side ???
「はぁ、はぁ、はぁ……」
暗い洞窟内、湿った壁に手を当てヨタヨタしたおぼつかない足取りで走る影が一つ。人が居たならその主を銀髪の長身の女性と例えただろう。
ボロボロの服を纏う姿は何かから逃げてきたようで、相当悲惨な戦闘を想像させる。
迷宮で魔物に追われて逃げてもう何日か。
三日目までは数えたが、常に追われ眠る間もなく、もはや日数など考える暇もなかった。既に仲間とは逸れ、一人彷徨う。
しつこく追ってきた魔物を何度も撒いているうちに着ていた防具は半壊、主武器は既に失い腰に提げた予備の武器も刃こぼれのせいで鈍器としてしか役に立たなそうだ。
食料も節約して後数日分。壁を流れる地下水で水の心配が無いことだけが幸いだった。
ここはザッカラン大迷宮。数ある大迷宮の中でも最大級で遭難すれば陽の元に帰ることは不可能と言われる。
そのために迷宮へ侵入する冒険者たちは複雑極まりないルートを理解している案内人と呼ばれる職人を雇う。
彼らは迷宮で自身が担当する一部分に関してはルートを暗記している。
戦う技術が無い代わりに道の知識を提供するのだ。
探索するルートによっては複数人雇うが、何人雇おうと変わらないのは案内人の庇護から抜けた冒険者に待つのは死のみということだ。
迷宮内は暗く道もわかりにくい。
どれだけ目印を付けても見落とすことが何度もある。もしも道を見失えば自分が何処にいるのかすら把握出来ずにその場で力尽きるのだ。
遭難した冒険者に待ち受ける結末は幾つかある。
一つは魔物による捕食。魔物にもよるが、なぶり殺しのような事もあり、ある意味では最悪と言える。
一つは餓死。食料が尽き移動する気力もなくその場で死んでいく冒険者も多い。この死に方が迷宮では最も幸せだとする者もいる。
一つは落下死。迷宮には大回廊と呼ばれる吹き抜けが幾つか存在する。上層から下に向けて伸びており噂では最下層まで繋がっているとされる。
安全な場所は存在こそするが、同時に落下の危険も伴う。その場から落ちれば地面に叩きつけられての即死はもちろん、大回廊に住まうとされる巨大な魔物からの捕食も有り得る。大迷宮の危険地帯の一つだ。
そんな環境で一人。待ち受ける結末は一つだけ。
「私……死ぬの?」
ランタンの魔光石は既に砕けて光を放つ様子はない。視界はなく目の前など何も見えない。
ボロボロの身体と暗闇は精神を蝕み、思考すらも負の方向へと引きずり込む。
一歩踏み出す事に自らが死に近づいているような予感がしてしまう。
足を止めればいい、そうすれば楽になると解っている。
だが頭のどこかで叫んでいるのだ。足を止めれば死ぬと。
生への渇望が足を動かし、僅かでも先へと身体を押し出す。
足元が上への傾斜に変わった。意識が僅かに戻り、ほんの僅かな希望を感じさせる。
しかしその希望を砕いてこその大迷宮である。
ガラガラガラッ!
いつぶりに聞いた背後からの破壊音、瞬時に意識が覚醒し背後を振り返る。何も見えないが砂煙が立ち上っているのを感じる。同時に無数の脚が地面を蹴る激しい音も。
「キュルルルル……」
「嘘……」
その鳴き声はこの逃走の中嫌という程聞いたものだった。
もはや逃げる気力すら無い。その場に崩れ落ち、目の前にそれが迫る。
逃げる中で、ある一定の場所から安心した自分が居たのは理解している。ここは上層、奴は来ないと。
でも現れた。私を追って。奴の怒りを買った集団で最も弱い私を。
「い、いや……」
恐怖で足から力が抜け動くこともままならない。
奴は待っていたのだ。獲物が単独になり、さらに弱るのを。
「みんな……ごめんね……」
生暖かい息が顔に掛かり見えなくともそこに居るのだと解る。
すぐそこに強靭な顎があり、自分などすぐに砕かれるのだと。
「キュルルル……ギュアッ!?」
顎が開き、私は体液を巻き散らせ……
無かった。それどころか目の前から奴の気配が消えている。それに明るい。私の灯りはもう無いのになぜ?
その答えはすぐそこにあった。黒く長い杖を持った灰色の人。腰のランタンが強い光を放っている。
「あんた、無事か?」
「あな……たは……」
「相当衰弱してんな。こいつは俺に任せてあんたは早く脱出しろ。飯を持ってるなら一気に食っとけ。そいつに案内を任せる。───上層の目立つところまで連れてってやれ。終わったら戻ってこい」
何を言っているの?そいつ?誰か他にいるの?
灰色の人の光が無くならないうちに辺りを見渡すとすぐ後ろに灰色の人の言うそいつが居た。
赤い小さな八つの光点を持つ小さな魔物。
確か名前はレッサースパイドルだったかな。普通人を見れば襲ってくるのだけど……何もしてこないって事は従えられてるの?
助けられ、話しかけられたことで疲労と恐怖で混濁していた意識はそれなりに戻り、私は言われた通りに残った食料を壁を流れる水と共に飲み込む。
いつの間にか灰色の人と奴はいなくなっていたけど、案内のレッサースパイドルは待っていてくれた。
食べ終わるのを確認するとレッサースパイドルは坂を登り始めた。
この暗闇で私がなんで見えるのかと言うとレッサースパイドルの背に魔光石が乗っているのだ。大きさの割にやけに明るいが、それのお陰で迷宮の壁や姿までよく見える。
食事をした事で多少は体力も回復して私はついて行くことが出来た。
レッサースパイドルの動きは意外と速く、少し急がないと置いていかれてしまう。
でも脱出の案内を優先するあまり崖とか移動不可能なものを選ぶわけでもなく私が通れる道を選んでいるあたりちゃんと考えているらしい。
しばらく移動するとレッサースパイドルの動きが止まった。
ここは知っている。右側に見える地底の大渓谷。名前を大回廊、噂では最下層まで続く巨大な吹き抜けだ。
どうやら道を迷っているみたいで、どこか人間らしく迷っている。だがすぐに決めたようで私はその後を追う。
進む道は大回廊の壁にある細い道。
人が一人通れるくらいの狭さで、足を踏み外さないよう感覚を研ぎ澄まさなくては鳴らない。
それでもレッサースパイドルは慣れた道のようにスイスイ進むため今度こそ置いていかれそうになった。
移動を始めて数時間。
レッサースパイドルが動きを止めた。いや、正確には辺りをよく照らすように動いている。
光に釣られて辺りを見るとそこは見たことがある場所だった。
「ここは……上層の入口近くだ。戻って来れたんだ……」
思わず涙が溢れ、そこに座り込んでしまう。そして思わず泣き出してしまった。
「うわあああぁぁぁん!」
それを見て心配したのかオロオロとその場で足踏みした後、レッサースパイドルは背に乗っていた魔光石を私の足元に落とす。プレゼントという事だろうか。
「グスッ、あなた、ありがとうね。灰色の人……あなたの主人にお礼言っておいてね」
だんだんと愛着の湧いてきていたレッサースパイドルの硬い甲殻の背をそっと撫でて私は立ち上がる。
ここからは道が解る。前を向いて歩き出したときにはもうそこに案内人のレッサースパイドルは居なかった。
そこからはもう一時間と歩かずに入口まで辿り着いた。迷宮の入口付近は大きな広間となっていて露店や酒場まである。
かなり栄えていて、私がボロボロの姿で迷宮から出てきたときには大勢が驚いていた。
強面で有名なあの冒険者の顔、驚きすぎて大口開けてたわね。みんなに見せたいわ。
「お、おいあんたもしかして〈銀の鷹〉の人かい?」
「ええ、私は〈銀の鷹〉で前衛をやっていたわ。逸れてしまったけど」
迷宮の案内職人か、旅装の冒険者が話しかけてきた。こちらを向いているが目はやはりボロボロの服に行っている。そうよね、私女だし。
「そうか……〈銀の鷹〉はみんな戻ってきている。あんたが最後だ」
「そうなの!みんなはどこ!?治療院!?」
疲労も忘れ私は彼の肩に掴みかかる。ガクガクと揺らし答えを吐かせる。
もしかして逸れたみんなが生きている?
そんな可能性に気づき私は手を離す。
「治療院じゃ、ねえ……」
「ご、ごめんなさい」
深呼吸して落ち着いてから彼の案内に従う。どうやら治療院じゃないみたい。
でもあと負傷してる人が入れる場所ってあったかな。
案内されたのは迷宮から出てすぐの建物。確かここって……そんな。
「〈銀の鷹〉のやつを持ってきてくれ」
嘘よ、そんな……
案内人に注文され係の人が持ってきたのは木箱。片手で持てるくらいの大きさだ。この瞬間私は彼らがどうなったかを察した。
ここは保管所。迷宮で死んだ冒険者の持ち帰られた遺品を保管する場所。
冒険者には活動を始める時に登録の義務がある。
名簿などがある訳では無いがそれは互助組織であるためだ。
国の兵士の手が届かないところで活動し、民を助け国はその礼として減税措置などを行う。そのためには冒険者の身分の証明が必要なのだ。
冒険者をまとめるギルドは下手な小国よりも発言権がある。魔物を退け、政治的にも力を付けた組織に逆らう国などは居ない。逆らえば冒険者の恩恵が無くなるから。
話がズレたが、冒険者には登録証兼身分証明として金属製のタグが配布されるのだ。
それは地球で言うところのドックタグのような役割である。
つまりこの木箱に入っているのは……
「みんな……」
銀色のタグが五枚。私の仲間と同じ数。それはみんな死んだことを意味する。迷宮だけではなく冒険者が行く地では遺体を持ち帰ることはほぼ出来ない。代わりに持ち帰るのがこのタグだ。
かつては死亡者の武器や身体の一部を持ち帰る事があったが嵩張り、それによって死ぬこともあったため持ち帰るものはタグになったとの話がある。
「あんた……どうするんだ?」
「……」
「……すまん」
「構いません、〈銀の鷹〉は壊滅。私は……分かりません。ですが、人を探そうと思います」
私はあの時助けてくれた人を思い出していた。灰色の人、レッサースパイドルを従える人。
大迷宮という危険地帯の中たった一人で余裕そうに動ける人。
探すにしても情報を広めなきゃ。
私は彼に見えた限りの特徴を伝える。
「黒い杖を持った灰色の冒険者?でもレッサースパイドルを従えるって事は召喚士か従魔士だろうな……見てねえな。すまん、役に立てなくて」
「大丈夫です。大迷宮の入口は他にもありますから」
ここの入口から入っていない可能性だってある。
決めた、私はあの人を見つける。そしてお礼をするんだ。
見上げた青空の下、元〈銀の鷹〉前衛、剣士アリサ・ヤールヴナは仲間の形見とも言えるタグ入の木箱を片手にそう決意する。
彼らへの手向けとして。自らの第一歩のために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます