前線跳躍
織部加奈とパーシャはLV上げをする為に専用端末が設置されている部屋へと向かい、リーザは未だに抜けぬ疲れからベッドに身を横たえていた時の事、三島陽菜は宿舎の部屋でユズキに二ノ宮孝太と小野寺里香の事を尋ねていた。
ユズキはすぐに部屋の入口の横の壁に備え付けられて居る電話の様な装置を用いてこの前線基地の
白いメタルフレームの素材で作られているその端末だが、声の受信機は壁の本体から伸びる白い線により繋がれており、形状は大きめの聴診器の様な形で、マイクである送信機の方は壁に備え付けられた端末に小さいラッパが逆になった様な形状の部品が取り付けられていた。
モダンとレトロが混じった不思議なデザインねという感想を抱きながら、陽菜はユズキが何度か頷きながら電話で会話をする後ろ姿を見守りつつ、再度部屋の中を見渡してみる。
かつて自分たちが生活していた迷宮区画の宿屋の部屋や食堂では壁や床は石作りで、他の調度品は中世のヨーロッパに見られる様なデザインの木製の物であったが、ここ前線基地では椅子やテーブルはおろか、ベッドのフレームでさえ無機質な白い金属素材で作られていた。
素材の質で言えば元居た世界のスマートフォンの裏側に使われていた金属に近いだろうか。
これがこの世界の標準規格だとすれば、迷宮にあった石畳や木製の調度品などは、態々私たちの世界における迷宮としての世界観に合わせて用意していたと考えられ、何故そんな必要があったのだろうかと唇に指を当てて思考にふける陽菜。
そうして物思いに耽っているうちに、伝達者との会話が終了したのだろう、受話器を電話であろう端末の上に置くユズキ。 そしてくるりと振り返ると、神妙な面持ちで一口大きく息を吸った後、
『……これは良い知らせかどうか分かりませんが、ニノミヤとオノデラという人物は、皆さんより一日早く迷宮を攻略していた模様です。』
ため息にも似た吐息と同時に念話を伝えるユズキ。
その情報に唇を震わせて反応する陽菜。
「え……じゃあ、孝太は迷宮を突破して、何処かで生きてるって事!? でも……どこで……。」
ユズキは孝太達が『生きている』とは一言も言っていない。 言ってはいないが、陽菜は単純に彼が死んでいるとは信じたく無いのだ。 それが彼女をその様な考えに結び付けていた。
だが、対してユズキは、実を言えば攻略者の名簿に孝太達の名前が無い方に期待をしていた。 名前が無いのであれば彼等はまだ迷宮内に居る可能性が高く、前線基地が復興した後に彼等を説得して迷宮を攻略させ、加奈や陽菜と合流させる事も可能だったからだ。
しかし、そうでは無いと決まった現在、陽菜と同じ様に何処かで彼等が生きている可能性に掛けるしか無くなった。
『そして、その攻略の時間は亜人が前線基地を攻撃をしていた思われる時刻の半日前です。 情報が交錯しているので完全に時間は把握で出来ませんが。』
「え!? じゃあ迷宮を攻略した後に戦闘に巻き込まれたのですか……?」
『その可能性は否定出来ませんが…‥二人が共に願いを叶えはしなかったというのが最後の記録で、逆に言えば、リンクが途絶した後の前線基地の死亡者のリストに、彼等の名前が載っていなければ、この大陸の何処かに逃げ延びている可能性が高いと思われます。』
「でもあんな荒野でどこに行くあてもなく歩くなんて自殺行為じゃ……。」
『カナと同じくらい強いのでしょう? そのニノミヤコータという人物は。 しかも連れているのは
ユズキは念話で陽菜にそう言うが、内心は複雑だった。 ただ事実を述べているだけではあるのだが、嘘を半分交えているからだ。
彼女の予想では、十中八九陽菜の探している人物は生きては居ないと結果が出ていた。
だが、陽菜にとって彼が生きて居なくては困ると言うのならば、今も生きている事にする方が良いだろう。 好都合なのは、その探している人物の痕跡が本当に途絶えている事で、その予想を敢えて語る必要が無いという事だ。
『他の前線基地にも連絡を取り、例え亜人に見えても一方的に先制攻撃をしないように伝えておきます。 特徴は確か……深緑のタヌキの資質でしたか。 あと、その彼と同行しているあろう人間の少女が目印という事で。』
ユズキはそう淡々と陽菜に告げると、再び受話器を手に取り
『これでもし生きていて他の前線基地に到着したならば、発見後にいきなり殺されるという事は無い筈です。』
そう言った彼女の言葉に、少し旨を撫で下ろす陽菜。
それを見て安堵の表情を見せるユズキ。 ユズキの場合の安堵は、陽菜を説得出来た事で、多分陽菜がカナやパーシャにその事を伝えてくれるであろうという予測から来たものだった。
「孝太……お願い。 生きていて……。」
そんなユズキの思惑など無視するかのように、手を組んで無心に祈る陽菜だった。
◇
『LVアップなんて何日ぶりかしら……。』
『パーシャ、自分が何人殺したか覚えてないです。』
私たちが向かったLVを上がる為の専用の端末は、迷宮内の神殿とは違って3平方メール程の内側から鍵が掛けられる個室の中にあり、迷宮の中で複数の人間が同時に利用する様には想定されておらず、個人で使う様に設計されているのだろうと見受けられる。
無機質な白色の壁に包まれた部屋の中には、壁の色と同じく白色で金属の様な素材の無機質な端末が置かれて居た。 また端末には画面は一つしか無く、クリスタルの差し込み口も一つしか無い。
大の大人が二人入れば狭く感じるかもしれない空間だが、私やパーシャの様な小柄な少女ならば二人入っても特に窮屈には感じられず、逆に閉鎖された空間が私たちに安心感を与えてくれたのは皮肉である。
私はパーシャにお先にどうぞと促されるままにクリスタルを差し入れると、お馴染みのカタカナ表記でレベルアップシマスカという文字が端末の画面に浮かんだ。
迷宮の中の端末と違うのは、LVを上げる回数の上限が表示される事と、それを行った際の差し引きのエウパの残量が表示される事だ。
私の場合はLV22を上げる分のエウパがあるらしいが……。
『いくつまで上げたら良いのかしらね……。』
『LVが上がれば上がる程次のLVに上げる為に必要なエウパが増えるですよね。』
『そうね……7レベル分くらい残して上げれば丁度良いかしら。』
『パーシャはもう少しエウパを残しておいた方がいいと思うです。 このままでもカナは十分強いですし、エウパは何にでも使える万能材料なのですから。』
『確かに、そうね。 ならLVを10だけ上げて様子を見てみるわ。』
言うなり、22というカウンターを10に減らして『ケッテイ』を押す。 と、エウパの残量が8400万から7200万となり、私の総合LVは19となった。
一気にパラメーターの更新状況と追加のスキルの表示が画面上に表示される。
キンリョク 32(+10)
タイリョク 27(+7)
シンリキ 1(-2)
チリョク 26(+10)
ビンショウ 3X(+10)
ウン 1
「す、すご……。」
身体の底から力が湧き上がる様な感覚を覚える私。 そしてその理由であるパラメーターの増加が視認出来てつい日本語で驚きの声を上げてしまう。 敏捷の値など、既に端末に表示出来ないのか文字化けを起こしているようだ。
そして目に飛び込んで来る魔法の使用回数の増加の情報。
魔法使用回数 LV1―9 LV2―8 LV3-5 LV4―4 LV5―3 LVX―12
「レ、レベルX? LVXって……10の事……?」
『どうしたですか、カナ。』
『この最後の魔法のLVが、『X』になってるの。 そして、使用回数が12回――――って、あ!!』
そのLVXの下に信じられない事が書いてあった。
LVXの魔法の使用回数は休んでも永遠に回復しないと。
……ならば、その使用回数の回復しない魔法とは一体何なのか……。
続いてスキル所得の情報。 それを画面をスクロールさせながら読む私。
LV5魔法
「こ、これは何という……。」
魔法を詠唱後、魔法の効果時間内に敵に拳を当てられたなら、その接触した場所から一直線に炎のレーザーの様な物が出るという事だろう。
だが、ここでポイントなのは対象が生物である必要は無いという事だ。 岩に拳を当てたならば、その岩を炎の渦が貫通し、後方にある全てを焼き尽くす。
単純な遠距離攻撃方法では無いが、私の使える魔法の中では射程距離も含めれば最強の魔法の一つとなる事だろう。
そして、次。 LVX魔法だが……。
LVX魔法
「…………。」
「…………。」
私もパーシャも、閉口して冷や汗を流しながら互いを見詰める。
こんな……無茶苦茶な魔法があって良いものか。
使用回数が回復しないというデメリットはあるかもしれないが、これは個人で使用を許されて良い様な魔法ではそもそも無いのではないか。
私単体でもかなりの数を相手に戦えると自負していたが、この切り札である魔法は……戦術兵器ではなく戦略兵器のそれにあたるかもしれない。
しかもこの仲間というカテゴリーだが、弾丸となる対象が同意すれば自動的に仲間だと見做される事となり、私から距離的に一番近い知的生命体から順番に是非が問われる。
贄になる事を否定すれば勿論何も起こらないだろうが、もし瀕死の人間が生きる事を諦め、『この攻撃で相手に多大な被害を与える事が出来るのならば、自分は今死んでも構わない』と認めたならば、次の瞬間その人間は炎の弾丸に分解され、生物的に死を迎える。
代償と共に散る命は一つに対して1000個の炎の弾を産み出し、空を薙ぐか、地上を焼き尽くす大量破壊兵器と化す……。
ただ、発動に当たって私の側に問題が無い訳ではない。
半径100m以内に、魔法の条件に同意して命を捧げる仲間が存在しない場合、自分自身を炎の弾に分解しなければならないらしい。
正真正銘、自分の命も賭けた広範囲殲滅。
それが私の究極魔法だった。
『……カナ、パーシャもLVを上げるですよ。』
『え、ええ。 じゃあ前に来て。』
私が出す不穏な空気を感じてか、究極魔法の事には触れず私と立ち位置を入れ替ようとパーシャ。
狭い空間で艶やかな翼が巧みに動かされ、するりと私の前に翼を刺し入れて次に自分の身体を押し入れる。 軽く優しく後ろに押される様な感覚と共に私は二歩ほど後退ると、悪魔の翼の付け根の隙間から背中越しにパーシャの操作する端末を見る私。
『カナと同じLVにするです。』
私が何も言わずとも、7400万あったエウパのうち2200万を使ってLVを7から19へと変化させるパーシャ。
キンリョク 20 (+8)
タイリョク 28 (+10)
シンリキ 20 (0)
チリョク 30 (+10)
ビンショウ 27 (+12)
ウン 1
パラメーターの伸び率は私よりも悪かったが、それでもしっかり彼女のパラメーターも人間の限界値を振り切っていた。 加えてパーシャには
これらの数値だけでは私達が亜人に対してどこまで戦えるのかは確かな指標にはならないが、彼女が今までLV7のまま戦って来た過去と比較すれば、今端末で見ている数値は消して悪い物では無いと口の端に笑みを浮かべてしまう私。
そして、彼女が新しく覚えたスキルは二つ。
レベル8
レベル9
摘んだ黒薔薇を投擲する事も可能だが、地雷に反応する可能性の無い庭の主もしくは
「…………。」
まあ、正直言ってパーシャのレベル9のスキルはエグかった。 私とパーシャしか黒薔薇に触れないとあるが、逆に言えば結局私達以外に半径50mに存在する全てを爆破するというスキルだ。
複数の人間が参加するであろう戦争には、まあ全く使用価値を見出せない。
『パーシャの最後のスキルもカナに負けず劣らず結構酷いですね。』
自分でそれを言うかと突っ込みたくなる私だが、多分私を慰める意味もあったのだろう。
軽くパーシャの髪を撫でた後、端末のある部屋を後にする私たちだった。
◇
結局、私とパーシャは三島さんにもユズキにもレベルアップによって所得した魔法とスキルの報告はしなかった。 ユズキは上層部に報告する為に私たちから無理矢理にでもレベルアップの詳細を聞こうと食い下がるのかと思ったが、意外にも言いたくないならば既に伝えてある情報で十分だと話を流してくれて胸を撫で下ろす私達。
しかし、次に出てきたユズキの言葉で、結局はその説明が必要が無い程私達には時間が無い事が判明した。
『先ほど会議で決定した事ですが、我々の戦場への跳躍開始時間は明日正午になります。 今回貴女達は私を小隊長とした四人の部隊として派兵される事が正式決定しており、私達の小隊はリゼラという女性の中隊長の下に付く事になりました。 兵の総数は200人前後になる事でしょう。 跳躍場所は
不安そうな顔の三島さん、寝ぼけ眼のリーザ、そして私とパーシャ、4人の前で淡々と念話を伝えるユズキだったが、彼女の表情は何か嫌な物を絞り出す様なもので、念話は苦渋に満ちていた。
私達が飛ばされる地域は最前線、つまり激戦区である事が彼女を悲観的にさせている理由の一つだろう。 ユズキは私達の様に戦士として特化している訳では無く、混戦となれば一番最初に命を落とす可能性が高いからだ。
ユズキが話していた前線からの兵の帰還率は70%。 ちなみに新兵の帰還率は50%を切るそうだが、これはあくまでも局地戦に勝利した場合の帰還率で、敗北した場合の帰還率は一割を切る。
地区戦争で負けるという事は脱出地点を奪われるのと同じ事で、つまりは25km四方で区切られている戦場から自力で味方の
ユズキは願わくば後方支援に徹して私達だけを前線に送りたかったのだろうが、私達の監視も上から命ぜられたのだろうか。
しかし、私達とて人間達と自分達亜人の橋渡し役を担っている彼女を今の今失う訳には行かない。 全力で彼女を守る事を約束し、戦場での立ち回りを考える為にこの世界での亜人との戦争の詳細を聞く事にした。
さて、先程ユズキの話の中で上ったのが
現在の主戦場であるエルグムンド大陸、大陸の大きさではアメリカ大陸程度の大きさの大陸の中央部は碁盤目状に区切られ、横にアルファベット、縦に番号が振り当てられており、それぞれの区画には一つの
内部の鍵を書き換えれば自分達もエウパを使って
人間が反抗作戦を開始してから取り戻した大地はエルグムンド大陸の約半分、赤道付近から少し北側までであり、多大な被害を出しながらも徐々に前線を押し上げる事に成功していた。
しかし、現在西から東に横に大きく広がった戦線は人間の持つ手駒に対して広くなりすぎており、折角占拠した
ただ、条件は亜人も同じで、ここ数年はそうして広がり切った前線で互いに一進一退を繰り広げて居たそうだ。
亜人達が三日前に人間側の前線基地を襲ったのには、そのようにして膠着した戦線を違うアプローチで変えようとする意図があったのだろう。 ユズキ曰く、前線基地を襲撃した集団は
その亜人による襲撃だが、ユズキ達の分析によれば、人間達の被害は甚大な物であったが、結局亜人側の被害も少ない物では無かったらしく、彼等の一部が強行して迷宮区画まで侵入したのには、前線基地の一つの壊滅という戦果だけでは自分達が被った被害に対して不十分だと判断した一部の亜人による独断専行だと考えられるらしい。
現在敵の本隊は再度海を渡ってエルグムンド大陸南端に戻った形跡があり、彼等の保持する
よって、今回の侵攻作戦では後退する敵部隊の退路を断つ目的で、AAからAZの26区画と、続いてBAからBFまでの6区画、西端から800kmを横一線に進撃して封鎖するという物だった。
ちなみに122戦線の一部の区域は既に人間側の勢力下にあるので、実際に侵攻するのは合計22区画となる。
私達に割り当てられたAJという地区は西端から10番目となり、AD122とAE122が人間の勢力下である事からその二つを除くと8番目に重要な戦略拠点であると言え、先発部隊が全滅した際には予備部隊が必ず投入される区域の一つとなっている。 まあ、負ければほぼ確実に全滅という事だ。
「最西端に出兵させられるよりはマシだけれども、新兵が出兵させられるには最悪の場所ね……。」
私は溜息を漏らしながらそう呟く。 三島さんは即座に顔を伏せると何かを考え込む様にして暗い表情を見せ、ユズキは多少青褪めた表情で呟いた私を見返した。
『カナの想像通りかどうかは分かりませんが、同じ部隊の兵は他の前線基地で迷宮を攻略したばかりの新兵と見られます。 上はその兵達をカナ達との比較対象にするつもりなのでしょう。』
「はぁ……比較される側も堪ったもんじゃないわね。 それよりも私達がいきなり味方に攻撃されるなんて事は無いでしょうね。」
『今回は表向きには一部の亜人が人間の味方をする初めての作戦という触れ込みで他の部隊に伝えられているそうです。 そして、戦果次第で本当の情報を公開するかどうかを決めるらしいですね。』
「……私にそこまで喋ってしまっていいの?」
『隠しておく必要こそありませんので。 貴女達が死ねば私も多分死ぬ、それだけの事ですよ。』
そういう覚悟は出来ているのかと目を細めてユズキを見て、そのまま視線をパーシャにスライドさせる私。 パーシャも同じく目を細めて私に軽く微笑むと、どちらからともなく軽く頷く私達だった。
◇
それから明日の作戦開始二時間前まで一旦自由時間となった私達。
三島さんがユズキに二ノ宮君達の事を尋ねて居たのは何となく気付いて居た私で、私も彼等の事を気になりはするものの、三島さんの側から何も言って来ないので、特に吉報は無かったのだと勝手に判断するしかなかった。
多少落ち込み気味の彼女は、疲れも一気に押し寄せたせいだろう、いつの間にか鎧姿のままベッドに身を横たえて寝息を立てており、パーシャに手伝って貰って寝苦しそうに見えた胸当てと腰当ては外してあげた。
そんな私も身体は疲れて居て、損傷した全ての装備を修復した後はすぐに休もうかと一瞬考えはしたのだが、明日発動される無茶な作戦の事を考えると気が滅入ってしまい逆に精神を昂らせて居た。
そんな訳で、その昂る感情を慰める為、オレンジジュースで割った葡萄酒をパーシャと向かい合って啜っている私。
酒を嗜む習慣は無かった私だが、無言でパーシャに手渡されたその葡萄酒とオレンジジュースのカクテルの味は悪く無く、酔いに身体を火照らせ、私はいつの間にか赤いシルクのワンピース一枚になっていた。
パーシャも同じく黒いシルクのワンピース一枚という薄着になっており、ところどころ火照って赤みのさした白い素足を椅子の上に乗せると、その足の指を開いたり閉じたりして遊んでいた。
そんな私達を見ていたリーザは、いつの間に注文したのか牛肉の赤ワイン煮込みが乗った皿を私とパーシャが座っていた六人掛けのテーブルの上に置き、自分のグラスを差し出してちょいちょいと葡萄酒の入ったピッチャーを指差す。
「舌の肥えたイタリア人の口に合うかどうかは分からないわよ。」
日本語でそう言った私の言葉の意味は分からないだろうが、うっすらとした笑みを浮かべながら置いたグラスに液体が注がれるのを見るリーザ。
やがて彼女はグラスの中身を一気に飲み干すと、ほう、と、甘い溜息を付いて何も無い天井を見上げる。
空になったグラスに私はもう一杯注いでやると、すぐさま彼女は手を伸ばしてまた空になるグラス。
そして、彼女は何かを虚空に向かって呟く。 目を細めて言った彼女の言葉の意味は分からなかったが、その時彼女が垣間見せた殺気を交えた眼差し――――それは最近よく見るなという感想を抱き、何処で見たのかと少し考え、それが鏡に映った自分の眼差しだと改めて気付くと、苦笑を禁じ得ない私。
彼女も昂って居るのだ。 迷宮という死線を超えたその先に、結局ゴールなんてものは無く、私達はこれからも戦う事でしか生きる事は出来ないのだ、と。 だが、それでも死んでたまるかという昂りを抱いて居るのだ。
改めてパーシャを見ると、彼女の青色の目の中の光彩にも鈍い光が映っていた。 悲しみを携えた、だが闘志に溢れた光。
『何か、ここまで来たかって感じがするですね……。』
ふとそのパーシャと目が合うと、彼女も私の目を真っ直ぐ見つめ返してそう念話を漏らした。
『本当に良く生きてるわよね私達。 結局、希望も何も無くなったけどね。 それでも……本当に執念みたいな物なのかしら、まだ、心が、戦えって言うのよね。』
『パーシャには守るべき物があるから戦うです。 カナもそうなのでは無いですか? ヒナやパーシャが居るからまだ戦えるのではないですか。』
『……そう、ね。 そうだったわ。』
私は自分の居場所を守る為、パーシャや三島さんを守って戦ったのだった。 迷宮の時とは状況が変わったが、言われたら確かに、仲間が居るからまだ私は戦えるのだ。
と、ちらりとリーザを横目で見る私。 彼女はかつては私の敵だったが、今はいつの間にか肩を並べて戦う仲間として私に認識されている。 不思議な物だが、かつて彼女に抱いて居た殺人集団の一人であるという敵意さえも懐かしく感じてしまう。
『リーザもきっと感謝してるですよ。 迷宮で生かされた事も、外に出てからカナが身を挺して守ってくれた事も。』
『飄々としてるからそんな感じはしないけどね。』
『そうでなければ私達に付き合ってこうして無防備に酒を飲んでは居ないですよ。』
パーシャに言われて気付いたが、リーザもいつの間にか白色の薄いシャツ一枚にハーフパンツという恰好に着替えており、ユズキとの話が終わった後に彼女が自分で端末から仕入れたであろう白色のレイピア、スモールシールド、小手、ブレストプレート、脛当ては彼女のベッドの横に並べて置いてあった。
彼女は無言でスキルを発動出来るので、その装備をしているかどうかは関係無いが、私達に合わせる様な恰好をする事で、私達に敵意を抱いて居ないと態度で示しているのだろう。
そんなリーザは無言で煮込まれた牛肉を他の更に取り分けると、『プレーゴ』と言って私とパーシャの前にフォークとナイフと一緒に並べ始めた。
「……ええと、スパシーバ、リーザ。」
『カナ、それロシア語です……。』
パーシャの念話が私に届いたのとほぼ同時に、お腹を抱えて笑い出すリーザ。
こうして、殺人鬼達の出撃前の夜は、傍から見れば女子だけで催される飲み会の様に過ぎて行ったのだった。
◇
やがて夜が明け、乾いた大地に朝が訪れる。
三島さんとリーザは早朝に目を覚まして先に準備を整えており、私とパーシャは遅ればせながら朝の八時頃に目を覚ますと、前日に飲み食いして散らかしたテーブルは三島さんとリーザの手によって片付けられており、どちらが注文したのかは分からないが、クロワッサンの入ったバスケットとオレンジジュースの入ったピッチャーがそのテーブルの上に置かれて居た。
前線ではこんな物は食べられないだろうな、と、苦笑を浮かべながらクロワッサンを口にする私。
すると、皆も同じ気持ちだったのだろうか、パンを噛み千切る音と咀嚼する音だけが、無言の部屋に響いていた。
そして、朝食後、誰からともなく黙々と武装を始める私達。
私とパーシャのローブを着る布ずれの音、リーザと三島さんの鎧や武器が奏でる金属音がほぼ同時に聞こえて来る。
皆、表情は硬く、各々自分の装備のチェックを行いながら、装着していく。
私は修理し終わった赤いタイトローブを着て、腰にバゼラルドの鞘を下げた後、魔法障壁を作る装備である銀色の指輪を不格好ではあるが十本ある全部の指に嵌めて行く。 パーシャも同じく一個一万エウパのそれを全ての指に嵌め、リーザと三島さんは鎧自体に何重かの魔法障壁の効果があるからかどうか分からないが、指輪は片手の指五本のみに装備し、三島さんは利き手に指貫を、リーザは利き手に分厚い金属製のグローブを装着していた。
本来ならば魔法障壁を得るのにその指輪を目当てにしては居なかったのだが、先の人間との戦闘でも重宝した持っているだけで魔法障壁になる
この時、他の誰もその
むしろ、プロミネンスマントを装備している私や悪魔の翼が生えているパーシャには装備出来きない、魔法障壁を得られる効果がある外套を購入する機会が三島さんとリーザにはあったのにもかかわらず、それを購入しなったのが不思議だ。
彼女達の鎧が何回分の魔法障壁を携えているのかは知らないが、魔法障壁の回数の合計を私達と合わせたかったのかもしれない。
何故自分を強く出来る機会を無碍にしたのか私には分からないが、それよりも切に現実的な問題が私達を待っていたので軽く流した私だった。
さて、現実的な問題とは飲料水と食糧の確保だ。
それから医療品の準備も忘れる事はなかった。
荒野で喉の渇きと空腹に耐えたのは逆に良い経験になったという事になる。
私はプロミネンスマントの上からでは普通のリュックを背負っても燃えてしまう為、動きの邪魔にならない様にマントの下、腰の上に背負う様なポーチを身に着ける事にした。
2リットル程の水筒が脇に二本入る構造になっているそれに、固形の携帯食料三食とドライフルーツのパック500g、たんぱく質であるビーフジャーキーを入れ、足のポーチには簡易トイレボトルの他小瓶に移し替えた整髪料や洗浄剤、それから包帯や軟膏、止血剤等の医薬品を入れた。
パーシャも翼がある為普通のリュックは背負えないので、肩掛けの鞄を左右にぶら下げて、その中に食料や日用雑貨などを入れている様だ。 ちなみに片方の鞄には少女の様な身体ながらもロシア人らしく500ml程のウォッカが入った小瓶が入れられており、それは彼女曰く消毒にも気付けにも使う万能薬なのだそうだ。
三島さんは左足の太腿に魔法の矢筒を付け、背中にも大型の矢筒を背負い、私と同じ様な腰の上に背負う形のポーチを付け、水や食料等をその中に入れた様だ。 その他、非戦闘時は放置するのか、寝袋や毛布、タオル等が入ったダッフルバッグも肩に掛けていた。
一番重装備なのはリーザで、鎧の上に後頭部からお尻の下までの丈の大型のリュックを背負い、リュックの脇には大型の水筒二つ、寝袋や地面に敷くマット等を丸めた物をリュックの上に付けて居た。 このままではまともに戦えないと思うので、多分戦闘時には地面に放置するつもりなのだろうが、大きな鍋や携帯コンロ、ワインや乾燥パスタに生のトマトやハーブの入った小瓶と数種類の調味料を持ったのには彼女のイタリア人としての国民性を感じずにはいられなかった。
さて、準備は完了し、結局は迷宮の中に居た時よりも野戦っぽい恰好になってしまった私達は、互いを見て苦笑いを浮かべるのだった。
◇
ユズキが再び私達の部屋にやってきたのは丁度午前10時の時だった。
彼女は泣いたのかどうか分からないが、目を赤く腫らせており、だが淡々と二時間後の出撃と、その出撃前準備の事を私達に告げるのだった。
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