第一章 家庭環境を改善する。

第2話 結婚初夜だと忘れてた。

 これから悪役令嬢になる予定の幼子・アティと、一緒に寝ようとしたら止められた。


 普通、一緒に寝ないんだって。

 へー。

 私の家は『貧乏子沢山』を地で行っていたので、いつも幼い妹たちと一緒に寝ていた。だからダメな理由が分からなかった。

 いいじゃん。子供の体温は高いからあったかくてよく眠れるんだもん。

 ま、大体途中で寝相の悪い妹の誰かに蹴っ飛ばされて目覚めるんだけどね。


 ***


 まるで秘密裏に行われるかの如く、侯爵家の割には質素な結婚式があったのが昨日。

 その日は来たばかりという事もあってバッタバタだったので、何も知らずに客間で寝た。


「セレーネ」

 侯爵様が私の名前をフワリと呼んだ。

 今は彼の書斎に呼ばれていた。

 重厚な作りの大きな部屋。窓にはベルベットのカーテンがひかれ、灯された壁のガス灯と机の燭台の炎がユラユラと揺れて、侯爵と私の影を大きく作り出している。

 壁にはしつらえた天井まである本棚が。中にはぎっしり本が詰め込まれていた。

 本の量は財産の量。おそらく本があるのはこの部屋だけではあるまい。

 ってことは、びっくりするぐらい金持ちって事だ。ここにある丁寧な箔押し装飾の本一冊売っただけでも、ウチの家族が一冬余裕で越せんじゃね? 同じ貴族でこうまで違うってどういう事? ウチが変だったの? そうなの? どうなの??


「セレーネ」

 私が回りに気取られていて返事をしなかったせいか、侯爵様は焦れたのかもう一度私の名を呼んだ。

「はい、なんでしょうか、侯爵様」

 確かに失礼だったな。

 私は重厚な木製の机に座る彼の顔を真っすぐに見て、今度はちゃんと返事をした。


 歳はどれぐらいか。まだそんな歳じゃないと思うけど、ヒゲがあってよく分からない。三十後半か四十手前か。

 ウチの男性陣(父・祖父)は男性ホルモンが少ないのか、ヒゲが全然生えないそうで。伸ばしてもみすぼらしいからとヒゲを生やしていなかった。一度どうしても伸ばしたヒゲを見たいと言ったら伸ばしてくれたが、口角の少し上のところと口の下にちょびっと生えるだけ、しかもそれが密度を増す事なくヒョロヒョロ伸びる。確かにみすぼらしかった。素直に言ったら傷ついてた。ゴメン、父、お祖父じい様。


 侯爵様は黒髪なので恐らく天使・アティは母親に似たんだね。どんな女神様だったんだろうか。悪役令嬢やってる時のアティも、黙っていれば美少女だった。今度は完璧な美少女にするんだ。決めた。さっき決めた。もうこの決定はくつがえらない──

「セレーネ。私は、お前を子を成す為だけにめとったワケではない」

 口元にある伸びたヒゲを触りつつ、呼びかけたワリにはあらぬ方向を見つめながら、侯爵様はそう呟く。

「そうなんですね」

 それよりさ。アティをどんな美少女にするのかの方が大事じゃね?

 だって、外見は完璧な天使じゃん。あとは中身をどういう系統に育てるか、だよね。ツンデレもいいけど清楚可憐系も捨てがたい。でも快活系もいいなぁ。あんな天使みたいな姿で、素直な笑顔を浮かべられるような子になったら最高だと思うんだよね──

「セレーネ」

 アティの事を考えていたら、侯爵様の声が間近で聞こえてビックリした。

 気づいて顔を上げると、侯爵様は目の前に立っていた。

 私が座った革張りのソファの背もたれに手を置き、覆いかぶさるように顔を近づけて来る。

「私は──」

「あ、お待ちください」

 私は侯爵様の腕の中からヒラリと脱出し、立ち上がった。

 逃げられると思っていなかったのだろう。侯爵様が目を見開いて私を見上げる。

 そんな彼から少し距離を取り、私は疑問をぶつけた。

「何故アティと一緒に寝てはいけないのですか? 一緒に寝たいのですけれど」

 さっきダメと言われた理由が知りたかった。

 天使を抱きしめて寝たい。妹たちのように、抱き締めてグリグリして、頭皮の匂いを嗅ぎたい。ちょっと汗臭いあの匂い。懐かしい。あ、もしかして、私、ちょっと寂しくなってる? もう里心ついちゃったかな?

「それは──」

 侯爵様が私が退いたソファの上に座って、少しモジモジとした。

 そこでピンとくる。

 ああ、そうか。忘れてた。結婚初夜か、今日。


 そうだった。アティの存在に浮かれていたけど、私、結婚したんだった。


 でもなぁ……


「それはおやめになった方がよろしいかと。侯爵様は、ご存じの筈。私には、傷があります」

 一回結婚してるし。

 でも、今言ってる「傷」とは、そういう事じゃない。


「身体の傷の事は聞いている。それが原因で離縁された事も知っている」

 侯爵様も立ち上がって、真っすぐに私の方へと身体を向けてきた。

 思わず顔がほころんでしまった。

 別に、嬉しかったワケじゃない。

「侯爵様は、分かっていらっしゃらない。私の傷の大きさを」

 身体にちょっと傷ができたぐらいでは、普通貴族は離縁などしない。

「一度ご覧になるとい。私はこの傷を、さげすんでなどいませんので」


 そうやんわりと伝え、私は自分の服の紐を解いていく。

 コルセットを外し、床に落として全てをさらけ出す。


 侯爵が息をのんだのが分かった。

 やっぱり。思っていた傷と違ったのだろう。


「いかがですか? これでも、貴方はこの身体をお抱きになる?」


 胸のあたりから下腹部まで、真っすぐに伸びる三本のいびつで引きつった傷がクッキリとある。

 しかも、その傷が始まる右胸の形もいびつだし左胸に比べてかなり小さい。肉がエグられたからだ。

 失った肉や皮の部分は、残った部分を無理矢理ひっぱって縫い合わせたらしい。

 そんな場所が身体のあちこちに沢山ある為、私の体には女性特有の滑らかで美しい稜線りょうせんなどない。全てはボコボコと歪み、まるでツギハギ人形のよう。

 もう完全回復しているので痛くはない。が、見た目はさぞかし痛々しいのだろう。

 この身体を見て、驚かなかった人間はいない。

 首から上に傷がないのはむしろ奇跡だ。

 ちなみに、腕にも足にも背中にも同じような傷がある。


 これは、熊につけられた傷。

 冬支度の時は大変だからと実家に戻って狩りを手伝った時の事。

 私は家族とはぐれてしまった時に、運悪く熊と出会ってしまった。

 何度もぶん殴られて傷だらけで様々な場所を骨折しつつ、腹に噛みつこうとしてきた熊に一矢いっしむくいんと顔にナイフをブッ刺してやった。

 幸い、熊はそのまま逃げていってくれた。若い熊だったのだろう。


 おかげで命拾いしたが。

 身体には一生消えない傷が残った。


 その傷を見て、前の旦那は私を抱けなくなったのだ。

 だから離縁された。子供もいなかったし。結婚時の結納金を返せとも言われなかったのはありがたかった。

 政略結婚だった為、別に酷いとか悲しいとかは思わなかった。


『またダメだった』

 私はそう、落胆した。

 その時は、その感情が前世のものだとは気づかなかったけど、今なら分かる。

 子供を持つチャンスを、また失ってしまったからだ。

 別に、自分の股から赤子を出さなくてもいい。

 ただ、子供が欲しかった。

 実家にいた頃は、妹や弟の面倒を見ててそれである程度満足出来ていたけれど、兄弟と子供はやっぱり何か違う気がした。


 私は傷自体は恥じていない。

 私が命がけで戦って、生き残った証だ。


 もし可能なら、この傷に怯まない男の子供が欲しい。

 でも、今はアティがいる。

 また離縁されるかもしれない。

 せめて、ここにいる間だけは溢れる程に可愛がりたい。


 部屋に沈黙が充満していた。

 机の燭台に灯ったロウソクの芯が焦げる音だけが、ジジっとやけに大きく響いた。

「少し、考えたい」

 侯爵様はポツリとそう呟くと、私の肩に自分のジャケットをかけて部屋から出て行ってしまった。


 服を拾って再度着る。コルセットは外したまま。どうせあとで寝る時にネグリジェに着替えるだろうし。

 侯爵のジャケットは丁寧にたたんで机の上に置いておいた。


 さすがにちょっとやり過ぎたかな。

 でも、まぁこれで、アティと寝ちゃダメとは言われないよな。

 今日から毎日一緒に寝るぞ! 頭皮を嗅ぐぞ!!


 私は、ウッキウキした足取りで、侯爵の書斎を後にするのだった。

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