異域之鬼

 小一時間程工房の方で待っていた私と狐族の男性を柊さんが奥の部屋から呼んだ。

 呼ばれた私はその奥の方へ足を進めると、土間の脇に板の間があり、その板の間には四畳半程の畳が敷いてあった。

 そこに三つ、お膳が置かれて居て、お膳の前には座布団が敷かれている。

 お膳には茶碗、魚の干物、大根の漬物、海藻の味噌汁が乗っていて、脇には飯櫃めしびつが置いてあった。


「食事にエウパを使わない事で節約してるんですか……?」


 それとも狐族の事を気遣って彼等が普段食べて居る物と似たような食事を用意したのか?


「……俺の話を聞いたら二度とエウパを使った料理は口に出来なくなる。」

「…………。」

「まあ、座ってくれ。 そこの狐族にも座る様に言ってくれ。」

「自分で言わないんですか?」

「俺とて、エルフの言葉など本当は使いたくも無いのだよ。 彼等もそうだろう。」


 玄関で話して居たのはエルフの言葉だったのか。 隷属させられて居る人達の言葉など、本来ならば確かに使いたくは無いだろう。


『そっちのお膳の前に座りたまえ。』

『わ、わかりました。』


 私が狐族から一人選んだのは、いつも私を見てくれて居た王族を探知出来る特殊能力者だ。

 その狐族は緊張した面持ちで私が指した膳の前の座布団に座り、私はいただきますと一声上げて味噌汁の入ったお椀に口を付ける。


「エウパとは何なのか、考えた事はあるな?」


 飯櫃から白米を茶碗に盛り、私に差し出しながら言う柊さん。 私は味噌汁の椀をお膳に置いてそれを受け取り、お膳の上に置く。


「ありがとうございます。 ええと……あり……ます。 知的生命体に宿る……エネルギーみたいなもの、ですか?」

「違う。 エウパなんて名前を勝手に付けて居るが、人の魂そのものだ。」


 慣れない左手で持った箸で茶碗から白米を食べようとしていた私は、ぽとりと白米を箸から茶碗の中に落としてしまう。


「人の……魂?」

「元の世界でも研究されて居たが、立証された事は無かったな。 この世界に召喚されて初めて人の魂というものが存在する事に気付かされた。 皮肉なものだ……。」


 柊さんは言いながら魚の干物に箸を付け、身を解す。

 人の魂がエウパならば……エウパで作られた……食べ物は……。

 それを想像して身震いする私。

 ――――私達は、人間や亜人の魂で出来た物を食べて、居たのか。


「獣人のエウパが減っているという事は、魂の総量が減っているのと同じ事だと俺は考えている。」

「……なる……ほど。」

「輪廻転生など信じて居なかったが、それぞれの一族の魂がエネルギーとして搾取される事が、その一族全体の魂の総量が削られていると同義だと推測されるなら、魂の輪廻も有り得るのだろう。」

「私が狐の女王として資質を得た事で、狐族の魂の総量も上がったって事ですか?」

「それも一つの考えだ。 だが、それだけでは増えた理由には結び付かない。」

「と、言うと……。」

「時間が経つとエウパが接収出来なくなる。 その現象は、時間の経過と共に魂が自然に還る事なのだと考えればどうだ?」


 亜人達が前線基地を襲撃した事。 私達の部隊が全滅した事。 そして、私達が亜人達の部隊を倒した事。

 近年・・無かった大規模な戦闘で、他の人達に縛られて居た狐族の魂の一部が解放され……今年生まれた子供達に、宿った?


「通常の小競り合いでは殲滅戦は起こらんよ。 2割か3割の兵力が削られた方が敗走する。 これがこの世界ので偶然に起こる場合の戦闘の基本だ。 今回の人間の前線基地への攻撃は亜人の総意では無いだろうな。 一部のドワーフの過激派の仕業か、どこかの亜人の一派の暴走だろう。 幸か不幸か、君らの戦闘がそのすぐ後に起こり、それらがこの世界の獣人の魂に影響を与えたと考えてほぼ間違い無い。」


 それが良い事なのか、悪い事なのかの判断が付かない私だが、一つの考えとして筋は通っている。


「まあ、魂の話の続きは後にしよう。 先に私の事を話そうか。 食べながらでも聞いてくれ。」


 魂の件を後回しにした事に一抹の不安を感じる私だが、言われるがまま慣れない左手で箸を進める私。

 ちなみに狐族の男性のお膳には木の匙と木のフォークが添えられており、彼も夕食を食べ進める。


「俺の素質は、模白もはくの狼だ。」

「も……はく?」

「白を模倣した様な色という意味だ。 多分曖昧な色という意味もあるのだろう。」

「じゃあ、実際の色は無いという事ですか?」

「そういう事になるのかもしれないな。 実際に俺のスキルに色はあまり関係無い。」


 ずずり、と、味噌汁を啜る柊さん。


「俺のスキルは、道具や武器、防具などを作るスキルだ。」

「あの農具とかはそのスキルで作ったんですか?」

「いや、あれは鉄鉱石から作ったものだ。 一々エウパを使って居てはキリがあるまい。」

「でも一族がクリスタルを使って道具を作って居たのを見た、と。」

「そうか。 それは多分修復のスキルだ。 それならばエウパ無しでも使える。」


 成程、と、白米を口に運ぶ私。


「本題はそのマントだ。」


 と、私のプロミネンスマントを見て言う柊さん。


「それは私が作ったものだ。」

「えっ!?」


 これを作ったのは人間では無いと聞いた事があるが、柊さんが……製作者!?


「で、でも、どうやって迷宮に持ち込んだんですか? これ、ピピナ商店で売ってた物ですよ?」

「俺は迷宮を攻略しては居ない。」

「じゃあどうやってここに……。」

「俺のスキルには分析アナライズという物もある。 迷宮で販売していた高級キャンプセットという道具に覚えはあるか?」

「……はい。 私も持って居ました。」

「あれは二つの機能を組み合わせた道具だ。 一つは転移機能。 迷宮の準備区画とは直接繋がっては居ないが、実際にはオーブ毎に隔離された部屋が存在していて、そこに転移しているんだよ。 二つ目は、オーブを発動した位置を記憶する機能だ。」


 成程。 元の場所に戻れなければ部屋に閉じ込められてしまうものね。


「その一つ目の機能を弄ればどうなると思う?」

「弄る、ですか? 準備区画では無く……他の場所に……あ!」

「そうだ。 迷宮の内部に入るには特定の鍵が必要だが、外部に出るのに鍵は必要無い。 試行錯誤はしたが、この大陸の南部に転送する事に成功した俺は、亜人の勢力圏にまで北上し、ここを拠点に生活する事にした。 ちなみにそこの扉が迷宮の五階層へと繋がって居る。」


 と、土間の方を指差す柊さん。 確かに見覚えのあるような扉が、土間の水瓶の横に見える。


「このマントをここで作って……迷宮の準備区画に戻ってピピナ商店に売ったって事ですか?」

「そうだな。 商店の仕組みは分かるか?」

「……いえ。」

「ポイントというのは、迷宮独自の通貨だ。 態々経験値とポイントを分ける理由は……。」

「エウパの存在を認識させない、為、ですか。」

「半分正解だ。 ピピナ商店が商品を買い取る場合は、本来の商品の価値の半分のポイントがクリスタルに記録される。 つまり、100のエウパの価値のある物質は、50エウパ分のポイントとして挑戦者に与えられる事になり、物質はエウパとして分解された後にピピナ商店のエウパ保管装置に保存され、挑戦者がポイントを使う事によって再構築される。」

「それって……ピピナ商店……全然損して無いじゃないですか。」

「その為の仕組みだよ。 いかに挑戦者からエウパを強奪するか良く考えられたシステムだよ。」

「ポイントが欲しいからこのマントを売ったんですか?」

「そんな訳があるか。 そのマントとブーツは、ある・・素質が無いと装備出来ないように作られている。」

「……狐族の為に作ったんです……か?」

「違う。 そっちじゃない。 君のの方だ。」

「紅蓮……? 炎の素質、ですか?」

「君の素質は炎ではないよ。 触媒も無しに燃え続ける炎は存在しない。 魔法であっても、一時的に物質を燃焼させるのが炎で、断続的に燃焼を続ける事が出来るものではない。」


 断続的に……燃焼。 つまり、それが出来ている私の炎の剣は、実際は単純な炎では、ない、と?


「やはり心当たりがあるようだな。 他には魔法障壁を完全・・に破壊したり、更に貫通する魔法を使えたりはしないかね?」

「……使え、ます。」

「やはり、な。 その素質は、核融合反応。 つまり、太陽の素質だ。」

「っ!?」

「俺の今は亡き・・友人がその素質を持って居てな。 俺が求めて居たのはその素質を持った者の、究極魔法だ。」

業炎射出フレアシューター……。」

「君も究極魔法を既に覚えて居るようだな。 小規模でも太陽フレアの爆発の威力は人工的な核融合爆発の数千倍の威力がある。 戦略兵器として運用するならば、それ以上の威力のある魔法を私は知らん。 もしエルフとドワーフが作ったメリダとマルサーラの転移装置である迷宮にその魔法を撃ち込んだらどうなると思う?」

「……どうなるん、ですか?」

「迷宮の階層には距離という概念が無い。 惑星間を転移する為のその装置は逆に彼等の仇となり、魔法は迷宮を破壊しつつ、やがてメリダ本星を直撃するだろう。」

「メリダはエルフとドワーフの母星……。」

「そうだ。 亜人共の本拠地を直接破壊出来るという事だ。」


 何という……執念だ。 柊さんは私の様な素質を持った者を何年も待ち続け、ひたすらにメリダの破壊計画を練って居たのだろう。

 だが、この魔法には致命的な欠陥があるのを知っているのだろうか?


「……その浮かない顔は、魔法の代償の事か?」

「え? ……ええ……。」

「君の一族は滅亡の危機にあり、命を賭してでもエルフの隷従から解放されたいと願う者も居るのではないか?」

「それで……彼を同席させたのね……。」

「そういう事だ。 聞いてみたまえ。」


 私は味噌汁に口を付けて一口飲むと、一度深呼吸して狐族に顔を向ける。


『狐族は、エルフから解放されるなら……何十人、いえ、何百人の自己犠牲を厭わない覚悟が、ある?』

『え……それは勿論です! 毎年何百人もエルフに同族を献上させられるんです。 僕たちの子孫が隷属から解放されるなら……僕たちは命を惜しみません。』


 最初からこういう回答が得られる事を、多分柊さんは知っていたのだろう。 私と狐族の会話の詳細を聞く事も無く、黙々と食事を続けている。


『僕たち、エウパ無しがどれだけ惨めな思いをしたか……。 選ばれなかったという事は生きる事を許されたのと同時に、同族を売ったという罪を一生背負って行かなくてはならないという事なんです……。』


 遂にはポロポロと涙の粒を白米の茶碗に落とし、それに気が付くと慌てて白米を口にかき込む狐族。


『僕の命も必要なら、捧げます。 けど、人間は僕たちをどうするつもりなんです?』


 そう……だ。 エルフとドワーフが居なくなっても、人間が居るならば彼等のメルサーラでの生活は安泰とは言えない。


「協力する、そうです。 けれど、人間は狐族をどうするんですか?」

「俺の目的はエルフやドワーフを撃退する事だけではない。 戦争を止めさせ、これ以上俺たちの様な犠牲者・・・を出させない事、だ。」

「……どういう……意味ですか、その犠牲者というのは。」

「食事は済んだかな?」

「え、ええ。」


 私は自分のお膳を見ると、利き手では無い左手一本で食べたので食べ溢しが沢山あるが、粗方食べ終わって居たのでそう言うと、柊さんは立ち上がって床の間の奥の部屋の引き戸を開け、


「見て貰いたい者が居る。」


 と、私にその奥の部屋の中を見るように促した。

 言われるがままその部屋の中を見ると、布団が二組敷いてあり、片方の布団には誰も居ないが、もう片方の布団は小さく膨らんでおり……その布団からは無数の管が見たことも無い機械? 道具? に、繋がっている。


「俺の娘だ。 今年で10歳になる。」

「え……。」


 布団に近づいて寝ている人の顔を見ると、黒髪の、ぱっちりとした二重の女の子が、目を見開いたまま虚空を見つめて居て、口には透明なマスクの様な物……これは人口呼吸器か? が、付けられていた。


「何があったんです……か?」

「産まれた時からこう・・なのだよ。 この子の魂は……測定した結果、皆無だと分かった。」

「皆無? ゼロって事……?」

「俺達召喚者の魂の輪廻は、この世界に召喚された時点で断ち切られて居る。 知り合いの子供も、魂が全く無い状態で産まれ……産声を上げる事も叶わず……三日後には死亡した。」


 くらり、と、眩暈を覚える私。


「俺達召喚者は……この世界では新しい命を……育む事が出来ない、と?」

「迷宮を攻略した時に与えられる筈の攻略者の願いへの返答は、この世界で死ぬまで戦うか、それとも前の世界に帰れた事にして魂を抜き取るか、二つに一つしか無いという事だ。 人を生き返らせる事など不可能だし、殺さずにエウパを人間から抜き取る事も不可能なのだからな。」

「……この世界の人間も……騙されているって事?」

「一部の人間は知っているがな。 その一部の人間がエリクスという人物の英雄譚を作り、一般の人間達を亜人と戦う様に扇動させているというのが実だ。 ちなみに獣人に起こって居る魂の不足の現象が、人間側にも起こって居ると考えた事は無いかね?」

「人間側、にも?」

「クリスタルを使えるかどうかの魂の量は人間側とて産まれた瞬間に分かる。 それに満たない者を死産として両親に報告させ、死産と偽った稚児は特別な施設で育てられる。」

「そこで育てられた子供達はどうなるの……?」


 嫌な予感がするが、聞かざるを得ない私。


「12歳程まで育てられて、特別区で処理される。 魂は人間達が摂取、もしくは解放し、血肉はエルフとドワーフに交易品として提供され、亜人側は獣人達に作らせた米や小麦などの農産物を人間達に提供している。」

「何て……ことを。」


 悔しさ、虚しさ、で、身体中が震え上がる。


「結局……何がしたいのよ! この世界の人達は!」

「……魂。 エウパという名の万能のエネルギーが、この世界を狂わせて居るのだ。 武器も作れれば、食べ物も作れる。 魔力を使った道具も作れる。 更に、亜人であれ人間であれ、魂を強化する事で本来ならば有り得ない強靭な肉体や魔力、スキルを得る事が可能だ。 この世界の人々は自滅の道に向かっていると分かって居ながらも、その万能のエネルギーを使う事を止める事が出来ないのだろう。」

「戦争でさえも……嘘、なのね……。」

「嘘、ではないが、人間側が勝つか、亜人側が勝つか、予定された局地戦において、ある程度決められたルールで戦っているのは事実だ。 お互いに全力で戦えば結局消耗戦にしかならないのは分かり切って居るからな。」

「酷すぎる……。 戦って死んだ人に……名誉さえも与えてくれない……なんて……。」


 ユズキ、リーザ、そして……前線に飛び、共に戦った皆の顔が頭を過ぎる。


「だからこそ、この負の連鎖を止める必要が、ある。」

「具体的には……どうするんですか?」

「君の話からすると、君はまだ人間側として戦っている事になっているな。」

「……は、はい。 私の部隊の隊長のリゼラという人に話をすれば、部隊に復帰は出来ると思います。 けど、狐族はどうなるんですか? 彼等を置いては行けません。」

「それで良い。 彼等が君を王女として扱って居る事を正直に話し、エルフと決別したい事、そして、メリダを君のスキルで攻撃する覚悟がある事も示せば良い。」

「もし……狐族を騙す様な事を人間がしたならば?」

「グランセリアの王宮に君のスキルを撃ち込んででも思い知らせるしかないだろうな。」

「っ!?」


 人間達にも……核攻撃を食らわせる……のか?


「元人間の亜人の存在が危険なのはグランセリアの連中も重々承知の上だ。 君がメリダへの攻撃手段を持っている事を虚偽ブラフだと疑うとは思えないが、最悪一撃食らわせねば分からんかもしれん。」

「その攻撃の為に狐族を犠牲にするんです……か?」

「いや。 俺と、真実を知っている俺の仲間達が君の弾になろう。 亜人の尻ぬぐいは亜人が、人間の尻ぬぐいは人間がすべきだと俺は思う。」


 柊さんは迷う事無くそう言い切った。


「そして、君は召喚者を含めた人間全てに真実を話す様に促して、召喚者を元の世界に帰す事を約束させ、二度と我々の世界から人間を召喚しないようにも約束させる。」

「……私達は、元の世界で……死んで、輪廻の輪に戻る……ですか。」

「君は一族と共にこの世界で生きる事を望むというのかね?」


 その質問は、正直狡いと思う。 私は他の人には元の世界に帰って死ねと言っているのに、自分だけこの世界に残るという選択肢は……。


「迷いはあるだろう。 だが、考えて欲しい。 我々の魂の輪廻が元の世界と繋がって居ないという事から、我々は前の世界から切り離されたと仮定出来る。 事故や殺人、戦争などで命を失った人物が突然居なくなるという話を前の世界で聞いた事があるかね?」

「……神隠しとかそういうのなら……。」

「その場合は行方不明扱いとなるだろうな。 数十人の乗ったバスや船が起こした事故から遺体だけが無くなるなど、大事件では無いか。」

「まさか……私達は、存在そのものを……前の世界から切り離されたって事ですか?」

「最初から居ない人間の事など誰も探しはしまい。 辻褄が合わない事は、辻褄が合う様に世界が調整するのだろう。 例えば君の事故の場合、車両登録されても居ないバスの残骸が崖の下で後から見つかった、程度だな。」


 柊さんの話は、荒唐無稽な話では無い。 私達は前の世界で生きていた証さえも奪われて居たのだ。

 死んだ皆も、私も、前の世界で産まれた事にもなっていない……と。

 私の事を、産んだ母親さえも……覚えて居ない、と。


「悔しいではないか。 自分の存在を失い、ただ家畜の様に扱われて殺された事だけが、この世界の歴史の一部に刻まれるだけなのだよ。」


 柊さんの一言に、頭が揺さぶられる様な感覚を覚える私。

 私が殺した同級生は、存在さえも私によって消された。 弄ぶようにして殺した他の挑戦者の存在も、私が食らい尽くしてしまった。


「私は……何て事を……。」

「悔やんでも仕方あるまい。 ならば俺とて悔やみたい過去は沢山ある。 ……前の世界の事も含めて、な。」

「前の……世界、でも?」

「俺が前の世界で患者を安楽死させて居たのは話したな。 だが、俺が今この子にしている事は何だ?」


 と、柊さんは彼の娘を指差して言う。


「矛盾しているだろう? 俺はこの世界で自分の娘が植物状態で産まれると、それでも生きて欲しいと願い、他人の魂を使ってこんな装置を作ってまで延命させて来たのだ。 末期ガンの患者を安楽死させて来た俺が、身内の患者ならば延命させる事を選んだのだよ。」


 私は何も言えず、沢山の管が装置に繋がれた少女を見る。

 柊さんが居なくなればこの装置を維持する人は居なくなり、この子は間違いなく息絶えるだろう。


「そして……俺は更に矛盾を重ねる事になると思う。」

「どういう……意味ですか?」

「片方の腕を失い、片方の目を失い、それでも戦う意思を失わない少女に、この子の存在を託したいと思っているのだよ。」

「私の事ですよね、それ……。」

「俺はこの子の身体を触媒にして、生きた・・・義手を作る事が可能だ。」

「なっ!」


 生きた・・・義手というのがどう作られるのか分からないが、この子の血肉を触媒にして、私の右手に義手を作る……ですって?


「娘さんを……自らの手で、殺すという事ですか?」

「生きているか、死んでいるか、それは魂がある無いで考えればこの子は後者だと言えよう。 だが、生きた証として、この歪んだ世界を正す役に立てるのならば、この子は、夕夏ゆうかは、生きていた、とは言えないかね? 死を作る事で生を産み出す。 とんだ矛盾だがな。」


 難しい話だが言いたい事は分かる。 私の義手となって、この狂った世界を終わらせる為に役に立つ・・・・のならば、夕夏という少女が生きていた、という記憶が、残る。

 柊さんは、それを自己満足だと認識しているのかもしれないが……少なくとも私に断る理由は、無い。


「でも、本当に良いんですか? 自分の家族の肉体を他人の義手に変換する、なんて。」

「既に経験済みだ。 言い忘れて居たが、その子の母親の亡骸で作られたのが、そのマントとブーツだ。 後悔は無いよ。 お陰でようやく君という素質に出会えたのだからな。」


 ……そういう事、だったのか。 私の思い通りに硬化したり、炎を纏ったり、体温を調節したりなど、そんな装備は他に聞いた事が無い。 元、人間の、柊さんの奥さんの生きた証がこのマントとブーツだったのね……。

 私はマントの裾をぎゅっと握りしめ、いつも守ってくれてありがとう、と、一言小声で呟いた。


「君にも頼みがある。 今回は、単に装備を作るだけでは無く、君の肉体と融合させる必要があり、君の身体の一部が500g以上必要になるのだが……。」

「私の……身体?」


 どこを削ぎ落せと言うの? と、一瞬自分の身体を見回す私だが、


「血肉である必要は無い。」


 その柊さんの一言で何を提供すれば良いのか理解する私。


『ねぇ。 お願いがあるのだけれど。』

『え、あ、はい!』


 私は隣の部屋で待機していた狐族の男性を呼び、彼が近くに寄って来るのを見止めると、


『私の髪を切ってくれない? ここら辺から。』


 自分のうなじを指差して言う。


『えっ! ええっ!?』


 そう言えば狐族には髪の長い女性が多いわね。 私も長年伸ばした髪を切るのに戸惑いを感じて居るが、狐族にとってはもう少し重い意味を持つのかもしれないな。


『この人が私の右腕を作ってくれるのよ。 それで、触媒として私の身体の一部が必要なの。 やってくれる?』

『冗談ですよね? こんなに美しい黒髪を……。』


 冗談? 私が失った右腕よりも尊いというのか、この髪は。


『ねえ、私の右腕は黙っていればいつか・・・生えてくるの?』

『で、でも……王女様の髪を切るなんて……。』

『答えになってないわ。』

『わ、わかりました……。』


 私は狐族の男性に背を向け、編み込んだ自分の髪の根本を左手で持ち上げた。


『本当に……この美しい黒髪をお切りになるのですか?』


 それでも尚躊躇する狐族の男性。

 私の髪の長さは、解けば膝の踝までに至る長さだ。 それを狐族の女性に代わる代わる毎日手入れして貰った後に、三つ編みで編み込んである。 狐族の女性はいつも嬉しそうに私の髪を手入れしてくれる。 色素の薄い髪が多い狐族からすれば、ただ単に私の黒髪が物珍しいからなのかと思っていたが、彼の反応からすると、失った右腕と同じかそれ以上の価値を髪に感じているのかもしれないな。


『私にとっては右腕の方が大事なの。 戦う為に、必要なのよ。』

『っ!? で、では……失礼致します……。』


 私の髪におずおずと手を伸ばした彼は、私の腕を少し動かして位置を調整すると、腰から抜いた小刀の刃を髪に向かって振り上げた。

 ぞぶり、と、自分の身体の一部が斬り落とされる感覚と、その名残が左手に残る感覚。

 何故かは分からないが、背筋がぶるりと震え、左の瞳から涙の雫が溢れ、やがて私の頬を濡らす。


「柊さん、お願いします。」

「……大丈夫か?」

「不思議と感傷的になるものですね。 長い間伸ばして居たもので。」


 そう言いながら左手の甲で涙を拭う私。 私から貰い泣きしたのか、髪を切った狐族も震えながら涙を流し、それを両手で拭っていた。

 私が最後に髪を切ったのは5歳の時だったか? それ以降の人生の縮図とも言える私の髪の毛は、左手にそれなりの重さを感じさせる。


「これで足りますか?」


 私の髪の束を柊さんに手渡す私。


「十分、だ。」


 その重さを確かめた柊さんは、その髪の毛の束を少女の寝床の傍らに置き……左右両方の手のひら同士を合わせて目を瞑る。

 私も左手だけだが、自分の顔の前に合わせ、黙祷をする。


「さようなら、夕夏。 今まで良く頑張った、な。」

「夕夏さんの命、大事に使わせて頂きます。」


 魂の無い肉体に、私達が今、命を与えた。

 自己満足だと言われようが、私はそう思うし、柊さんもそう思うのだろう。

 柊さんは嗚咽を堪えながら、夕夏さんの身体に繋がれている管を取り外し始めるのだった。

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