敗北認識
孝太の指示は、実に的確だったと陽菜は考えて居た。
陽菜は、櫛田と日立、そして越野が死んだ事は孝太に伝えており、本当はあと一人、日立達のパーティの中で生存している人物が居ると知っていた。 だが、孝太は
――簡単に言えば、
チアリーディング部所属の桃色の
陽菜が感知する彼女の存在を示す緑の点は、今現在全く動いておらず、逆に真っ赤な6つの点がその緑の点へと距離を詰めて居た。
陽菜は孝太からの念話を受けた後、
「日立君達のパーティが全滅しました。 撤退しましょう。」
と、一緒に居た石塚栄吉と小野寺里香に悲観的な声で伝えたのだった。
「えっ!? あの四人、が、みんな……やられちゃったんですか!?」
「そ、そんな……事って……あるのかよ……。」
小野寺里香は大きな目を大きく開いて驚愕の表情を浮かべながら、石塚は青ざめた表情で俯き加減に、陽菜の報告に対して声を上げる。
「――話は移動しながらにしましょう。 孝太のパーティの方は、本宮君、三ツ池君、長谷川さんも死亡した模様です。」
「えっ!? 二ノ宮君達の方にも被害が出たの!?」
車椅子を動かし始める陽菜の後ろから、泣きそうな声で陽菜にそう尋ねる里香。
探知だけで理解した自分とは違い、里香と本宮には簡単にでも説明が必要だろうか、と、車椅子を動かす手を止めた陽菜は、肩越しに後ろを向いて二人を見る。
「それに……し、死亡って……死ん、じゃった、の? みんな……本当に?」
やがて、車椅子をその場で反転させた陽菜が見たのは、陽菜から伝えられた状況が今だに信じられないのであろう里香と石塚が、口元を震わせながら、その場から一歩も動けずに居る光景だった。
「……はい。 生き残ったのは孝太と樫木さんだけ……です。」
自分も孝太の様に、作田志乃を亡き者として扱い、そう言い切ってしまっても良いものかどうか、一瞬戸惑う陽菜だったが、その方が話が早い筈だ、と、静かに目を伏せながら、だが頷いて、彼女の質問を肯定した陽菜。
その陽菜の声に、慌てて顔を上げる里香は、唇を震えさせながら、陽菜を目視し続ける。
本当は、陽菜だって作戦の失敗を知り、それを人に伝える役目など背負いたくは無かった。
だが、口で聞かされるのと、陽菜の様に自分で事実を感知出来るのとでは、大きな違いがある。
だから、自分に出来る事はただ冷静に報告を続ける事しか無い、と、話を続ける陽菜。
「……最初に補足した敵の六人は、皆でなんとか倒す事が出来たようです。」
「で、でも……なら……なんで……。」
目標の六人を倒しても、そこに新しい脅威が現れてしまった事は孝太には念話で伝えた居たが、確かに口頭で石塚と里香には伝えては居なかった。 やはり先の説明だけでは現状を二人が理解するのはほぼ不可能だっただろうと考え、曲げた人差し指を噛みながら自分の失態も伝えねばならない悔しさに耐え、だが、怯えた様子の二人を動かす為には言わねばならない、と、諦めにも似た溜息を付く陽菜。
やがて陽菜は少し息を大きく吸った後、その自分の失態を二人に告白し始めた。
「……最初に補足した六人と、私達が追っていた筈の殺人集団とは、全く別の人達だったんです。 本当の殺人集団は私達を大きく迂回して迷宮を回り、実は日立君達の背後に回って居たんです……。」
「で、でも、陽菜さんの探知は?」
「敵は私の探知範囲を知っていたみたいです。 その私に探知されないように、回り込んだんですよ……。」
「そんな……。 なら、この迷宮で最初に探知した人達は、その人達の囮だったって事?」
「そうなりますね……。」
「でも、その人達が殺人集団だって陽菜さんは感知して認識してたんでしょ? 何で違ったの……?」
いい加減、里香の細かい質問に答えるのに辟易して来ていた陽菜だったが、
「それは……私が孝太とは別のパーティになって、隠蔽から姿を表した後、酒場と宿屋を感知した時に、私が覚えている殺人集団の反応らしき人達と宿屋付近で合流したからです。」
里香には、そうはっきりとした説明が必要なのだろう、と、改めて自分の非を認めながら説明する陽菜。
「なっ……じゃあ、今日の朝、私達に何か動きがあったのをあっちが察知した時には、既に囮を立てる事を考えて居たって事?」
「……簡単に言えばそうなります。 むしろ、殺人集団が八人だと限定した私達が悪かったのかもしれません。 もしかしたら、もっと横の繋がりが……広かったのかもしれませんね。」
「何それ……訳わかんないよ……何なの、その人達。」
訳が分からないからこそ、自分達が翻弄されたのだ、とは陽菜は言わなかったが、
「……二人共、急いで下さい。 すぐにでも孝太と合流して隠蔽状態にならないと、今の私達は常に敵に姿を晒し続けて居る状態なんですから。」
と、今度こそ説明は十分だろうと言わんばかりに、車椅子を反転させると、猛スピードでその車椅子を走らせ始める陽菜。
「――あ、そ、そうか。 って、ま、待って下さい、陽菜さん!」
その陽菜の背中を慌てて追う里香と、
「待ってくれ、俺も!」
と、石塚の二人。
そんな情けない声を上げて彼女を追い掛けて来る二人の姿をちらりと背中越しに見ると、その腰の引けた二人の姿を改めて見て、孝太の撤退の判断は的確だったと再認識する陽菜だった。
◇
それと時をほぼ同じくして、佳苗は孝太の隣を必死な形相で並走していた。
ようやく泣き止んだ佳苗は、
『孝太! こっちはもうそろそろ入り口付近です! ですが、孝太達は敵との距離を詰められてます! もっと速く走って下さい!』
と、陽菜からの念話が孝太に伝えられ、佳苗のその速度は、迫って来る敵に比べればまだまだ遅かったのだ、と、自分の考えが甘かった事を悔やみ、渋い顔をする孝太。
「――拙い。 敵との距離を詰められてるみたいだ。」
彼は、佳苗のスピードに合わせて彼女の横を走って居た。
その彼は、息も絶え絶えな佳苗とは違い、まるで歩いて散歩をしている最中に声を掛ける様に、佳苗にそう告げた。
「えっ!? ――はぁ!? こ、これ以上、速くなんて、走れない、わよ!」
そうに対し、絶望的な表情で、荒れた息を吐きながら返事をする佳苗。
「――仕方ない。 しっかり掴まって。」
何故ここで何かに掴まるという話が出るのか、佳苗にはその意味が分からず、一瞬首を傾げる。
が、横で走っている佳苗の腰を、いきなり左手で救い上げると、佳苗の身体を自分の前で抱き抱えると、一気に加速し始めた孝太。
「なっ!!」
佳苗の身長は孝太より少し高く、体重は約45kg。
まさかその佳苗をいきなり抱き抱えて走り出すなど、彼女は想像もしておらず、つい声を上げてしまうが、そんな事はお構い無しに、100mを約5秒で走り抜ける程のスピードで駆け出す孝太。
と、彼が言った掴まれというのが、彼自身の身体にしっかりしがみつけという意味だったのだとようやく理解した彼女は、孝太の首の後ろに腕を回して、振り落とされないように自分を固定する。
家族でもない異性に身体を持ち上げられ、更にその異性に抱き付くというのは、彼女にとって初めての事であった。
が、人に命を狙われるのも初めてであり、優先すべきは勿論後者であるので、前者に対する抵抗は全く感じなかった佳苗。
だが、自分を庇って火傷を負った孝太、そして今も、自分が生きる為に必要な事をしてくれる彼に、ならば自分は身を捧げるしか無いではないかという方程式が、彼女の中で勝手に作られると、その方程式から導かれた回答である佳苗の感情は、孝太を特別な異性であると認識させた。
無論、孝太には陽菜がおり、佳苗のそんな回答など求めては居なかっのだが、自分に必死になってしがみついて来るかつて気が強かった筈の、だが今はか弱く感じる異性の同級生を、多少なりとも可愛いと思ってしまった孝太。
佳苗がかつて自分を毛嫌いしていた相手なのも、孝太の男としての征服欲を満たしたのかもしれない。
押し付けられる彼女の中学生にしてはふくよかな胸の感触と、首筋から漂う佳苗の汗混じりの彼女の匂いが、孝太の男を刺激して来て、そんな不謹慎な自分の反応に首を幾度か横に振る孝太。
『孝太。 こっちは全員、入り口に到着しました。』
その時、そんな陽菜からの念話が孝太に伝えられ、慌てて意識を陽菜の方に引き戻す孝太。
『――今僕達が居るところから入り口まではあとどれくらい?』
口で話す訳でも無いのに、一旦唾を飲み込んでから陽菜に念話を返す孝太。
『あと100……80……60……もうちょっとです。 どうやったのか分かりませんが、今の速度なら相手との距離は段々開いてますよ、孝太。』
陽菜の声援に、最後の力を振り絞って迷宮の入り口へと続く通路の角を曲がる孝太と、その孝太に抱き抱えられた佳苗。
やがて、陽菜達三人の姿が見えて来ると、安堵の表情を浮かべる孝太。
「一旦準備区画に戻ろう!」
「はい! では……準備区画に転送!」
「準備区画に転送!」
陽菜と孝太の声は、ほぼ同時だった。
そして、五人は準備区画の魔法陣の上に転送されると、孝太と陽菜以外はほっとした表情を浮かべるが、
「二階に転送!」
という孝太の声に、逆に耳を疑う三人だった。
◇
やがて五人全員は、孝太の声の後、迷宮の二階へと転送された。
そこでようやく佳苗と里香と石塚の三人は、孝太と陽菜の意図に気付く。
あのまま宿方面に向かっただけでは、陽菜と里香と石塚の三人が、孝太のスキルを使って隠蔽状態になる事は出来なかったのだ。
二階に着いた孝太と陽菜は、互いに目配せをして迷宮の奥へと急ぎ歩み始める。
孝太は、床に下ろすのも面倒だったのか、今だに佳苗を腕の中に抱えたままだった。
それを横目で見る陽菜だったが、それが先ほど孝太達の速度が急に早くなった理由だと分かると、妻としてそんな些細な事を気にしてはならないと、湧き上がった嫉妬心を押し込める彼女。
「……このまま一旦奥に逃げよう。 迷宮の中で隠蔽状態ならば、敵は僕達を簡単には探せない筈だ。」
「そうですね……。 って、孝太、どうしたんですか、その背中!」
陽菜が指摘した孝太の背中、服は殆ど焼け落ちており、彼の尻尾の付け根までもが見えている状態であった。
「……櫛田さんにやられた。」
今は陽菜だけに耳打ちする孝太。 他の二人にも追々話すつもりではあったが、陽菜以外にその事実を伝えるのはいきなり過ぎると考えたのだ。
「えっ!?」
その陽菜でさえ、孝太がした耳打ちの内容に驚いて、つい声を上げてしまうが、成程、味方にやられた傷であれば、確かに言い難いな、と、呆れ顔ながらも、少し難しい表情を浮かべる陽菜。
「……もう少し先に行ったら全部話すよ。 喉も乾いたし、少し休んでからね。」
「そうね……分かったわ。」
◇
陽菜の探知を使い、モンスターの遭遇を回避しながら二十分程奥に移動したあたりに、安全そうな小部屋を見つけた一行は、その中に入り、一旦休息する事にした。
里香と石塚は、孝太と陽菜に付いて来たのがやっとと言った表情で、息を切らしながら多量の汗を額から流しており、状況は完全に理解して居るとは言い難いが、何にせよやっと一休み出来る、と、それぞれ壁に背中を付けてへたり込むと、持っていた水筒を取り出して、中に入って居る水を喉を鳴らして飲み始めた。
流石に孝太も、大分息を切らして居た。 何せ、自分だけで無く、佳苗というお荷物もずっと抱えて居たのだから。 彼も実際、焦って居たのだろう、別に佳苗は二階に転送した後に降ろしても構わなかったのだが、彼は事態の深刻さに頭を悩ませており、自分の額や汗腺の多い部分だけで無く、佳苗を抱き締めていた部分にもびっしょりと汗をかいており、その分、喉の渇きを覚えて居た。
眉間に皺を寄せながらも、ずっと抱きしめたままだった佳苗をようやく床に降ろす孝太。
「あ……。」
床に降ろされ、座り込んだ状態の佳苗は、何故か名残惜しそうな声を上げて孝太を見上げる。
そして、それを冷やかな目で見る陽菜。
その時、陽菜には、佳苗が何を考えて居るのか全く分からなかった。
恋人だった筈の日立が先程死んだのにも関わらず、数十分間も自分の旦那である孝太に身を抱かれ、今は頬を染めているなど、本当に意味が分からない。
しかし、床に降ろされた佳苗も、今だに頭の処理が追い付いていないのか、ほう、と、上気した顔で、孝太の横で座り込みながら明後日の方向を見ているだけだった。
まあ、こんな時に男だとか女とかは関係無い。 詮索は後だ、と、孝太を見る陽菜。
「……シャドゥウォーカーの隠蔽のスキルは、服がこんなになってもまだ使えるみたいだ。 一応使っておくよ。」
「え……ええ……そうして下さい。」
孝太は、自分の露わになった背中を撫でながらも、装備していた服の効果がまだある事を確かめると同時に、LV1の魔法を一つ消費して、更なる隠蔽のスキルを使う。
迷宮の二階に入るのと同時にそのスキルを使っても構わなかったのだが、彼は佳苗を床に降ろす事さえ忘れていたのだ。 ただ逃げる事に必死だったのだろうと推測する陽菜。
孝太は一瞬目を瞑ると、それでスキルは使われたらしく、同じ隠蔽上のフィールドに居るせいかその効果は見た目には誰も何も感じないが、彼が一安心して腰に下げられた水筒に口を付けて中身を喉に流し込むと、陽菜も心を撫で下ろして、水筒の飲み口に口を付けて一息付くのだった。
――と、その二人の行動を見て、こくり、と、喉を鳴らした人物が居た。
ふと、孝太がその喉を鳴らした人物である佳苗を見れば、彼女のマジックローブの腰紐に付けてあった筈のポーチは見えず、中に入って居た水筒とポーションごと何処かに落として来てしまっていたらしい。
その彼女のローブの胸から腰に掛けてはびっしょりと汗で濡れており、それに自分の汗が混じっている事と、自分の体温で汗をかかせたという責任を感じた孝太は、自分が口を付けて居た水筒を慌てて彼女に差し出した。
あ、と、それを一瞬静止しようとした陽菜だったが、またこんな時に自分は下らない嫉妬をして、と、自分を心の中で叱咤する陽菜。
佳苗は孝太から渡された水筒を両手で掴み、一部を口の端から垂らしながら、一気に喉へと流し込んだのだった。
ぷはっ、と、息を付いて、佳苗から出た言葉は、
「い、生きてる……。 私……。」
という、何とも生き物らしい一言だった。
◇
さて、喉を潤し、一休みした一行だったが、雰囲気は正に最悪と言って良い程に、最悪であった。
それもその筈。 自分達から仕掛けた戦闘の結果、仲間の半分が死に、そして、目標の集団には、結局傷一つ付ける事が出来なかったのだから。
「そんなに……敵は強かったのか?」
事情の良く分かって居ない石塚が、沈黙に耐えかねてか、最前線で戦って居たであろう孝太と佳苗に問いかける。
佳苗は、まるで自身の愚かさを噛みしめるかのように、下唇をきつく窄ませる。
孝太は、真相を言うべきかどうか悩むが、
「わた……しが……殺したのよ。 日立君達を……。」
と、震える唇でそう言う佳苗。
この時点で、佳苗自身も自分がした事がどんなに子供じみた行動であったのか、自覚していた。
――正確には、彼女の攻撃で日立達が直接命を落とした訳では無かったが、日立に攻撃された事に腹を立て、その日立達が居る方向に直接究極魔法を撃ったのは、事実である。
「樫木さん、何言ってるの……?」
口元は必死に笑おうとしているが、目が笑って居ない里香が、彼女が口にした言葉が信じられないと言った風に返す。
「り、里香……。」
「彼女が言っている事は……本当だ。 僕達は……仲間を範囲魔法に巻き込んで殺してしまったんだよ。」
敢えて佳苗の名前は出さず、『僕達がやった』という言い方をする孝太。
「なっ……ありえねぇだろ、そんな事!」
石塚が、おもむろに立ち上がると、唾を撒き散らしながら怒鳴り散らす。
「日立の魔法の効果は知ってるな。 光の範囲魔法だ。」
「……ああ。」
孝太は、石塚のペースに乗らずに、冷たい口調で返すと、石塚も声のトーンを落とし、やがて項垂れて黙って再び床に座り込む。
「あれで、長谷川さんが殺されたんだ。 そして、櫛田さんの炎の魔法も、同じく長谷川さんを焼いて……僕の背中も焼いた。」
これが証拠だ、と、言わんばかりに、ボロボロになった服の背中の部分を見せる孝太。
「だ、だからって……もしかして……魔法を日立君達に撃ち返したの?」
今度は、里香からの糾弾だった。
ひぃ、と、息を声と共に吸い込む佳苗。
自分の口からきちんと彼等を殺したと白状したつもりだったが、それが故意だとは里香は思って居なかったのだろう。
――里香の声には、今はかなりの怒気が含まれて居た。
「小野寺さん。 気持ちは分かるけど、そこまで彼女を追い詰めるのはどうかと思うよ。 先に手を出したのは、日立達だ。 それは僕が証言する。」
「誰が先に、とか、そういうのが問題なの?」
「なら何が問題なんだ。 樫木さんは正直に言っているじゃないか。 かつて好きだった相手に自分が攻撃されて、裏切られたという思いごと、日立達に向かって魔法を撃ったって。」
孝太は最初、全面的に佳苗を擁護するつもりは無かった。
様子を見ずに凶暴化の魔法を掛けたのも、何も考えずにトレーサーエクスプロージョンを孝太に掛けた事も、そして勿論、日立に攻撃された事に自棄になって、全力で魔法を撃った事も、確かに佳苗が悪いと言えば、悪いのだ。
だが、必死に戦って来た自分達に対して、里香の言い方はあまりにも酷いと思ったのだ。
「日立君達に殺意があったかどうかなんて、分からないでしょ!?」
「……っ……。 っ……。」
里香の言葉に追い詰められ、遂に泣き出してしまう佳苗。
凛とした態度のいつもの彼女の姿からは想像も出来ない程、弱々しく声を押し殺しながら。
実は佳苗には、里香や石塚にも正直に言えば、孝太が赦してくれた様に、彼等も自分を赦してくれるかもしれないという甘えがあった。
だが、孝太が特別だったのであって、彼等の反応は逆に普通なのだと後悔に唇を噛み締める佳苗。
ましてや里香は、こちらの世界に来てからずっと一緒に戦って来た仲間であり、自分も含めて、彼女の回復魔法のお陰で何度命を救けられた事か、と、佳苗は思い出す。
かつてモンスターを相手に戦って、充実した時を過ごして居た自分達、前の世界に帰るという希望を持って、ただひたすらに皆で協力して迷宮を攻略していた時間。
それらが全て、過去の物となってしまったのだ。
何て私は……バカな事をしたのだ。
再度、心の中で繰り返す佳苗。
里香の怒りは尤もだと彼女は思っていた。
彼女はいつだって自分よりも人の事を考えて行動していたし、今でも、死んでしまった仲間の為に怒って居る。
それを理解すると、佳苗は何も言えなくなってしまった。
そういう意味では、里香は残酷だった。
既に後悔している人間に、追い打ちを掛ける様な決定的な言葉を伝えたのだから。
――私が本来癒やす必要のある人達を、貴女は自分の意思で殺したのか。
里香の怒りは、そうして佳苗を追い詰め、そして逃げ道の無くなった佳苗は、言い返す事も出来ず、ただ俯いて泣くしか無かった。
だが、そういった反応を示す時点で、以前の佳苗とは何かが決定的に変わって居たのは、佳苗自身にもまだ理解出来ていなかった。
もし、この場に日立が居て、孝太が居なかったのならば、彼女はこう返した事だろう。
『なら、癒し手である貴女が仲間を助けられなかったのだから、私と同罪じゃないの。』
と、里香の残酷だが幼稚な売り言葉に、幼稚な買い言葉で。
思わずぐっとその言葉を堪えたのは、ある意味彼女が成長したからと言えるかもしれないが、彼女がそれを自問しようとしたその時には、横に居た人物が既に口を開いていた。
「殺意があったかどうかが重要なのかい?」
え? と、瞬時に顔を上げて孝太を見る佳苗。
「故意と事故は違うでしょ!」
孝太は、声を荒げる里香に対して、はぁ、と、溜息を一つ漏らす。
「あのねぇ、小野寺さん。 ……じゃあ、こういう言い方をしようか。 ただ、事実の話をするなら、前衛の二人は敵に殺されたけど、長谷川さんは、日立が魔法を使った事によって殺された。 そして、櫛田さんの魔法で、彼女の死体が真っ黒に焼け焦がされた。」
「…………。」
「この時点では、小野寺さんの中では誰が悪いの? 殺害した日立? それとも死体遺棄をした櫛田さん?」
「そ、そんな事、聞いてないよ!」
「聞いているじゃないか。 どうしても樫木さんが悪いって言いたいなら、僕が言った事実を踏まえてから、その根拠を言ってみなよ。」
「ず、ずるいよ……そんな言い方……。」
「じゃあ、考えてみてよ。 自分の魔法がどのくらいの範囲に効果があるのか、そして、どれくらいの威力があるのか分からないまま、自分を好いて居
「そ、それは……。」
その孝太のその説明に対して、口元に自分の手を寄せ、自分がもしも佳苗と一緒に居て、日立にその魔法を撃たれたならばという状況を想像でもしたのだろうか、一気に顔を青ざめさせる里香。
その彼女の様子を見て、多少強引だが納得させられたと胸を撫で下ろす孝太。
「……彼女に全ての責任があった訳じゃない。 僕達の誰もが間違ったし、その結果、ここに生き残って、僕達は居る。 僕はが言いたいのはただ……それだけだ。」
目を伏せて、そう言う孝太。
逆にその言葉が決定打になったのか、
「……ごめんなさい。」
佳苗自身も意外だったが、彼女の口から自然に謝罪の言葉がこぼれた。
そして、彼女はもう涙を流しては居なかった。
小さな謝罪ではあったが、彼女の真摯な言葉は迷宮の小部屋に響き、里香が灯す魔法の灯りはまるで悲劇を演出するかのように、押し黙る五人の影を照らし続けるのだった。
◇
佳苗の謝罪が、今回の作戦の最終結果報告の様な物となり、彼等はそれぞれ考え始める。
……これから先の事を。
先に俯いた顔を上に上げたのは、陽菜だった。
彼女は他の全員を見渡すと、謝罪を述べた佳苗は、今だに俯いて何かを考えているようで、その隣の孝太を見ると、彼も同じく何かを思案している様子だった。
戦闘の結果にも、そして自分達が何も出来なかった事にも、落ち込んでいる様子の里香と石塚の二人。
ここで話を切り出すのは、自分しか居ないだろうと、大きく息を吸って覚悟を決める陽菜。
「問題は、これからどうするか、ですね……。」
その切り出した話題では、彼等にとっては戦闘の結果を自覚するよりも重い話であった。
――何故なら、先の戦闘の結果で皆の希望は潰えてしまったのだから。
陽菜の言葉の後、誰も陽菜に言葉を返す事が出来ず、またもや重い沈黙が皆を覆う。
――皆で元の世界に帰るという希望。
それが、綺麗さっぱり無くなってしまったのだという事実を、それぞれが頭の中で必死に整理しようとしているのだろう。
実際、陽菜も必死に考えようとした。
何をすべきか、何を望めば良いか。
だが、陽菜の脳裏には、たった一つしか浮かばなかった。
しかも、彼女は既にそれを持っていたのである。
それは、孝太との絆。
それを失いたく無い。
ただそれだけが、陽菜の願い。
だから敢えて自分が与えられる願いを叶える権利は他の誰かの為に使うと決めた。
それは、孝太の母親を生き返られせる事でも良い。
誰も望まないなら、元の世界に帰る事を、自分が祈っても、構わないと。
現時点で、里香と石塚には、希望など何も浮かんでは居なかった。
例えば、里香の場合、元の世界で多少交流のあった少女、非業の最後を遂げた秋月美緒という同級生を蘇らせるという願い使う事も出来るが、ならば何故同じパーティだった櫛田峰子を蘇らせられないのだというジレンマが沸いて来ると、そこで思考が停止してしまう。
誰かに何故秋月美緒を選んだのかと説明を求められても、彼女には本当に秋月美緒を選んだ明確な理由が無いのだし、また櫛田を選んだ場合でも、明確な理由は答えられない。
理由が無いなど、そんな理不尽な事があってはならないと彼女は考え、そこで二人では無く他の死んでしまった同級生の中から誰かを選ぼうとするが、勿論またその人物を選んだ理由を見付ける事は出来ず、最初の思考に逆戻り、それを繰り返して居た。
更に、石塚に至っては、願いを叶えるどころか、運動部系パーティを組んで居た長谷川達5人の仲間が全て死亡したショックから、迷宮を攻略しようとする意欲さえ取り戻せて居なかった。
佳苗には、何か考えがあるのか分からないが、その答えを出す事を恐れている様子で、何かを決めたかと思うと、うすら笑いを浮かべ、だが、すぐにその事を後悔して、身を震わせて下を向く、というのを繰り返していた。
そして、孝太でさえも、今回ばかりは流石に気が滅入って居た。
陽菜が、彼にとって今一番大事な物である事は陽菜と一緒なのだが、その大事な人との未来を勝ち取る為に、本気で殺人集団に挑み、そして――――敗北した。
彼は、日立達を失った事よりも、自分が本気で挑めなかった事が悔しかった。
本物の敵というものに、恐怖で身体が動かなくなり、そして、佳苗の居るところまで後退してしまった自分を後悔していたのだ。
結果、自分は無様に生き残り、かつての仇敵ではあるが、一時的にでも和解した日立は死に、憎まれ口を良く叩いていた櫛田峰子、そして、あまり交流は無かったが、本宮、越野、三ツ池の三人の同級生男子も命を落とし……まだ生きている筈だった作田志乃を見捨てて逃げて来た。
勿論、同級生達が死んだ直接の原因は、それぞれの魔法の暴走ではあるが、彼がかつての加奈の様に死ぬ気で戦う事が出来たのなら、結果は今とは違ったものだったのでは無いかと考え、落ち込んで居たのである。
日立が、本当に秋月美緒と、孝太の母親を生き返らせるつもりだったのかは孝太には分からない。
だが、皆で一緒に生きて帰るという気持ちは本物だった筈だ。
そして孝太も、心の奥底では死んだ母親が生き返るかもしれない事に心を弾ませて居た事を、今それが無くなって落胆してしまっている自分を感じて自覚していた。
そして、落胆してしまっている自分自身もまた、彼は情けなかった。
『――何だ。 僕も何だかんだ言って、少しは期待していたんじゃないか。』
そう心の中で自分の声が響き渡ると、利き手である左手の拳を強く握る孝太。
だが、やはり今の彼にとっての救いは、心の中で彼の何よりも優先される、陽菜という存在だった。
彼の手にそっと自分の手を添えた陽菜は、孝太の手を自分の頬に引き寄せ、
『もう皆で元の世界に帰る事は出来ないけれど……。 でも……私は……孝太、貴方が生きて居てくれて……良かった。』
と、指輪の力を使って孝太に念話を伝えると、頬に伝った彼女の涙が、孝太の手を濡らす。
それは、我侭とも言えるかもしれない。
例え他の誰が死のうが、孝太が生きていてくれて、今はそれで嬉しいと陽菜は告白したのである。
その陽菜の想いは、孝太の心を優しく温める事に成功した。
やがて、すん、と、自分も鼻を啜ると、潤んだ瞳で石造りの天井を見上げる孝太だった。
◇
現在の時刻は午前一時半。
その深夜という時間帯、少年少女達は悲しみに暮れながらも、疲労と共に襲って来ていた睡魔と戦って居た。 里香と石塚は壁を背に、うとうとと船を漕いでは、はっ、と、起き上がり、を繰り返している。
「戦闘から二時間か……。 流石にもう、奴等が準備区画の入り口で待ち構えて居る事は無さそうだけど……。」
陽菜のお陰で自分を取り戻して居た孝太は、再び前を向いて歩き出す事を決意していた。
「そう……ですね。 これからどうします?」
その孝太に、目を数度瞬いて睡魔を追い払いながら返す陽菜。
「何にせよ一旦休まないと……。」
疲労困憊の様子の三人を見渡す孝太。
「よし。 準備区画に戻ろう。 陽菜、探知は頼むよ。」
「わかりました。」
「あ、あの……わ、私に、何か出来る事ってありますか?」
孝太が何かを言い出すのを待って居たかのような口ぶりで言う佳苗。
先ほどの会話で、孝太が佳苗を庇う様な格好になってからなのか、それ以前からなのかは分からないが、彼女は孝太に対して、以前の高飛車な態度からは信じられない様な純朴な態度を態度を示している様に陽菜には見える。
いや、演じている、だろうか。
陽菜は佳苗を評価するにあたり、彼女はとても狡猾だと考えており、その考えは今も変わっては居ない。
だが、里香も石塚も、仲間を殺したと佳苗が告白してからは、たとえ孝太のフォローがあったとしても、もう彼女を本当の仲間としては見る事が出来なくなって居たのだろう。
二人が佳苗に対しては冷たい態度を取っている事で、自己防衛の意味で孝太と陽菜に擦り寄るという選択肢を取って居るのだろうかと考える陽菜だが……。
ちらりと孝太の様子を見る陽菜。
すると、陽菜に助けを求めるように陽菜の方を見ていた孝太と目が合った。
どんな考えがあるにせよ、動く気力の感じられない里香と石塚に比べれば、何倍もマシだと考えた陽菜は、
『孝太。 何か命令してあげて下さい。 彼女、多分……今、何か動いてないと気が済まないんですよ。 でも、多分、何をしていいか、自分では分からないんです。』
そう孝太に佳苗をフォローするように念話を送ったのだった。
『――そうか。 分かった。』
孝太は、陽菜からの念話を受け取った後、ちらりと佳苗を見る。
「樫木さん。 陽菜には探知に集中して貰うから、車椅子を押してくれるかい?」
「あ、は、はい!」
そして、佳苗に陽菜の車椅子を押す事を命じたのだった。
無論、そんな補助は既に必要の無い陽菜だったが、佳苗は孝太から与えられた命令に目を輝かせて佳苗の車椅子の後ろに立って押し手を持つと、これで良いですか? と、はにかみながら首を傾げるのだった。
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