第3話 安楽椅子に揺られた。

 普通など知らんと、家人が止めるのも聞かず、昨夜はアティと一緒に寝た。

 どうやらアティは誰かと一緒に寝たことがないらしく、どうしたらいいのかとベッドの上で硬直していた。


 いつもだと子守ナニーが本を読んでくれるとの事だったので、アティに添い寝しながら、妹たちに散々話して聞かせたので覚えてしまった童話を片っ端から語って聞かせた。


 最初は、私の隣で固まって棒状になっていたアティだったが、次第に緊張がほぐれてウトウトとし始め、やがてグッスリと眠ってくれた。

 私の胸にモゾモゾと顔を埋めて無意識に抱きついて来るアティに、私の脳みそからはエンドルフィンだかセロトニンだかよく分からん幸せ脳内物質が溢れ出てきた。

 可愛い。天使が! 天使が私の腕の中にいる!! くーくー寝息立ててるゥ!!!

 なんでこんなに可愛いのかな? 犯罪! もはや犯罪!! まだ出会ったばっかりなんだけど?! 可愛すぎて禿げそう!!!

 頭皮の匂いも思う存分嗅いだった。

 柔らかい太陽の匂いがした。

 汗臭くない! ウチの野山を駆け回るエネルギーモンスターな妹たちとは違うのか!? これが深窓しんそうの令嬢の匂いなのか?! なんて良い匂いなんだ!!


 私はそれから数日間、毎日その幸せに浸りまくった。


 ***


 悪役令嬢になる前のアティは、本当に可愛かった。

 シャイで、外で駆け回るよりは絵本が好きな、ただの引っ込み思案な三歳児だった。


 この子がどんな経緯で悪役令嬢にああなったのか。

 少しわかった気がする。


 侯爵は、殆ど娘に会いに来なかった。


 仕事で忙しいのは分かる。

 この世界では物理的な距離が離れている事もある。

 電話はあるけど交換手型だし電話が全ての場所にあるワケじゃないからタイムラグがあるし、対面じゃないと出来ない、その場にいないと出来ない事も多いだろう。

 しかし、家に戻ってきたとしても、頭を撫でたり抱っこしたりもしない。

 食事も別だし声をかけることもない。


 ただでさえ親との接触が殆どないのに、継母になった女にも冷たく拒否されたら、そりゃ孤独で性格歪みそう。そんなの完全な育児放棄ネグレクトじゃん。


 まだたった三歳なのに。

 まだまだ親の愛情が必要な時なのに。


 なんで会いに来ないんだあの侯爵野郎は?!


 裸を見せつけて以来、私の顔すらマトモに見なくなった侯爵。

 四六時中私が一緒に居るアティに会いにくることもない為、結婚したというのに夫の姿を殆ど見ることはなくなった。


 まぁ、私は別に構わない。そうなると分かっていて体の傷を見せたんだから。むしろ、ちょっと狙った。そうすれば、夫との時間が減って、その分アティと一緒に居れると思って。思った通りにはなったけれど──


 これではダメだ。

 私一人からの愛情では足りない。

 私一人では注げる愛情に限界がある。

 父親にも愛を注いで貰わねば。

 だって、アティは侯爵の娘なんだから。


 その日は、アティと図書室で新しい絵本を探していた。

 図書室にはあまり絵本はないが、年季の入った児童書が何冊かあった。

 恐らく、この家にずっと古くからあるものなのだろう。あの侯爵も読んだのかもしれない。

 アティは元々地頭が良いようで、まだ字が読めるほどではない年齢だと思ったが、簡単な単語なら読めるようだった。

 この子凄い! 天才!! 果ては医者か研究者か?!

 ──と、思ったけれど。

 この世界では、女は医者にも研究者にもなれない。この子の場合、一応公爵家の婚約者になる予定だから、歴史や経済などのある程度の知識は学んでおく必要があるが……期待されてはいない。その知識を活かす場がないのだから。ただ、誰かの妻として恥ずかしくない為に学ばされる。

 貴族の子女に求められる資質は一つ。

 男児を産むことだ。

 だから、ゲーム中の悪役令嬢も、頭は良いのに中身空っぽだったのだろう。


 それではダメだ。

 中身がないから自分に自信がなくなる。なのに承認欲求を渇望かつぼうして人に依存する。

 他人の中に価値を見出すのではない!

 自分の中に価値を見出すべきなのだ!!

 この子には、この子というだけで物凄い魅力がある!

 外見の可愛さだけではない!

 当たり前だけど元々はこんなに素直で愛くるしいんだから!

 まだ無限の可能性を秘めてる!!

 外見も勿論パーフェクトでもあるんだけど!!!


「お……おかぁさま」

 アティが、部屋の奥から埃まみれの分厚い本を持ってトテトテと歩いてきた。

「何この可愛い生き物?!」

 私は思わず走り寄り、アティを本ごと抱き上げて頬擦ほおずりした。ついでに頭皮の匂い嗅ぐ。やっぱりいい匂い。ウットリしちゃう。最高。いつまでもこうしていたい。

「お……おかぁさま、苦しい……」

「あ! ごめんねアティ! 可愛くてつい!」

 私の腕の中で、苦しそうにハフハフ言ってるアティを床にゆっくり下ろしてあげる。

「このごほん、よんで」

 余程重いのか、アティは床に本を下ろしてウルウルの菫色バイオレットの瞳で見上げてきた。

「ハイ喜んで!」

 もう欄外まで隅々読んであげるからね!!


 私はアティを片腕で抱っこし、もう片方の腕で本を抱えて図書室に備え付けられた安楽椅子ロッキングチェアに腰掛けた。

 膝の上にアティを座らせ、その向こうで本を開く。


 そして、ゆらゆら揺れながら、ゆっくりゆっくりその本を読み始めた。


 ***


 アティの頭がガクッと傾いた事に気づいた。

 読んでいる間に眠ってしまったのだろう。

 私は本を机の上に置き、アティの体を一度持ち上げてクルリと回転させると、向かい合わせになるように再度座らせてから抱き締めた。

 身体を伝って、アティのゆっくりとした呼吸音と早い鼓動が聞こえてくる。

 この、子供特有の早くて軽やかな鼓動音、好き。小さい身体で精一杯生きてるって感じがするから。ああ可愛い。鼓動まで可愛いとかどういう事?!


 そのままユラユラ揺れつつ、ついでに時々頭皮の匂いを嗅ぎつつ微睡まどろんでいると、椅子の肘掛けが本に当たり、机からバサリと落ちてしまった。


 アティの背中を手で抑えつつ、本を拾おうと手を伸ばす。

 なんとか拾った本から、ハラリと一枚の紙が落ちた事に気がついた。

 本に机の上に戻して、落ちてしまったその紙を拾い上げる。

 なんの気無しにその紙を見て──私の手が緊張でギクリとした。


 私の強張こわばりがアティに伝わったのだろう。

 アティがビクリと身体を震わせて目を開けた。

「……?」

「何でもないよ。ごめんね、起こしちゃって。まだ寝てていいよ」

 私はまた安楽椅子ロッキングチェアをユラユラ揺らし、アティの背中をポンポンと叩く。手にした紙をサッと机の上に置いてアティの頭をゆっくりと撫でた。


 少し不安げな顔をして私を見上げていたアティだったが、私の胸に顔をうずめて、次第にまた小さな寝息を立て始めた。

 ……ッ天使!!


 私は、安楽椅子ロッキングチェアに揺られながら、先ほど見たモノの事と、ソレにまつわるであろう出来事を、ずっと考えていた。

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