強制探索

 私、パーシャ、三島さんの三人は、本来の目的である人間達への復讐を遂げる事は無く、現在追跡者トレーサーと呼ばれるこちらの世界の人間、女性の兵士と共に迷宮の二階――こちらの世界の人間は第二層と呼ぶらしいが、その場所を重い足取りで歩いて居た。

 衣食住全てを取り上げると脅され、脅迫に近い形で黒いマントの男の条件を飲まざるを得なかった私達であったが、彼はそのまま私達を開放して自由に攻略を進めさせるつもりは無かったようだ。

 まあ、私達が迷宮を攻略しますと約束したは良いが、それを信じる道理は無いという事なのだろう。

 改めて考えればごく普通の事であった。


 さて、私達が条件を飲むと言った後、栗色の長い髪の毛を後ろで一つに束ねた、私より20cm程背の高い女性を彼は現地語で自分の近くに呼び付けると、その人物が私達の追跡者トレーサーと呼ばれる役に就き、私達の行動を監視すると告げた。

 不愛想な顔をした彼女は挨拶も無く、腰に吊るして居た細剣の鞘の位置を直し、肩当や胸当て、腰当などの装備を確認して最後に緋色のマントを羽織って私達の前に立ちながら、侮蔑の視線を私達に向けて顎で今すぐにでも出発しろと指示したのだった。


 ◇


「……私達が攻略するまでずっと付いてくるつもりなの?」


 迷宮の二階に転送した私達、その後ろを鋭い視線を向けながら付いて来ている女に声を掛ける私。

 

『もしくは、貴女達がのたれ死ぬまで、ね。』

「まるで私達がそうやって死んでしまった方が、貴女にとって都合が良いみたいに言うのね。」


 口の端をひくつかせて言う私。

 人間達を惨殺した私達を彼女が心底嫌っているのは知っていたが、こう真っ向から敵意を向けられると溜息しか出ない。


『私も副隊長と同じ意見だったのよ。 貴女達の様なイレギュラーを一度でも作ってしまえば、我々は自らの手で17年前に作った亜種に対する法を破る事になるのだから。』

「……そういう事は話しても大丈夫なの?」

『もう破棄してしまった法に対する情報の開示を規制する義務は無いわ。』

「はぁ……。 しかし17年間も私達亜種は虐げられて来た訳ね……。」

『貴女が本気でそれを言っているのなら本当におめでたい頭をしているとしか言いようが無いわね。 神技セイクレッドアートも効かない、パラメーターに人間としてのリミッターも無い貴方達に対抗する手段が、あの法を私達人間が作る以外、他に何か考えられたとでも貴方は言うのかしら。』

「……つまりは自分達の自衛の為に作った法だって言いたいの?」

『今回人食いマンイーター……私達は人を殺して日々の糧にしている者をそう呼ぶのだけれど、それをしていたのは同じ人間だったわ。 それがもし貴女達の様な亜種だったら……私達の目的である迷宮の攻略は遠くなる一方だったでしょうね。』


 口を開けばまた攻略か。

 ……あの黒いマントの男には何を聞いても無駄そうだったが、この女ならばどうなのだろうかと一瞬考えた私は、少しアプローチを変えて聞いてみる私。


「――何をすれば攻略したと見なされるのか、貴女に言えないのは分かるけど、攻略に近づいている確証とか、そういうのはあるわけ?」

『それを発言するのは越権行為ですね。 さあ、無駄口を叩いてないで前の敵を蹴散らしなさい。』


 やっぱり無駄だったかと小さく溜息を付く私に、顎でわさわさと寄って来る蜘蛛の集団を指す追跡者トレーサー

 と、既に敵を感知していた三島さんが、やる気の無い弓さばきで数本の矢を放ち――その攻撃で蜘蛛は一掃される。


「……これで良いですか?」


 無表情の三島さんが追跡者トレーサーの女にそう告げる。


『貴女達……やる気があるの? って、聞くだけ野暮かしら。 人相手じゃないともう張り合いも無いのかしらね。』


 追跡者トレーサーの冷たい念話に対し、言葉は返さず冷たい視線だけを向ける三島さん。


『まあ、貴方達が強い分、普通に誰かを追跡する仕事よりは随分楽ですから。 その点では感謝していますよ。』

「しかし、良く喋るわね貴女。 この世界の住民は寡黙な人間ばかりだと勝手に思っていたわ。」


 火の付いたバゼラルドを片手で弄びながら言う私。


『死に行く運命にある人間と、自ら友好を深めたいとは思わないものですよ。』


 ……何て言い草だ。 私達に捨て駒である自覚を持てとでも言いたいのかこの女は。


『ですが、貴方達は本当の意味で特別です。 隊長は今回本気で貴方達を攻略の要として利用するつもりで今回の決断を下しましたので。』

「隊長……ねぇ。 私達を説得した人が副隊長だとすれば、更に上の人って事?」

『認識的にはそれで問題無いかと。 貴方達が提案を断っても、それはそれでどうなるか楽しみだと笑いながらも、今回の指示を副隊長になされましたよ。』


 そう言えばその副隊長とやらも私達を殺したいだったと言っていたわね。


「ちなみに私達が断った場合の貴方達の側の犠牲者の数はどれくらいと予想していたの?」

『それは……貴方達が条件を承諾したので喋って良いのでしょうか。 ……まあ、良いでしょう。 30人程の精鋭兵の犠牲は覚悟していましたよ。 その犠牲には、私も副隊長も入っていた筈です。』


 私達三人を殺すのにそれはまた……豪儀というか何と言うか。 しかし、逆を言えばそれ程の犠牲を出せば私達を殺せる自信もあったという事か……。

 私は横目でパーシャを見ると、やはり自分の判断は間違って居なかったとばかりに彼女は軽く私に頷いて返した。

 悔しいが、私もそれは認めざるを得ないので、軽く二度頷きながら念話でパーシャに礼を言う私。


『諫めてくれてありがとうねパーシャ。』

『いえ……本当はパーシャも戦いたかったです。 ……でも、やっぱりカナには生きていて欲しかったですから……。』


 悪魔の姿を全く隠して居ないパーシャにそうやって微笑まれると、まるで魅了された様な気分になって恥ずかしくなり、照れ隠しに眼鏡の位置を直すフリをする私。


『それよりもカナ。 私とカナの念話だけは彼等に解読される事は無いみたいですね。』

『えっ……? そう……なの?』

『カナ達が事を口に出して会話している時に反応している様子が、この念話だと全く感じないです。』

『……そう。 このデカ女には私とパーシャの念話は分からないのね。』

『パーシャやカナに比べれば大きいだけで一般的にはそんなに大きくないと思うですが……。』

『……本当だわ。 悪口を言っても何の反応も示さないわね。』

『今のパーシャ達の切り札はこれしか無いですね。 パーシャ達のスキルなども、詳しく知らないのでは無いですか。』

『そうなのかしらね……。』

『結局神殿にも寄って来なかったです。 私達をこれ以上強くしたくないとか、死ぬなら勝手に死ねとでもいう考えがあるのかどうかは分からないですが……まあ、念話が出来る事は出来るだけ隠しておいた方が良いと思うです。』

『そうね……じゃあ三島さんに翻訳してもらうか、そのデカ女に念話で通訳して貰う事にするわ。』


 ただ黙々と歩いているふりをしながら念話でパーシャの意見に頷く私。


『紅蓮の狐。 そろそろ二層の主が居る場所に着くわ。 準備は良いかしら。』


 すると、黙っていた私を訝しんだのか、そう私に示唆する追跡者トレーサー


「もう私の事は狐って呼んで良いわよ……ウサギの糞。」

『う、ウサギの糞!? 私の事をそう呼んだのですか?』

「糞だけの方が良い? 短いから私はもっと楽だわ。」

『こ……この……。 分かりました。 何なりと好きな様に呼べば良いでしょう。 私達お互いの呼称がこれからの戦いに特に影響するわけではありませんからね。』


 もう少し激昂するかと思ったが、あっさりとウサギの糞なり、それこそ糞なりと呼ばれる事を承諾した女っだった。

 

 ◇


「でかっ……。」


 足も含めれば横幅は10m程もあるだろうか、巨大な黒い蜘蛛がその部屋の中に居た。

 その巨大な蜘蛛の周りには50cm程の高さの卵がいくつも転がっており、そこから何匹かの小さな蜘蛛――巨大な蜘蛛に比べれば小さいとは言えるが、私の知っている前の世界の普通の蜘蛛に比べればだいぶ大きいそれが、カサカサと不気味な足音を立てながら私達に向かってくる。

 ちなみに、私が糞と呼んだ追跡者トレーサーの女はこの戦闘に参加するつもりは無いらしく、部屋の外で待機している。

 私達が全滅すれば、ただ死んだとでも上に報告するつもりなのだろうか。

 そう想像して苛立ちを覚えた私は、燃え盛るバゼラルドを振り回しながら巨大な蜘蛛に近付いて行く。


 三島さんとパーシャには何も指示して居なかったのと、彼女達も勝手に私一人で十分だろうと解釈していたのか、三島さんは適当に外側に居る小蜘蛛を撃ち、パーシャは悪魔の翼をはためかせて小部屋の上空でただ待機していた。


「キシャァァァァ!!」


 私が自分の足が届く射程範囲に入ったと感じたからか、巨大な蜘蛛は私を威嚇するような声を上げる。

 尖った牙がいくつもその蜘蛛の口から見え、口の中の赤い部分も見える。

 だが、生物的にその威嚇に何の脅威も感じなかった私は、逆に、


「フルァァァァァ!!」


 と、狐の雄叫びを上げながら、尻尾を上げて毛を逆立てる。


 パァン! と、空気がその雄叫びによって弧を描いて振動して行く感覚。

 すると、小さい蜘蛛どころか、その巨大な蜘蛛でさえ怯えて後ずさるでは無いか。


「……人を殺すのも良いけど、あんたたちみたいな雑魚を殺すのも――悪くないわね!!」


 一気に巨大な蜘蛛との距離を詰め、飛び上がった私は、バツンッ! と、上から一本の蜘蛛の足をバゼラルドで切り取り、着地すると同時に床を蹴って右足を大きく振り上げた。


 ドポンッ!


 私の蹴りは蜘蛛の胴体の真ん中に直撃し、虫の体液が重力とは逆に波立って上に波紋を広げて行く。


「キュァァァァ!!」


 痛みに声を上げる巨大な蜘蛛。 と、同時に口と尻から緑色の液体が噴き出て来た。


「汚っ!」


 流石にそんな色の体液を自ら浴びて楽しむ趣味が無い私は、蜘蛛の足のもう二本を斬りながら蜘蛛の右側へと回避し、バランスを崩して首をもたげた蜘蛛の首筋にバゼラルドの火炎を突き立てる。

 ぶしゅぅぅぅ、と、蜘蛛の体液は蒸発して行き、断末魔の声を上げる事も無く巨大な体を床に横たえた。


「……二階のボスがこれねぇ……。」


 自分達がこの層を攻略するに対して既に強くなりすぎているのを実感した私は、馬鹿らしいが多少なりとも優越感を抱きつつ、やがて消えゆく蜘蛛の姿を横目で眺める。


 ちなみに私達は現時点で二ノ宮達とは再会していない。

 という事は、彼が準備区画から飛び出した後は私達と同じようにこの二階のボスを倒し、更に下層に向かったのだろうが、彼が倒してから時間を置いてこの場所に復活リポップしたという事になる。

 一階でボスを倒した時の様に、私達のクリスタルにはSPという項目があり、そこにボーナスが1づつ入っており、このボスを倒すという行為自体に、本当に攻略との関連性はあるのだろうかと言う疑問が頭を過ぎる。

 固定の場所に固定の時間に沸くボスなど、誰かが意図的に計画したとしか考えられないのだ。

 言わばMMORPGを強制的にプレイさせられている気分なのだが、追跡者の女は鬼気迫る表情で私達にこれを強制しており、その二つのギャップに首を傾げる事しか出来ない私だった。


 ◇


 私達の二層から三層への移動は同日中に行われた。


『二層の主を瞬時に倒せたのですから、三層の主とて貴女達の敵ではないでしょう。』


 そう念話で言うと、有無を言わせずに三層に私達と共に降りた彼女。

 先行しているであろう二ノ宮君に追いつく為に出来るだけ急ごうという意志は私達にもあったのだが、人間達を惨殺した後に二階を入口からボスの居る部屋まで往復し、私も含めてパーシャと三島さんにも疲労の表情が見えていた。


「ちょっと待って。 LV1魔法もあと一回しか使えないわ。」

『その悪い足癖で何とかすれば良いではないですか。』


 どうせ使う必要も無いのでしょうと、冷たい視線を向ける彼女。


「あの……私も久しぶりに自分の足で歩いたので……これ以上歩けません……。」

『久しぶりに歩いた?』

「え……実は昨日まで歩けなかったので、車椅子を使ってたんです。」

『車椅子? あの車輪の付いた椅子の事ですか。 で、それが何故今歩けて居るのですか。』

「仲間に治療して貰ったので……。」


 視線を三島さんの足に落とす女。

 三島さんの細い足は、疲れからかプルプルと震えて居た。


『……では貴女方はここで一旦休憩したい、と?』


 私はパーシャと三島さんに目配せをして、三人で大きく首を縦に振る。


『わかりました。 では、キャンプセットを展開して下さい。』

「……もしかしたらと思ったけど、貴女も普通にキャンプの中に入って来るのよね?」

『当たり前です。 何の為に貴方達と同性である追跡者トレーサーが付いて来たと思っているのですか。』


 ◇


 女は、私が持っているのとは色の違うクリスタルを端末に刺して、この世界の食べ物なのだろう、ピザの様な生地でソースや野菜などを包んだ食べ物と、赤ワインの様な液体を端末の横の取り出し口から取り出してそれを無言で食べ始める。

 食事を楽しんで食べているという気配は無く、ただ栄養を摂取している様な感じだった。


 勿論、私達とて食事を楽しむ気になどなれる筈も無く、暗い顔をしながら女の後に皆で注文したサンドウィッチの盛り合わせにそれぞれ手を伸ばしていた。

 そのサンドウィッチの味は美味しく感じはするが、ただ無言で貪るという行為を続けた私達。


『では、私は寝ます。 明日私が起きたらすぐに出発しますので、そのつもりでいて下さい。』


 そう念話を私達に伝えると、自分は鎧を脱いでベッドに入って布団を被る女。


「自分勝手な人ですね……。」


 三島さんがそれを見て呟く。


『貴女達に殺された人は貴女達の事をそう思ってさぞ恨んでいる事でしょうね。』

「…………。」


 布団の中からそう言い返した彼女に対して言葉を紡げない私達。 やがて重い沈黙が皆を包み込む。


 私達は……この女にとっては本当に敵としか考えられて居ないのだろう。


 私はそれに対して弁明するつもりは無いし、人間を虐殺して来たのも事実だ。


 やがて私はあの黒マントの男との会話を思い出す。

 ――迷宮の攻略と、迷宮内での人間同士の殺し合い。


 その事で、私は今まで色んな想像をして色んな推察をしてきた。

 推察したその全てが間違って居た訳では無いだろうが、未だに正解には辿り着いては居ない。

 黒マントの男も、この追跡者と呼ばれる女も、私達に何かを隠している――それだけは分かり、だがその秘密を暴けない事がもどかしい。

 きっとその秘密には、二つの相反する事実、人間を殺し合わせる事と攻略させる事の両方の答えを結びつける真実が隠されているに違いない。


 私は追跡者トレーサーと呼ばれる女、その女の寝て居るベッドに視線を向ける私。


 ――――彼女はこの世界の人間。

 その彼女は何故追跡者という生業を選んだのか?

 彼女からはしっかりとした使命感を感じる。 本来ならば憎らしい私達をただ殺したいのだろうが、上から命令された事をしっかり聞いて、私達を攻略へと導いて居る。

 ……一番単純な事だが、彼女にこのまま付いて行けば、自ずと答えは見えるのかもしれないな。

 そう結論付けた私は溜息にも似た吐息を一つ吐き、部屋着に着替えようとクローゼットに向かう。

 と、余程疲れて居たのだろう三島さんがベッドに身をもたげて戦闘装備のまま寝息を立てているのが見えた。

 私は彼女の腰に手を回して両腕で抱き抱え、かつて彼女が使っていたベッドにその身を横たえさせる。


「……孝太……。」


 寝ぼけて居るのだろう彼女は、先程抱き抱えて居たのが自分の愛しい人なのだと勘違いしてその名を呟いた。

 恋人同士という感覚は私には理解出来ないが、そうやって人の事を想えるというのは幸せな事なのだろうな、と、何故だか三島さんの事が可愛く思え、つい彼女の頬を優しく撫でてしまう。


『ヒナの恋人の名前ですね……。』

『……そうね。』


 それを見ていたパーシャが私に念話を送って来た。


『また会えると良いです……。』

『同じ方向に進んでいるんだからきっと会えるわよ。』

『でもカナ……パーシャには何だか嫌な予感がするです。』

『嫌な……って……。』

『このままその女の言いなりになって進んでしまって、本当に良いのか不安ですよ……。』

『確かにそれはそうだけど……。 それ以外に選択肢が無いもの。』

『カナ……。 今だけしか多分言えないと思うので言うですが……もしも、パーシャがカナとヒナのどちらかを殺せと言われたら、迷わずヒナを殺すです。』


 いきなり物騒な事を言い出したパーシャに目の色を変える私。


『何でいきなりそんな事を言い出すの?』

『多分今じゃないと言う機会が無いと思ったからです……。』


 結局パーシャがどういうつもりでそんな事を言ったのか私には分からなかった。

 だけど、悲しげな彼女の表情に寂しさを感じた私は無言で彼女の額に自分の額をくっ付ける。


『バカね、パーシャ。 私、貴女の眷属なのよ? 貴女に私が傷付けられる訳が無いじゃない。』

『……そうだった、です。』

『でもね。 私も絶対パーシャを傷付けない。 だって、そういうのは不公平でしょ。』

『カナ……。』

『私がパーシャの一番大切な存在なら、パーシャも私の一番大切な存在。 それでこの話は終わりにしよう? ね。』

『カナ……。 カナッ!!』


 私の胸に抱き付いて来るパーシャ。 と、勢い余って私をベッドへと押し倒す。


『ちょ、ちょっとパーシャ! 変な事しないでよ!』

『……今日だけ、一緒に寝ても良いですか?』


 上目遣いで私を見上げるパーシャ。 まるで子供が母親に甘えるような表情を浮かべて。


『私と同い年なんじゃなかった? パーシャ。』

『カナの方がちょっとだけお姉さんだって事に今はするです……。』

『……そ。 じゃあ良いわよ。 でも、本当に今日だけよ?』


 私も本当は自分の寂しさを埋めてくれる彼女の存在が嬉しかった。 彼女の温もりが嬉しかった。

 だから、今日だけというのは自分への言い訳であり戒めだったのかもしれない。


 一旦身を離したパーシャは、黒薔薇のドレスを脱いで以前私の使っていたロッドを装備して角と翼と尻尾を畳むと部屋着に着替えた。

 シングルベッドに二人で寝るには悪魔の翼が邪魔かもしれないとパーシャは考えたのだろう。


『ずっとロッドを握って寝る気?』


 私も同じく戦闘服であるタイトローブを脱いで部屋着に着替えたのだが、ロッドを握り締めて私の着替えが終わるのを待っているパーシャに念話で聞く私。


『ダメですか?』

『これ履いてみて。』


 先程脱いだ高速詠唱ファストキャスティンググローブの片方をパーシャに手渡す私。

 そのグローブに手を通すと、ロッドを手放してみるパーシャ。

 自分の角と翼と尻尾が出ていない事を確認した彼女は、少し恥ずかしそうな表情を浮かべながらベッドに潜り込む。

 そんな風に恥ずかしそうな顔をされると、私も何だか少し変な気分になってしまう、と、キツネの尻尾でパーシャの首筋をくすぐる私。


『くすぐったいですカナ……。』

『……そりゃ、くすぐってるからね。』


 そう言って彼女の首筋に尻尾を纏わり付かせながら同じくベッドに潜り込む私。

 やがてパーシャの温もりと同時に睡魔が私を襲い、段々と重くなる瞼に身を委ねるのだった。


 ◇


「――織部さん。 パーシャさん、起きて下さい。 もう出発するそうですよ。」


 青白いい光が薄く開けた瞼から飛び込んで来る。


「……え? あ……。 うん。 おはよう、三島さん。」


 私は枕元に置いたメガネを付けると、三島さんの視線を追い掛ける。 私とパーシャを交互に見ているようだ……って、そうか。

 そう言えばパーシャと一緒に寝てたんだった。

 

「ええと……パーシャ、ドーブリェウトゥラ。」

「ドーブリェウトゥラ、カナ。」


 ロシア語でパーシャにおはようの挨拶をしながらベッドから降りる私。

 パーシャもロシア語で返すと、少し恥ずかしそうにベッドから降りる。


『やっぱり亜種は亜種同士仲が良いのですね。』


 朝から嫌味ったらしい言葉で私とパーシャを迎える追跡者トレーサー


「貴女には友人と呼べる人も居ないのかしら。 寂しい人生ね。」

『っ!! 早く着替えなさい! あと、その鬱陶しい髪も早く何とかしなさい。』


 本当に友人が居ないのかどうかは分からないが、慌てて念話でそう言い返す追跡者。

 ふと自分の頭を触ってみると、三つ編みは解け掛けており四方八方に髪が跳ねて広がって居た。

 それを慌てて手櫛で直そうとするが、変に癖の付いてしまった髪は再び跳ね上がり、それを見ていた追跡者が鼻でそれを笑う。

 寝起きの人の寝癖を見てあざ笑うなんて良い趣味してるわ。 寝て起きたら誰だって寝癖の一つや二つ付いているものよ。

 だが、指摘されて悔しくなったのも事実で、そんな事を言った追跡者を一睨みする私だが、彼女は既に身なりを整えており、髪は昨日の様にしっかり後ろで一つに束ねていた。


「言われなくても寝癖くらい何とかするわよ。 まあ、私の場合一人じゃなくて二人でだけど。 パーシャお願い。 髪やってくれる?」


 自分の髪を指差してパーシャに問い掛ける私。


「расчесывать волосы?」

「……三島さん、パーシャは何て?」

「え? ……髪を梳かせば良いのですかって聞いてますけど。」


 へぇ。 身振り手振りだけでも案外伝わるものなのねぇ。 と、私が関心していると、敢えて念話を使わなかった私とパーシャを一瞬訝しむ三島さんだが、何か考えがあっての事だろうと素直に翻訳して私に伝えてくれた。


 ◇


 バスルームに行き、解け掛けた三つ編みにを完全に解いて、癖の付いた髪に私が整髪剤を付けると、私の後に一緒に付いて来ていたパーシャは、日用品を買う時に見つけて購入していたのだろう、赤い色の櫛で私の髪を梳き始めてくれた。

 そうして一旦真っ直ぐに黒髪を梳くと、両方の手を使って三つの束を作り編み始めるパーシャ。


『今日は何層まで行かされるですかね。』

『……そうね……また無茶をしろって言って来るんでしょうね……。』

『そういえば戦闘には参加しないですね、あの人。』

『そうね。 それも何か理由があっての事なのかしらね。 ……さ、パーシャ。 今日も頑張りましょう。』

『はいです!』


 ◇


 簡単な朝食を済ませた私達はキャンプを畳み、再び湿った空間――迷宮の第三層へと現れる。


『この層では迷宮自体を簡単に攻略出来ないように、入り組んだ奥の所に主の部屋があります。』

「……へぇ。 でも案内してくれるんでしょ?」

『不本意ながらそうなりますね。 少しは感謝しても良いのですよ?』


 誰が感謝などするかと眉を顰めて追跡者トレーサーを睨み付ける私。


「織部さん。 敵が来ます。 数は結構多い……17です!」

「まずは遠距離からの攻撃にしよう! 三島さんお願い!」

「はい!」


 三島さんが探知した三層の敵は人間の子供程の大きさの四足の獣だった。

 遠目に見て、オオカミに近い様には見えるのだが、私が知っているオオカミよりは更に口が裂けて居て、耳が極端に短いようで、獣というよりも妖怪あやかしの類に私には見える。


「クォォォォン!!」


 そんな雄叫びと共に17匹全員が前から駆けて来る。

 そこに襲い掛かる三島さんの矢の嵐。


 ツパパパパパパパパッ!!


 轟音が来ると分かっていたので、彼女が弓を射る瞬時に耳を塞ぐ私とパーシャ。

 追跡者をちらりと見れば、三島さんの弓の轟音に顔を顰めて居て、少し気分が晴れる私達。

 さて、放たれた三島さんの矢は突進して来る獣達の四肢を吹き飛ばし、突き抜け、通路全体に血肉をぶち撒ける。

 勢い良く突進していた獣達は一瞬で数を5まで減らし、だが無謀にも更にこちらに突進を続ける。

 パーシャは一瞬飛び上がって身構えるが、大丈夫だと念話を飛ばした私は業火を纏ったバゼラルドで通路を横一閃に薙ぐ。

 ごう、と、炎は残り火と共に音を立て、炎の剣の先端は向かってきた5匹のうち4匹を切り裂いて、同時に焼き上げる。

 そして、最後に残った一匹は私の目の前で立ち止まり……。


「きゅうん。」


 と、声を立てて床に平服したところで、私の硬化したプロミネンスブーツの足が獣の頭を踏み抜いた。

 更にはぶちゃりと潰れる醜い獣の頭を、消えるとは分かっていてもまるで汚い物だとばかりにブーツの底でぐりぐりと床に擦り付ける。


『何とも残忍な殺し方をするのですね。』

「殺し方に綺麗も汚いも無いでしょ。」


 顔を顰めて言う追跡者トレーサーにそう言い返す私。


「それとも貴方には貴方なりの美学があるのかしら?」


 そして、挑発するように彼女へ疎ましい視線を横目で向けた。


『……私は余計な事を喋り過ぎているようですね。 先に進みましょう。』


 一瞬何かを言い返しそうになる彼女だったが、その言葉を飲み込んで踵を返す。

 何だかこの女を挑発するのが面白くなってきたのは気のせいかしら。


 ◇


 それからモンスターとの戦闘は5回ほどあり、全て私達の圧勝で終わった。

 そして、その殆どは三島さんの弓、シルバーグローリーによる戦果である。

 ほぼ無限の矢がある彼女が繰り出す攻撃は、モンスター相手には正に敵なしと言ったところで、私やパーシャが彼女が撃ち漏らした敵に手を出す以外は三島さんの矢の餌食となった。


 三層の敵は四足の獣を主に、大きいウサギなど前の世界で言えば小動物を大きくした様な敵が多かった。

 階層によって敵の種類が違うのは予想していたが、ならば四層はどんな敵の種類なのだろうと想像していた時の事。


『この先が三層の主の部屋になります。 適当に倒して来て下さい。』


 とある部屋の前で手をひらひらと無表情で横に振りながら念話で言う追跡者。


「……また弱い敵ですよ……一体私達に何をさせたいんですか……。」


 主というからにはそれ相応の手応えが欲しいのか、そうぼやく三島さん。 だが、それには何も答えない追跡者。

 ……まあ、黙ってやるしか無いのよ、と、軽く三島さんの肩を叩く私。


 しかし……部屋を開けて中に居た敵は予想外のもの・・だった。


 一層が大きい犬、二層が大きい蜘蛛となれば、それこそ大きい獣かと勝手に予想していたが、そこ居た存在は、あまりにも……。


 ……小さすぎた。


 大きい前歯の、ピンク色のウサギ。 30cm程の背丈のそれが、部屋の中央に怯えながら縮こまっていたのだ。

 これが……主?


 私の脳裏にも沢山の疑問符が浮かぶ。

 だが、追跡者が指摘した部屋のその中央に、そのウサギは居た。

 どうやって殺そうかというそういう問題では無く、それこそ私の片方の手で首を握り潰せば一瞬で殺せるであろうその存在。


「何……これ。」


 思わず私もそう口にしてしまった。

 そして、口にした瞬間怯えた眼差しを私達に向けるウサギ。


『カナ……これがこの層の主である、意味がわかるですか?』


 私の心情を察してか、パーシャが念話で伝えて来る。


『分からないわ。』

『……今までの流れとは全く違うです。』

『そうね……。』


 私はそう言いながら小動物に向かって足を進める。 すると、怯えた表情でこちらを見上げて来て……バゼラルドを持った私の手が小刻みに震え出す。

 ――人を殺す事は何とも思って居ないのに、こんな動物を殺すのには躊躇するっていうのか私は。


 ツパァン!!


 と、激しい音と共に、愛くるしいウサギの頭が吹き飛んだ。

 その弾けた頭から噴き出した返り血がびしゃりと私の顔と眼鏡を濡らす。


「織部さん。 迷ってる暇はありませんよ。」

「……三島さん。 あなたがやったの?」


 私の問いにこくりと頷く三島さん。


「もしかして……私がこのウサギを殺せないと思ったの?」

「逆に聞きますけど、何で躊躇したんですか? 織部さんらしくないですよ……。」


 三島さんは、私を心配する様な表情で見詰めてそう言った。

 何故こんな簡単な事が出来ないのか、と。

 やがて私に付着していた返り血が消え、ウサギの死体も消える。

 ……果たして、二ノ宮君だったらこのウサギを殺していただろうか?

 いや。 愚問だった。 彼もこのウサギを殺して先に進んだのだろう。

 三島さんは二ノ宮君に追い付く為に、そして二ノ宮君は自分の願いを叶えて三島さんを解放する為に手段を選ばなかったという事だ。

 嗜虐心とは別の、互いを想う気持ちというのはこんなにも強いものなのだなと目を細めて関心してしまう私。


『終わりましたね。 少し手間取ったようですが?』


 三層の主が居た部屋の扉の隙間から顔を出して言う追跡者トレーサー

 特に私を見ている事から、侮蔑の感情を感じる私。

 本当にどこまでも憎たらしい女ね……。

 などとその女を睨む私だったが、そんな事はお構いなしに4層へと足を進める様に促す追跡者だった。 

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