2章
飛翔
「よっと……ようやく中層か。思ったよりも時間かかったな」
洞窟の狭い道の半分を塞ぐ岩を乗り越えながら一人そんなことを呟く。
しかし声だけで言うのなら俺は一人じゃない。
『そもそも私たちの誰も大迷宮の入口知らないもんねえ』
『主、申し訳ありません。事前に把握しておくべきでした』
彼女たちは俺の召喚獣。名前を順にクネイとカノン。
俺がこの世界にやってきて召喚士として最初に契約した三体のうちの二体だ。今はもう進化して、二人と言った方がいいかもしれないな。
三年前、俺はこの世界にやってきた。
クラスメイトや我が幼なじみも来ているみたいだが会ったことは無い。
何故なら三年間のずっとこの大迷宮の最下層で修行を積んでいたからだ。
そうなったのも初めてこの世界に来てしばらく。この迷宮の中でサバイバル生活を続けていた時床が崩れて真っ逆さまにずっと下へ落ちてしまったのだ。
辛うじて生き延びたのもつかの間、突如現れた圧倒的格上の魔物に追われ、当時契約していた召喚獣のほとんどを失いながらも何とか逃げ延びた先の部屋で俺は彼女と出会ったのだ。
その名も黒蝶ニーア。大迷宮の奥底に封印されていた魔物だ。俺は彼女の弟子となり、数日前晴れて弟子を卒業し彼女と契約。ようやく大迷宮の脱出を開始することができたのだ。
以上、回想でした。
「良いの良いの。こういうのも旅の醍醐味なんだから」
出発してからそろそろ三日目。
回想も混じえつつのんびり進んでいたが途中で道を間違えたらしく下層を丸一日ぐるぐるしていたのだ。
何とか上へ登り続けて中層に辿り着いたのである。
『ねぇねぇユート。ここって中層なんだよね。どうやって判断してるの?』
彼女はアビー。先の二人と同じく最初の三体から進化した一人だ。
「明確な基準は付けてないし、外で違う可能性もあるからなあ……ただ俺は魔力の濃さと外観で見分けてる。あとは深さの感覚だな」
この大迷宮、かなりの深さがあるため最下層から上層に行くまでかなり登らなければならない。すると、その高低差で魔力にも差が出てくるのだ。
俺は上層に足を踏み入れたことが数回しかないからイマイチ確信はないが、最下層と上層では魔力の濃さの差が最低でも6、7倍はあると思う。
魔力が濃すぎるとなんか毒になりそうだがそんなことは無い。
ただ最初の頃は倦怠感や嘔吐感、発熱、関節痛と色々悩まされたけど……環境の変化って怖いな。そういやあの時直前にびしょ濡れになったよな。もしかして……ね。
外観はただの洞窟だと思ったら大違い。若干色合いが違うし、何よりも材質が違う。
材質に関して実は詳しくはないが、砂岩の壁もあれば石垣みたいな壁もある。
この大迷宮の場合、壁の色が上層の灰色から黒に近づいていけば深くなる証拠だな。
この大迷宮は上から下まで全部洞窟で、作り物とかで見るような階層ごとにエリアが違うみたいなことは無い。せいぜい地底湖とか鍾乳洞がいい所だ。
ただ前に一度だけ迷宮の中にある溶岩地帯を見たことがある。が、あそこはもう行きたくない。暑いし色々あったし。
『ユート、あそこだけはやめてね。私、物理的に無くなっちゃうから』
脳内にかなり真剣な声が聞こえた。忠告というかそんなレベルではなかった。
「わかってるよ……ってか今のアビーならそもそも溶岩どころか熱の影響受けないだろ」
実は彼女、かつてその溶岩地帯で死にかけたのだ。あの時は本当に焦った。
それから急いで帰還しても丸二週間くらい沈黙し続けてようやく復活した時には喜びすぎて踊り狂ったな。
『まあね。でも怖かったから』
「はいはい。通る予定は無いから安心してくれ」
適当に流しながら暗い洞窟内をランタンで照らしながら進む。
この辺りには魔光石が無いため、めちゃくちゃ暗い。
なら〈夜目〉のスキル使えよって話になるのだがあれは〈叡智〉さんに統合されてしまった。
使えないわけじゃないけどね。ただ統合スキルになった影響か使う度にちょっと疲労感があるからまだ使いたくはない。
だからこそ古典的なランタンだ。
中には小さな火を灯して雰囲気を作りつつ担いだ杖の先端に引っ掛けて進んでいる。
カラカラとリズミカルに音を立てるランタンはゆらゆらと洞窟内を照らし続けるのだ。
『ねぇユートぉ、そろそろこの暗いのにも飽きてきたー。ネロもニーアも寝てるしカノンは一人でなんかやってるしー』
「暗いのに飽きるって大迷宮の中なんだから暗いのは当たり前でしょうに……」
またしばらく経って、今度はクネイが色々言い始めた。
でも確かに俺も変わり映えしないこの暗闇にも飽きてきた。でもそろそろ目的地の大回廊に到着するはず……
すると洞窟の曲がり角を道なりに進むと、とうとう目の前が開けた。一歩踏み間違えれば真っ逆さまになるので気をつけたい。
ランタンを前にかざすと反対側が見えないほど大きな谷だとわかる。
そう、大回廊だ。
この大迷宮の中を貫くように存在する巨大な渓谷。上層から最下層まで伸びるバカでかい吹き抜けで、ここだけでなく実は複数あるようだ。
幅も長さも正確な深さも不明な大回廊は大迷宮の主とも言えるくらいの超巨大な魔物の住処でもある。ただし、上層へ向かうのならば一番早い道でもあるのだ。
「ここをあとは上層付近まで昇ってくぞ。アビー、さっそく出番だ」
『はーい』
『私が出なくて大丈夫?近くには居ないみたいだけど』
クネイの心配も分かる。実はここの大回廊の主は三年前に襲われたあのバカでかい蜘蛛だからだ。この前見かけたらまたデカくなっててビビったのは別のお話。
大きさだけで言えばクネイの方が大きいが理性のあるクネイと野生のままのそいつを比べたら危険度は桁違いだ。
ただし俺も何も考えていないわけじゃない。それがアビーに声をかけた理由。そして秘密兵器を使用するから。
「アビーそろそろやるぞ?……〈
呼び声と共に無風の中コートがはためく。
バタバタと音を立てずにはためき、裾が持ち上がっていく。
コートの背の中央、正中線の真上を通るようにゆっくりとコート自体が裂けていく。
肩のあたりの布地が硬質化しアーマーのように変化する。同時に肩甲骨の辺りでコートの変化は止まり別の変化が始まる。
そこからは速かった。
瞬時に裂けたコートは左右に分かれ逆V字を形作った。
袖と肩はそのままに、肩甲骨にかかる部分の布が硬質化を始め、そのまま覆う。逆V字を保つコートは一見虫の翅のようにも見えた。
「行くぞ!」
ランタンの火を消し、足を屈め、そのまま魔力を集中させる。
〈夜目〉を起動し上空を見据える。岩だらけだが空間はある。
次第に足に込めた魔力が一定を超えるのが感覚でわかる。それが合図だ。
俺は一気に真上へ向けて溜め込んだ力を解放し爆発的な出力で跳躍する。
宙に浮き、一瞬の浮遊感を楽しむと同時に落下が始まるのだ────
『行っけえーっ!』
───本来ならば。
背中ではためくだけだった裾が一気に形を持つ。
黒く鈍いツヤを持ち、細身の蝙蝠のような翼へ変化したのだ。戦闘機を彷彿とさせる逆V字の翼はピンと張られ、幅3mはあるであろう翼は大気を切り裂いたのだった。
「ひゃあああああっほうぅぅぅっ!!」
風を切る快感に歓声を上げ真上へと飛翔する俺。〈夜目〉で見える岩を身体を捻ることで回避し、高速エレベーターも裸足で逃げ出す速度で上昇していく。
〈夜目〉で見る大回廊は思っている以上にツルツルしている。表面は岩だから当然ザラザラしているが、変に飛び出た岩が無いのだ。ここに住む魔物によるものだろうか。
この〈
彼女の分体が染み込んでいているのはこのためで、コート自体の縫製は一部わざとされていない部分がある。
そこを分離させて、染み込んだ分体をアビーの操作で外に出して肥大、形状を整えて翼とし、彼女が放出する大出力の魔力の勢いで飛翔する魔法が一切介在しないロマン技なのだ!
翼としての幅は縦40cm程度だが横が3mはある。
大半が分体で構成されているために翼の機能の他にも切断性を持たせることも可能で、先日試験的に魔物を斬ってみたらスッパリと見事な断面が見れた。
アビー曰く刃は限りなく薄くして、さらに表面をチェーンソーのようにしているそうだ。どこで知ったのやら……
そんなんだから胴体はともかく、翼の先が岩に当たる程度なら気にする必要は無い。
「アビー!あと10秒で魔力噴射を停止!」
『はーい』
翼から某ガンシップよろしく吹き出し続ける魔力の奔流。
その出力が生み出す速度は俺にも分からない。俺に出来るのはある程度の進路変更と目で見て危機回避をする事くらいだ。
『3、2、1、止まった!』
「よしっ」
足で微かに感じていた魔力の噴出が止まる。
噴出が止まっても数秒は惰性で上昇を続ける。だが物理法則には逆らえず重力に捕まってしまうのだ。
「うおっ」
突如気持ち悪い浮遊感が全身を襲う。落下が始まったのだ。股間はキュッとなり、胃がもちあがる嫌な感覚。
この感覚は重力に従った結果であると同時に人体の防衛反応だろう。人は本当の意味で空を飛ぶことは出来ないのだから。
しかし、ここまで来れば後は俺の領分である。
スキル〈天駆〉。
その名の通り天を駆けることが出来るスキルで〈天歩〉の進化系だ。
スキルが発動した瞬間落下の気持ち悪さは瞬時に消え、足元がしっかりした安心感が全身を駆け巡る。
そう、俺は空中に立っているのだ。
「飛行時間はたったの数十秒。でも上層まで来れたな」
〈夜目〉で見える岩壁。そこに見えるのは口を開けた洞窟の入り口。その奥に見える坂道。
「クネイ、ここか?」
『ちょっと待ってね。………うん、そうみたい。ここから昇って行ったみたい』
彼女は自身の子分とも言える蜘蛛型魔物を多数従えているのだ。その中から以前この付近で冒険者を助けたことのある個体から情報を引き出しているのである。
『でも昇って行ったこと以外はわからないって』
「それでも十分さ。ある程度進めば人の気配が掴める。その方に行けば外にも出れるさ」
俺はその道に着陸し、ランタンの火を付け直してから道を進み始める。
本当、やっとだ。やっと外に出られる。
ここでの生活は苦しいこともあったけど嫌いなわけじゃない。この世界での故郷だからだ。でも、ここを出て絶対にやらなきゃ行けないことが一つある。その事はすでにクネイたちにも話してある。
『主、外に出たらやはり探すのですか』
「そうだな。いの一番に、という訳には行かないだろうけど当面の目的は仲間を増やすことに加えて、人探しだ」
『気の長くなる目的ですね』
カノンのその言葉に苦笑しながら、違いないと返す。
神様曰く地球の五倍の大きさのこの星。いくつもある大陸の中からたった一人を探し出す。本来ならば無謀もいいとこだ。
でも、案外早く見つかる気がしているのだ。お約束、という訳でもないが何となく見当はついてるしな。
「とりあえず、俺の幼なじみ探しも始めよう」
『はい、主』
カノンの返答を聞きつつ、俺は中にいる召喚獣の誰も聞き取れず感じ取れないほど小さな声でそっと決意する。
「何としても、どんな手を使ってでも必ず見つけ出すからな───」
暗がりの中手を伸ばし、空を掴む。
今はまだ何も掴めず虚しいまま。
しかし、いつか必ず掴むのだ。この手は、その為にある。
「───悠華」
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