明日乃扉

 誰かが、泣いて居る。

 深い暗闇の中で、一人、泣いて居る。


 どうして泣いているの? と、問いかける。

 分からない、と、その人は答える。

 悲しい事があったの? と、問いかける。

 その人は頷き、たくさん、たくさん、悲しい事があった、と、さめざめと、泣く。

 一番悲しかったのは? と、問いかける。

 友達を、殺してしまった、と、その人は答える。

 自分のせいで、その友達を、殺してしまったのだ、と、その人は答える。

 あれ? 約束、したんじゃないの? と、問いかける。

 やく……そく? と、その人は首を傾げる。

 酷いな。 約束を忘れるなんて。 思い出してごらん、と、問いかける。

 その人は、


『だって、私まだ、死んで、ないから。』


 と、はっきりと、答えた。


 私の意識は、また、消えた。

 消えては覚め、消えては覚め、その度、深い暗闇の中に泣いて居る人を、見る。


 それが何十回、何百回繰り返えされ、だがある時、暗闇が微かに温もりを持ち始めて居る事に気付き、泣いて居る、女の子に、問いかける。

 ねえ、貴女は……私? と、問いかける。

 

 ――瞬間、暗黒は淡い光になって、私を照らし出した。

 

 ◇


「あ……。 う……。」


 乾いたうめき声が、私の口から漏れる。


『目覚めた! 王女様が、目覚めた!』

『重湯を持って来て! あとお湯だ!』


 瞼が、重くて、動かない。 けれど、誰かが回りで喋って居るのだけは聞こえる。


『王女様! これを、ゆっくりと、ゆっくりと、お飲み下さい。』


 ふと、唇に何か……これは木の匙か? を感じ、温かい何かがその匙から私の口にゆっくりと注ぎ込まれる。

 何故か懐かしい味が、した。


 ◇


 ぷるぷる、と、瞼が揺れ、やがて少しだけ視界が広がると、ぼやけた視界の中に何人かの人影が入って来た。

 人……金髪や……銀髪の……いや、その頭に何か……付いて居る。


『み……み……?』

『おお! そうです! 耳です! 見えますか!?』

『おい、そんなに大きな声を出すな。 王女様は意識を取り戻したばかりなんだぞ。』


 王女様? 私、が? というか、私は今、『何語』を喋った? 何故知らない言葉なのに私はこの人たちが話して居る言葉が、分かるの?


『眼鏡……は、どこ?』

『王女様が顔に付けておられた硝子細工ですか? ここにありますよ。』

『自分で……掛けられないから……掛けて、くれる?』

『もちろんです。 おい、王女様の頭を少し上げてくれ。 そっとだぞ。』

『お、おう。 し、失礼します。』


 私の頭がそっと持ち上げられ、眼鏡が私に装着され――――


『ひぃ! 亜人!!??』


 と、叫んで再び私は気を失った。


 ◇


『まだ王女様……混乱してるのかな……。』

『僕らの事、亜人って……。』


 再び意識を取り戻した時、私の周りで喋って居るのが聞こえて来た。

 亜人……じゃないのか、この人達は。


『ねぇ……貴方達って……何者?』


 眼鏡は私が意識を失った時に再び外されたのであろう。 ぼやけた人影に、問う私。


『僕達、ですか? 獣人です。 狐族の。』

『狐、族……。』

『そうです! 貴女が、私達の、王女様なのです!』


 ああ、夢か。 そういう設定の夢でも見てるんだろう、な。


『王女様。 まだ重湯しか召し上がれそうにありませんが、何か口にしませんと、元気になれませんよ。』


 言って、私の口に再び木の匙が差し出され、口の中に重湯がゆっくりと流し込まれる。

 こくり、と、喉を鳴らす私。 いや、これは……夢じゃ、無い?

 私は痛む身体を無理矢理動かし、身体を起こそうとして、だが、バランスを崩して再び寝床に倒れる。


『まだ動いてはいけません!』

『僕達が守りますから! 王女様は身体を大事になさって下さい!』


 まも……る……? 私、を?

 ……思い、出した。 私は、狐の……王女クィーン……。


『そうだ……パーシャは? 私の近くに、悪魔の翼を持った女の子が倒れて無かった?』

『お連れ様でしたら、隣の家におりますよ。』

『良かった……生きて……たんだ。』


 つう、と、涙が頬を伝う。

 私が誰かに守られて、大事にされて、しかも親友が生きている、なんて……。

 心に温かい物を久々に感じた私は、その安堵と共に再び眠りに付いたのだった。


 ◇


 意識を取り戻してから七日後、私は一族の女性の肩を借りて立てるまで回復していた。

 回復したとは言え、無くした右目と右腕はそのままだ。 包帯替わりに木綿の様な素材の赤い布で巻かれているが、右腕の感覚も、右目の感覚も、無い。

 私が助けられ、匿われたのはAJ122地区、つまり私が倒れて居た場所から約200km程北西に離れた狐族の集落だった。

 一族の特殊能力者の一人、王族を探知出来る者が、私の存在を私がエルグムンド大陸に転送してすぐに探知した。 彼等は慌てて捜索隊を出したのだが、残念ながら私の元に辿り着いた時には私とパーシャが瀕死状態になってから一日後の事だったらしい。 ただ、一日経った事で黒薔薇の庭の効果が切れて居たのは天命だったのかもしれない。 もし知らずに足を踏み入れて居たら捜索隊が全滅という事態になっていただろう。

 ちなみに、私とパーシャは……皮肉な事に現在は彼等から同族とその仲間として認識されており、狐族の手厚い看護で、一命を取り留めた。 その手厚い看護というのが、傷を舌で舐める事らしいが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。

 救命行為だというのは分かるし、片道五日という長い道中を代わる代わる私とパーシャを背負って移動してくれ、休憩時には必死にその治療をしてくれたのには感謝をしてもして切れない。

 更に私だけでは無く、種族の垣根を越え、パーシャの事も癒してくれた。

 彼等がパーシャが私の仲間だと判断したのは、パーシャが地面に倒れていた私に覆いかぶさるように倒れて居たかららしい。 あの瀕死の状態でありながら、私のところまで這って来てくれたのだろう……。

 それを聞いた時、私の胸に熱い物が込み上げて来て、つい一族の前で子供の様に泣きじゃくってしまった。

 一族の女性は私の背中を優しく撫でてくれ、『動けるようになったら会いに行きましょう。』と、私に言ってくれ、更に涙を流したのを覚えて居る。

 そして今日が待ちに待った再会の日であったが……。


『王女さま、こちらになります。』


 狐族の一人に案内して貰ったのは、茅葺屋根の一軒家で、大量の藁が板張りの寝床に敷いてあり……。

 一族の女性二人がその藁の寝床を左右に挟む様に座っていて、寝床の中央に……彼女が居た。

 もし、パーシャが完全に回復していたとしたら、きっと向日葵の様な笑顔と共に私に会いに来てくれただろう。 それが無かったという事である程度は察していた私だったが……。


『二月程、目を覚まさない状態です……。』


 ふっくらとしていたかつての彼女の頬は今は痩せこけ、頬骨が見える程になっていた。

 艶のあった悪魔の翼も乾いてしまっており、乾燥からか所々翼に穴も開いて居る。


「パーシャ……。」


 彼女の頬を優しく撫でる私だったが、温もりはあるものの、やはり目は覚まさない。


『飲まず、食わず、二カ月もこのままだったの?』

『水に多少の砂糖と塩を混ぜまして、少しづつ飲ませておりました……が……。』

『私達の一族に治療師は居ないの?』

『おりません……。』


 相当傷が深かったのだろう。 血反吐を吐くまで大樹に叩き付けられた後に、長剣で腹から背中までもを貫かれたのだ。 私はパーシャに掛けられて居た掛布団を捲ると、白いお腹の真ん中に赤い傷跡があるのを見る。


『創傷は背中まで貫通していて、血が止まるまで三日程掛かりました……。』

『そう……でも、ありがとう。 彼女が生きて居てくれるだけで、私は……。』

『僕達が至らないせいで、お二人をこんな目に合わせてしまうなんて……誠に申し訳ありません!』

『貴方達のせいじゃないわ。 むしろ、助けてくれて、有難う。』

『王女さま……。』


 あまりにも無条件で私を奉る一族に、多少の申し訳無さを覚える私だったが、一つ・・だけ大事な事を聞いておかねばならない、と、身を引き締める。


『私達の周りに、人間と亜人の死体は無かった?』

『え……。 いえ。 王女さまとお連れ様だけ……でしたが。』

『そう……。』


 結局暗黒乃庭ダークネスガーデンでもあの二人を倒せなかったのか……と、ため息を漏らす私だが、どうせ亜人達に痛い目を見せられるのであろう二ノ宮と陽菜には、是非とてつもない絶望を勝手に味わって欲しいものである。

 もし生きているのならば、それはそれで……。

 今度こそ私が本気で焼き殺してやるだけ、だ。


 ◇


 季節は秋。 実りの秋。 優しい風が一面の黄金の稲穂を揺らす。


『今年は大豊作ですよ、王女様。』


 その王女という呼び方は何とかならないのかと皆に聞いたが、とんでもないの一言でいつも片付けられるので諦めた。

 私の一族である狐族の説明をしよう。 まず、男性の平均身長は145cmで、女性の平均身長は135cm。 人間に比べれば小柄であるが、筋力は人間と同等かそれ以上。

 金髪や銀髪など、色素の薄い髪の人が主だが、中には栗色の髪の人も居る。

 遥か千年前、彼等狐族は肉食であったのだが、農耕が発達して以来は米が主食の雑食となり、米を漁りに来るネズミや小動物をおかずに米を食べるという文化に変わった。 果実はレモンなどの柑橘系が毒になる場合があるらしいので食べないが、野菜は栽培したものを食べる。 他には昆虫を食べるという文化もある。

 家畜を飼うという文化が無いので、動物性たんぱく質はそういった小動物や昆虫、または魚で補うそうだ。


『今年のエウパ持ちは?』

『613人産まれて、55人です。』


 狐族は、初夏に繁殖行為を初めて、秋に出産する。 妊娠してから約三か月での出産となるが、その出産の時点で、エルフ達が求めるエウパの想定値が測定器によって測定される。

 想定値とは、将来クリスタルを使ってスキルを使えるかどうかの可能性を測るものであり、想定値以下の獣人はエルフが運用する亜人族としての兵士には満たないと規定され、クリスタルを使った交易等、亜人族としての所謂市民権の様な物が与えられず、しかも、8歳以上になった場合、半数がエウパの回収の為にエルフのエウパ生産所・・・に送られるそうだ。

 つまり、狐族はこの世界の人間と同様、家畜並の扱いを受けて居るのである。

 ちなみに今年生まれた子の場合279人は……ただの餌としてエルフに献上させられるという事だ。


『マルサーラに移住したばかりの頃はエウパ持ちも多かったのですが……年々減り続け、今年はこれでも多い方に御座います。』


 何故エウパ持ちが少なくなっていったのか理由は分からないが、逆に今年多少なりとも増えたのには私の影響があるのかもしれないと、言う狐族の女性。

 現在集落の18000人のうち、クリスタルを使える程のエウパを持つ狐族は150人にも満たない。 そして、その150人は全て、女性である。 少しでもエウパ持ちを増やそうという一族の苦肉の策で、この女性達は年に二度も子供を産まされる。 少しでもエウパの規定値が多い男性との……半ば強制的な繁殖であった。

 そうやって子供を産まされた女性の平均寿命は、24年。 通常の狐族の平均寿命は32年なので、身体を酷使した代償は……小さくは無い。

 女の子が8歳で成人すると、まずは最初の子を産まされ、その子が乳離れする頃には次の子がお腹の中に居る、状態。 同じ女としてそれはあまりにも残酷では無いかと思うが、産む女性の方は、農業などの力仕事の義務が無く、逆に『特別な存在』として村の端に隔離されて暮らしているので、寧ろエウパ持ちとして選ばれた事に歓喜するのだそうだ。

 その候補としてエウパ持ちの女児も、産まれた時からその村の端で隔離されており……。

 彼女達は自分の子供達が、エルフに献上させられている事を、一生知る事は無い。

 知らない方が幸せなのでは無いか、と、私も思う。

 自分が16歳の時にまだ子供を産み続けて居る時に、戦地へと向かう成人した自分の子供の安否を憂うのも辛いだろうが、餌としてエルフ達に殺されていると知るよりはマシ、だ。

 ちなみにエウパ持ちのほぼ半分がこの女性達によって生み出されるので、この策があながち間違っているという訳でも無いというのが皮肉である。


『……貴方達は一族の献上を続けるつもりは、無いのよね?』

『……はい。 エルフとは縁を切り、私達だけで静かに暮らしたいというのが本音です……。』


 そう。 一族はエルフの隷属からの解放を悲願として、日々生きて来た。

 なので、敢えてエウパを全く使わない生活を考え、米や豆、野菜などは自給自足、塩や砂糖などその他の調味料は物々交換で手に入れるという現在の生活に進化・・した、という訳だ。

 だが、事は簡単では無い。 生きて行ける生活形態を手に入れたとしても、外的圧力は両側・・からやってくる。

 亜人連合と、人間の外的圧力である。 もしエルフからの隷属状態から解放されたとしても、人間側から攻撃されないという可能性は無い。 いや、無いどころか、この世界の人間達なら一族を全員殺してエウパにするくらいはするだろう。 そういう意味ではエルフへの隷属の方がまだマシかもしれない。

 尤も、メルサーラに移住して来たのが10万人で、その狐族は色々な場所に集落を作った。 が、最終的にはそれぞれの集落が人口不足で維持出来なくなり、土壌と気候が良く、水も豊富なこの地に、現在の数まで人口を減らしながら移り住んで来たという事から、一族が滅亡の一途を辿って居るのは確かであった。


『亜人連合にも、人間にも、私達が勝てる見込みは何一つも無かったんです……。』


 それは……そうだろう。 大量のエウパで強化された兵士が、茅葺屋根の木造の建物が立ち並んでいるこの集落を燃やすのに、一晩も要らないだろうから。

 彼等が王女、もしくは王を切望していたのは、その圧倒的な暴力に立ち向かう為だったのは言うまでもない。


『救われたこの命。 恩は必ず返すわ。』

『……王女……様……。』


 私の言葉で涙ぐむ狐族の女性。

 狂ったこの世界で私が何かを成せるのなら、私は何だってしてやるわ。

 と、硬い決意を抱いた私だった。


 ◇


『あの……王女様の腕と、パーシャ様を何とか出来る方法を、あの人なら知っているかもしれません。』


 稲の刈り取りが終わり、その稲を乾燥させていざ脱穀という時期のとある夕餉の時に一人の狐族の少年がそんな事を言い出した。

 炊いた玄米に塩漬けの大根菜を乗せ、それを木の匙で掬って口に入れ、咀嚼していた私は、茸の塩汁でを一啜りして飲み込むと、その少年に訊ねる。


『……あの人って……?』

『……南に40km程離れた場所に一人の獣人が暮らしております。』

『一人……?』

『はい。 その人に毎年玄米を売って農具を作って貰ったりしているのですが、その獣人はクリスタルを使って農具を作っておりました。』

『なんですって!?』


 クリスタルを使うという事は、その人がエウパを使ったという事で……。

 エルフ……か? いや、そんな訳は無い。 獣人と言ったんだ。 エルフな訳が無い。

 ちなみにエルフとは、私がAJ122地区で戦った肌が緑で瞳が灰色の亜人だ。

 ドワーフでも、無い。 紫色の肌の毛むくじゃらの亜人が、ドワーフだ。


『その獣人の容姿は?』

『多分ですが、あの耳の形状からすると狼族だと思われます。』

『……一族とは一緒に居ないで、一人、だけで住んでるの?』

『はい……ええと……狼族はメリダで絶滅した筈の種族なのですが……察するに最後の生き残りなの一人なのかと。』

『……準備が出来次第、その人の家に行くわ。』


 私は玄米が入った木のお椀に茸の塩汁を掛けると、一気に口にかきこんで咀嚼するのだった。


 ◇


 私に同行する事になったのは、200kgの玄米をそれぞれ乗せた二台の荷車を交代で引く4人の男性狐族と、30リットル程の濁り酒が入ったかめを4個積んだ荷車を引く女性狐族2人、それから護衛兼、食料の運搬係として男性が6人、食事係として女性が更に2人付く事になった。

 そして一族の皆に見送られながら、早朝に出発する私達だった。


『お酒も造るのね?』

『僕たちはあまり飲みませんが、交易品として結構高く買って貰えるんですよ。』

『通貨が無いのよね。』

『はい、塩が僕たち獣人の通貨みたいな感じになってます。』

『塩はどこから手に入れてるの?』

『西の兎族からです。 海から塩を作ってるんですよ。』

『海藻とか魚とかもその兎族から?』

『そうですね。 ただ……。』

『……?』

『兎族も、僕たちと同じ状態なんです。 もう人口が一万人を切ったっていう噂を聞きました。』

『そう……。』


 道中、色々な話をする私と狐族。 主に私から狐族に質問する形だが。

 ちなみに狐族は私の過去の話を一切聞いて来ない。 私が言うのを待っているのか、それとも何か事情があって話せないのを察して居るのか……。


『それにしても、皆、名前が無いのは不便じゃない?』

『名前を付けてしまうと愛着が沸いてしまいますからね。 エルフに捧げる狐族は無作為に選びますので、その時……自分の子供の名前を呼ばれる辛さから、僕たちは名前を名乗るのをやめたんです。』


 悲しい話である。 自分達の尊厳よりも、心の安寧を選ばざるを得なかったのだ。


『女王様、そろそろ峠を越えます。 一旦休憩されてはいかがですか?』

『そうね。 それじゃ皆、一旦休みましょう。』


 私がそう言うと、荷車の車輪を石で止めて各々枯れ木を集めて来る狐族の人達。

 しかし、前日に雨が降ったのだろう、湿気った木しか集められなかった彼等は落胆した表情で、寝床として使う予定の藁の束を荷車から降ろそうとして、それを私が止める。

 集落に来てから王女として至れり尽くせりだった事に引け目を感じて居た事もあるが、私にしか出来ない事があるのにそれをしないのは何か違う。


「我が信愛なる紅蓮の炎よ、この手にその身を具現させ給え。」


 私が日本語で詠唱を始めると、皆が目を丸くして私を見て、


「ララヒート、ナヒートヴォル、レ、ブレテニヒテ、グレーゼ。 炎の剣フレイムブレード。」


 やがて左手に炎の剣に召喚されると、『おお!!』と、感嘆の声を上げる。

 携帯用の土鍋に水を入れる様に指示した私は、その土鍋に炎を近づけ、左右を支えている木の土台に引火しない様に気を付けながら熱して行く。

 炎の剣の温度は凄く高いので、一瞬で土鍋に入った湯が沸くと、更に感嘆の声を上げる狐族。


『王女様……それは高位の魔法なのですか?』

『いえ。 これは……初期の魔法よ。』


 LV1と言っても分からないだろうから、初期と置き換えたが、私の返答に一瞬閉口して驚く皆。 だが、やがてその表情が歓喜に変わる。

 私が彼等に魔法を見せたのは今回が初めてで、私が女王として本当に戦えるのだと確信を持ったのかもしれない。

 食事係の女性が海藻を鍋に入れて一煮立ちさせると、五分づきに精米した米を入れて少し炊き、それからキノコや大根、人参等を入れて更に少し炊いて、雑炊の完成である。

 狐族はこの雑炊にイナゴを干して粉々に砕いた粉末を掛けて食べる。 最初は抵抗があったが、私も同じようにして食べてみると、意外と美味しい物であり、私もイナゴの粉末を沢山掛けて食べる様になった。

 それから干した小動物の肉なども汁や雑炊に入れたりして食べるが、それも今は抵抗無く食べるようになった。 そもそも私の肉体構造自体、狐族そのものなのだ。 彼等が食べれる物が私に食べられない筈が無いのも道理ではある。

 私は炎の剣をプロミネンスマントに掛けると、熱々の雑炊を木の匙でかき混ぜて一掬いして、自分の息でふーふーと冷ましながら口に入れる。

 素朴ではあるが、自然の味が口の中に広がり、素直に美味しいと感じる私だった。

 

 ◇


 小休憩を済ませ、峠を下る私達。 下り坂なので荷車の車輪が良く回り、上った時の半分の時間で峠を降りると、あとは膝丈くらいの草が生えた平野が続き、そこを約二時間進んだ。

 日が落ちそうになったその日の夕方、小高い丘に建っている小屋を狐族の一人が指差し、それが目的地だと知ると、不安と期待を混ぜ、足を少し早める私だった。


 ◇


 木造の小屋は石造りの平屋で、屋根は板張りだった。 建築技術の水準は狐族よりも高いようだ。

 狐族の女性が木製のドアに付けられた金属製のノッカーをカンカン! と、二度鳴らす。

 程なくしてその扉を少し開けてその隙間から現れたのは、髪の毛が真っ白の、そして耳も真っ白の……人間で言えば40歳から50歳くらいで、背丈は170cm前後で中肉中背の凛とした顔の獣人。

 狐族とその獣人が何か会話をしているが、その言葉は私の分かる言語では無いようで何を言って居るのか分からない、が、獣人は狐族を家に入る様に促したようで、扉を大きく開け放つ。


『今年も同じ条件で良いそうです。 ……女王さまの事は……お話してもよろしいですか?』

『……構わない、わ。』


 一瞬戸惑う私だったが、私にとって本題はそれなのだ。 義手を作ってくれるのか、あわよくば腕を蘇生させてくれるのかは分からないが、今はこの獣人に頼るしかない。

 玄関で狐族の女性が何かを話すと、獣人がこちらを見た。 私は頭に深く被って居たフードを取り、姿を見せる。


「っ!?」


 狼族の獣人は一瞬驚いて一歩後ずさり、だが、私の顔から下をゆっくり見ると、また驚きの表情を見せて、


「****、*******?」


 私に何か話しかけて来た。

 何を言って居るのか分からないので、女性の狐族に目で助けを求める私。


『そのマントとブーツはどこで手に入れた? って聞いてます。』


 ……正直に言うべきだろうか。 いや、言わねばなるまいな。


『迷宮の商店で買いました、って伝えてくれる?』

『迷宮? 商店?』

『大丈夫。 そのまま伝えて。』


 狐族の女性が私の言葉を伝え――――


「Are you human?」(お前は人間か?)


 いきなり地球の言葉である英語で話しかけて来た獣人。


「っ!? ……イエス。 アイムヒューマン。」

「なっ……まさか……君は……日本人か?」

「え!? あ、……はい。」


 私の英語が日本語訛りなのに感付いたのか、今度は流暢な日本語で話しかけて来た獣人。 は、驚きを通り越して、信じられないと言わんばかりに顎を細かく震わせる。


「ちょっと君だけ中に入って貰えるか。」


 やがて神妙な面持ちでそう私に言った獣人に対して頷くと、狐族の皆には外で待っているように指示を出す私。

 部屋の中に入った私は周りを見渡す、と、沢山の鉄製の農具が籠の中に置かれているのがランプに照らされて見え、換気用なのだろうか、の、少し大きめの窓からは夕日が差して鍛冶用の炉の様な物が照らされて居た。

 獣人は私にまずは椅子に座る様に促すと、その私の正面に座り……何か考える様な仕草をした後、懐からタバコ……なのだろうか? 細い茶色い筒に火を点け、紫煙を吸うと、私に掛からない様に首を横に逸らして煙を吐く。


「参ったな‥‥‥。 こんな事があるなんて……、な。」

「……?」


 獣人、いや……この人はもしかして私と同じ、元人間の亜人……なのか? は、涙を少し浮かべながらため息を漏らし、更に一服紫煙をくぐらせる。


「君みたいな子供もこの召喚されているのは知っていたが……同じ日本人の、女の子がこんな・・・姿で、そんな・・・目で、目の前に居るのが信じられないんだよ。」


 そんな目、と、言われ、私は布を巻いた目を慌てて左手で隠す私。


「いや違う。 そういう意味じゃない。 君は……死ぬ覚悟が出来てるんだろう? もしくは一度死線を超えて来た、か。」

「戦う覚悟なら、出来てます。 もう……ずっと前から。」

「だろうな。 それ・・は一人や二人を殺した目じゃない。」

「…………。」

「まずは自己紹介をさせて欲しい。 私の名前はひいらぎ誠一せいいち。 元の世界の36年とこの世界の13年を足せば今年で49になる。」

「13年前に召喚されたんです、か。」

「ああ、そうだ。 元の世界では医者をしていた。」

「お医者さんだったんですか!?」

「だがね。 これ・・の意味は分かるだろう?」


 言って自身の狼の耳を指差す柊さん。


「誰かを……あやめたんですか。」

「何人も、ね。 私は患者の安楽死の手伝いをしていたんだ。」

「…………。」

「そして、ある時患者の遺族に逆恨みされてね。 路上でめった刺しにされて……この世界に召喚させられた。」

「そう……ですか。」

「君の名前を聞いても良いかな?」

織部おりべ加奈かな。 14歳です。」

「中学生か……。 この世界に来てからどのくらいになるんだ?」

「詳しくは覚えてません。 三か月くらいだとは思います……。」

「迷宮を三か月で攻略したのか!?」

「いえ……攻略したのは二ヵ月とちょっと前です。 迷宮に居たのは10日……くらいかと。」

「驚いた……な。 亜人として討伐される前に攻略して……前線基地から逃亡して自分の一族に合流した……のか。」

「い、いえ……。」

「違う、のか。 長くなっても構わない。 君の生い立ちから全て聞かせて貰えるか?」

「わかり……ました。」


 私は海辺の町で生まれ育った事、父と祖父を無くした事、住むはずだった家を無くした事、小学生の時に……母と付き合って居た男性を包丁で刺した事なども、伝えた。


「……君が刺した男の人は、生きていたのか?」

「……え? はい。 生きていた筈です。 退院した後に……一度会いに来てますので。」

「…………。」


 考え込む様な仕草を見せる柊さん。


「君にとっては酷な話かもしれないが、その人は生きては居ないよ。」

「なんで……ですか。」

「君が命を奪って居ないなら、その・・資質は現れない。」


 彼は私の狐の耳を指して言い切った。


「君はその人に最後何て言ったんだ?」

「え? ……確か……もう二度と……顔を見せないで、と。」

「なるほど……。 その言葉で止めを刺したんだな、君は。」

「え……。」

「お母さんはその時から人が変わった様になったと言っていたな。 物を大事にしなさいと、病的な様に君に躾けて居た。 お母さんは知っていたのだろうね、その人が既に自害していた事を。」

「そん……な……。」

「情事を連れ子に見られ、暴力を振るっては逆にその子に刺されて病院送り。 詫びに行ったならば二度と顔を見せるなと言われた、か。 衝動的に自殺するには十分過ぎる理由だな。 社会的にも多分死んでいたんじゃないかな、その人は。」

「…………。」

「事件にはならなくても、刺し傷での入院だ。 警察の聴取は受けて居るだろうし、入院している間にその人が働いている会社にも事情は伝わっていただろう。」


 なるほど……そういう……事だったの、か。 実際に、私は、前の世界で人を……殺して居たの……か。


「すまん。 気を悪くしたか。 不可解な事は解明しないとすっきりしない性分なものでね。」

「いえ……大丈夫です。 今は前の世界の事なんてどうでも良い、ので。」


 本当は真実を知った事で少し心が痛んだ。 だが、この世界でして来た事に比べれば……。 と、自分の思いを上書きした私は、この世界に転移してからの経緯を柊さんに伝えるのだった。


 ◇


「それで……腕と目を失って……瀕死のところを狐族に助けられた……か。」

「……はい。 亜人に洗脳されたあいつは……。」


 二ノ宮が裏切った、とは、私の口からはまだ・・言えなかった。 私の目をこんなにした陽菜の事も、悔しくて、悔しくて、堪らない。


「……まずは食事にしよう。 その食事の合間にでも、話の続きをしよう。 ……多分、君に真実を語る事になるだろうが。」

「真実……?」

「君が知らない事、誤解をしている事を話す事になる。」


 私は首を傾げるが、柊さんは至って真剣な眼差しでこちらを見ていた。

 ……いや、何を迷って居るのだ私は。

 柊さんが何を伝えようとしているのかは分からないが、私が知る必要があるから話す、それだけの事だろう。


「わかりました。 皆には食事を取って休む様に伝えて来ます。」

「ああ。 そうしてくれ。 君の分は私の方でも用意出来るがどうする?」

「……良いんですか?」


 エウパを使って豪華な料理でも出してくれるのだろうか? と、変な期待をする私だったが、


「あと、一人信用出来る狐族も同席させてくれ。 ああ。 エウパは一切使って居ないから大丈夫だ。」


 と、意味深な事を言う柊さんだった。

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