第15話 事務所

事務所には10時半に着いた。

もうすでにメンバーは集まっていた。


「あら、一瀬くん早いわね」


ドアを開けた瞬間、感情のこもらない声をかけてきたのは所長。

肩口で綺麗に切りそろえられたボブカット。黒いスーツに身を包み、大きな黒い瞳に赤いプルプルした唇。透けるように白く細い腕にはシンプルな腕時計をつけている。部屋に入ってすぐの対面に置かれた座り心地の良い白いソファーに足を組んで座っている。

対面で会うのは久しぶりなような気がした。……が考えてみれば3日と開けず会っていたのを思い出す。バイトに採用される前、ある一時までほとんど一日中一緒にいたからか、一日合わないだけで変な感じがする。


その横にはいつものメンバー。

背の高い体格の良い糸目の男が秘書の久間田――がいつも通り所長にお茶を入れている。その前、ガラステーブルをはさんで所長の前に座るのが青さんだった。


青さんと仕事をするのはこの間が初めてだったが、見かけ通りの優しいヒトだった。

口調も始終丁寧で、物腰も柔らかい。


今日は机に置いたパソコンを一心に操作していた。


「どうも、一瀬くんこんにちは」


オレのほうを一瞥してそれから視線をすぐにパソコンに向けた。

あれ、素っ気ない。

この間はあれほど相談者が車でたわいない話をし、それなりに盛り上がったのに、今日はロボットみたいにこちらに興味がない、と示している。

寂しく思いながらもオレは青さんの横に座る。

腰を沈めた瞬間に、邪魔するなと言いたげに青さんが腰をずらして距離をとる。

なにそれ傷つく。

その様子を目の前で見ていた所長はふふふ、と微笑ましく笑みを浮かべている。


「青さんは一度パソコンに夢中になると興味が全部そっちに行っちゃうから」


所長が優雅にお茶を口に運びながら言った。


「一瀬くんはお茶?コーヒー?」


久間田さんが微笑みながら聞く。


「あ、アイスコーヒーで」

「了解」


給湯室の向こうに久間田さんが消えていくのをそわそわしながら見送った。

この中で一番新入りは自分だろうと思っている。

なのに、下っ端の仕事であるはずのお茶くみをしなくていいのかと落ち着かない。

そんな様子を見越したのか、所長が「給湯室は久間田さんの領域だから、一瀬くんは近寄り不要よ」と言う。


久間田さんの領域って……。


この事務所には不思議なルールがいくつか存在している。

例えばこの部屋の奥には扉一枚を隔てて所長室がある。オレは一度しか入ったことがないが木製のデスクの前に黒光りする高そうなソファーが机を挟んでおかれている。

レイアウトこそ今自分のいる執務室と大差なかったが、一見して高級家具で固められ、漂う空気が違った。

その奥に資料室、というものがあるらしいのだが、そこの部屋には所長の許可がないと入れないとのことだった。


「所長室には自由に入っていいわよ」と言われた時の不思議な感覚を言い表すのは難しい。

普通逆じゃないのか、と突っ込みたかったが耐えた。


そのほかにも、相談員以外残業は禁止、執務室内で使用する備品の購入は申請式で必ず領収書を提出すること、どんなものでも自費の購入は禁止。というものがあった。

服装も髪色もアルバイトは自由、バックも靴も特に指定のものはないしうるさく言われたことはなかったが、事務用品関連を買うときは必ずそう忠告された。


そういう事象を知っていたから、今回の久間田さんルールに意見をすることもなかったが、はいそうですかと言われてすぐに納得できるほど、簡単な男ではなかった。


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