第5話 ピクニックしに行った。

 アティは基本、一人で食事をる。

 朝も昼も夜も。

 侯爵はなんだかんだ理由をつけて、食堂では食事をしない。

 アティは喋る人間もおらず、必要以外は喋らない世話役に給仕されながら、淡々といつも独りで食事していた。


 それはいかん!!!


 食事は人生で睡眠と同じく重要!

 食べることは生きること!! 生きることは食べること!!!

 嫌でも死ぬまで繰り返すイベントである。

 いわば自分を生かすため・健康を維持するための義務ではあるが、義務感・作業感だけでそれを繰り返すのは勿体ない!!


 と、いうワケで。


 私はアティを馬に乗せ遠乗りに来た。

 食事の話をして何故ナゼ遠乗り? といった感じだけれど。

 折角せっかく美味しいものを食べるのなら、いつもと変わらぬ食堂で食べてもつまんないし。だから、ピクニックを兼ねてね!

 食事マナーをウルサく言う教育係も給仕もいないしさ。

 え? 自分の為じゃないよ。そうじゃないったら。


 屋敷で一番温厚な馬を借り、食事はリュックに詰めてもらった。

 先に鞍の上にアティを乗せ、すぐさま自分も後ろにまたがる。

 危険だ危ないと騒ぐ家人たちには「心配ならついて来いよ」とだけ言って先に出発した。

 口で言って私が止まる女だとでも思ってるんだろうか? もしそうだとしたら、その考えはさっさと捨てるべきだと伝えておけばよかったなぁ。

 ウチの実家なんて、私を止めようとするなら何も言わずにいきなりタックルしてくるからな。しかも男三人ぐらいで。ま、避けるけど。


 アティが乗ってるのであまり速度はあげず、少し速歩はやあしぐらいで走る。

 しかし、直接馬に乗った事がなかったのだろう。アティは鞍にしがみついて硬直していた。

「アティ、力入れてると首痛くなっちゃうよ」

 さっきから馬の動きに揺さぶられて首をガックンガックンさせているアティの背中を、私のお腹にくっつけてあげる。

「私のお腹にぴったりくっついちゃったって感じにしてみて」

 しかし、アティは緊張が抜けないのか体がカチコチ。私はそれを体前面でそっと包み込んだ。背中越しに、アティの物凄く速い鼓動が伝わってくる。い! い!! いィ!!!

「お馬さんの体が動いてるね。私の体も合わせて動いてるのわかる? リズムを感じてみて」

 こればっかは言葉で説明ができないからなぁ。自分の体で馬のリズムを感じて合わせるしかないし。


 ま、慣れれば大丈夫! 私もいるし!


 私は、アティに無理がかからない速度で馬を走らせた。

 屋敷を出て市街地ではない方──なだらかな丘とその先に広がる草原方向へと向かう。

「ほら! 近くの木は早く通り過ぎるのに、遠くの山は全然近づかないね! 不思議だね!」

 私のその言葉に、アティは遠くの山と通り過ぎた木を見比べる。

 あまり外に出ないので物珍しいのかもしれない。反応が初心うぶで萌える。萌え尽きそう。もっと色々教えたくなるね!

「走ると風を感じるね! 顔が冷たい! あ、でも風の中に花の匂いがするよ! これは何の花だろうね!」

 風の中に感じた甘い香りにそう言うと、顔を少し上に向けたアティ。もしかして嗅いでる!? 花の香りを感じ取ろうとしてる!? 可愛い! あの小さな鼻を頑張ってクンカクンカさせてるの!? ヤバい想像しただけで萌えで震える!!

「……だふね……」

 え?

「うぃんたー、だふね」

 聞き返すと、アティが少しハッキリとした言葉を発した。

 うぃんたー、だふね? あ、沈丁花ウィンターダフネか!

「これは沈丁花ウィンターダフネの香りなんだ! アティは物知りだね!」

 香りから花の名前が分かるなんて! やっぱりこの子天才じゃん! 可愛いし天才! もう既に完全体か!? もうこれは才能だよね!? 才能だ! 天賦てんぷの才だ! この能力で調香師になれんじゃね!? そういう職業があれば、だけどね! なければ作ればいい! 侯爵の権限で可愛い娘の為に職業作れないのかな? 女性が就ける職業。侯爵なら、やればできると思うんだけど。


 そうやってアティとあれこれお喋りしながら、二人で馬上の景色を存分に楽しんだ。


 ***


 ピクニックに丁度良さそうな小高い丘の上にある木を見つけた。

 その木の根元にシーツを広げてアティと二人並んで座る。

 普通で良いと言ったのに、屋敷の料理人たちはアレもコレもと詰めてくれた。

 女一人と幼児の分とは思えないほど色々と。あ、ジュースまで。果実酒ワインは、ないか。そうかそうか。くっそう。


 私があれこれ準備している姿を、アティは物珍しそうに眺めていた。

 手持無沙汰そうにしていたので、準備はアティの手も借りた。ちっちゃい手なのでちょっとハラハラしたけど。まぁ失敗した時はした時。別に誰かが爆発するワケでもなし。


 晴れた空と少しだけ冷たい風が穏やかに吹く中、遠くまで見渡せる最高のロケーションでピクニックをする事が出来た。


「いただきます!」

 顔の前でパチンと両手を合わせてから、私はロールサンドにかじり付いた。

 ウマい。ホント美味しい。私は硬いパンの方が好きなんだけど、侯爵家ご自慢の料理人コックが焼いたこのパンは絶妙!

 外パリ中フワ。そこに挟んだ鳥の燻製スモークチキンとチーズが最高。トマトもいいね。この酸味がチーズとの相性抜群!

 衣食住が確保されてるだけじゃなく、こんな美味しい料理までいただけるなんて。幸せだなぁ。

 妹たちにも食べさせてあげたいなぁ。

 鳥、ちょっと多めに飼う事を勧めるか? いやでも維持費がなぁ。ニワトリは寒さには強いけど狼の恰好かっこうの餌食になるから防止策が大変だし。うーん……


 と、悩んでいると、ロールサンドを前にしたアティが、菫色バイオレットの瞳が転がり落ちそうなほど目を見開いて、私の顔を見上げていた。

「どうしたの? 食べないの?」

 口をつけないアティに、私の方が不思議に思いそう尋ねると、アティはちっちゃな両てのひらをマジマジと見てから、恐る恐る手を合わせていた。

 あ、そうか。

 私無意識にやってたけど、コレも前世の無意識の習慣だ。

 私は食べ掛けのロールパンを置き、改めてアティの前で手を合わせる。

「これは、私の祈りのポーズだよ。だからアティは真似しなくてもいいよ。祈りのポーズは人によって違うからね。

 でもね、食べる時は『いただきます』っていう挨拶をすると、私は嬉しいな」

 手を合わせる祈りのポーズは宗教によるから強制はしたくない。事実、実家での祈りのポーズは膝立ちになり胸に手を当て目をつむる。この手を合わせるスタイルは、家では私だけがやってる事だ。


「いた、だきます?」

 アティは両手を合わせてから、ん? と小首を傾げた。

 あああああ可愛い! 不意打ち! 今のは不意打ち!! ハートがドーン! ってなったよ!! ドーンって! 身体に風穴開いてないか?!

 腰砕けになりそうな身体をなんとか奮い立たせて、わたしは再度アティと対面する。


「そう、『いただきます』。これはね、この食事を作ってくれた人や食材を作ってくれた人とか全部の人達に、そして、食材になってくれた全ての生き物に、感謝する言葉だよ」

 自分の代わりに手を汚してくれた人、自分の代わりに労力を払ってくれた人、そして、命の犠牲。

 その全てへの感謝。

「……かみさま?」

 ああ、そうか。侯爵家では神様に食事の礼を述べる風習があるのか。うーん。間違ってないし、それも忘れちゃいけないんだけど、私はイマイチしっくりこないんだよなぁ。

 だから──

「そうだね。その全ての恵みとチャンスをお与え下さった神様にも。この食事に関わる全ての人に感謝しようか!」

 そう言うと、アティはパァっと笑顔になった。ぐふっ。また不意打ち。やめて。そろそろ鼻血とか出しそう。

 そしてアティは、改めて手を合わせて目をつむる。

「さみゅえる、まぎー、ぽーる、えふぃ……」

 誰かの名前を呟き始めた。本当は頭の中で言ってるつもりなのかも可愛い可愛い可愛い。

 あ、これはアティの家庭教師や子守ナニーたちの名前だね。

「とりさん、ちーずさん、とまとさん、えと……おやさいさん……」

 ああ、食材たち。可愛いい。ちゃんと本当に全ての人や物に感謝しようとしてるんだ!

 何この子やっぱり天使?

「ぜんのうなるかみさま、おとうさま、おかあさま」

 しつけ完璧かよ。両親にまで感謝とか──

「……あたらしい、おかあさま。いただきます」


 ……今、私の事言った?

 私にも、感謝の言葉、言ってくれた?

 あ。ちょっと待ってヤバイ。


 アティのうぐうぐモグモグの咀嚼音そしゃくおんが聞こえる。どうやら美味しそうに食べてくれてるみたい。

「おかぁさま?」

 アティが先程からうつむいてる私に声を掛けてくれた。

 私はなんとかアティの方を向かずに

「ちょっと目にゴミが入っちゃった」

 そう言い訳する。

 泣いてない。泣いてないよ。

 いや、泣いてる。この子の心の清らかさに感涙してる。ガッツリとな。



 少し気持ちを落ち着かせ、垂れた涙や鼻水とかはゴシゴシ擦ってなかった事にし、私はアティとの食事を楽しむのだった。

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