暗殺計画
一行が宿屋区画に付いたのは、それから5分後の事だった。
若干警戒しながらも、陽菜の探知で食堂区画には現在殺人集団が居ない事を確かめ、眠気と戦って居たが、空腹とも戦っていた彼等は、各々軽い夜食を食堂で取る事にした。
陽菜の食事が乗ったトレイと、自分の食事が乗ったトレイを両手に持ち、堂々とテーブルに向かう孝太と、その後に続く車椅子に乗った陽菜。
同じく食事が乗ったトレイを持った佳苗と里香、そして石塚の三人は、こんなに堂々と食堂で食事を取っても良いものなのか、と、多少面食らいながらも、孝太と陽菜が向かったテーブルに自分達も向かうのだった。
「そんなに心配しなくても、僕達5人の隠蔽を看破して、尚且つ僕達が今日戦った相手だと結び付けるのは難しいだろうし、まして準備区画で仕掛けて来るなんて有り得ないから大丈夫だよ。」
「そ、そうなのかな……。」
孝太の力強い言葉に、多少抱いて居た不安を取り払い、席に付く里香。
「その……殺人集団は、宿屋の方に居るんですか?」
と、陽菜に問いかける佳苗。 佳苗が彼女に対しても以前の様に少し高飛車な言葉使いでは無く、孝太にするのと同じ様に、です、ます、口調になっている事に以前とのギャップを感じて多少気持ちの悪さを覚える陽菜だったが、今は陽菜の事を立てて居るのだと解釈して、佳苗の質問に答える事にした陽菜。
「そうですね。 宿屋の奥あたりにそれらしき反応があります。」
「……分かってたけど、やっぱり居るのか……。」
陽菜の言葉に、そんな絶望的な声を上げる石塚。
居るのは当たり前の事だろうに、何を言っているのだろうかと首を傾げる陽菜。
「だって……人を殺しまくってる奴等と、ずっと一緒に居たなんて……改めて考えたら怖くてさ。」
「そう言う事ですか。 私達は知ってましたし、人を殺す側でしたから、そう言うのはあまり気にしても仕方ないと考えていました。」
と、あっさりと答える陽菜に、夜食を食べる手を止める里香と石塚。
やがて、里香が持ったスプーンに乗っているミネストローネのスープが、震える里香の手によって小さい波を作ると、ぴしゃり、と一部が零れ落ちた。
「何……それ。 まるでそんな事した事無い私達が、バカみたいに聞こえるよ。」
「そういう風に言ったつもりは無いのですが……。」
「小野寺さん。 陽菜が言いたいのは、結局事実を受け入れるしか無いって事だよ。 別に他意は無い。」
陽菜が弁明しようとしたすぐ後に、孝太が代弁してそう里香に伝えると、その孝太の冷たい声色に怯えたのか、びくりと身体を後ろに反らす里香。
そんなに怯えるなら、最初から噛みつかなきゃ良いのに、と、横目で里香を見る佳苗。
「また……仕掛けるのか?」
石塚は悪くなった雰囲気を変えようとして話題を振ったのだが、それは皆が疑問に思って居た事で、またそれは、まだ今は考えたく無いと思っているのが大半だった。
「僕達の戦力じゃ、今は無理だろうね。」
「無理……じゃあ、どうするんだ?」
「例えば、あいつらが誰かを攻撃している時に、後ろから攻撃するという手しか無いと思う。」
「……暫くは様子見って事か……。」
ふと、以前話して居た織部加奈の事を思い出す里香。
まだ連絡を取れて居ないのだろうが、孝太よりも強い筈だと聞いていた彼女が居れば、状況は少しマシになるかもしれないと考えて。
ただ、この場に佳苗も石塚も居る手前、陽菜に直接加奈の事を聞こうとは考えなかった彼女は、その加奈の存在が無い前提の元で話をしているのだと勝手に解釈し、話を続ける。
「いっそ誰かがやっつけてくれたら良いのに……。」
「それは、可能性が無い事も無い。 けど、それに期待するのは他力本願過ぎるだろうね。」
「そりゃ……分かってるけど。」
里香は、正直言えば孝太という存在が苦手になりつつあった。
里香が理想を語ればその理想を言葉で打ち砕き、また夢を語ればその夢も言葉で打ち砕くのだ。
孝太はある意味現実主義なだけだったのだが、博愛主義である里香ならば、『そうだね。 誰かがやってくれないかなぁ。』と返して、皆を和ませる話題になる筈だった。
――この孝太という存在は、本当に一緒に居て大丈夫な存在なのだろうか?
やがて、彼女の中に、そんな疑問が沸き起こる。
この時、里香は孝太が亜種である事も、またその資質を与えられた理由も知らなかった。
だが、こうして敵と戦って生き延びて居る以上、自分達よりも強い事は確かだと彼女は認識していた。
里香には無自覚だったが、沸き起こった疑問はやがて異物に対する恐怖に変わり、まるで死神を見る様な目付きで孝太を見始めてしまう彼女だった。
◇
結局、食堂での話し合いで、隙を見て敵を攻撃するという方向性は見えたものの、その方向が不透明なせいもあり、今だに五人の空気は重かった。
その五人は、空腹を満たした後、新規に6人部屋を借りると、真っ直ぐその部屋に向かい、今はそれぞれが思い思いのベッドに腰を掛け、里香や石塚に至っては、既にベッドの上に寝転がって居た。
「少し休めば良い考えも浮かぶかもしれませんよ。 交代でシャワーを浴びませんか?」
陽菜から全員にそんな提案が出されると、深夜の逃走でたっぷり汗をかいた里香と石塚は、気怠い身体を起こしながら頷き、そして、佳苗もそれは良い案だ、と、軽く頷いた。
次は順番を決めないと、と、4人を見渡す陽菜だったが、佳苗は石塚と里香の二人を見て、石塚は里香を見た事で、一番最初は里香となり、二番目は石塚となった。
◇
自分の部屋着は以前の部屋に置いたままだった里香は、仕方無いとそれを諦めると、陽菜が持っていた洗浄剤を借りて、それを振り撒いてローブと下着を洗い、次に身体と髪を洗うと、同じく陽菜から借りた整髪料を使って髪を整える。
後が詰まって居るので時間は掛けられなかったが、それだけで気分は大分すっきりした様子の里香だった。
◇
二番手の石塚は、男らしいと言えばらしいが、5分に満たない時間でシャワーから上がってきた。
普段は金属の鎧で全身を包んでいる彼だったが、今はぴっちりと身体に密着している長袖のシャツと長袖の、こちらもぴっちりとした、前の世界ではアスリートフィットというタイツとズボンを足して二つで割った様な細身のシルエットのズボンであった。
そして、鎧の中はそうなってたのかという陽菜と孝太の視線を他所に、早速布団に潜り混んで寝息を立て始める彼だった。
◇
さて、次のシャワーは、佳苗の番だった。 彼女も部屋着や予備の下着は前の部屋に置いて来てしまった為、服を洗う必要があったのだが……。
彼女は下着は洗う事にしたが、孝太に抱き締められ、そしてずっと抱き抱えられて居た時に着ていた、その所々焼けて穴が空いて居るローブは、勿体無くて洗う事が出来なかった。
逆に、もう一度ローブを手に取ると、服の胸のあたりを嗅いでみる、と、微かに孝太の匂いがしたような気がして、きゅん、と、下腹部が収縮するのを感じ、ああ、自分は何て愚かで厭らしい事をしているのだ、と、鏡の中の自分を見詰める彼女。
そこには、瞳を潤ませ、頬を染め、内股になって足で局部を必死に隠そうとしている、人間のメスが居た。
「孝太さんに……抱いてもらってるのよね、あの子。」
以前に抱いていた、男女がそうなる為の順番という物は、彼女の中から全て消えて無くなっており、また、焦がれてしまっている想いを満たす為には、言葉でも約束でも無く、実際の行為なのだと開き直り、言わば彼女はメスとして完全に発情していた。
彼女の価値観は日立を失ってから一度全て崩壊し、そして、孝太に焦げる様な思いを抱き始めてから再構築されており、処女性をステータスだと考えて居たかつての彼女は今は何処にもおらず、孝太の全てが自分の全てだと考え始めており、彼に全てを捧げても良いと、過言ではなくそう思って居た。
逆に、更に言えば倫理なども関係無く、所有物として扱われる事を望み、もし性欲を彼が持て余したならば、獣の様に後ろから乱暴に犯されたいとまで考えて居た。
悪い意味で言えば、佳苗は倫理ある人間としては完全に壊れて居たと言える。
だが、同時に欲望には素直になり、人としての生物の原点には近づいたのだろう。
どんな女だって、自分がこれだと決めた男の子供を宿したいものだ、と、彼女は改めて考える。
そして、その男を独り占めしたいと思うものなのだとも。
孝太が頭を撫でた時に感じた、陽菜の冷たい視線。
嫉妬と憎しみが混じった、彼女の視線。
生物として完全なる威嚇を、産まれて初めて感じた佳苗は、その威嚇に心を燃え滾らせて居た。
私の物に、手を出すな、出したならば、殺すと言うあの視線。
「…………なら。 ふふ。 うふふふ。」
何が楽しいのか、いきなり笑い出した佳苗は、無造作に自分の胸と局部を掴むと、痛みを与えるくらい強く握り締める。
実際、中学生にしては豊満な乳房には、彼女の人差し指と親指の爪が少し食い込んで居た。
そして、まるでその痛みを楽しむかの様に、再び笑う佳苗だった。
◇
佳苗は随分と長い時間シャワーを浴びて居たらしく、次に入ろうと思って居た陽菜は、車椅子の上で眠りこけて居た。
そして……孝太も、ベッドの上に寝転がって、寝息を立てて居た。
なんという……絶好の機会だろうか。
佳苗は、漏れて来そうな歓喜の声を押さえる為に、口元に手を当てる。
そして、その歓喜の声が落ち着くと、彼女はなんと魔法を詠唱し始めた。
「水面寄りて風吹かば、其処に眠りし賢者の晶石の影が揺らめいた。 湖岸に佇む
魔法が発動した直後――彼女の両手から発生した薄紫の煙が、やがて他の四人の仲間へと揺らめいて行く。
最初は煙状になってその四人の回りに漂って居るだけの紫の煙だったが、やがて四人のそれぞれの鼻孔に近づいて行くと、そこから寝息と共に、すぅ、と、四人の体内に入り込んで行く。
彼女が唱えた魔法は、強制催眠魔法、LV1の
催眠効果は強い方では無い為、対人相手との戦闘には使い難いが、モンスター相手や、こうして一度寝ている人間に掛けるには、効果的であった。
その魔法の煙は孝太の鼻孔にも入って行こうとするが、佳苗が、パチンッ!と、指を弾くと、やがて孝太の鼻に向かう煙だけが霧散して消えて行く。
「ふふ……。 陽菜さん……貴女にああやって睨まれたら、二ノ宮君に相手をしてもらうなら、こうやって無理矢理じゃなきゃダメだって、教えて居る様なものなんですよ。」
口の端をにやりと上げて車椅子で眠る陽菜に声を掛けると、自分は孝太のベッドに腰を掛けた佳苗。
そして佳苗は自分の髪をかき上げると――おもむろに孝太の唇に、自分の唇を重ねたのだった。
ほぼ完全に眠っていた孝太だったが、その唇の感触に、半分目を覚まし、そしてその感触に、陽菜が巫山戯て居るのだろうかと考えて居た。
だが、熱烈に貪られる自分の唇に感じる彼女の唇に、彼女の本気を感じ、もう皆が寝静まったから、こっそり行為を始めようと言うのか……?
と、まだ血の巡ってない頭に考えを巡らせて、眠い目を擦りながら、薄目を開けた孝太。
――――だが、目の前に居たのは、陽菜では無かった。
彼に馬乗りになり、自分の口を熱心に貪って居たのは、かつてのクラス委員長、同級生の樫木佳苗だったのである。
孝太の背中に、ぞわり、と、悪寒が走る。
「な、何を……っ。」
慌てて口を彼女の口から離し、自分の口を拭う孝太。
「あら。 キスは嫌いでしたか?」
「嫌いも何も……僕と君とは別にそんな関係じゃ……。」
「なら、そんな関係になりましょうよ。」
佳苗の妖艶な笑みと唇に付いた涎が、部屋の青白い光に照らされる。
「……一体君は何を考えてるんだ?」
「私は貴方の物なんです。 所有物なんです。 だから、私を味わって下さい、ご主人様。」
「僕は君の主人になるなんて一言も……。」
「それは良いんです。 私が決めた事ですから。 私の何もかもを、貴方に捧げる、と。」
空いた口が塞がらない孝太。
「それに、知ってるんですよ。 実は孝太さん、貴方……陽菜さんに身体で籠絡されたんですよね?」
「ぼ、僕が……身体で籠絡?」
「孝太さん。 貴方、陽菜さんの事を元は恋愛対象で見ては居なかったんでしょう?」
「っ!? 何をいきなりそんなっ!!」
「だって、分かるんです。 一昨日、この世界に来てから何日かぶりに会った貴方の瞳には、彼女、陽菜さんは映って居なかった。 本当は織部さんの事が好きだったのでしょう?」
「…………。」
「無言っていう事は肯定ですか。 そうですよね。 事実ですもの。」
孝太にとっては、悔しいが、佳苗の言っている事は確かに事実であった。
「そして、陽菜さんは貴方と二人きりになったのを良い事に、貴方を挑発して、自分の男にしたんですね。 貴方達二人は、まるでそれを真実の愛を得たかのように振る舞い、夫婦だなんて言ってましたが、それは自分達を誤魔化す為の方便なんじゃないんですか?」
「ぼ、僕と陽菜の関係に口を出される言われは無い!!」
「ええ。 だから口は出しませんよ。 でも、貴方は私に手を出さざるを得ないんです。」
「手って……。」
「でも、安心して下さい。 何も貴方と陽菜さんの関係をぶち壊そうなんて考えてませんから。 夫婦ごっこはこれからも続けて貰っても構わないですよ。 ――そうですね。 立場的なら私は愛人と言われても構いませんし、孝太さんが良ければ肉奴隷と言われても構いません。 婚約とか、そういう仮初の約束なんて別に要りませんし――貴方に私の身体に、刻んで欲しいんです。 貴方の所有物である証を。」
自分の胸に手を押し付けながら言う佳苗の、その言っている事の内容、何一つも意味が分からない孝太。
そんな事、僕が認める訳が無いのに、何を言っているんだ、と。
「そう言えば、これを言うのを忘れて居ましたね。 貴方が私を準備区画で殺したら極刑なのは知っていますよね。 でも、誰かがLV10以上の亜種の資質を持っている貴方を告発したら、貴方には討伐書が下され、つまり貴方はこの世界では、準備区画においても合法的に殺される事が可能になってしまうのです。」
「と、討伐書?」
「LV10以上の亜種は、討伐対象として見なされ、この世界では合法的に殺しても良い事になっているんですよ。」
「その亜種ってのは……まさか僕の事? そんな……あり得ない……。」
「私達を召喚した人に真相を確かめたいのというなら止めませんが、それを確かめようとした時点で貴方が亜種である事や、しかもLV10を超えていると看破される可能性もありますので、お勧めは出来ません。 その時点で討伐書を書かれてお尋ね者になってしまうかもしれませんから。」
「そ……んな……。」
一瞬、佳苗の作り話かと思った孝太だが、改めて考えて見ると辻褄が合う点がいくつかある。
自分と加奈以外の亜種を、彼等は目視した事が無いのだ。
LVが低い時、その素質の低さ、パラメーターの弱さから、初期から成長する事が叶わず、無残に散って行って居るのだと勝手に思って居たが、そういう決まり事があるのなら、話は別だ。
まして、実際に自分は偶然にもLV1になった時から、対人相手に強くなっている。
そしてやがて、人というカテゴリーを遥かに超えた、現在……。
「だ・け・ど。 私は、孝太さんは私のご主人様。 だから大事な人を告発なんてしたく無いんですよ。」
「……なら、どうするつもりだ。」
「なんでそんなに怖い顔するんですか? 確かに脅している様に聞こえるかもしれませんが、私が孝太さんの所有物である事を証明して下さいと言っているだけなんです。」
そう言うと、鼻息荒く、孝太に迫って来る佳苗。
慌てて孝太は周囲を見渡す。 が、他の三人はこんなに自分達が騒いでいるにも関わらず、未だ深い眠りに付いて居た。
「安心して下さいな。 皆、簡単には起きないようにちゃんと魔法で眠らせていますので。」
「本気なのか……いや、正気なのか、佳苗。」
「名前で呼んでくださるんですか!? 嬉しいです!!」
「……ここで、僕は、お前の喉だって噛み切って殺せるんだぞ?」
実際に牙を伸ばし、涎に濡れたその牙を光に照らす孝太。
「ああ……雄々しくてとても良いです。 良いですよ。 殺したければ殺しても。」
「なっ……。」
「それで孝太さんが極刑になってしまうのは悲しいですけれど。」
彼女は、本気だった。 それで孝太に殺されたとしても、本望だと考えて居たのである。
自分が極刑になっても、お前を殺すと言った相手から、どうぞご自由にと言われれば、これ以上の説得は不可能だと判断せざるを得ない孝太。
やがて孝太の表情で、チェックメイト出来たと思ったのだろう佳苗は、ふふ、と、妖艶な笑みを浮かべて、自分の服を脱ぎ始めるのだった。
◇
――気持ちが悪い事だ、と、孝太は心では感じていた。
いや、必死にそう思おうとしていた、が、正しいだろうか。
だが、身体は気持良く感じてしまうというのは、男としての性と言わざるを得ない。
通常は受け身である筈の女性がされるのであれば、強姦という形で今回の話は悲観的に終わるだろうが、攻め手である男性が、見目麗しい相手から性的行為を受けた場合、大抵の場合は精神的な気持ち悪さよりも、身体的な快感がそれを上回ってしまう事が多いと言わざるを得ない。
そもそも、男は不特定多数と交われるように出来て居る生物なのだから。
孝太も、心では陽菜に救けを求めつつも、彼女の咥内によって執拗に刺激される下半身と、上目遣いで孝太を見上げる見麗しい佳苗の女体は、彼を行為へとつい没頭させてしまう。
やがて佳苗は自分の位置を変えると、陽菜とは違うふっくらとした肉付きの下半身の中央を孝太に見せ付け、そぼろに濡れたその部分を執拗に自らの手で刺激し、声を上げる。
孝太の知っている前の世界での結婚という概念では、男も女も、淫行をしてはならない。
それぞれのパートナーを裏切ってはならない、そういった、良い意味では約束、悪い意味では束縛によって違う異性に対する互いの性欲を制御して来た。
中にはそんな倫理など関係無く、男女問わず不特定多数の人物と行為を繰り広げた者も居ただろうが、それは大抵不貞と呼ばれ、断罪されるべき行動だ。
だが、そういった概念はこの世界には一切無い――いや、あると言えばあるが、それは個々の認識の問題であり、別段この世界の禁忌という訳では無い。
佳苗はこの世界の理をそう自分なりに導き出しており、その理に対して反論する術を持たない孝太は、翻弄されるしかなかった。
前の世界の人間の一般的な日本人少女の感性で言えば、彼女の行動は、狂気の沙汰でしか無いと言っても過言では無いかもしれない。
だが、この世界においてならば、その狂気とも言える彼女の解釈を、否定する法は存在しない。
人を殺し、仲間を殺され、そして、そんな殺伐とした日々の中でも、肉欲を求める事――――それがたとえ元の世界から召喚されたばかりの女子中学生が強姦される事であったとしても、この世界でそれは罪としては認められて居ないのだから。
孝太は、罪悪感と共に肉欲に流されてしまいそうな自分の心に、最後の最後まで抗い続けた。
しかし、悲しい事に、佳苗の中に孝太が無理矢理入れられると、彼の中に最後に残っていた理性が弾け、彼の意識も佳苗の無言で提唱するこの世界の理によって、上書きされてしまったのだった。
◇
佳苗が孝太に抱いて居たのは、憎悪では無い。 紛れも無い愛情だった。
愛する者に支配される喜びという、多少歪んでは居るが、愛情。
だから、孝太を脅して彼に抱かれたとしても、彼女にとっては『愛を育んだ』事になり、そこには罪の意識など何一つ存在しなかった。
――ただひたすらに、愛おしいという思いを、自分を支配して下さいという想いを、ただ我武者羅にぶつけただけなのである。
遂に、自分の中に吐き出される孝太の若い精に、身体をぶるりと震わせる佳苗。
吐き出した側の孝太はだらりと身体の力を抜くと、
「……これからも……君の望む様にするから、この事は陽菜には言わないでくれ……。」
と、物分りの良い事を言い出した彼に、佳苗は歓喜を覚える。
「ふふっ。 勿論、言いませんよ。 討伐書も、私が誰にも書かせたりしません。」
自分の中から零れ落ちて来る孝太の体液を指で拭うと、満面の笑顔でそれを舐め取り、孝太の耳元で囁く佳苗だった。
◇
陽菜が目を覚ましたのは、正午を回ったあたりだった。
良く寝たというか、車椅子に座って寝ていたにしては、あまりにもすっきりと寝すぎた感覚に、何か違和感を覚えるが、ゆっくりと身を起こして伸びをすると、やがて爽快感の方が勝り、その違和感など綺麗さっぱり消し飛んでしまう。
「ん……んん……。」
ほぼ同時期に、向かい側のベッドに寝ていた里香が起き出し、同じく両腕を上げて背伸びをした。
ふと目が合うと、何か気まずいのか、里香は陽菜の視線から目を背けながらも、
「おはよ……。」
と、蚊の鳴く様な声で挨拶してきた。
昨日、正確には今朝寝る前に、迷宮の中でも外でも色々あったのだが、なんとか彼女は正気は保っているという事だと解釈した陽菜は、
「おはようございます。 気分はどうですか?」
と、笑顔で里香に話しかけた。
「……良く寝たけど……気分は、良くない……なぁ。」
「そうですか……。 まあ、お互い今日は少し休みましょう。」
「……う、うん。」
陽菜が優しい声を掛けたのが意外だったのか、照れ臭そうに返事をする里香。
実はこの時、既に陽菜は半分里香の事を諦めて居たのだが。
これからも一緒に迷宮を攻略するというには、彼女は結局優しすぎるのだ。 それは、前の世界では美徳と言えるかもしれないが、この世界には必要の無い物。
それに、陽菜達が容赦無く人間を殺している姿を見れば、きっと彼女は自分達を断罪したくなるだろう。
だが、半分必要だというのは、彼女にはまだ利用価値があるからである。
陽菜とて、自分の足が治る可能性を捨てたくは無い。
その考えを総合すると、この時点で、陽菜はこう考えて居た。
『足を治させたら、小野寺里香も切り捨てる事を考えておかねばならない。』
と。
◇
――孝太の様子がおかしい。
そう陽菜が感じたのは、午後一時頃に朝食を兼ねた昼食を取っている最中だった。
最初は殺人集団の事を気にしているのかと思った陽菜は、探知して周囲にその殺人集団が居ない事を確認し、その時、今朝にあった大捕り物の噂話を隣のテーブルの人達がしているのを聞き付けた。
話によると、陽菜達が寝ている間、召喚された人物が召喚された人30人と、こちらの召喚士と兵士を殺して、極刑になった者が居るという念話が全員に伝えられたという物で、そんな美味しそうな餌ならあの殺人集団が動かない筈が無い、と、実際件の殺人集団を探知してみると、やはり彼等の気配が準備区画に無い。
「……あの殺人集団も、その標的を狩りに行っているみたいですね。 探知では、今宿屋区画には居ないようです。」
「……え? あ、ああ。 そうか。 なら安心だ……。 うん……。」
何か気落ちしている様子の孝太に、首を傾げながらも、また何か大きな問題でも抱えて居るんだろうかと心配になる陽菜。
その心配は的中しているのだが、勿論孝太がその問題を自分から口にする事は無かった。
何か言いづらい事だろうか、と、考えた陽菜は、
「孝太、昨日の戦闘でポイントが溜まったのでは無いですか? 装備の改修と、武器でも見に行きましょうか。」
と、孝太を買い物に誘ったのだった。
「あ、ああ。 そうだね! そうだ。 そうしよう。」
気持ちをなんとか引き戻した孝太は、なんとか笑顔で答える事が出来たようである。
◇
陽菜は、買い物は孝太と二人きりでするつもりだったのだが、佳苗がすぐ後から付いて来て、更にその後ろを里香と石塚が付いて来た。
これでは二人だけで話は出来ないな、と、多少気を落とす陽菜だったが、装備の改修が必要である事に変わりは無い。
やがてピピナ商店への入り口を抜け、空いているブースに入る五人。
陽菜は、孝太と話をするという目的が妨げられた今、前回の戦闘で消耗した物も無いので、ブースに背を向けてヒューマンウォッチングをしていた。
昼間は流石に比較的人が多く、東南アジア人、白人、黒人、アラブ系アジア人等様々な人がピピナ商店に出入りしているのが見え、現在は30人から40人程だかろうか、の、人達がその商店の中でそれぞれブースに座り、買い物を楽しんで居た。
もし隠蔽状態で無ければ、他人をジロジロと見ている自分は目立つかもしれないな、と、考えつつも、陽菜はその人達をそれぞれ注意深く観察して見る事にした。
◇
まず陽菜の目に入ったのは、まだ希望の表情に満たされている人達。
まだ召喚されたばかりなのだろうか、装備を新調して迷宮を攻略するという希望を抱いているであろう彼等の表情は明るかった。 だが彼等も、迷宮を攻略している間に、いずれ殺人集団や自分達の様な集団に仲間を殺され、もしくは全員が殺されて絶望するのだろうかと考える陽菜。
自分達と同じ様に前の世界での死の淵から拾われて、迷宮を攻略する事で願いが叶えらえるという希望を抱いているのだろう。
だが、その人達の表情に、陽菜は憐れみの眼差しを向ける。
その彼等の横に居た集団には、彼等とは対照的に、表情が無くなっていたからだ。
白人男性四人、黒人女性一人の五人の集団は、無表情だが、何かに怯えて居る様子で、日用品を購入していた。
彼等からは全く覇気が感じられず、きっと攻略を諦めて、ただ生きる為に細々と迷宮でポイントを稼いでいるのだろう。
今、希望を抱いている人達も、いずれその五人の様になってしまうのか、そして、もしかしたならば、自分達もいずれそうなってしまうのかと想像して、背筋を震わせる陽菜。
だが、自分は違う。 孝太と自分は、絶対に生き残って前の世界に帰るのだ、と、首を横に振って、抱いた恐怖を振り払う陽菜。
だが、本当に願い事など、叶えられるのだろうか、と、改めて自問自答する陽菜。
いや、叶える必要など、あるのだろうか。
彼女にとっての願いは、孝太と一緒に居る事であって、それが前の世界だろうが、こちらの世界だろうが、彼女にとってはどちらでも構わないのだ。
大好きな人が出来、その人と結ばれ、そして戦いながらも必死に生きている今、その今を、幸せだと感じているのだから、無理に帰る必要など無いのではないか。
そして、それを言うならばむしろ、前の世界に帰る事に、彼女は恐れを抱いて居た。
両親の居る安全な世界で、中学校という教育機関を終え、高等教育を受け、そして大学にも行くかもしれなかった世界。
その世界に帰ったならば、まず両親には孝太と関係を持った事を咎められるだろう。
人を殺して来た事も咎められるだろう。
佳苗が以前言っていたような、『元の世界の普通の中学生』に、自分が戻れる自信は陽菜には全く無かったのだ。
元の世界に居る自分を想像出来ないという事は、既に親元から巣立つ覚悟をしなければならないのかと自分に言い聞かせる陽菜。
だが、そう言い聞かせた時、自分の心の中にストンと何かが落ちた。
――いや。 自分はもう、知らぬ間に巣立って居たのだ、と。
何度も死線を乗り超え、孝太という掛け替えの無い物が出来た今、自分が一番したい事は何なのかと問われれば、ただ純粋に、孝太と生きたい。 それだけだった。
そんな風に考えた時、殺人集団と呼んでいた人達の表情を不意に思い浮かべると、その彼等でさえも、本気でこの世界でただ生き残る為に、戦って居るだけなのかもしれないな、と、理解まで示せる様になったのである。
だが、同時に苦笑いを浮かべる陽菜。
結局、彼等とは、いずれにせよ戦わなければならないのだと実感したからだ。
迷宮で稼ごうとする以上、彼等との接触は避けられない。 それに、自分は探知能力者で、彼等から目を付けられて居る張本人なのだからと。
陽菜がそんな覚悟を決めていた時、事態は動き出した。
――悪い方向に。
それは、隣のブースから聞こえてきた。
『捕まったあの日本人の
『あのラゼットグループに捕まったって子の事か? ……犬みたいに扱われて居るとしても、良く生きてるな。』
『何でも、その子はヒーラーだったらしく、戦闘能力は皆無らしい。 だから、まあ……あいつらにとってはペットの扱いだろうな。』
『……死んだ方がマシじゃねぇかそれ。』
陽菜の手足は震え、顎も彼女の意思とは関係無く、ガタガタと震える。
アラブ系の男達が話して居たのは、殺人集団と……その彼等に捕まった作田志乃の事だったのである。
だが、ここで動揺してはダメだ、と、陽菜は必死に自分の身体を抑え、今聞いた情報を飲み込む様にして喉を鳴らす。
「陽菜さん? どうかしたんですか?」
横から声を掛けて来た佳苗に、びくりと肩を震わせる陽菜。
何でも無いとは言い難い反応を示してしまった陽菜は、佳苗ならこの情報を共有できると考え、
「ちょっと……トイレに連れて行って貰えませんか?」
と、その佳苗に言うのだった。
◇
「なっ……作田さんが生きていて、それで捕まってるって言うの?」
「間違いないと思います。 日本人の中学生でヒーラーで女の子で、捕まったばかりと言えば彼女の事しか浮かびませんし……。」
佳苗は、内心孝太の事で陽菜に何か言われるのでは無いかと焦って居た。
だが、更に斜め上の話に、目を丸くして驚いてしまう。
「……でも、彼女、私の魔法で死んだ筈では?」
「実はあの時点でまだ生きて居ましたが、手遅れだと分かり、孝太が切り捨てたんです。 私も……まだ彼女が生きているなんて小野寺さんと石塚君に知れたら、助けに行くなんて事を言い出したかもしれませんから、何も言いませんでした。」
「孝太さんの判断ですか……。 流石ですね。」
そう言って、彼の事を信用し切っている素振りを見せる佳苗は、何故そこまで信用しているのか理由を知らない陽菜には心強かった。
「孝太さんにもこの事を話して……何とかして彼女を殺しましょうか。」
「え!? こ、殺すんですか!?」
だが、あまりにも過激な佳苗の発言に、陽菜の方が面食らってしまった。
「実は彼女は生きてましたなんて話は、今じゃ筋が通らないんじゃないですか? 本当は陽菜さんが探知していたんですから。」
「それはそうですけど、どうやって殺すんですか? っていうか、樫木さんには殺せるんですか? 作田さんの事を。」
「何を言ってるんですか。 孝太さんが彼女は死んだという判断をしたのですから、真実を真実にするだけの事ですよ。」
こんな事を言う人物だったか、と、佳苗を見る陽菜だが、自分だってもう色々と戻れない場所に来ているのだ。
――彼女の言葉は真意であると、陽菜も頷いた。
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