陽光
この坂を登り切れば。
地球でも何度もあった感情だ。
欲しいものを買うため。
見たい景色を見るため。
行きたい場所に行くため。
好きな人に会うため。
どれでもいい。
ただ一つだけ目標があればその坂は登りきれる。
そのはずなんだ。
「……っ」
俺は、登れずにいた。
最後の坂を。
この迷宮から出るための最後の道であるこの洞窟の坂を。
時折冒険者と思われる人影が俺の踞る岩陰の前を通り過ぎていく。
ここは正真正銘迷宮の出口付近。それなのに俺はこんなことになってしまっていた。
おそらくこれは精神的なものなのだろう。それは自覚できている。どこかで冷静な自分がいるからだ。
一歩踏み出そうとすると身体の何処かが引き止める。「ここから出るな」と。
さらに頭の中に靄が掛かっているようで、不安を煽りここから出たら何かを失いそうな予感が強くあるのだ。
かけがえのない何かを。
それは恐怖に等しい。
単なる予感で済ませていいものではなく、本能的なもの。抗えばどうなるのか……
『安心せよ。我がおる。ただ決めたことを決めたままに突き進めばいい』
突如その言葉が脳内に響く。同時に全身がとてつもない暖かさに包まれて胸の奥が熱くなる。
『お主の考えてる事は手に取るようにわかる。だが、お主は我の弟子にして主だ。強くあれ』
母親のような優しい声は続ける。
『大方、寂しくなったのだろう?それを勘違いして恐怖を感じている。しかし勘違いしたのは身体であってお主では無い』
彼女は言い聞かせるようにさらに続けた。
『言ってしまえば我の責任だ。我はここに長く結びつき過ぎた。我単体ならばそのようなこともなかったのだろうが、お主と魔力が契約により繋がったことでお主の方に影響が出た』
だが、と彼女は声音を変えた。
『身体が恐怖を感じているのは事実。それは我にはどうすることも出来ん。出来るとすれば、ただ背を押してやることのみだ』
また声音が変わり、優しげな声に戻る。
『だから……進め。我が弟子よ』
その言葉は一気に俺の頭の中の靄を晴らした。
同時に恐怖も消え、今まで岩のように重かった足がとても軽く、簡単に立ち上がれた。
何を悩んでいたのかと思えるほど思考は透き通り、気分が良くなった。
なにかに吹っ切れたような多幸感に包まれ、俺は当初の目的通り坂を昇っていくのだった。
『(迷宮の意思……か。我を留めて何を思うのか)』
実はニーアは彼を襲ったこの現象に思うところがあった。しかし確証も無くわざわざ伝えるべきことでもないと断じ、彼女はこのことを胸の内にしまい込むのだった。
俺が昇っている目の前の坂はどうやら迷宮の入口までまっすぐ伸びているらしい。
俺とすれ違う冒険者がそんなことを話していたのだ。俺はその言葉を信じ、ニーアに背を押されて坂を昇る。
ここはまだ大迷宮なので景色は変わらず洞窟なのだが今までと大きく違うのは周囲に冒険者が何人もいる事だ。
パーティーを組んでいるのか五人くらいで迷宮の奥に向かう剣と鎧をたずさえた男たち。俺のように一人なのか軽装で足早に外へ向かう女。さらには頭の上に角や獣耳が生えた獣人族の冒険者たち。
どれも迷宮の中で見たことはあったが皆何かしらの形でボロボロだったのだ。
ちゃんと言葉を交わしたことも少ない。そんな冒険者がこうして活き活きと行き交っている。
そんな光景を前に目頭が熱くなり、思わず液体がこぼれ落ちる。
そのことを実感し、ゴツゴツとした足元ながら歩みが少しだけ速くなり、何人も追い抜かしながら坂の上を目指す。
十人ばかり追い抜かした時だろうか、遠くに白い光が見えたのは。
それが見えた瞬間俺は光に吸い寄せられる昆虫の如く駆け出した。周囲からは不審な目で見られるがそんなもの、気にする余裕はない。
〈
目を突き刺す閃光。
ずっと暗闇で暮らしてきた俺の目は本物の光に慣れず、目の前はただ真っ白の世界。
ただ、この世界で初めて感じるものが全身を包み込んだ。
陽光の暖かみだ。
太陽が地面を照らすことで生まれる熱に過ぎないそれは俺に本物の光と熱をもたらした。
次第に目が慣れ視界に飛び込んできた見たことの無いものの数々。
ヨーロッパの街並みを思わせるカラフルで石造りの密集した街、整備された石畳の大通り。
そんな道を往来する馬車や見たことの無い生き物。遠くに見えるのは教会だろうか。大きな塔だ。
そして道を行き交う地球では存在すらしていなかった彼ら。そう、異種族たちだ。
迷宮の中で見た獣耳や角を持つ獣人。容姿端麗で長く細い耳を持つエルフ、成人の半分くらいの身長しかない小柄な種族やトカゲのような尾を持つ種族。他にも多くの種族がいる。
そのどれも迷宮では見たことの無い人々だった。
「あ……ははっ」
その光景に笑いが漏れる。
どうしても口角が持ち上がり、目の前の光景を認識する度にどんどん持ち上がる。
「ふへへっ」
気分が高まり、抑えられなくなっていく。その度に口角は上がり今や三日月のような様相である。
そしてとうとう溢れた感情は彼が全身で体現することとなる。
「やった、やったぞおおおーーーっ!!!」
俺は周囲の目も気にせずに杖と一緒に両手を持ち上げて全力で叫んだ。全身で歓喜を示し、俺は陽光を一身に浴びた。
長かった暗闇の生活。
魔光石以外の自然な光が無い中での修行。異世界に来ているというのにその実感があまり感じられなかった今までの生活。
その全ての鬱憤を晴らさんとする全力の雄叫びであった。
「うおおおおぉっ!!!」
しかし彼は本来そこまで目立ちたくないと願う人間である。
気分の昂りでこんなことをしてしまったが、ひとしきり叫んだ後、彼は周囲の視線に気付くと一気に頭部を熟した赤リンゴに変化させそそくさとその場を立ち去るのであった。
「なるほどねぇ。冒険者ギルドってのがあって登録する必要があるのか」
地上に出て数十分。
人前であんなことをしてしまい恥ずかしいが勇気をだして俺は適当なカフェに入り、カップ片手に優雅なティータイムと洒落こんでいた。
だが見た目に騙されるなかれ。実際は大量の情報を仕入れているのだ。
すると脳内に聞きなれた彼女たちの声が響く。
今も安全が確保出来ていないため外に彼女たち自身は出られないのだ。しかし方法はあるため外に出て情報を集めてもらっている。
『へえー、ユートみたいな召喚士って少ないんだね』
『ここは迷宮都市と呼ばれる大陸に複数ある都市のようです。ここは大陸の南部に位置して、ダウルス王国という国の領内のようですね』
『冒険者ギルドはあそこの剣と盾の看板の建物だって。ユートは駆け抜けちゃったけど私たちが出てきた建物が迷宮の入口の塔なんだって』
『むう……』
「みんなありがとうな。ネロは本分はここじゃないだろ?もっと役立てる場所が別にあるからさ」
『……わかった』
不満げだが納得してくれたらしい。
彼女はその特性上情報収集には不向きだ。こんなところで死体使って人に話しかける訳にもいかないからね。
さて、今俺がやっているのは情報収集と言ったが方法はちょっと特殊だ。
まずクネイの能力で子分もとい小さな蜘蛛を無数に生み出し、街に散らばらせる。似たようなことをアビーも行う。
散らばらせたそれらは言わば二人の端末のようなものであり、音や視覚を通じて情報を仕入れることが可能なのだ。
カノンはそういった子分は生み出せないものの、クネイに比べて負担の大きいアビーの端末を一部受け持つことで情報収集を行っている。
つまり俺は三年ぶりの日向ぼっことコーヒー擬き片手に座っているだけで情報が勝手に集まってくるチート顔負けの収集を行えるのだ。
「なるほど冒険者ギルドか……」
『はい。大陸全土に支部があり、さらには他の大陸にも支部があるとか。国家所属ではありませんが実際の権力だけで言えば小国を凌ぎます。立場としてはギルドは自由に動く冒険者をいわゆる派遣の立ち位置に設定し各国での依頼を代行する。要は国が兵を使って担えない役目を持っています。さらに冒険者というのは依頼の達成などで平民に比べ危険なため国により差がありますがある程度の身分保障と税の優遇があるそうです』
なるほど。
国側としては冒険者はギルドがあれば勝手に来てくれる便利な存在。自国の兵を使わずとも魔物を倒し、金を落としてくれる。なんなら戦争にも参加してくれるのだ。
代わりに冒険者とギルドに一定の権限を与える。しかし冒険者を入れるための権限を与えなければギルドは撤退し、ギルドが無いところに冒険者はまず来ない。
故に国は冒険者の庇護を失い、兵を使わずに良かった部分に兵を投入せざるを得ず次第に手に負えなくなって自滅する。かつてそんな形で滅亡した国があったらしい。
逆にギルド側は国に支部を置くことでその土地の情報や物品が冒険者を通じ入手出来る。他のギルドと協力することで富を生むことが期待できる。
さらにギルドがあれば冒険者は向こうから勝手に来るので依頼や流通の仲介により自然とギルドの発展にも繋がる。
国がある程度貿易や冒険者の流入の権限を与えればあとはギルド側が全て終えられるので下手に手出ししなければ双方に悪いことは起きない。
俺が何とか理解出来たのはこんなところか。
双方が利益を提供し合うことで維持されるシステムだ。ギルドは冒険者という労働力を。国は冒険者に対し依頼と様々な物資を。
全く、よく出来たシステムだ。
細かいところは政治とかに関わってくるのだろうけど冒険者にとってはギルドの庇護と国からの仕事があればそのシステムが働いているだけで十分なのだ。
そして今の俺に必要なのは冒険者の特権の方だ。
「よし、次にやること決まったな」
『何をするの?』
クネイの何となく察した嬉しそうな声に俺は応える。
「俺は冒険者になる」
そう、俺はこの世界で就職するのだ!
冒険者というロマン職に!
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