有為転変

 小野寺里香は、言わば博愛主義者であった。

 両親共に、とある宗教を信心深く信仰しているという家庭の中、次女として産まれ育った彼女。

 両親は彼女に対して、当然のように、一般的な日本人の教養と共に、宗教的な考え方も教育の一環として彼女に教え込んだ。

 さて、彼女の姉は信心深く育ち、現在その宗教を信仰する系列の高校へ通学している。 また、妹である彼女自身も、他に今考えられる選択肢が無いという理由から、一応姉と同じ学校を目指す予定であった。

 姉と里香の違いは、その宗教で教える神様を、姉程意識して信じては居なかった事が一つ挙げられる。

 だが、両親が説いた慈愛の心という物は、彼女の心にも宿っており、それが博愛主義者たる彼女を形成していた。

 その慈愛の心により、他の11人には気付く事が出来なかった、孝太と陽菜の、織部加奈に対しての態度への違和感を見出したのだ。

 陽菜や孝太が言う様に、本当に織部加奈が二人の存在の保険として存在しているなら、今彼女の力を借りずして、いつ借りるのか。 そして、借りないのならば、織部加奈は本当に存在しているとは思えない、と、彼女は考えたのだが、里香が陽菜にした質問は、あまりに直球過ぎたと言える。


「生きて……いますよ。 なんでそんな事を聞くんですか?」

「……嘘、じゃないの?」


 陽菜の背筋に、真っ直ぐな里香の瞳と共に投げられた『嘘』という言葉が、ぞくりと這い回る。

 自分が付いているその『嘘』が、里香には妄信的に否定的に感じた様に見受けられ、つまりは、それが『嘘』だと看破されているのではないかと感じたからだ。


『孝太。 小野寺里香が織部さんは生きているか、と、聞いて来ました。 ……生きていると答えたら、嘘じゃないかと彼女は疑っています……。』


 陽菜は、自身の薬指に嵌められた指輪の能力を使い、慌てて孝太に念話を送る。


『えっ! 陽菜!? 何で念話を使って……って、織部さんの事!?』

『は、はい。  私……どう答えたら良いか分からなくて。 いきなり念話してごめんなさい、孝太。』

『いや……念話自体は非常事態だから問題無いんだけど……小野寺さんが……そうか。 あの時彼女が言った13人目ってのは織部さんの事だったんだ……。』


 孝太は、皆に訝しまれない様に、普通を装って陽菜に念話を返したが、念話には感情は乗るらしく、その彼の念話の様子は困惑した様子であった。

 だが、孝太が瞬時に里香の考えを読んだ事で、陽菜は安心感を抱く。


『大丈夫だ、陽菜。 『嘘』を付かなければ良いんだ。 織部さんは生きているし、僕達の仲間だし……そうだ。 必要なら、織部さんとは現在連絡が取れない状態だという事を、彼女だけにこっそり言ってごらん。』

『わ、わかりました。』


 本当にそれで大丈夫だろうか、と、一瞬躊躇う陽菜だったが、確かに『嘘』を付かなければ問題無いと考え、


「嘘じゃないですよ。 生きています。 何でそんな事をいきなり聞くんですか?」


 と、逆に訝しげな表情で里香に応える陽菜。


「えっ!? ……そ、そう。 生きてるんだ。 本当に。」

「織部さんが生きていて、何か不都合な事が小野寺さんにあるんですか?」

「わ、私!? 不都合な事とか、そんなの無いよ! 無い!」


 だが、そうやって陽菜が訝しげに里香に聞いた事で、里香は自分が先ほど陽菜に投げかけた疑問を否定する様に、慌てて両手を横に振って、やましい事など何も考えては居ない、と、陽菜に答える。

 里香が両手を離した事で陽菜の車椅子は止まり、里香の歩みも止まる。

 すると、二人の様子がおかしい事に気付いた緋色の魔法使い、櫛田峰子も歩みを止め、二人を振り返る。


 ――――ここで話を広げられたら拙い。

 そう判断した陽菜は、片手で車椅子の片方の車輪を回して、前方を里香の方に向け、指を一本唇の前に立てて、里香を見詰めた。


「……?」


 首を傾げる里香。 その里香をちょっとこっちに、と、手で自分の方に呼び寄せる陽菜。

 陽菜の意図が分かったのか、顔を陽菜の方に寄せて来る里香。


「……実は、織部さんとは今連絡が取れないんです。 多分、準備区画には居ないので……。」

「……ああ、そうか。 そうなんだ……。」


 それでようやく察してくれた里香に、胸を撫で下ろす陽菜。


「ご、ごめんね。 私、織部さんが生きてるのかなんて聞いちゃって。 陽菜さんとは、仲間なんだもんね。 そんな事言われたら気分が良いわけ無いよね。」

「い、いえ。 分かって頂けたならそれで私は構わないんですが、出来ればこの事は皆には内緒に……。」

「ああ……そっか。 そうだよね……うん。 分かった。 誰にも言わないよ。」


 孝太の作戦は、功を奏した。 秘密の共有をする事で、里香は自ら抱いた疑問を、その自らの慈愛の心で彼女の中に押し留めてくれそうなのである。

 陽菜は再度車椅子を反転させると、


「お願い出来ますか?」


 と、肩越しに後ろを見て里香に伝えると、


「あ、う、うん。 ちょっとみんなから遅れちゃったね、行こうか。」


 そして里香は再び陽菜の車椅子を押し始めるのだった。

 櫛田峰子は二人のすぐ近くまで来ており、


「……何? 何かあったの?」


 と、里香と陽菜の二人に聞くが、


「別に……ちょっと……陽菜さんと話をしてただけ。」

「ふーん……。」


 そう里香が言うと、長身の彼女は、腰を手に当てて、見下ろす様に二人に視線を向ける。

 その視線には、威圧感を乗せて来ており、陽菜だけでなく、里香までもが萎縮する様に視線を下に落とした。

 しかし、二人がそうして一瞬でも服従の態度を見せた事に、自己満足を憶えた櫛田は、溜息を付く様に軽く鼻息を吐くと、再び振り返って、先行した人達に向かって歩みを進めたのだった。

 

「櫛田さん、たまに……怖いよね。」

「え……ええ。 そう、ですね……。」


 陽菜は、呟いた里香の言葉に、加奈の秘密を守れた事、そして、里香を懐柔出来た事に、二重に安堵を憶えたのだった。


 ◇


「さて。 皆、問題無いか?」

「大丈夫みたいだね。」


 迷宮に入る入り口である魔法陣の近くに陣取る12人。

 それを見回して言った日立に、同じく見回して答えた孝太。

 陽菜の探知により、宿屋区画の方に居る殺人集団の動きが現在無い事は分かっており、その動きが無いという事が、自分達が探知されている状態でありながら故意に相手は動いて居ないと考えられる。

 隠蔽状態だった六人のうちの一人、桃色のヒーラー、作田志乃を隠蔽から解除して『見える』側にさせる為、日立、そして越野幸太郎、櫛田峰子、の四人でパーティを組み、一旦迷宮の一階に入って、瞬時に準備区画に戻る。

 さて、元からパーティを組んで居たもう一つのグループ、里香、陽菜、石塚栄吉の三人と、合わせて合計七人が敵に探知される事になったのだが、その時点で、何らかの動きがあった、と、陽菜は報告する。


「孝太、敵は慌てて居る感じがします。 点が位置を交換したり、その場をぐるぐる回ったり……。」

「……動揺してるのか? マーキングしてる敵がいきなり増えた事に、驚いてるって事は……僕達はやっぱり朝から目を付けられてたんだな……。」

「だが、ようやく重い腰を上げるみたいじゃないか。」


 鎧の金属音を立てながら両腕を組んでそう言う日立。


「ああ。 来るならきっと今だろう。」

「よし、じゃあ次は、誰が陽菜さん達に付いて行くかだが……。」

「日立、先ほどの今で悪いんだが、相手に動きがあった以上、4人か3人のどちらかを攻撃するのは間違い無いと思う。」

「……確かに……そうかもな。」

「だから、隠蔽状態のパーティは、5人全員一緒に、他のパーティと一定の距離を保ちながら待機するのが良いと思うんだ。」

「人数を分けたら瞬間的火力が分散する訳だからな……。」

「異論は無いみたいだね。 じゃあ、それで行こう。」


 ちなみに孝太は、敢えて陽菜の居る方のパーティでは無く、4人になったの方のグループを狙うのでは無いかと考えて居たが、その場では言わなかった。

 敢えて根拠という根拠は無いからだったが、何となく探知できる者を襲うのに、自分なら抵抗感を感じるからだ。 つまり、相手が囮で、本体が隠れて居るのでは無いかという感覚。

 

「よし。 後はやってみるしか無いな。 全員、自分の命を再優先しろよ。」


 偉そうに言う日立だったが、皆、覚悟を決めた様に頷く。


「元々そのつもりだ。 お前もこんなところで死ぬ様な真似をするなよ。」


 孝太はそう言うと、意外にも日立の前に握った拳を突き出した。

 不敵な笑みを浮かべた日立は、その彼の拳に宙で自分の拳を軽くぶつけるのだった。


 ◇


 さて、迷宮、今回は一階に入った後も、敵に動きがあるかどうかは、まだ半信半疑だった孝太達。

 しかし――――今回こそ、6人組の集団が、日立達を追って居るのを、陽菜が探知する事となった。


『孝太。 日立君の後方400mに六人。 その日立君達の方に真っ直ぐ向かってます。 敵の色は……真っ赤。 多分あの人達です。』

『遂に来たか……。 陽菜の方から見て、その六人を僕達と日立達とで挟み撃ちに出来そうに見えるかい?』

『もう少し日立君にゆっくり奥に言って貰える様に指示して貰えるなら、丁度中央から少し北に行った付近で、孝太達が丁度追い付いて、挟み込む形に持って行けると思います。』

『分かった。 じゃあ、僕達はこのまま突っ込む。 陽菜は、もし僕達が敵と遭遇したと感知したなら、その後二人と一緒に急いで前線に合流してくれ。』

『わかりました。 孝太……気を付けて。』

 

 ◇


「樫木。 日立の方に魚が掛かった。」

「何ですって!?」


 いきなりの二ノ宮の言葉に目を丸くする佳苗。


「日立達の後方400mに敵六人が向かってる。 日立になるべくゆっくり奥に向かう様に言ってくれ。 僕達はこれから急いで日立達を追い掛けて、その六人を挟み撃ちにしよう。」

「わ、分かったわ。 ゆっくり奥に行く様に念話で言えば良いのね?」

「ああ。」

「…………了解した、だそうよ。 追い付かれるタイミングはどうやって測れば良いって聞いて来ているけど。」

「分かった。 陽菜に、敵が日立達から約100m付近にまで近づいたら僕に伝えて貰うから、その後で僕達隠蔽している5人を、日立が自分で感知しながら距離を取って、お互いの距離が160mになったなら、振り返って突撃してくれ。 その時、樫木さんに念話で伝えてくれると尚良い。」

「…………よろしく頼む、だそうだわ。」

「いよいよ戦いか……人と、殺し合うって事だよな……。」


 三ツ池浩作、赤色のブレードダンサーが、赤色の刀身を持つ、ショートソードとロングソードの中間、ミドルソードとでも言えば良いだろうか、の、長さの二本の両刃の剣を手に持って、まるで曲芸の様に振り回す。


「器用ね……。 まるでラケットみたい。」

「ああ……似たような感覚で使ってるよ。 まあ、元の世界で俺が使ってた卓球のラケットはこんなに長く無いけどさ。」


 委員長の樫木にそう言われたのが、褒められた様に感じたのだろう。

 若干誇らしげな顔を見せながら、再度手首を使ってくるりと剣を回して見せた三ツ池だった。


「二ノ宮君は、ああいうのやらないの?」


 と、それを見ていた長谷川美弥が、孝太に声を掛ける。

 普段はつっけんどんな態度の彼女が、そんな事を言うなんてどういう風の吹き回しだ?

 と、美弥を見る孝太だが、その彼女の瞳に、不安が混じって居るのを感じた孝太。


「……まあ、うん。 どうかな……。 ナイフ捌きとかは、結構上手いと思うけどね。」


 美弥は多分、誰かと何かを話して居ないと、恐怖で自分がどこかに持って行かれてしまいそうな気分なのだろう。

 それを彼女に感じた孝太は、懐から出したスローイングダガーを左手でひょいと宙に舞わせ、重力で戻って来たそれを右手で掴むと、左手に思い切り放り投げ――――瞬時にまた左手の人差し指と中指で掴む。


「……曲芸には、ちょっと見えなかったかな?」


 はにかみながら言う孝太だったが、


「ううん。 流石殺人鬼。 頼りになりそうね。」


 と、孝太に減らず口を叩き返す美弥だった。


 ◇


「本宮君。 一応、敵の魔法攻撃に備えてくれるかい?」

「了解。 パッシブリフレクション!」


 本宮慎二がそう叫ぶと、彼自身の周りに霧のような膜が張られる。


「それって、自動で魔法を跳ね返すスキルだよね。 叫ぶだけで発動するのか……。」


 感心した様な、羨ましそうな、複雑な表情で本宮を見る孝太。


「便利な様に見えるか? けど、魔法じゃないから回数制限がスキル毎にあったりしてだな。」

「……うちのパーティは、魔法系は死んだ浅塚君だけだったからねぇ。 作田さんも魔法の詠唱が無くて、スキルで回復させるタイプのヒーラーなのよ。」


 と、先ほどの孝太とのやり取りで若干余裕を取り戻したのか、本宮の後ろでそう不敵に話す長谷川美弥。


「へぇ。 それは便利そうだな。」

「でも、さっき本宮君が言ってた様に回数制限があってね――。」

「――ちょっと。 無駄口叩いてないで。 もうそろそろなんじゃないの?」


 無駄話をしながら緊張を解して居た孝太達だったが、樫木には遊んで居る様に見えて居たらしい。

 苛ついた顔をあからさまに見せながら、そう皆に言う佳苗。


『孝太。 距離100m前方。 少し急いで下さい。 日立君達が距離を少し詰められ過ぎて居ます。』


 その時、陽菜からの連絡が孝太に念話で入り、


「お待ちかねのご対面だよ、樫木さん。 皆! 全力で行くぞ!!」


 と、他の四人に向かって叫ぶのだった。


「「おう!」」「「ええ!!」」


 その声に呼応して、四人は前方に向かって走り出すのだった。


 ◇


「水面寄りて風吹かば、其処に眠りし賢者の晶石の影が揺らめいた。 水面にそろりと入れたる我がつま先に、淡い口付けを下さいな。 小羽波紋フェザーリップル!」


 樫木佳苗の魔法の詠唱が終わると同時に、彼女の紫のブーツを淡い紫の光が包み込んだ。

 そして、まるで水面を走る水鳥の様に、宙に紫の波紋を描きながらステップを踏んで、佳苗は敵の方向に向かって突っ込んで行く。

 魔法使いが突っ込むのか? と、故意に控え目に動かしていた自分の足を慌てて少し早める孝太だったが、意外や意外、弓手である長谷川美弥以外は、何らかの高速移動手段を持っていたらしく、佳苗の更に前には、武器を構えて敵に向かって突っ込んで居る本宮と三ツ池が居た。

 孝太も、ならば自分も半分本気で走るかなと、一瞬考えるが、本宮が大きい盾を身体の前に持って、その盾を中心に竜巻のような風を抱いて突き進むのを見て、自分は予定通り捕縛の役に徹しようと考える。

 三ツ池は、本宮の左後ろから本宮とほぼ同じ速度で敵に向かって進んでおり、彼は遂に敵を視認出来たようで、二本のミドルソードを水平に構えて、突進して行った。


 孝太の視界にもようやく敵が入るや否や、


「My lord of deep green.(我が深緑の王よ。) please provide your kindness to your faithful fellow named verde.(貴方の忠実な下僕たる『緑』に貴方の優しさを分け与え給え。)」


 と、孝太は足を床に滑らせながら動きを止めると、束縛の魔法を唱え始める。


「ふっ!!」


 その孝太の後ろから、長谷川美弥が全力で引いた弓が――――褐色の、まるで槍の様な太さの矢を射た。

 その矢は孝太の脇を抜け、三ツ池の脇を抜けて、まだ点の様に見える敵の一人に――――


 ガインッ!!


 と、激しい金属音を鳴らされ、矢は天井に向かって弾かれてしまった。


「なっ!?」


 彼女にとっては渾身の一撃だったのだろう。 美弥は自分の矢が弾かれた事に驚愕の声を上げる。


「Born as nameless seed. I name you verde. (名も無き種よ。 お前を『緑』と命名す。) Grow as tree, as forest, then show me your verdure! (木の様に、森の様に育ち、その時お前の新緑を見せてみよ!)」


 その美弥に、何か声を掛けたかった孝太だが、魔法の詠唱を止める訳には行かない。


「ヴィヴィエッタ、ニフテア、ララ、エルフォーテ。 アルメイエ、テオ、エルフォーテ。 深緑拘束ヴェルデューレストイント!!」


 敵は人影の様に孝太に見えており、その人影の動きが彼の魔法によって、足元から段々と動かなくなっていく。

 魔法が成功して安堵すると共に、


「長谷川さん!! 今足から敵を押さえた!! 次々に攻撃して!!」


 と、長谷川美弥に合図する孝太。


「は、はい!!」

 

 大きな返事と共に、遠く見える人影に向かって先ほど射たのと同じ位の威力の矢を何度も放ち始める美弥。

 攻撃力だけで言えば、陽菜と比べて同じ程度の威力の矢であるが、陽菜と美弥の武器の違いのせいもあってか、美弥の矢の連射速度は3秒に1本と言ったところで、総合的な攻撃力は陽菜に劣ると言わざるを得なかった。

 もの凄い勢いで打ち出されていた陽菜の矢を弾き返したかつての敵の存在を思い出し、美弥の攻撃も多分通らないと思ってしまった孝太だが、その悪い予想通り、その美弥の矢は虚しく弾かれ続けるのだった。

 孝太からは遠目で良く見えないが、何かの武器……長い槍のような物で、腕を拘束されながらも、弾いて居るように見える。

 まさか、手首だけを使って長い武器を操作して、遠くから飛んでくる美弥の攻撃を狙って・・・弾いて居るのか?


 と、そんな事を孝太が考えている間の事、最前線では本宮と三ツ池が敵の後衛から魔法攻撃を食らい始めていた。

 それは真っ赤な光のシャワーに見える。

 100本を超える拳大の光の筋が、先頭を走る本宮に向かって伸びて行き、三ツ池は一旦身を翻してその本宮の盾の後ろに身体を捻り込む――と、その瞬間、約50本程の光の筋が本宮の盾に直撃した。

 本宮の白い盾は、事前に使って居たパッシブリフレクションという魔法防御の効果と、盾そのものの効果もあって、四方八方に赤い光を跳ね返した。

 その跳ね返された赤い光が通路の壁に当たると、瞬間的に石壁を赤く変色させ、湿った壁に付着している湿気が、一瞬で蒸発させられる音が通路中に広がった。

 赤い光の威力がどの程度の物なのかは具体的に孝太には判断出来ないが、素肌に当たる事だけは想像したくない程度の威力はある様に見受けられ、口の端を生理的恐怖で震わせる孝太。

 しかし、本宮の盾のお陰で孝太達後衛の三人にその光は降り注ぐ事は無く、放射状に放たれたその光は、通路の壁に全て吸収されたのだった。

 ごくり、と、唾を飲み込む佳苗。 ようやく、その長い時間にも短い時間にも思えた相手の攻撃が一先ず終わったと確信し、


「水面寄りて風吹かば、其処に眠りし賢者の晶石の影が揺らめいた。 目前に映る我が戦士達に、そろりと御手を差し伸ばし、優しく背中を押して下さいな。 紫煙は支援だけど私怨。 紫之製法ヴァイオレットフォーミュラー!」


 樫木佳苗のその魔法の詠唱が、迷宮の廊下に響き渡って行った。

 まるで洒落を言っている様な台詞の詠唱が終わって、佳苗の魔法が発動すると――――


「「グルォォォォ!!!」」


 前方に居た前衛の二人に、まるで獣の様な声を上げさせた。

 厚い紫の煙が二人を包み込み、その煙と共にまるで弾丸の様に敵に突っ込んで行く二人。

 そして、佳苗自身は紫色の波紋を足元に立てながら、後ろ歩きで孝太達の方に戻って来る。


「ま……まさか、味方を狂暴化バーサクさせたのか……?」


 確かに、孝太が足止めをしている間に、前衛が出来る最大級の攻撃を敵に与えるのは効果的だとは言える。 佳苗は最初からその作戦で行くつもりで、魔法の効果が届く距離まで前衛と一緒に突っ込んだのかもしれないが、まるで味方の犠牲を厭わない様な、いや、意識さえしていないような佳苗の思考に、何だかとても鬼気迫る様な物を感じた孝太は、


「誰が殺人鬼だよ。 自分の方がよっぽどタチが悪いじゃないか。」


 そう呟いてしまうのだった。


 ◇


『日立君!! 今二ノ宮君が敵を拘束バインドしてる!! そこに狂暴化した・・本宮君と三ツ池君が突撃してるわ!!』

『分かった! こっちも攻撃を開始する!!』


 孝太達の丁度反対側、敵から50m付近に、日立達4人が居た。 佳苗の報告に、狂暴化したでは無く、させたの間違いだろうに、と、口の端に笑みを浮かべながら心の中で突っ込む日立。

 彼女の紫之製法ヴァイオレットフォーミュラーは、対象のエリアに居る味方の攻撃力を増加させ、恐怖心を失わせるという効果がある。 しかし、日立も佳苗に使って貰った事があるが、敵を殺すという闘争本能以外、何も考えられなくなるという弊害があるのだ。

 まあ、今回の場合、敵を捕縛しているのなら、最大攻撃力で攻撃するのは間違いでは無いだろうし、本宮と三ツ池が人を殺した事が無い事を佳苗は知っており、彼等の背中を後押ししたつもりなのだろう。

 改めて佳苗という人物の判断力に感心する日立だった。


「櫛田! まず遠距離から一番でかいヤツを撃つぞ!」

「了解!」

「越野! 魔法攻撃を警戒して作田さんを守ってくれ! 俺は櫛田の前に立つ!」

「おう! 火線誘導コースティクスインダクション――――着火イグナイト!!」

 

 作田志乃に攻撃手段は無い為、『頑張って。』と、小声で応援しながら越野の背中に身を隠すが、同時にパーティ全体を鼓舞する『祝福の吐息ブレスオブブレッシング』のスキルを使う。

 身が軽くなった感じがする日立と櫛田は、互いに見つめ合うと頷いて詠唱を始めた。


「遥か果てに伸ばした手にも、優しく触れるお前の温もりを感じるだろう。 闇はやがて影を縮め、お前の前にその身を焼き焦がす。 生きる源たるお前に、またも小さき人間が懇願しよう。 光よ。 光よ。 光よっ!! ラ・ピツィエーラ・エラ・ティフォルタス。 リューン・バラ・サイテ・エスメトス!!」

「紅に染まる暁に、貴方の影が見えるわフェリストス。 名を知る者など居ないと思ったのかしらお馬鹿さん。 出てらっしゃい、お馬鹿さんなフェリストス。 その背中に鉄をも溶かす業火を背負って、自らの手を焼いているのに気付かない燃える大地を抱きしめながらよフェリストス。 トルエ・フィサーント!!」


 心なしか祝福の吐息で詠唱が早くなって居た日立と櫛田の二人の詠唱は、ほぼ同時に終わった。

 そして、魔法を発動するため、二人がその魔法の名前を口にする為に、息を吸い込んだ瞬間――――


「ぬぁっ!!」

「きゃっ!」


 それは突風だった。 四人にいきなり正面から叩きつけられた突風は、その力で四人を後ろに吹き飛ばす。 地面に転がる様に後方に転げ出される四人。


 ――――何故だ!? 魔法防御は必ず一回弾ける筈だ!!


 そう日立が考えた時、同じく魔法攻撃なら返せる自信があった越野の驚愕の顔が目に入り、これは魔法攻撃では無く、広範囲物理攻撃だと理解する彼等。


『広範囲物理攻撃だと!? そんなバカな!!』


 仲間に情報を伝えるためにも、宙を舞いながら佳苗に念話を伝える日立。


『何で!? 今、こっちで二ノ宮くんが足を押さえてて、前衛の二人が突撃してるのよ!? 誰がそんな攻撃をしてるって言うの!?』


 佳苗からの悲痛な叫びは、しかし二度、三度と吹き付けられる突風と共に日立に聞こえて来る。


「なっ……ぷっ! こ、これ……っぷっ!!」


 これでは魔法が最後まで詠唱できない、と、顔を青ざめさせる櫛田峰子。

 彼女が使える魔法の中で、ただ一度使えるLV5魔法、つまり、大技中の大技、つまりは究極魔法を唱えて居たからである。

 この魔法が失敗ファンプルしたならば、反動がどの様な物なのか、自動的に櫛田峰子に伝えられ、それは骨の髄まで炎の魔神フェリストスに焼き溶かされてしまうよ、というものだった。

 同じく、日立が詠唱していた魔法も、一日にたった二回しか使えないLV5の究極魔法で、もし失敗したならば反動で自ら呼び出した光に身を焼き焦がされる事を知り、焦る彼。


『だ、誰か情報を! 一体前線で何が起こってるんだ!?』

『分からない! 私達からもまだ敵の全貌が見えないわ! こっちに居て、今から前線に出せる前衛は二ノ宮君だけよ!! 彼が使っている捕縛の魔法を解いて、近接攻撃して貰うの!?』

『足止めが意味が無いのは明白だ! もう捕縛は止めて、こっちの魔法が打てる隙だけを作る様に彼に言ってくれないか!? 僕達が魔法をファンブルしたら、最悪俺達4人は全滅するかもしれん!!』


 ◇


 日立の叫びは必死だった。 日立と念話をしているであろう佳苗の様子を伺って居た孝太だったが、どれだけ彼等の状況が悪いのか、彼女の表情で見て取れる。

 そして、佳苗は孝太に視線を寄せ、何かを言おうとする。


「僕の……出番って事かな。」


 それを先回りして言うと、安堵した様な表情を浮かべる佳苗。 そして、申し訳無さそうな顔に表情を変えると、


「ごめんなさい二ノ宮くん。 こういう時に言うのは卑怯だけど、貴方が本気を出して無い事は知っているわ。」


 あっさりと孝太の事を看破していた事を告白する佳苗。


「私達を信用して無いのは分かって居るけれど、今回だけは力を貸してくれるって言ったわよね。」

「……分かった。 本気を出させて貰うよ。」


 観念した様にそう言う孝太。 実は彼自身も、本気で戦わないと拙いのでは無いかと思い始めて居たのだ。 異論は無かったのである。


「私は二ノ宮君の後ろに付いて、出来るだけサポートするわ。 長谷川さんはこの場所から少しづつ前に出て、味方を射ない様に注意しながら敵を攻撃して頂戴。」

「わ、分かったわ。」

「じゃあ……行くよ。」


 孝太はそう言うや否や、物凄い速さで前方に駆け出して行った。

 孝太の前回のレベルアップでのパラメーターは、


 キンリョク 24(+9)

 タイリョク 20(+4)

 シンリキ 1(-2)

 チリョク 18(+8)

 ビンショウ 33(+6)

 ウン 1


 と、筋力、体力、敏捷値は種族補正の為に人間の限界を突破しており、敏捷値、つまり速さで言えば織部加奈とほぼ同程度の物となっていた。

 彼の全力疾走に、目を丸くさせる佳苗と美弥。

 まるで風が突き抜ける様に、一瞬で孝太の背中が前方に消えて行ったからである。

 佳苗も慌てて付いて行くが、魔法が掛かって居るとは言え、勿論彼の速さには及ばず、ならば、と、敵を直接攻撃するのは諦めて、孝太のサポートの為に、誘導爆破トレーサーエクスプロージョンの魔法の詠唱を開始した。


 ◇


 孝太の眼下には、信じられない光景が広がって居た。

 敵の六人、魔法使い風のが三人、全身に鎧を着込んだ前衛が三人、皆、男性だったが、その六人は、本宮に向かって放った赤い光線魔法の攻撃の後、何もして居なかったのである。

 文字通り、何も・・していなかった。

 美弥の矢を弾いたのも、本宮と三ツ池の攻撃を今でも逸し続けて居るのも、魔法使いの一人の魔法なのであろう、宙に浮かぶ黒い球体から伸びる影であり、つまりは孝太達の物理攻撃は完全に無効化されて居た。

 日立達のパーティに襲い掛かって居る突風は、黒い球体が逸らした三ツ池と本宮の剣撃の衝撃波だったのである。


「ぬおぉぉぉぉ!!!」

「つるぁぁぁ!!!」


 だが、今も尚、身体を紫の煙に包まれて、彼等は攻撃を続行していた。

 黒い球体の魔法に何か制約があってそうしているのかは分からないが、二人に攻撃されたまま動かない敵の六人。

 やがて、その敵の前衛のうちの一人、栗色の髪の毛のロングヘアーの白人男性が孝太の姿に気付き、口元に微かな笑みを浮かべた。

 ぞくり、と、嫌な予感が孝太の背筋に走る。


誘導爆破トレーサーエクスプロージョン!」


 その時だった。 孝太の後方から、佳苗の声が聞こえる。

 その声の後、6つの紫の光の玉が孝太の周りに浮かび上がり、一瞬赤く光ると、敵に向かってその6つの光の玉は飛んで行ったのだった。


「拙い!!」


 孝太は何故そう言ったのか自分でも分からなかった。

 だが、嫌な予感通り、先ほど孝太に微かな笑みを見せた白人男性が皆の前に一歩出て盾を構えると、その六発の魔法は――――本宮と三ツ池に向かって弾き返された。

 孝太の脳裏に、味方に味方の魔法攻撃は効かない筈だと浮かぶが、弾き返された際に紫だった筈の光の玉がピンク色に変わったのは何故だという疑問が浮かび――――

 その疑問の答えは本宮を捉えた六発の光の玉の爆発で得られた。


「本宮!」


 叫ぶ孝太だが、本宮の左半身は六発の光の玉で文字通り粉砕されており、残された右半身がゆっくりと地面へと倒れて行く。

 その本宮の右半身には、盾が構えられて居た。

 その盾には、魔法を跳ね返す効果が与えられて居た筈である。

 それを看破して、更に本宮が攻撃を繰り出す瞬間を狙って魔法を弾き返した……?

 相手は、本物・・だと理解して、気を引き締める孝太。

 一旦魔法攻撃を弾き返す事が彼等の制約だったのかは分からないが、それを合図に一斉に攻撃を開始する敵の一団。

 本宮の次に狙われたのは我武者羅に二本の剣を振り回して居て、いつの間にか黒い球体が無くなって、前衛の一人に攻撃を開始していた三ツ池だった。


「être une foule. On vas flamber d'appel avec mon fleur. Les fleurs bois ta sang, et brûler ta peau. サル、エクエート、ララ、クリアティカ、業火之華フラワーズオブヘルファイヤ!!」


 早口の様に聞こえた彼の詠唱は、孝太の耳には一瞬と感じ取られた。

 そして、詠唱とほぼ同時に、鎧を来た三ツ池の攻撃を受けて居た前衛の男が、一歩後ずさる。


「三ツ池!!」


 狂暴化した三ツ池に、やはり孝太の声は届かなかった。

 いや、声が届いたとして、何だというのか。

 そういう諦めも、既に孝太にはあった。

 三ツ池の身体、鎧の上には無数の白い薔薇が咲き乱れ、やがて花びらは赤黒く変わると同時に、三ツ池の身体の力が抜け、床に両膝を付け、ガシャン!と、膝当てが音を立てる。


 ツパァァァァン!!


 そして赤い薔薇は炎を上げて爆発して霧散すると、三ツ池の鎧と、肌の一部を同時に周囲に飛び散らせた。

 その三ツ池の鎧の破片のいくつかが孝太にも飛んで来て、それをショートソードで弾く彼。

 やがて3つめの破片を弾いた時、三ツ池の腹にはラテン系の外国人の持つロングソードが突き刺さって居た。


「Kids. sleep on.」(寝な。 キッズ。)


 その声は、意外にも慈悲に満ちて居た。 だが、慈悲はこれから彼が行う事への前払いの贖罪だったのかもしれない。


「ぎゃぁぁぁぁ!! あぁぁぁぁぁ!!!」


 三ツ池は、先ほどの敵の魔法による効果か、既に狂暴化状態から解除されて居た。 そして、悲しい事にそうしてしっかりと意識を取り戻してしまった三ツ池は、腹に与えられた痛覚のその場所に、悲鳴を上げながら手を当てると、ラテン系の男はロングソードでその手を切り裂きながら抜き取ったのだった。


「ひゃぁぁぁ!! おぁぁぁぁ!!」

「That's... Good one baby.」(それは良いヤツ・・だベイビー。)


 腹と斬られた両手の平を交互に見て、絶望の声を上げる三ツ池に、恍惚とした表情を浮かべて嬉しそうに何かを言う男。

 悲鳴が彼にとっては最高のご馳走だとでも言わんばかりに。

 だからなのだろう。 男は三ツ池を簡単には殺さなかった。

 足の腱を切り、


「うぉぉぉぉ!!」


 三ツ池の太腿をチュクチュクとロングソードの先端で何度も突く男。


「はぁぁぁぁ!! あぁぁぁぁ!!」


 また始まった、と、呆れ顔を浮かべる他の五人。 だが、その呆れ顔には、惨状を観劇している自分達への自嘲もあったのかもしれない。

 誰一人として、男の行動を止める者は居なかったのだから。

 腕を刺し、背中を刺して、頬を刺し、耳を切り取り、指を一本一本刺して弄ぶ男。

 その間、孝太は、その場から足を動かす事が出来なかった。

 三ツ池の傍に行く事が自殺行為の様に見えたからである。 普通ならば、そうして行為に夢中になっている相手を襲うのが常套な手段だと彼も考えて居たが、他の五人の目がそれを餌にして、孝太や他の仲間を自分達の元に呼び寄せようとしている様に感じたのだ。

 そして、それは正解であった。

 もしも孝太が三ツ池の傍に行ったとしたならば、一人の魔法使いが唱えて居た地雷魔法に吹き飛ばされて居たからだ。


「あ、あうけて!! はへか!! 二ノ宮ひほひあ!!」


 頬を切られた時、顎の筋肉も斬られてしまったのか、口を閉じる事の出来ない三ツ池が、必死な形相で孝太に助けを求めて手を伸ばす。


「あぁぁぁぁ!! あぁぁ!! あ…………………。」

「Dang it.」(クソが。)


 その時、肩を刺そうとした男の剣先が、身を捩った三ツ池のせいで、三ツ池の首に刺し込まれた。

 楽しいおもちゃが無くなった、と、悔しそうな表情を浮かべる男。


 この時、孝太は改めてどれ程の相手と戦って居るのか、実感し、彼にしては珍しく――――敵を、彼等を、恐れ始めて居たのだった。

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