二者択一

 第四層は、上層の湿気の多いじめじめとした感覚よりも、意外にもからりと乾いた空気に満ちて居た。

 通路の壁も乾いており、ところどころに付着している血痕の様な汚れ以外は三層までの壁に比べれば比較的綺麗に見える。


『ここからは油断しない方が良いですよ。 勿論死にたければ油断しても構いませんが。』


 その四層に着くなり、助言なのだか皮肉なのだか分からない念話を私達に送ってくる追跡者トレーサー

 ここからの油断というものが何を意図しているのか分からないが、三層までとは何かが違うという事だけは判断出来るが……。


「早速来ました。 数は8。 あまり強くは無さそうですが……。」


 と、三島さんの探知による報告。


「遠距離からの攻撃で様子を見ましょう。」


 私はパーシャに手の仕草で三島さんが攻撃するから私達は前には出ないと指示する。 こくりと頷くパーシャ。


「来ました。 ……結構早くて……大きいです!」

「っ!?」


 遠目から見てもその敵の体躯は大きく、ぎらぎらと赤い目を光らせた身長3m程の……角の生えた熊だった。

 と、その熊達にすぐさま攻撃を仕掛ける三島さん。

 連続で放たれた矢は熊達の四肢を射貫き、次々と通路に転んでうめき声を上げ始める熊達。

 だが、三島さんの感知の通り、見てくれだけは大きいのが実際の強さはそれ程でも無いようである。

 そう結論付けた私は、首でパーシャに突撃の合図をする。

 まだ息のある熊に、パーシャは自分の角を首筋に突き立ててとどめを刺し、私はいつもの様に硬化させたプロミネンスブーツで熊の頭を踏み付けて脳症と血を飛び散らさせた。


『……貴女達、本当に呆れる程に強いわね……。』


 私達の行動を見てぼやく追跡者。 私達にとっては雑魚でしか無かったのだが、普通の挑戦者ならば手こずる様な相手だったのだろうか?

 追跡者である彼女がどれほどの強さなのか分からないが、何故か彼女の言動がしっくり来ない私。

 私達挑戦者の力が強いのなら、例え亜種であっても攻略には有効という事だ。

 だが、何故亜種を排除するルールが出来たというのか……。

 

 すると、確信に近づいた事をぼやいてしまったのか、気まずそうな顔をする追跡者。


 ……これは、何かあるな。


『ねぇパーシャ。 この女だけど、なんでこんな雑魚相手に私達が強いって言ったのかしら。』

『それはパーシャも気になったです。 ……でも、本人は余裕そうですね……。』

『まったく……何をそんなに頑なに隠したいのかしらね……。』

『まあいずれ知る事にはなると思うですが、気分は良くはないですね……。』


 そうはにかみながら私に念話を返すパーシャだった。


 ◇


「――――っ!? 高レベルの敵の反応があります!! 30以上!! でも、たった一つ……?」


 熊の様な獣を倒してから数分後、唐突にそんな叫び声を上げる三島さん。


『四層にLV30の挑戦者がたった一人? 珍しいですね。』


 三島さんの声に反応して怪訝な顔をする追跡者。

 私もパーシャに念話で三島さんの言葉を伝えた後、二人顔を見合わせて首を傾げる。


「……行ってみようか。 どっち?」

「あ。 はい……。 真っ直ぐ行って……少し右の方です。 でも……まさか……ですよね……。」


 何が『まさか』なのか良くわからないが、眉を顰めながら私とパーシャの後に付いてくる三島さんだった。


 ◇


 その光景を予想していた者は誰も居なかった。

 もしかしたら三島さんの言う『まさか』は二ノ宮君なのかもしれないと勝手に希望を抱いていた私だったが、それは都合が良すぎる話だろうと誰かに言われた気分だ。


 三島さんが感知した人間の四肢には茨の棘が付いた赤い蔦が巻き付き、動きを封じつつ、まるでどくどくと脈が波打つ様に人間の身体から血を吸い上げ、それを養分にしているのかどうかは分からないが石畳の床にその人間の四肢を縛り付けて居た。

 その人間のは仰向けの状態で裸に剥き上げられており、身体中に付けられた無数の刺し傷から血を流し、股の部分からは大量の白い液体が零れさせており……何をされたのか一目瞭然の無残な姿だった。

 ひゅう、ひゅう、と、本当に微かな息遣いで最後の時を待っていたのは――――リーザ。

 あの人殺し集団、ラゼットグループの最後の生き残り、私達が取り逃した最後の一人だった。


「che...peccato. che si è ragazzi.」

「え? 三島さん彼女何て?」

「彼女を見つけたのが私達で……それが残念だったみたいですね。」

『貴女はラゼットグループの一人ですね? いい気味です。 少しは貴女が嬲り殺していた人間達の気持ちが分かりましたか?』


 リーザを見下ろして言う追跡者トレーサー。 と、念話で言われた事と、服装と容貌から彼女がこの世界の人間だと気付いたリーザは、固まった血で半開きになっている瞼を何とかこじ開けて彼女を見つめた後、小声で追跡者に何かを伝えた。


『取り逃がした私達のせいなのではないか? 何を言っているの貴女は。』

「erano per metà umano!」

「えっ!?」


 三島さんはリーザの叫びを聞くと、慌てて口に手を当てて何故か私とパーシャを見つめる。

 どういう事なのかと首を傾げる私だが、次の追跡者の一言で冷や水を浴びせられた気分になった。


ここ・・に亜人が10人も集団で居る訳が無いでしょうが!!』

「なっ!?」

「シュトゥ!?」


 追跡者の意外な念話に声を上げる私とパーシャ。

 亜人……つまり亜種、私やパーシャの事で間違いは無いだろう。

 そんな私達の様な存在が10人? そして、その人達にこんな風に慰み者にされた?

 

 その女の哀れな姿を見て、いい気味だと思った反面、同情も覚えていた私。

 彼女はラゼットグループ、人殺し集団の生き残りで、しかも私達からも逃げ延びた。

 その彼女がここまでの醜態を晒しているというのは、相手が私達の様な亜種、しかも10人だと言うのに対して疑問を抱く余地も無く納得できる。

 私はパーシャに視線を向けると、彼女も同じ結論に達していたのであろう、真剣な眼差しを私に向けて小さく首を縦に振る。


 私はポーチからポーションをいくつか取り出すと、リーザの口にそのポーションの小瓶の口を当てて、飲めと首で合図する。

 リーザも迷宮の中でこのまま死ぬことを良しとはしなかったのだろう。 素直に震える唇で中身の液体を啜ると、こくり、こくりと少しづつだが喉を潤して行った。


 リーザが受けていた傷は高級ポーションを5つ消費する程で癒え、床に縛り付けられている彼女の四肢のうち、両腕だけを縛っていた茨の蔦をバゼラルドで焼き切る私。

 そして、追跡者を介して一体何が起こったのかを彼女から聞いてみる事にした。


 命を助けられた事の安心感と、だが未だに両足を床に縛られて居る事の束縛感も相まってか、リーザは素直に事の顛末を話し始める。

 追跡者もそれを止めようとはせず、彼女自身も情報が欲しかったのだろうか多少興奮気味だが通訳の役目を果たしてくれた。


 ――――事の顛末はこうだった。


 私達から逃げて五層へと向かったリーザ。 彼女も私達と同じ高級キャンプセットの宝珠を持っており、それを使って休み休み様子を見ながら五層の中央へ隠れ進んだ。

 こちらに探知能力者が居るのは分かって居たので、一時間キャンプの中に入っては五分移動するという作戦だったらしい。

 成程狡猾だと思ったのは、追う側の心理を良く理解しているという事だった。

 確かに5分で到着出来る場所に彼女を探知したとして、私達はその場で一時間以上待つだろうか?

 私達の敵は彼女だけでは無いのだから、ただその場で悪戯に時を費やすことを良しとはしないだろうと判断したのだろう。


 だが、そんな狡猾な彼女の作戦も、一瞬の不運で崩壊する事となる。

 そのたった五分だけ移動しようと迷宮に姿を現した瞬間に、10人の亜種の集団の10m程前にいきなり彼女は姿を現してしまったのだったから。

 驚いたリーザは、彼女の方から手を出した。

 彼女の能力は白銀の召喚士。 その全ての能力はスキル制で、どのスキルに対して一日何回使えるという回数が決まっているという物。

 魔法に近いが、一番の違いは詠唱が必要無いというところだろう。

 彼女が隠れながらも必殺の一撃を狙っていたのも、そういう理由からだ。


 彼女の一撃は、例え相手が亜人であれ、誰よりも早くその相手に攻撃を当てられる――――筈だった。

 いや、実際に攻撃は当たったらしい。 だが、その尽くが弾かれた。

 彼女が召喚する槍の様な物は、魔法攻撃力と物理攻撃力どちらにも対応出来るようになっていて、意識でその攻撃手段を切り替えられるらしい。

 最初は魔法攻撃としてスキルを使い、弾かれたのを察知して物理攻撃に切り替え、それでも尚、弾かれた。


 対峙している集団のディフェンダーが相当の手練れだと判断した彼女は、その場で瞬時に撤退を決断した。

 その一連の流れを淡々と語る彼女に、私達は驚きを隠せなかった。

 逃げるという判断をそこまで瞬時に出来るというのは、彼女がこれまで生き残って来た生きるための狡猾さというのだろうか、そう言った行動力が自分達より少し先の次元に行っている事に驚いたのだ。

 しかし、そんな狡猾な彼女も、全力で逃げる自分を知らずのうちに付かづ離れず追いかけているのは気付かず、そして五層の入口付近まで来て安堵のため息を彼女が漏らした時……相手が全力で仕掛けて来るとは思いもしなかった。

 相手は五層の入口を特定する為に、彼女を泳がせて居たのかもしれないというのが彼女の見解だった。


『な…………まさか……それでは五層の入り口が奴らに特定されたと言うのですか?』


 リーザも、自分の見解に確信があった訳では無いが、追跡者がそう口を押えながら脂汗を浮かべた事で、事態はこの世界の人間達の思惑とは全く違う方向に向かっているのだと認識し、ちらりと横目で私を見る。

 私は、それに関してはまだ何も分からない、と、小さく首を横に二回振ると、続きを語り始めるリーザ。


 五層の入り口に逃げたリーザは、逃げ帰る直前にその場で捕縛された。

 その時に使われたのが、先ほどまで彼女を拘束していた棘の付いた蔦だったそうだ。

 彼女の曰く、多分魔法だったのだろうという前置きの上で、物凄く短い詠唱の後に召喚された蔦に瞬時に両手と両足に絡み付かれ、自分の血を吸い上げる様にしてその蔦は成長し、魔法を使った男の指示通りに彼女を床に縛り付けたり、また彼女を完全に拘束して持ち運べる状態にしたりと、四肢を自由自在に操られたそうだ。


 さて、五層の入り口を特定した10人の集団は、その入り口を文字通り破壊したらしい。

 迷宮を破壊するのは物理的に不可能な筈だが? と、首を傾げる私に対して、


『は、破壊!? 転送陣を無理矢理破壊したといいうのですか!? そんな……あり得ない……。』


 だが、リーザ曰く、亜人達は転送陣に向かって派手な魔法攻撃を繰り返した後、巨大なハンマーを持った一人の亜人が床にそのハンマーを叩き付けると同時に、ガラスが割れた音の様な音が響き渡ると魔法陣の光は消え、天井の石がガラガラと音を立てて崩壊してきたそうだ。

 そして、その天井の穴に光るロープを放り投げると、今現在私達が居る四層にリーザを伴って上って来たらしい。

 上って来た場所はこの四層の主が居る場所で、その層の主である巨大な熊を舌打ち交じりで10人は瞬殺し、彼女を今この場所に連れて来た後に交代で彼女を犯し……殺したのだそうだ。


 何故彼女が生きているのかというのは、誰しも疑問に思う事だった。

 それに対して、彼女の究極スキルである仮死状態になるスキルを使ったと告げるリーザ。


 成程、使い所は難しいだろうが、今回の彼女の判断は正しかったと言わざるを得ない。

 死んでしまった人間をどうするのか彼女は賭けに出たらしいが、亜人は死んだ女の人間には興味が無かったらしい。

 犯した状態のまま彼女をここで捨てて、この場から消えて居なくなって居たそうだ。


『自分のポイントが増えたのを確認しなかったのかしら……。 って、それよりも貴女、何人もの亜人に犯された状態で……良く正気で居られますね……。』


 青ざめた顔で呟く追跡者。


「Sono stata violentata da 20 uomini. Non c'era tanta differenza.」

「20人の男に犯された事とそう大差無いそうです……。」


 そう翻訳して私に伝えてくれる三島さんだが、


『猫の奴は出す時に内側から棘みたいなのが一緒に出て来て中に突き刺さる。』

『犬は噛み癖が酷い。 右の手首から下を噛み砕かれながら犯されたのは最悪の気分だった。 それから舌で舐めると傷が不思議と癒えるのだが、更に噛んで楽しむからもっと最悪だ。』

『サルは比較的マシ。 マシだけど回数が酷い。 二人居たけど一人につき5回やられた。』


 等と言う具体的な翻訳は流石に声を震わせながら行っていた。

 ちなみに、本来翻訳する役目だった筈の追跡者は顔を青ざめさせて口に手を当てながら、ただ震えながら涙目になっているだけだった。


 私は生憎とそういった事をされた経験は無いが、多分一番の経験者であるパーシャは拳を握らせて怒りに震えて居た。

 口ではいつかは子供が欲しいと言っていたが……もしかしたら一番男という存在を憎んでいるのは彼女なのかもしれないとその姿を見て思う私。


 だが……。


 私は私で明後日の方向で物事を考えて居た。

 私のその時の疑問は、結局亜人とは一体何なのかという事だった。

 リーザの話は事実だろう。 嘘を付く意味もない。

 しかし、その亜人が自分の味方かどうかと考えると、それは何とも言えない。

 人間であるリーザが女として犯されたという事は、私やパーシャも同じく性の対象としてだけ認識され、同じように犯されて殺される可能性は否めない。

 だが、私達二人が抵抗すれば、少なからずとも相手にダメージは与えられる……筈だ。

 多勢に無勢とは言え、私もパーシャも、こと戦闘に関してはリーザがやられたという亜人と引けを取らない筈だから。

 ならば、私とパーシャが同じ亜人としてあちら側に付き、彼等と行動を同じくすると申し出たとしたならば……?


 ――いや。 その選択肢は今は無い。 亜人であるかそうでないかというカテゴリーで分けたならば、三島さんはどうなる?

 同じ仲間として、彼女だけが弄ばれて殺されるのを指をくわえて見ているという選択肢は、あり得ない。


「…………リーザ。」

「シ……。」


 冷たい口調で彼女の名前を呼び、その場にしゃがみ込んで彼女の顔を見下ろす私。

 名前を呼ばれた事に反応し、私が何か決断をしたのを感じたのか、頷いた後に虚ろな目を浮かべるリーザ。


「追跡者。 翻訳して。 リーザ、貴女には迷宮を攻略した場合の夢はあるの?」


 少し驚いた様な表情を見せてリーザに翻訳する追跡者。

 そして返って来た言葉は……。


『仲間達と、ずっと楽しく生きていたかった……。 だ、そうです。』


 やはり、彼女に前の世界への執着は無く、この世界で適当に生きる事を決めていた。

 勿論私とてその心理は分からなくはない。 ここまでどっぷりと人間同士で殺し合いをさせられ、何事も無かったかの様に元の平和な世界に帰れるかと言われたならば、私も躊躇するだろうから。

 私は視線をパーシャに向け、彼女も複雑な表情を浮かべている事から、私と同じ心理に辿り着いて居るのだと解釈する私。 勿論彼女の場合はもっと違う意味で前の世界に戻りたいという気持ちは無いのかもしれないが。

 私は軽くため息を付くと、右手に持ったバゼラルドでリーザの足元の蔦を焼き切り、最後にもう一本ポーションをポーチから出して彼女に手渡した。

 どういう事かと訝しげに私を見るリーザだが、


「今私達は迷宮を攻略する事を強いられているわ。 その障害となる敵の10人、その敵であるリーザ、貴女は味方ね。 ならばリーザ、復讐をしましょうか。」


 と、私の言葉の後に追跡者が翻訳した言葉に目を丸くして、不敵な笑みを浮かべて伸ばした私の左手に自分の手を伸ばして掴んだのだった。


 ◇


「さて、ここまで来て嘘も何も無いわね、追跡者。 その10人の亜種は何者なの?」


 身体の汚れを拭いた後、取り合えず背格好の近い三島さんの服に着替えているリーザを横目に、そう追跡者に切り出した私。


『……私達の本当の敵だと思われます。』

「本当の、敵? それは私やパーシャとは違うの?」

『それは言えません。 言葉に鍵を掛けられて居るので……。』


 言葉に鍵。 なるほどそういう魔法の様なものもあるのか……。


「でも、今は貴女にとって緊急事態。 それは違い無いわね?」

『そうです……五層の転送陣を破壊されたという事は、準備区画から五層に飛ぶことは出来ても、五層の転送陣から準備区画には戻れなくなったという事になりますから……。』

「はぁ!? じゃあもし四層の入り口も壊されたら……。」

『私達は四層で孤立します。 彼等が下層から上の層への移動手段を知っていても、私達にはその方法は分かりません。』


 って、最悪じゃないのそんなの!?


「ちょ、ちょっと待って下さい。 なら……もし孝太が既に五層に降りて居たとしたら……。」


 と、手を唇を震わせながら三島さん。


「二ノ宮君は五層で取り残されてるでしょうね……って、三島さん、いきなりどこ行くの!?」


 彼女は私達に背を向けていきなり走り出した。

 しかも、その後を追う様にリーザまでもが走り出す。


「何考えてんのよあの二人!」


 そう叫んで二人を追いかける私。

 すると、いつの間にか三島さんに追いついていたリーザが、三島さんに向かって何かを喋ると、首を横に二度振って更に速度を上げる三島さん。

 ふと嫌な予感が頭を過る。 彼女達が向かっている方向は……リーザが乱暴されていた部屋の前に私達が向かっていた場所。

 つまりは――――四層のボスが居る方向だ!


「ちょっと待って! 勝手に行動しないで!」


 私の叫びも虚しく、既に彼女達は疾走して正面の通路の角を曲がりかけて居た。

 私はパーシャと目配せして二人を追い掛け、その後を追跡者も付いて来た。

 速さは私達の方が三島さん達よりも上なので、数秒程で三島さん達二人に追い付いて、私はリーザの肩を、そしてパーシャは三島さんの肩を掴むが……互いにその手を無理矢理振り解かれ、私達の身体は通路の壁に回転しながら叩き付けられた。

 瞬間的に受け身は取れたものの、背中の痛みに顔を顰める私、しかし半開きの瞼から垣間見えたリーザの表情に復讐の炎が見え隠れしており、彼女は復讐心から動いているのだと理解し、三島さんが探知能力者である事をリーザが知っている事も思い出した。

 きっと彼女は尋ねたのだ。 『この層に亜人10人の反応はあったのか。 今は感知出来るのか。』と。

 私達と交戦していておらず、かつ現在近くに反応が無いのであれば、下の層にその亜人達が撤退したと考え――――


「全く! なんて単純なのよあんたも!! 大人だったらもう少し考えろバカ!!」


 私とて10人に輪姦されたら復讐も考えるだろうが、我武者羅に追い掛けるなど愚かすぎる。

 だが、私の叫びなどただ虚しく迷宮の中に響き渡るだけで、彼女達の足を結局止める事などは出来なかった。


 ◇


 本来、その場所には、大型の熊、四層の主が私達を待っている筈だった。

 それが五層へと侵入する為の条件だったのだから。

 だが、今その熊が居る筈の部屋には何も存在していなかった。

 物理的に壊された迷宮の床に、3m程の巨大な穴が開いており、迷宮の部屋の壁から漏れ出す薄い霧が、青白い光を纏ってその穴の中に流れていっているだけだった。

 その光景に愕然とする追跡者。

 彼女にとっては、その光景は本来あってはならない光景だったのだろう。

 私達にとっては……これが初めて見る四層の奥だったので別段驚きもしなかったが……。


 と、三島さんに向かって何かを言うリーザ。 それに頷く三島さん。

 その二人は、迷いもなくその穴の中に飛び込んで行ってしまったのだった。


 私はパーシャと顔を見合わせ、互いに顔を端を引き攣らせる。


『もうこれ……私達も行くしかない感じなの、かな?』

『カナが行くところがパーシャの行く場所ですよ。』


 相変わらず妄信的な彼女の笑顔に、苦笑を返す私。 だが、しっかりと勇気は貰った。


「行くわよ!」

「ダー!」


 そして私達二人もその穴へと飛び込み、遅れて追跡者もその穴へと飛び込んだのだった。


 ◇


 第五層。 そこは四層よりもさらに乾いた空間だった。 むしろ、乾き過ぎている印象。

 それが何故乾いて居るのか、肌と服の隙間からじわりと染み出した汗で実感する私。 きっと気温そのものが高いのだろう。

 タイトローブの恰好だった私だが、手袋とブーツ、そしてマントが少し暑苦しく感じる。

 パーシャも長い裾のドレスだったので額に汗をかいて居た。

 対して、三島さんの部屋着を着ている薄着のリーザと、何故か白銀の胸当てに白銀の小手、そして白銀のサークレットなどの金属系の鎧を着ていた三島さんは涼しい顔をしている。

 あの鎧には温度に対する防御効果もあるのだろうか、と、私はマントに意識を込めて硬化させ、炎を吸収する様な感覚も込めてみると、更に黒く色が濃くなったマントは周りの温度を吸収し始めた。

 すると、近くに居たパーシャの周りの温度も下げたようである。

 私達に付いて五層に降りてしまった事を顔で後悔していた追跡者も暑さを感じていたのだろうか、額から汗を流しながら私に近付いて来て不思議そうに私のマントを見る。


「な、何よ? あんたまで涼しくしてあげる義理は無いわよ。」

『いえ……そのマント……人が作ったものではありませんね? って、感知能力者の女! 近くに反応はありませんか!?』


 一瞬私のマントに気を取られて居ただけだったのか、三島さんに状況確認を促す追跡者。

 と、既に目を瞑って感知を開始していた三島さんだったが……ぱちりと目を開いて首を横に二回振る。

 どうやら何の反応も無いようだ……。 と、一旦安堵のため息を漏らす私だが、


「っていうか、何で勝手に五層に突っ込んでるの三島さん!! 一旦帰ってから対策を練っても良いじゃない!!」


 堪忍袋の緒が切れた私は、三島さんに詰め寄って左手の指で彼女の胸当てを指で突く。


「だって!! 孝太がもし五層に居て、帰れなくなってるとしたら、私!!」

「それで私達まで帰れなくなったら一緒でしょう!? 何考えてるの!!」

「っ!! ……ご、ごめんなさい、私……。」

『カナ。 逆に冷静になっていたら恐怖で飛び込めなかったかもしれないです。 ヒナを責めるのは、私達が何かあってからで良いではないですか?』

『パーシャ……。』


 何かあった時と言うのは、私達の誰かが死に至ったという意味なのだろうが、極論過ぎて逆に私の頭が一気に冷える。

 そうね……。 どの道私達は前に進むしか道は無かったのだから、これで良かったのかもしれない。


『……まさか……そうだ……。 亜人が10人も居る筈が無いわ……本当・・の亜人が来た!? ならば、前線基地の守衛部隊が全滅したかもしれないという事……!?』

「「……はぁ!?」」


 私と三島さんだけでなく、パーシャとリーザも目を丸くしてその追跡者の念話に声を出して反応してしまう。

 前線基地? それに守備部隊って……何なの?


『でも、この層は彼等の区画には取り込まれてはいませんね。 そう……。 成程。 一部・・を破壊しただけではこの層は取り込めないという事なのですか。 ではやはり取り込む為には鍵が必要だと言う事ですね……。』


 一旦安堵の表情を見せた後、ふむふむ、と、勝手に頷きながら納得している追跡者。


『おや? 本来鍵が掛けられている筈の言葉が今の私が念話で言えるという事は……神技セイリッドアートが使えなくなったのでしょうか? でも念話は使えますね。 成程、そう言う事ですか。 私の念話のスキルは五人までの対象指定の双方向の念話でしたね。 しかし、神技セイリッドアートが使えなくなったという事は本来の迷宮の機能はこれで全て使えなくなったという事で、私が本部との連絡を取る事は不可能……。』


 真剣な顔付きで私達に念話を飛ばす追跡者。


『……参りましたね。 最近・・攻略者を私達が出して居ないのは知っていましたが、まさか守衛部隊が全滅する事態にまでなっているなど……私も責任を取らされて降格、前線にでも投入させられるのでしょうか……。』

「さっきからぶつぶつと何を言ってるの貴女?」

『貴女達にも関係のある事なのですがね……まあ、良いでしょう。 道すがら説明しましょう。』


 そうため息を付きながら念話で言うと、迷宮の中を歩き始める追跡者。 それを慌てて追い掛ける私達。


『では、いきなりですが貴女達一人一人にお聞きします。 迷宮を攻略した場合の貴女達の願いは何ですか?』


 追跡者以外の女4人、互いに顔を見合わせる。

 と、一番最初に口を開いたのはリーザだった。 先ほどは仲間と一緒に暮らしたいと言っていたが、叶えられるなら本当に叶えたい願いはあったらしい。

 彼女の母国語で、『人を生き返らせる事は可能か?』と、追跡者に聞いたのだ。

 一拍置いて、追跡者は答える。


『この世界の人間ですか? ……まあ、違いますよね。 では、この世界に召喚されて死んだ人間ですか? それとも前の世界で生き返らせたい人が居る、ですか?』


 リーザは、この世界で死んだ人間だと答えた。 そして、追跡者は……。


『それは可能です。 ただ、その生き返った人間は、この世界で生き返る事は出来ません。 事象変更は現在自分が居る時間軸からは操作出来ませんので。』

「ちょ、ちょっと待って。 じゃあ、前の世界で生き返ったとして、その人とどうやって会うの?」


 思わす横から口を出してしまう私。


『願いをもう一つ使ってこの場に転送するしかありませんね。 ただ、相手がこちらの世界に召喚されてから出合った相手ならば、相手が自分の事を覚えているとは思えませんが。』

「な…………何でも願いを叶えるって、嘘だったの?」

『嘘ではありませんね。 結果的に対象は生き返っては居ますので。 ちなみに願いを叶える時に身体が半分以上残っている骸があり、寿命が尽きて居ないのであればその場で生き返らせる事は可能です。』

「……はぁ。」


 何だか子供が言い訳をしている様に聞こえて来て白けてしまう私。


『その場合、既に骸になっている人間は力、私達はエウパと呼んでいますが、それを失っており、願いを叶えた人物も全てのエウパを失いますので、LV0の状態の人間二人が現れる形になります。』

「願いを叶える事とそのエウパとやらにに何の関係があるの?」

『エウパこそが願いを叶える為の源なのです。 迷宮を六層まで攻略出来た人間ならば、それ相応のエウパを体内に持って居る筈ですが、それを使って願いを叶えるかどうかという選択肢が与えられるという事になります。』

「はぁ!?」

『代償が何も必要ないとでも思って居たのですか? 途方もない『願い』という奇跡に対する代償が何も無い訳が無いでしょう。』

「じゃ、じゃあ例えばこの世界で死んだ特定の人を生き返らせて元の世界に帰るって願った場合は……?」

『先程と少し似た形で可能です。 事象を書き換えてその人物を前の世界で生かします。 そして、貴女が元の世界に戻るのは勿論可能です。 これでクリスタル二つ分の願いという事になりますね。』

「じゃ、じゃあ、私が例えば秋月さんを生き返らせて、三島さんが現在この世界に生きている自分自身と同時に召喚された全ての人間を元の世界に帰る事を願って、そしてパーシャを私の近くに転送するって事は可能なの?」

『そうですね……。 アキヅキというのは貴方の世界の人で、貴方とミシマという人物は同時に召喚された人物ですか?』

「そうよ。」

『ならば、前の二つは可能です。 しかし、パーシャ、その女の子の事ですね。 彼女が帰る事が出来るのは彼女の生きて居た時間と場所のみ。 貴女の生きていた時間と場所に彼女を転送するにはもう一つの願いが必要になります。 つまり、全てのその願いを叶える為には更にもう一人分のエウパが必要になるという事ですね。』


 開いた口が塞がらないとはこの事か、と、私はあんぐりと口を開けたまま追跡者の冷たい目を見る。

 別に私が自分で帰りたいと願っていた訳では無いが、三島さん達が元の世界でも私に居場所をくれると言った言葉を思い出してつい泣きたくなってしまう私。


『それに……問題がもう一つ存在します。 元の世界に戻ったとして、貴女は全てのエウパを失って、クリスタルも持って居ません。 魔法やスキル、能力値向上の力を使わずに死の淵から生還する事が出来ますでしょうか?』

「え…………。」


 バスで崖から落ちた感触を思い出す私。

 あのままあの崖の下に落ちていたとしたら私は……いや、私達は……皆、死んでいた筈だ。


『その事象を変える為には更にもう一人分の願いが必要になる、つまり貴女の願いを全て叶える為には五人分のエウパと願いが必要となります。』


 例え秋月さんを生き返らせるのを諦めたとしても、4つ……。 リーザがまさか協力してくれる訳が無いし、理論上元の世界に帰って皆で暮らすというのは不可能という事か……。

 っていうか、さっき何か大事な事を言わなかったかこの女。

 

『迷宮を六層まで攻略出来た人間』


 その追跡者の言葉が頭の中で繰り返され、その意味を考えてみると……。


「結局攻略って、この五層を抜けるまでの事だったんだ?」

『鋭いですね。 その通りです。 私が貴女方を六層、通常前線基地に届けるのが私の任務でした。』

「はっ。 それで個々に聞くわけ? 私達に望みを言ってみろって。」


 半ば呆れた顔をして言う私。


『その通りです。 中には実際に前の世界に帰った者もおりましたよ。 ……ほぼ稀なケースではありますが。』

「で、今回に限って貴女が私達に今それを聞いているのはなんで?」

『こうして問い掛ける者が居ないと予想されるのと、その願いを叶える施設も多分破壊されている筈ですので。』

「つまり、それは守衛部隊が全滅して、前線基地なるものが壊されたと思うから?」

『その通りです。 今はいつ亜人達が襲ってきても分からない状況です。』

「……は? あのリーザを……あれ・・した10人の亜人の事?」

『いえ。 ……まあ、ここで何もかも言うつもりだったので結論から先に言いますが、私達の本当の敵は……亜人で、その亜人達と戦わせる為に貴方達を召喚し、迷宮を攻略させていました。』


 本当に手のひらを返したような、だが絶望的な表情を浮かべた追跡者の態度に面食らってしまう私。

 だが、彼女の齎した情報は私にとってようやく解明した謎であり、そこまで素直に話されると彼女を責める気も失せてしまう。


『リーザさん、貴女は亜人達――――彼等がどんな存在なのか、身を持って知りましたね?』


 そう言われると、自分の身体を抱きしめて、ぞわりと身体を震わせるリーザ。


『あの者達の齎す脅威を。 そして……一人では抗えない強さを。』


 あの者達という言葉でフラッシュバックしたのだろう、身体を震わせて両膝を床に付けるリーザ。


『彼等に私達の祖国は最後の土地を残して占拠されたのです。 今は国というには少し規模が小さいですね。 私達、人間界の最後の土地が……今から向かう第六層と称しているとある大陸なのです。』


 憎しみを込めて言った追跡者の言葉は、とても重く私の中にのしかかって来た。

 願いを叶える力も無くなったという事は、三島さんにとっての希望が無くなったという事だが……ちらりと彼女を見ると希望を捨てては居ないようだ。

 きっと二ノ宮君と会える事だけを胸に抱いて居るのだろう。

 と、逆にリーザは怒りの表情で息を巻いていた。 仲間も全て失い、願いを叶える術も無いと分かって、生きる希望を全て亜人への復讐へとベクトルを変えたのだろう。


『私はこれからこの迷宮の前線基地に向かいます。 それから、の前線基地に向かってみますが……狐と悪魔の貴女。 先程話した理由で、貴方達が私の先導無しでその他の前線基地に近付いた場合……高確率で敵と見做されますが、別行動なさいますか?』


 はぁ……それで全部の説明を私達にした訳ね……。

 ちらりとパーシャの顔を見ると、私と同じくこれはやられたという顔。


『ちなみに空間が途切れてますのでキャンプセットも使えない筈です。』

「貴女ほんとにずるいよ。 逆に言えば貴女は私とパーシャの事を保険にするつもりなんでしょ。 万が一亜人に襲われた時の。」

『……代わりにと言っては何ですが、長くなりますが私達の歴史をお教えしますよ。 包み隠さず。』


 ようやく秘密を知るのは嬉しいが、いやらしい笑みを浮かべる追跡者には少し苛立ちを覚える私だった。

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