼の体を回して横の壁に押し付けた。

 そして、嫁に行くのだからと、金のない中で妹たちがお小遣いを出し合って買ってくれた美しいピンヒールを、ヤツの横の壁に突き刺した。

「あ? 言い返されないとでも思ったのか? 私を知ってるんだろ? 『北方の暴れ馬』がただのお転婆の事だとでも思ったのか? 足んねぇんだよお前。

 娘を懐柔かいじゅう? お前何をアティに教えてんだよ。アティを真っ当な人間に育てんのはお前の役割じゃねぇのか?

 なのに、家に閉じ込めて歴史やら数学やら後からでも構わない勉強漬けにして、挙句あげく一人で食事させてやがって。

 お前のお偉い頭の中の教科書には『情操教育』って言葉はねぇのか。

 アティはまだ小さいんだよ。

 幼児なんだよ。

 だからまずは心を育てんだよ。

 安定した精神と知的好奇心を持てるように、周りの大人が手を取ってあげて様々な出来事を体験させんのが先だろうが」


 壁にメリ込んだピンヒールが、更に深く刺さってメリメリという音を立てる。

 家庭教師は、顔を真っ青にして口をパクパクさせていた。

「私を疑ってかかるのは構わないけど、それで大切な事が見えなくなってたら本末転倒やろがい。お前の役目はアティを人間として成長させる事だ。それ以外考えんな。アティの事だけを考えてろ。アティに役立つ物を何でも取り入れ、アティの邪魔になるものを排除すんのがお前の役目だ。

 私が何をしてるのかよく見てれば分かる筈だろ?

 見る物を間違えんな」

 全てを言い終えると、耳の痛い程の静寂が訪れた。


 あー! 言いたい事言えてスッキリした!

 さっきまで煮えくり返ってた腹もおさまり、足を壁から離す。ついでに靴も脱げた。

 ああ、大切な靴がァ。壁にメリ込んで外れないィ!

 グイグイ引っ張ってなんとか壁から靴を外し、履き直して服を整えた。


 気づいたら、家庭教師は床に尻餅をついて、ポカンとした顔で私を見上げていた。


 ああ、こんな事をしてる間に、アティが緊張で部屋で縮こまってしまっているかもしれない!

 もう、コイツがいらん邪魔をしてくるから!


 私は家庭教師をヒラリとかわしてアティの部屋へと向かう。

 と、一度足を止めて振り返った。


「言われなくてもそのうち居なくなるよ。離縁も時間の問題だ。

 それまでの間、私はアティに精一杯の愛情をかけたいだけ。アティに、一人で立てる自立した素敵な人間になって欲しいの。

 だから、アンタも私をアティの教育に利用しなさい」


 それだけを告げて、私はアティの部屋まで走って行った。

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