第2話 明滅

 僕は真面目な人間だと思う。

 真面目に勉強して、小学校を卒業して、中学校に入学して、真面目に勉強して、中学校を卒業して、高校に入学して、真面目に勉強して、高校を卒業して、大学に入学して、真面目に……

 某ウイルスでオンライン授業になった。

 1年の前期、僕は一つの科目で単位を落とした。

 5段階評価、他に『秀』と『優』が並ぶ中、『不可』の文字があった。

 その科目は、確かに不安があった。

 特に講義が難しかったわけじゃない。

 毎回出席して、さぼっていたわけでもない。

 ただ、僕は考えるのが苦手だった。

 手本がないとよくわからなかった。

 そして、後期。

 オンライン授業と対面授業が並行して行われた。

 初めて会う同じ学年、学部、学科の生徒。

 僕は、話しかけられなかった。



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 僕は、自分を普通の人間だと思っている。

 そういうと、心の中で自分を普通ではないと思っていて、普通にあこがれている自分かっこいいみたいに思われるかもしれないけど、違う。

 ある時、質問されたことがあった。

 その相手は、中学校の時の友達。

 僕の中学校は複数の小学校の生徒が集まっているような中学校だった。


「小学校の友達は?」


 僕は、なんと答えたんだったか。

 僕は記憶力が良い方だとは思わない。

 英単語や、歴史上の出来事の年号だとか、なんども繰り返さないと覚えられない。

 僕にとって、それらと人の名前は大して変わらなかった。


 僕は、友達作りが得意だったと思う。


 幼稚園から小学校へ上がった時、すぐに友達を作った。

 自分から遊びに誘って、出会った翌日には公園で一緒に遊んでいた。

 その友達とは、小学校を卒業するまで、ずっと仲が良かった。


 小学校から中学校へ上がった時、すぐに友達を作った。

 部活何にするか、そんなありきたりな会話で仲良くなった。

 その友達とは、中学校を卒業するまで、ずっと仲が良かった。


 中学校から高校へ上がった時、すぐに友達を作った。

 クラスのグループチャットができて、すぐに仲良くなった。

 個人でもLIMEでやり取りして、友達欄に名前が並んだ。


 大学に入学して、前期が終わり、1年の後期が始まった頃。

 ふと友達欄に並ぶ名前を見て、顔が思い出せなかった。

 全部消した。


 面倒だから。


 なんというのだろうか?

 自粛鬱?

 僕は真面目に外出を自粛して、買い物に出る回数も減らして、娯楽施設に行くこともなかった。

 そんな中で精神がおかしかった?

 当然自覚なんてない。


 本来登校に使うべきだった数分。

 授業間の隙間時間。

 僕はSNSを眺めていた。

 本当に片手間だった。

 Twicherでくだらないことをつぶやいて、反応くれた人に軽く絡んで。

 更新して興味をもったつぶやきにリプライを送って。

 そのうち、トレンドを見るようになった。


 そこには、それまで、まったく見ていなかったものがあった。


 科学的根拠を信じず自分の主張を妄信する人、政治への不満を訴えようとトレンドを操作しようとする人、他国の選挙に対する陰謀論を唱える人……


 それを見て、気持ち悪いと思うと同時に。


「疲れた」


 そんな言葉が口から出てきた。

 僕は自分が潔癖症だなんて思ったことがなかった。

 世の中汚いものが溢れていることなんて知っていたし、性善説が本当だなんて思ってもいなかった。

 ただ、見ようとも思っていなかった。


 僕は、そういう『汚れたもの』を見て、何かを感じた。

 それが嫌悪感なのか、親近感なのか。

 それはわからなかった。

 でも、見たくないと思っていたはずなのに、自然とみるようになっていた。

 そして、僕はようやく大人になった気がした。

 子供の頃、聞いたことのあった、「汚い大人にはなりたくない」という言葉。

 僕は、それが、犯罪をしたり、誰かをだましたりする人間だと、勝手に信じていた。

 そんなものは一部の人だけで、そういう人は犯罪を犯したりするから、目に入ってくるだけだ、ほとんどの人は汚い大人にはならない、そんな風に思っていた。

 でも、僕は成長した。

 妄想を楽しめなくなった。



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 高校生の時、僕の物語もうそうが書籍化した。

 中学校でそれを書くことの楽しさを知り、ようやく掴めた。

 それは2巻で終わってしまった。

 確かにそれは残念だったけれど、同時に満足があった。

 もともと趣味で始めたことだったし、そのまま書き続けていた。

 大学受験が近づいて、書くのを中断した。

 大学に入学して、慣れないオンライン授業があったから、書くのを中断し続けた。

 それはただの言い訳だ。

 なんとなく、だらだらと書かなかっただけ。

 そして、前期で一つ単位を落として、次は落とさないようにと気合を入れて、後期はフル単だった。

 そして、長い春休み。

 もう好きではなくなっていた。

 魔法が飛び交い、世界を飛び交う、そんな話を楽しめなかった。

 そのことは、別に良かった。

 成長につれて、好みが変わるなんて珍しくもない。

 知識が増えれば、感覚が変われば、物の見方も感じ方も変わるだろう。

 自分が自分で変わって、いや自分を変えたのならそういうこともある、それで済ませられたはずだ。

 でも、一切関わりのない他人に変えられたことが嫌だった。

 それは、その人たちが悪いわけではない。

 それも一つに意見だし、それに賛同する中で考えが変わって、好みが変わった、もしくは、それに反対する中で考えが変わって、好みが変わった、それならよかった。

 そういう風に、変化の原因に、僕が少しでも入り込んでいることを望んでいた。



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 僕は、体調を崩した。

 自分がもうファンタジーを書けないこと知った、その次の日に。

 別に僕はプロの作家じゃない。

 書けなくたって、何が変わるわけでもない。

 でも。


 芽遊がお見舞いに来てくれた。

 その時は枝彌の家に住んでいたから、わざわざこちらの家に来てくれたことが嬉しかった。

 看病されて、眠りかけた時、僕は、布団の中に芽遊を引きずり込んだ。

 体を絡ませて寝ようとしたらしい。

 えっちに聞こえるけれど、そうではなく、体調を崩したせいで、精神的におかしくなっていたのだと思う。

 ただ、そう。『寂しかった』

 体調を崩すと寂しくなると聞いたことがある。

 それと混ざって、寂しさが最高潮に達して、僕の身体は現実的なぬくもりを求めた。

 それが、多分最初に芽遊を抱きしめて寝た理由で、それが――


「……痛い」

「いつまで起きてんの」


 腕の中の芽遊が見上げるようにして僕の顔を見ていた。

 その手は僕の頬を引っ張っていた。


「きもい」

「いきなりひどくない?」

「どうせ気持ち悪い自分語りでも脳内でしてたんでしょ」

「エスパー?」

「見ればわかる」


 芽遊の手のひらが僕の頬を撫で、背中に回された。


「いつまでもくだらない妄想してないで、さっさと寝る」

「そうだね」


 芽遊の髪に手を差し入れる。

 なでなで……


「……」


 よしよし……

「……」


 よーしよしよしよし……


「ね・ろ」

「はい」



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 スマホのアラームで目を覚ます。

 今日も講義。

 あー、行きたくないぃ……


「んっ……」


 腕の中には芽遊。

 頭しか見えないけど。

 はぁ……

 カーテンを開ける。

 今日も日差しがまぶしい。

 というか晴天。

 頭おかしい。

 もう少し雲あってもいいと思う。

 何なら雨でも、あー、洗濯物干したいから雨はちょっと。

 今日も小学生が、あ、なんかこっち見た。

 えー、手を振られたんだけど、どういう意味?

 これあれか、最新の不審者対策か。

 ちょっと不審者かもと思ったら先に挨拶をするっていう、そういう対策が流行ったらしい。

 そうやって先手を取るみたいな。

 それが、今は手を振ることに変化したのかもしれない。

 つまり、手を振り返さなければ、通報ルート……?

 手を振り返しておく。

 こっちパジャマでごめんねー。

 うっわ、まぶしい。

 太陽もだけど、笑ってぶんぶんしてる。

 えー、今時あんな元気な子いるんだ……?

 そりゃ不審者消えないわけだわ。


「……お兄ちゃん」

「おはよう、芽遊。朝だよ」

「んー……」


 こっちもかわいい。

 このまま眠らせてあげたいのはやまやまなんだけど、そうすると芽遊が怒るから。

 怒りはしないかな、悲しそうな感じになるから、ちゃんと起こす。


「顔洗っておいでー」

「んー……」

「起きないと、そのまま寝かしちゃうよ?」

「おきる……」



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「いってらっしゃい」

「いってきます」


 お皿を洗って、洗濯物を干す。

 ……改めて考えて見れば、外からは同棲しているカップルのように見えているんだろうか。

 下着類はピンチハンガーに下側をはさんで、バスタオルなどで隠している。

 たしかこんな風に母さんが干していたし、ネットでもそんな風に干せば長持ちするとか書いてあったから。

 でも、女物の服とかは普通に僕の服と一緒に干している。

 だから外からも見えてる。

 まあ、わざわざ仲良し兄妹です、なんて強調する必要もないし。

 芽遊が友達に家を知られていた時は芽遊が気まずいかもしれない。


「しかたないしかたない」


 さて、バイト行く準備しないと。

 今日は9時から12時までバイトがある。



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「いらっしゃいませー」


 僕はカードショップでレジを打っていた。

 大学に入学して始めてから、現在まで続けている。

 ここにはフィギュアなども置いていて、それを商品名で呼んでくれるのはいい。

 ○○ってキャラの新作フィギュアどこに置いてありますか、って言われるのは、分かりやすいからいいのだ。

 でも、カードのパック?

 あれはそのカードゲームの種類を言ってほしい。

 パックごとに名称が変わっているものとか、全部覚えているわけじゃない。

 ……あれ、これ店員が悪いな。

 おいてある商品は覚えておくべきだよね。

 ごめんなさい。

 でも、ご容赦ください。

 あと、申し訳なさそうに声かけてくる人。

 全然悪くないので、そんな風にしないでください。

 もごもごしてて聞き取りづらいです。

 そういう人はだいたい口調が丁寧なんですよ。

 だから、そういう人に言いたい。

 もっと迷惑な人いるから!!

 めっちゃ態度悪い人とかいるから!

 そういう人より迷惑かけてると思う!?

 かけてないでしょ、申し訳なさそうにしないでいいから。


「お願いします」

「はい」


 おしごとおしごと。



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「なあ、前回のレジュメ持ってないか?」

「あるよ」

「写真撮ってもいいか?」

「いいよ」


 対面授業になってからわかることだけれど、授業も後半に近づくにつれて、参加者がどんどん減っていく。

 出席点がある授業でも関係なく。

 すごいなと思う。

 僕は出席して、最後にほんのちょっとのレポートを出すだけで数十点分貰えるというのを逃がしてもいいやという余裕がない。

 今までの試験の結果から見れば、単位取得自体には問題ないかもしれないけど、試験だけでというのは少し怖い。

 まあ、普通に期末試験で100パーセントの科目もある。

 特に必修科目に多かった。


「すまん、助かった」

「全然、大した手間じゃないし」

「なんか返すもん、あ、これもらった割引券だけど、いるか?」

「じゃあ、貰っておこうかな」

「おう、俺じゃ使わないから。じゃ、ありがとな」


 そう言って男の人が去っていった。

 なんで自分で使わないんだろう。

 んー、甘いものが苦手なのかな。



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「ただいま!」

「……おかえり」

「ご飯作るねー」


 芽遊がテーブルで教科書を開いていた。


「また勉強してるの?」

「昨日は学生の本分は勉強って言ってたでしょ」

「そうだけど、無理しなくていいんだよ?」

「……」

「あ、そうだ、はい」


 鞄の中から割引券を取り出す。


「なんかね、新しくオープンするお店の割引券なんだって。友達と行ってきなよ」

「新しくできるんだ」

「みたい」


 台所に向かおうとして、もう一度向き直った。

 芽遊も察したのか呆れたような目で見てくる。

 もう毎月恒例なので。


「さあ、選択の時です」

「もうそれいいって」

「現金とデート、どっちを選ぶ?」

「……どっちもいらない」

「その場合は現金になります」

「……」


 今日は喫茶店の方の給料が出た。

 もちろん手元にあるわけじゃないけれど、いくらもらっているかはわかる。


「……現金は嫌」

「じゃあ、デートね」

「……兄妹でデートとか、きもいし」

「どこ行こっか? 新しい服とかほしくない?」

「別に要らないし」

「なら、何が欲しい? あんまり高いものは買えないけど……」

「いらない」

「その選択肢はありません」

「……」

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