仮初乙女

 準備区画に五人が戻ったのは、午前二時近くの事だった。

 陽菜は取り敢えず迷宮の入り口付近を探知し、敵の姿が無い事に胸を撫で下ろし、


「通路で待ち構えられている様子は無い様です。」


 と、皆に伝える。 その言葉に同じく胸を撫で下ろす一行。


「それじゃ、宿に行こう。 同じ部屋は使わない様にね。」

「え? ……何で?」


 いきなりそう孝太に言われた里香は、反射的に彼にそう尋ねる。

 彼女は一秒でも早くいつもの自分達の部屋に帰り、自分のベッドで寝るつもりでいたらしい。


「……今朝の時点で、君達の部屋の位置が特定されている可能性があるからね。」

「あ……そ、そうか。」

「二ノ宮君、すごく気配りが上手ですね。」


 と、里香の返事に続いて、佳苗。

 その佳苗のあまりの孝太に対する従順で、以前とは手の平を返した様な素振りに、里香は一瞬不機嫌そうな顔を見せる。

 里香から見れば、佳苗が自分のした事を後悔しているならまだしも、まるでそれが全て終わった事の様に他の大事な仲間を殺しておいて、まるで孝太に媚びる様なその態度は何なのだ、とでも言いたかったのだろう。 だが、彼女が感じている嫌悪感を、孝太の方は別段抱いて居ないらしく、佳苗の言葉を軽く聞き流すと、


「そうだ。 宿に行く前に神殿に寄って行こう。 戦力の底上げはどう転んでも悪い結果にはならない筈だ。」


 そう言って、歩みを進めるのだった。


 ◇


 神殿は現在、陽菜の探知では無人だという事である。

 それを聞いた孝太は、迷い無く神殿の扉を開け、レベルアップを手早く済ませる為に一番手前のブースに腰掛けた。

 残念ながら、今回レベルアップが出来るのは孝太と佳苗の二人だけであり、それを多少羨ましく思う他の三人であったが、その経験値の元となるのが何なのかを想像して、犠牲となった日立達を連想し、逆に多少気分を重くしてしまうのだった。


 まず、佳苗は、LV10からLV18へと大きく成長していた。

 その成長に、にたりと怪しい笑みを浮かべる佳苗。 

 今回のLVアップで、彼女は特に追加のスキル等は覚える事は無かったが、人間のステータスの限界値である18に全てのパラメーターが上がり、各レベルの魔法の使用回数が増えた事と、精神力と体力にLVアップによる若干の補正が加わった。

 レベル補正というものもあるのか、と、改めて自分の身体をぺたぺたと触ってみる佳苗だが、そうやって自分で触る事で体感出来る程の違いというものは無いようである。

 すると、パラメーターの数値の変動と比べるならば、レベル10毎に個々のパラメーター1つ分程の差が出てくるという情報が勝手に頭の中に入り込み、成程、それが自分と今日戦った敵との違いなのかと考えてみる佳苗だが、その想定した数値と実際の彼等の強さを比較すれば……そのレベル補正とやらで辿り着ける領域では無いのではないかと推察出来る。

 ならば、自分と今日戦った彼等では一体何が違ったというのだろうか。

 と、ふと向けた視線の先に居た人物は、孝太。

 自分達の中では、一番彼等に近い人物だと思われる。

 

「何……? LVアップしてるところ、あんまり見られたく無いんだけど。 僕だって樫木さんのを見て無いよ。」

「っ!? い、いや。 そ、その……ちょっと……気になっただけですので……。」

「……下手に隠すと、逆に怪しいか。 ……まあ良いや。」


 孝太の中の佳苗という存在。 無意識下ではあるが、彼女は自分に従属していると感じていた孝太。

 その彼女に、自分を曝け出す行為は、主人が飼い犬に餌をあげる行為と似ていた。

 陽菜が静止の声を掛ける前に、彼はあっさりと自分のステータスを佳苗に見せてしまっていたのである。


 キンリョク 30(+6)

 タイリョク 24(+4)

 シンリキ 1

 チリョク 18

 ビンショウ 38(+5)

 ウン 1


 LVは7から11に上がって居た。

 そう。 孝太は、自らLVが11に上がっているのを、樫木佳苗に、見せてしまったのである。

 それを見て、ごくり、と、喉を鳴らして唾を飲み込む陽菜だった。


 ◇


 樫木佳苗。 13歳。 身長162cm、体重45kg。

 スタイルは、中学二年生にしては大きめのふくよかな胸部に、くびれた腰、そして臀部も少女というよりは大人の女性を感じさせる様な女性的な曲線を描いており、顔は多少釣り目がちだがくっきりとした二重に、桜の花びらを連想させる様な艶やかな唇。 その彼女の容姿は、男性からだけでなく、女性から見ても美人と言われる部類に入る。

 彼女の詳細なプロフィールである身長体重、胸のサイズまでもを陽菜が知っていたのは、佳苗から勝手に陽菜に対して、自分に近しい存在だからと、秘密を打ち明けるように聞かされていたからなのだが、陽菜は今になって改めて考えてみれば、そういう態度も彼女の演技だったのではないかと思い始めていた。

 この迷宮で攻略を始めた時には、前の世界でいつも良くしてくれていた佳苗に裏切られたと落胆していたのだが、樫木佳苗という人物の事を現時点で考えたならば、『ああ。 彼女ならやりかねないかもしれない。』とも、陽菜は考え始めていたのだ。

 よって、そんな彼女を、今の段階で陽菜が仲間として信用しているかと言えば、勿論、してはいない。

 孝太に従順な素振りを見せている事も何か意図があって、その為の演技なのでは無いかと考えており、彼女に決定的な情報を与える事は絶対に阻止するべきだと考えて居たが、その命綱とも言える情報を、孝太はあっさりと彼女に向かってどうぞと公開してしまったのだ。

 彼女が亜種の特性と、そして討伐書の存在を本当に知っているとしたならば……。

 陽菜は、自分の冷や汗が額から垂れ流れる様な感覚を覚える。

 だが、佳苗に事実を知っているのかなど聞く事は出来ず、固唾を呑んで佳苗と孝太、二人の動向を見守るのだった。


 ◇


 †樫木佳苗†


 時は遡り、佳苗が日立達と迷宮を探索し始めた頃の話。

 佳苗はあっさりと陽菜を見捨てた。 いや、見捨てたというのは正確な表現では無いだろう。

 彼女にとっては、もう、足の不自由な少女をひたむきに介助する自分は、要らなくなっただけの事なのだ。

 そして、切り捨てた時以来から、探知能力者である市川が殺されるまで、佳苗は陽菜の事を、ただの一度も記憶から引っ張り出した事は無かった。

 毎日進んで陽菜の介助をし、良い友人を演じていた事を、その様に綺麗さっぱり忘れる心理は普通の人間とは言えないだろうが、陽菜の推察通り、樫木佳苗の場合はそういう人物だった。


 市川が殺された後、長谷川美弥達との会談を設けた時だった。

 陽菜の事と同じく、今で全く気に留めて居なかった、織部加奈という人物の名前が話題に上がり、そして、彼女が同級生数名を爆ぜ殺したと聞いた。

 そして、加奈が殺したであろう人物の中に、不良達の名前、三好、保科の名前が出て来た時の佳苗の正直な感想は、『あのチビメガネ、結構やるのねぇ。』で、あった。

 会談が続くと、これからどうするのかという話になり、長谷川から三島陽菜の情報が皆に提供された。

 その時、探知能力者を奪われた彼等には、三人目の探知能力者である三島陽菜の存在が、攻略に必要不可欠な存在だと位置付けられていたのである。

 しかしながら、どうやって彼女を見付け、そして説得するのかという答えは誰の口からも出る事は無く、その会談は後日また、という事になった。


 結局は佳苗達も、彼女と孝太と加奈を探して低階層の迷宮を走り回る事を覚悟せざるを得なかったのだが、会談を設けた次の日の事、食堂に居た日立が、突然隠蔽状態の孝太達を探知したと言い出したのである。

 そして、佳苗も半信半疑でその場所に行ってみたならば、本当に孝太と陽菜がいるではないか。

 

 その時、佳苗は日立にをしていたので、自分の想い人は何て素敵で、何て運が良いのだろうと考えて心をときめかせて居たのを彼女は今でも覚えているが、その感情は、その時の佳苗にとっては色付いて見えた物だったのだが、今ではセピア状に色褪せてしまっている。

 薄情な女だと佳苗自身も自覚はしていたが、既に終わってしまった日立との物語は、まるで子供の頃にあった他愛も無い出来事の様に、過去の記憶に仕舞い込まれたのだった。


 それはさて置き、当時、孝太と陽菜に再会した時、佳苗は織部加奈も一緒に居たのかと思っていたが、そうでは無かった。

 その時――これは好都合だと佳苗は思った。

 実は、日立以外のメンバーに話しては居なかったが、亜種がLV10以上になると、討伐書が書かれ、たとえ準備区画に居て殺されたとしても、誰も咎められないという情報と、何故人間の資質では無く、亜種の素質を持たされる者が居るのかという理由も、この世界の人間達と既に接触していた佳苗は把握して居たのである。

 だから、亜種である孝太と加奈の扱いを近い将来どうするのか、日立と決めあぐねいて居たのであるが、孝太一人だけならば、その時が来たならば容易く処分・・出来るとその時の彼女は考え、笑みを漏らした。

 だが、孝太と陽菜は、織部加奈は生きていると言い張るでは無いか。

 これは拙いと思った佳苗だが、必死に加奈の事を語りながらも、孝太への気持ちを完全に隠す事の出来ない陽菜を、そして、加奈の事を仲間以上に思っている様子であろう孝太の気持ちも見抜き、陽菜を呼び出して二人きりで話し、陽菜を煽る事にしたのである。

 そこまでは、彼女の作戦通りだったと言える。

 実際に陽菜は孝太にその身を捧げ、孝太は今は陽菜しか見ていないのだから。


 そう言った汚いやり口も、日立をあっさりと忘れた事も全て含め、彼女は自分自身を現在こう評価していた。

 ――自分は、元同級生の中では、一番卑怯で、残酷で、汚い人間である、と。


 佳苗が、日立達に魔法で攻撃された時の事。

 まさか自分達が殺す予定を立てていた人物である孝太が、そんな卑怯な自分を、命を呈して庇うとは思いもしなかった。

 彼には陽菜という大切な人が既に心の中に居たにも関わらず。

 その後、大切な絆であった筈の指輪を床に投げ捨て、日立への思いを完全に断ち切った時、孝太の事は反対に彼女の中で、段々と尊い存在へと育ち始めていった。

 そして、それはやがて、佳苗の悪癖と重なった。


 例えば、ショーウィンドウに並んでいるドレスがあるとする。 それが例えどんなに綺麗でどんなに高価な物であっても、佳苗という人物は興味を示さなかった。

 しかし、そのドレスを誰かが持っていると知り、誰かがそれは良い物だと褒めて居ると知ると、途端に自分も欲しくなるのだ。

 流行りのスマホやゲーム機、佳苗は使いもしないのに、誰かが持っていると自分も欲しくなり、所持する事で満足する。

 日立の事も、実はそんな悪癖から始まった。

 クラスで一番勉強が出来て、運動もそこそこ出来て、しかも顔が良くて、病院の息子でお金持ち。

 そんなステータスを持っている日立が、好きで好きで、堪らなかったのだ。


 悪癖から来た感情は、まず先に、後悔を佳苗に覚えさせた。

 自分が孝太を殺そうとは思わず、陽菜よりも先に孝太を身体で籠絡させて居たならば、身体的理由からそういう面では引っ込み思案だった陽菜は、絶対に孝太に手を出す事は無かっただろうという後悔。

 後悔の次に、それが佳苗には無理だったという、陽菜に対する……嫉妬が産まれた。

 陽菜に出来て、彼女には絶対出来なかったという、嫉妬。

 その時の佳苗には、処女性もステータスだとしか考えられなかったのだから。


 命からがら殺人集団から逃げた時点では、佳苗はまだその陽菜に対する妬みと、悪癖から来る所持欲から、ただ無心に孝太が欲しいと思っているだけだった。

 佳苗が自分の感情を爆発させた時、それは孝太が自分のステータスを佳苗に見せた時だった。

 まさか、見せるとは思わなかった。

 何故なら、実際に見えたそのステータスのLVが、11になっていたからである。

 孝太という存在の事を、嫉妬とは関係無く、人生で初めて、本当に美しいと佳苗は思った。

 孝太はまだ知らなかったかもしれないが、この世界ではいずれ殺される運命だというその存在の儚さに、だが、それでも佳苗に見せる優しさに……そして、孝太自身の、無垢さに。

 自分を殺そうとしていた相手に、自分が殺される条件を見せるという、愚かしく、だが、美しい行為に。


 ◇


「何で……パラメーターが18以上になれる……んですか?」


 佳苗が何故そんな質問をしたのか、佳苗自身にも分からなかった。

 が、ああ、自分は亜種の事を知らなかったと言って誤魔化したいのかと自分の無意識的な擬態に心の中で苦笑する佳苗。

 それは確かに疑問ではあっただけれど。

 亜種という孝太の素質のせいなのだろうが、パラメーターが18を超える可能性があるというのは佳苗も想定して居なかったのだ。

 

 そんな素朴だが、決定的な質問に、一瞬焦る孝太。

 だが、神殿のブースに座ったのは、孝太と佳苗だけであり、パラメーターを見たのも佳苗だけ。

 振り返って、佳苗と同じくパラメーターが18以上になる場合がある事実を知らないであろう里香と石塚を見る孝太。

 幸いにもブースから距離を置いて立っていた二人には、佳苗が孝太に囁いた言葉が辛うじて届いて居なかったようであり、『何か?』と、首を傾げて孝太に返す二人。

 ならば、と、胸を撫で下ろす孝太は、佳苗の耳元にそっと顔を寄せると、あからさまに内緒話をする様に手で彼女の耳と自分の口元を隠し、


「僕が人間じゃないからだよ。」


 と、あっさりと真実を告げたのだった。

 孝太が自分の耳元で囁くと、吐息が耳元に触れ、佳苗の背筋に甘い感触が走る。

 ……何て、愚かで、美しいのだろうか、この人は。


「……二ノ宮君が強いのは知ってましたが……これ程なんて……。」

「いや……そんな事は……。」

「でも、これ・・ならあの殺人集団だって、一人で倒せたんじゃないですか……。」


 それが孝太にとって禁句だったのは、佳苗には分からなかった。

 もしかしたらならば、本当に倒せたかもしれないのだが、臆病な彼は、それを為すことが出来なかったのだから。


「パラメーターが全てじゃないよ。 ……樫木さんの魔法を僕がもし受けていたら、一発で死んでいた様にね。」


 そんな自分に対する負い目からだろう、孝太は佳苗から見れば謙遜しているように聞こえる台詞を吐き、逆に孝太に対する思いに彩りを添える佳苗。 

 

「……どういう意味ですか?」

「パラメーターは、あくまでも基本性能でしか無いんだよ。 確かにその基本性能で助かって居る面はあるけれど、僕は盾を持てないし、魔法防御や物理防御の高い鎧も着られないんだ。」


 成程。 人間よりも更に高いパラメーターを持っていながらも、デメリットとして装備制限があると孝太は考えて居るのだろうと納得する佳苗。

 孝太にとっては、先程の台詞と同じく、負い目から来た理屈なのだが、佳苗にとっては、全ては使い方次第、戦い方次第なのだと聞こえ、それを既に自覚していた孝太を尊敬の眼差しで見ると、つい彼の横顔に見惚れてしまう佳苗。

 その孝太は、自分に新しく与えられたLV6の究極・・魔法を端末で確認して、その魔法の使い難さに頭を悩めて居たのだった。

 だが、今使う場面では無いし、これは確かに色んな意味で究極魔法だ、と、苦笑いを浮かべて、端末からクリスタルを抜いた孝太。

 と、横で自分を眺めて居る佳苗と目が合った。

 彼女の表情は、まるで水に濡れた様な瑞々しさを抱いていた。

 頬が赤く染まり、瞳が潤み、その栗色の瞳の中に、孝太自身が居る。

 そんな表情を向けられる覚えは無い孝太だったが、それが簡単に言えば恋慕の感情を見せている表情だとは彼には気が付かなかったらしい。

 やがて彼は、彼女の表情の根本は、自分に対する服従の意思から来るものだと曲解してしまい、つい手を伸ばして、佳苗の頭を軽く撫でてしまった孝太。

 その行動に、大きく反応した人物が二人居た。

 一人は、陽菜。 孝太の行動に、信じられない、と、唖然とした表情を浮かべていた。

 そして、もう一人は、撫でられた張本人の佳苗である。 


 とろり、と、身体のどこかが溶ける感覚を佳苗は覚えた。

 しかしそのすぐ後に、陽菜からの鋭い視線が自分に向けられた――その時、


 ――佳苗の中の、誰かが言った。


『孝太は一人しか、存在しないよ。』

『それでも欲しいの?』

『欲しいんだ?』

『でも、私の物だって、睨んで居る人が居るよ。』

『ああ。 そんな目をしたら、もっと、もっと欲しくなる。』

『だったら――――。』


 奪ってしまえば――良い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る