虚偽申告

 孝太と陽菜が準備区画に戻ったのは、午後の八時を過ぎたあたりだった。

 声を枯らせそうになるまで加奈の名前を30分程呼び続けたのと、彼女を連れて来るという目標が達成出来なかった事を悔いていた彼らは、互いに憔悴した表情を浮かべていた。

 そしてその表情が、そのまま日立達のところに戻れば彼等にどういう印象を与えるのかが不安になった二人は、迷宮の入り口付近で一旦足を止めると、宿屋区画に行く手前の、レベルアップする為の部屋、彼等は神殿と呼んでいた部屋に入り、その部屋の中央付近のブースで、声を殺しながら互いに向き合って、その枯れかけた声で話し合いをしていた。


「……織部さんがここに居ないっていう事実は……どうやっても隠せないよね。」


 孝太は立ち尽くしたまま、溜息混じりで車椅子に座った陽菜に視線を落としながら漏らす。


「普通に見たら、交渉に失敗したと見られてしまいますよね……。」


 対する陽菜も、ふぅ、と、口を少し窄めて大きく息を吐いた。


「例えば、別行動している理由を作るとかは……どうだろう。」

「でも、別行動って、実際彼女が何をしているって言うつもりなんですか?」

「一人でしか出来ない事……。 くそっ。 何も思いつかない……。」


 どうにもならない悔しさを、そう呟く事でつい反芻してしまう孝太。

 それが更に悔しくて、もどかしくて、両手で拳を作り、ぎりぎりと握り締める彼。


「……偵察……とかはダメですよね……。」

「そりゃ、織部さんには探知のスキルは無いんだし……。」

「……逆に、日立君達に、私達が織部さんが出てくるのを待つ事を納得させるのはどうでしょう?」

「今日中に説得して戻って来るって啖呵を切ったのに、それじゃ何かを腹に抱えてると思われかねないよ……。」

「そう……ですよね……。」


 そうして必死に考えている二人だったが、なかなか答えを出す事は出来ず、やがて二人の間に沈黙が訪れると、陽菜の車椅子の車輪の横に座り込んだ孝太は力をだらりと抜いて、握り締めていた拳も開くと、やがて加奈が居た筈の小部屋でした時の様に、その車椅子にゆっくりと背中をもたげた。

 少し上向き加減になった孝太の顔の、その瞳が潤んで居るのを、彼の前髪の隙間から垣間見てしまった陽菜は、自分の手をつい孝太の肩に伸ばしてしまう。

 そして一瞬躊躇うも、その陽菜の手は孝太の肩にそっと添えられた。

 すると、陽菜を下から見上げる様に見る孝太。


「――――どうしたの、急に。」


 咎める訳でも無い、僅かな微笑みを携えた表情で返す孝太だが、


「っ! いえ……なんだか、二ノ宮君が寂しそうに見えたので、つい……。」


 その声に、自分こそ、急に何をしているのか、と、慌てて手を引っ込める陽菜。


「寂しい……か。 寂しいって言うよりも……何だか悲しいよ。 ……ずっと三人で頑張って来たのに、織部さん一人を置いて……僕達だけがクラスの皆と合流せざるを得ないなんて……。」


 孝太はそう呟くと、何も無い石造りの天井を見上げる。


「それは……私もそうですよ……。 樫木さん達に謝られたのは確かに嬉しいですけど、織部さんをまるで腫れ物の様に扱うのには、今でも納得行かないです……。」

「腫れ物……。」

「いや、私がそう思っているって訳じゃないですよ。」

「分かってるよそんなの。 ……けど――そうだよ。 織部さんには、その腫れ物、いわゆる抑止力になって貰えば良いんだ。」


 急に立ち上がって、左手で握り拳を作ると、それを前に突き出す孝太。


「抑止力、ですか?」


 その孝太の行動に首を傾げる陽菜。


「三島さん。 僕達の全員の中で、三島さんしか織部さんを感知する事は出来ないよね。」

「……え? どういう意味……ですか?」

「つまり、三島さんだけが知っている場所に彼女は居て、僕達に何かがあった場合、織部さんが……攻撃するつもり、つまり、武力を行使する用意がある、っていう抑止力、ある意味保険みたいな物を掛けさせて貰うのはどうだろうか。」

「えっ。 それじゃ織部さんがまるで用心棒みたいじゃないですか。」


 曲げた人差し指を唇に当てて、微笑む陽菜。


「上等じゃないか。 あれほど心強い用心棒なんて滅多に居ないよ?」

「まあ、でも、そうですね。 そういう理由なら、織部さんが姿を見せない理由には、なり得ますね。」

「そして、実際僕達の身の安全も保障されるという事になる。 相互協力とは言え、100%日立達を信用した訳じゃないって事は、僕達の意志と違わないし……彼等にとって、姿の見えない第三者の存在っていうのは、彼等が本当に何か・・を考えて居た時の切り札になり得るからね。」

「なるほど……そういう風に、私達を守るっていう形での協力なら、実際に織部さんに話した時も納得してくれるかもしれませんね。 少し口を尖らせるかもしれませんが。」


 孝太の案に、そう悪戯っぽく微笑んで同意する陽菜。


「後は早く織部さんが宿屋の部屋の鍵を発見して、こっちに来るのを待てば良い、か。 でも、彼女の事だから二日でも三日でも待って居そうなんだよね……。」

「そう言ったって仕方ないじゃないですか。 織部さんがキャンプからすぐ出て来るにせよ来ないにせよ、こっちから発見するしか方法が無いんですし。」

「そうか。 僕の隠蔽があるから、織部さんからは僕達が見つけ難いのか。」

「私達の後ろのどこかに居る、そう仮定して行動しつつ、いつか私の感知内に入ってきた織部さんに、私か二ノ宮君が皆の隙を付いて話しかける……難しそうですけど、それしか方法は無さそうですね。」

「最悪迷宮の中で織部さんを発見した後に、先走った織部さんに攻撃されるのだけはごめんだけどね。」

「もう。 ふざけないで下さい。 織部さんが私達を視認していきなり攻撃する事なんて有り得ないじゃないですか。」

「そうだね。 僕も、心の結構深い部分で織部さんを信じてる。 彼女は絶対に、僕達を裏切らない。」

「でも、皆のこれからの作戦で行くとなると、私と二ノ宮君が一旦は別行動になってしまうんですよね。 私が感知して、二ノ宮君の近くに織部さんが居たとしても、どうやって私は二ノ宮君に伝えたら良いんでしょうか。」

「何か特別な道具が……そうだ。 三島さん、まだポイント余ってたよね?」

「はい。 7000Pくらいは余裕があった筈です。」

「じゃ、ちょっと僕に考えがあるんだ。 ピピナ商店に行ってみようよ。」


 ◇


 孝太がピピナ商店で陽菜に買って貰ったのは、三つのコミュニケーションリングという銀色の指輪だった。

 この指輪の効果は、同じ種類の指輪同士を一度物理接触させると、魔力が切れるまでの回数、厳密に言えば50回くらいはその指輪を装備した者同士の念話が可能だというものである。

 回数とコストを考えると、50回の念話に対して2000Pとは多少高めと言える設定ではあるが、情報戦で一番大事なのは連携だと考える人は多いのだろう。

 指輪は人気の商品らしく、孝太が数時間に存在に気付いた時よりも在庫が減って居た。

 五つあったうちの二つが売れていたのだが、幸いにも三つの在庫を確保する事には成功した彼らは、一旦胸を撫で下ろす。

 孝太は一度その三つの指輪を陽菜に手の平で握る様に指示すると、程なくして開かれた彼女の手の平にあった三つの指輪のうち、一つを陽菜の手に残し、二つの指輪を手に取った。

 一つは孝太自身の手に、もう一つは彼が将来加奈に渡す為、彼のジャケットの内ポケットの中に仕舞い込まれた。


 指輪のサイズは、陽菜が買ったせいで、彼女を基本にしたサイズになっているらしく、孝太の薬指から親指にかけてはどの指にも小さかったので、彼は小指に嵌める事にした。

 嵌めた後、手をブラブラと振って、指輪がずり落ちて来ないのを確認した彼は、軽く頷く。

 その孝太の仕草を見て、自分も、と、彼と同じように小指に指輪を嵌めようとした陽菜だったが、彼女の場合は小指に対しては指輪のサイズが大きすぎたようで、するりと指輪が指から抜け落ちてしまう。

 では他の指ではどうか、と、まず親指から嵌めてみようとする陽菜だったが、指の腹でつっかえてしまいそれ以上奥に入る事は無く、改めて自分の親指と指輪の輪の部分を見比べてると、あからさまに違うサイズなのに、嵌めて試そうとした自分に苦笑してしまう陽菜。

 さて、次に彼女の目に入ったのは、人差し指。 次は嵌める前に目視で大きさを計ってみる陽菜だが、今度は見るからに丁度良さそうです、と、その指に嵌めてみる彼女。

 今度はしっかりと指の奥にまで入り、手を振ってもその指から抜け落ちてくる事は無く、満足気にその指輪と指を見る陽菜だが、ちらり、と、左手の人差し指に嵌めたその指輪と、何も付いていない薬指を交互に見て、若干頬を赤らめてしまう彼女。

 幸いにもその視線と意図は孝太に感じ取られる事は無く、微かな微笑みと共に陽菜が一瞬抱いた、言わば悪戯心とも言えようか。 それは、右手の平で左手の指全部を覆うようにして隠した彼女の行動によって包み隠された。


「これなら、僕と三島さんの連絡も取れるし、最後の一つは織部さんに渡せば、最悪日立達の目を盗んで彼女に口で現状を説明する機会を得られなくても、せめて現状は伝えられそうだ。」

「あ……は、はい。」

「……どうかした?」

「っ! いえ。 何でも無いです。」


 一瞬の陽菜の動揺を訝しんだ孝太に、自分の心が見透かされた様な気分になってしまった陽菜は、慌てて両手を横に振る。

 その彼女の行動に少し首を傾げる孝太だが、


「あ。 トイレならあっちにあるよ。」


 と、満面の笑顔で曲解して陽菜に返したのだった。


 ◇


 指摘されるとしたくなるというか、実際に尿意を抱いてしまった陽菜は、先ほどの行動を誤魔化す意味も兼ねてピピナ商店の一角にあるトイレに向かう事にした。

 一瞬陽菜に付いて行こうとした孝太だったが、孝太の隠蔽のスキルの効果があるので、一人でも大丈夫、と、そう陽菜は孝太に告げると、自分で車椅子を動かし、慌ててトイレへと向かう彼女。

 逆に、女子トイレに付き添おうとした自分が野暮だったなと改めて考え直した孝太は、その陽菜の背中を、自分の考えの浅はかさに小恥ずかしさを抱きつつ見送ったのだった。


 ◇


 用を足した後、下着を腰まで上げて、鎧の下地として履いている黒いタイツも器用に片手で引き上げた後、スカートの位置と白銀色の腰当ての位置を直した陽菜は、再び車椅子に戻り腰掛けると、トイレの個室の中で、自分の人差し指に嵌められた銀色の指輪を、天井に掲げて眺めながら、


「何やってるんでしょう……私……。」


 などと、多少羞恥が混じった薄ら笑いを浮かべ、そう呟く陽菜。

 仲間として孝太の事を見ているのは本当だが、佳苗に言われた通り、それとは少し違う……甘く、切ないような感情も彼に抱いてしまっているのは否めなかった。

 今では気が付くと、孝太の背中を目で追ってしまっている自分が、本当に情けなく思えてしまう。


「こんな事、やってる場合じゃないのに……。」


 加奈と孝太と陽菜の三人で約束した事は、この世界で、どんな事をしても三人で生き残って行く事。

 ――――だから、こんな感情は、『今』は要らない。

 そう陽菜は考えて居て、自分のままならない感情にもどかしさを覚えて居た。

 そして一つ溜息を付く陽菜。

 と、その時だった。

 同じくトイレに入って来た複数の人物の声が聞こえた。

 陽菜が探知のスキルを使ってその数を数えると、その数は三つ。 色は緑なので、陽菜よりはLV的には弱いという事になる。

 

 前の世界の洋式トイレに近い作りをしているこの世界の女子トイレだが、それぞれの個室の中は前の世界の物より広めに作られていて、だが、だからと言って、たとえ同じ女性同士でも、同じ個室に入って用を足すなど考えられない事なのだが、三人の人物は迷いも無く、陽菜が居た個室の横の個室の中に入り、中から鍵を締めた。


『あいつ、やばいって。 一緒に居たら私達まで誤解されちゃうよ。』


 と、若い女性の、何語かは分からないが、陽菜には自動的に日本語で翻訳された言葉が聞こえて来て、その複数の人物が、トイレにただ用を足しに来た訳では無い事が分かった陽菜。


『資質がパンダとか、レア過ぎとか最初笑ってたけど、あいつ……人間じゃないよ。』


 資質という言葉と、パンダという単語に、はっ、となる陽菜。


『イーフェンを死ぬまで殴り殺すなんてね……。 昔から確かに仲は良く無かったけど、殺すまでやるなんて普通は考えないし。』

『実はあいつ……前の世界でも人を殺してるんだ。 親が警察にたっぷり賄賂を渡して無罪放免になってんだけどね。』

『『えっ!?』』


 一人の女性の発言に、他の二人の女性は驚きの声を上げる。 同時に陽菜も、心の中で驚愕の声を上げた。 賄賂で無罪放免になる国が前の世界に存在した事も、人を殺した犯罪者がこうしてこの世界に召喚された事に対しても、だ。


『だからあいつの資質って、人間じゃなかったんだ……。』

『どういう事?』

『ほら、最初に召喚した女が言ってたじゃん。 前の世界で罪を犯した人間が、人間じゃない資質を与えられるって。』

『えっ。 じゃあ、素質がパンダって時点で、最初からヤバいんじゃん。』

『LV10以上になった亜人種って、上に報告したら討伐書を書いて貰えるんだって。 そしたら、この準備区画で殺しても、咎められないんだってさ。』

『マジで!? じゃあ、あいつLV9だから、あと一つ上がった後に報告すれば、宿屋の中で寝ている奴を襲っても問題無いって事!?』

『そそ。 で、あっちはこっちを殺したら普通に極刑になるから、まず手は出されないと思うよ。 だからあと1LVだけ知らないフリしておこう。 ね。』


 女達の会話は、陽菜の耳に、まるで耳鳴りのように響いていた。

 それは、陽菜に二つの大きな危惧を産んだからである。

 一つは、孝太が、前の世界で犯罪を犯して来たかもしれない事の自覚。

 だが、それは些細な事だと彼女は首を横に振る。 何故なら、彼女だって今ならば人殺しという犯罪者なのだから。

 むしろ、彼女にとって最も憂慮すべき事は、もう一つの危惧。 孝太と、そして加奈が、LV10以上になってしまった場合、討伐される可能性があるという事だ。

 いや。 可能性があるなどという生半可な話では無く、証明書を書かれるという事は、確実に討伐されると考えられる。

 ……そして、佳苗が陽菜との会話の最後に、不敵な笑いを浮かべた理由が、今何故か、思い付いた。

 ――――佳苗は、絶対に、この事を知っている。

 彼女は、元から孝太と……そして加奈を、切り捨てて、前の世界に帰るつもりだったのだ、と。

 佳苗はその為に、陽菜と二人きりになり、彼女を懐柔しようとしたのだ、と。


 歯を食い縛り、陽菜は考える。

 今、ここでその事実を知る事が出来た事は光明だ。

 この事を何も知らないまま佳苗達の元に戻り、知らない間に孝太の討伐書が書かれるよりは、この情報を知る事が出来た事は実に有り難い……が、考え得る対抗手段が、絶望的過ぎる。

 これを素直に孝太に申告したならば、優しい彼の事だ……絶対に自分を切り捨て、私だけを生かす方向に舵を進める事だろう。

 そうしたならば、陽菜と孝太の未来は、絶望的になる。

 そして頭に浮かぶのは、加奈の存在。

 同じ亜人種である彼女――――確か、前の世界で男を刺したと言っていた。

 だから罪人として紅蓮のキツネの資質を与えられたという事になる彼女。

 孝太は、私達との共闘が絶望的だと分かれば、私を生かす為にも、彼女を守る為にも、加奈を一人で探す行動に移ると陽菜は考える。

 なぜなら、彼が知る中で、彼女だけが、彼の本当の……仲間なのだから。


 陽菜の胸が、チクリと痛む。

 自分は、二人の本当の仲間には成り得ないのか――――そう考えて。

 しかし、この局面に来て、自分のこれからの行動が孝太にとって重要な役割を担う事になるという自覚ははっきりと彼女に生まれ、その為にすべき事は何であるのか、彼女の頭をぐるぐると巡り出す。


「……これを知っている事は、二ノ宮君にも、樫木さんにも知られてはダメですね……。」


 そう呟いて、トイレを後にする陽菜だった。


 ◇


「……どうしたの? 顔色悪いけど。」


 トイレから出た後、勘の良い孝太から陽菜に掛けられた言葉の第一声がそれだった。


「トイレに居た時、ちょっと嫌な噂を聞きまして……。」

「嫌な噂?」


 陽菜は、こういう風に孝太が陽菜の様子がおかしい事に勘付く場合があると想定しており、その場合は事実を交えた嘘を付く事にしていた。


「パンダの資質を持っていた人が仲間を殺したので、これからそのパンダの人を討伐する計画を立てるそうです。 資質が人間では無いから殺しておいた方が良いとその人達は考えているらしくて……。」

「……素質が、人間じゃ……無い?」


 目を細めて、真顔になる孝太。 しかしやがて、辛そうな顔を見せる陽菜を見て、ああ、そういう事か、と、


「僕と織部さんと一緒って事か……。」


 そう言いながら首を傾げつつ、俯いた孝太。


「織部さんも二ノ宮君も、他の人に見えないように耳を隠して居ましたが、それは正解だったのかもしれませんね。」

「仕舞には尻尾まで生えて来るしね……。 はは。 参ったよ。」


 苦笑いを浮かべながら、腰の後ろに付いて居るポーチを擦る孝太。

 彼の防具であるシャドウウォーカーは、既に孝太専用の改造処理が施されており、尻尾がズボンの外に出るような仕組みになっていた。 しかし、尻尾が外に出るとなるとその尻尾を隠す必要性が産まれた。

 だが、幸いな事に、防具の背中には物をぶら下げる為の釣具がいくつか備え付いており、その釣具に空のバッグをぶら下げて、バックポーチの様に見せて居る孝太だが、実はそのポーチの中身は背中に付いている部分に開けられた穴から差し込まれた、孝太のタヌキの尻尾なのである。


「種族補正ってのが、人間にとって都合が悪いのかな……。」

「え? ……えっと。 危険性という意味で、ですか?」

「その人が人間の資質を持っていたなら、その人を討伐するという計画は立てられなかったって感じに僕には聞こえたんだけど……。」

「そうですね……それは私には何とも言えないです。 沢山の人間を殺してきた私が、種族が違うからと言って織部さんや二ノ宮君を糾弾する事なんて出来ませんし、私にとっては、自分こそ人間の皮を被った獣だとも思っていますから。」

「……そっか……ありがとう、三島さん。」

「いや。 そんな。 お礼を言われる事では……だって、二ノ宮君も織部さんも私の仲間じゃないですか。 行く先が地獄なら、私も付き合いますよ。」


 満面の笑みを浮かべて、少し落ち込み気味の孝太に向かってそう言う陽菜。

 一瞬孝太は吃驚した様な顔をするが、軽く微笑んだ後、照れ隠しの為か、俯いて自分の唇を親指で撫でた。 その仕草が少し可愛くて、目を細めて孝太を見てしまう陽菜だが、同時に改めて孝太の言う種族の特性というものを頭の中でじっくりと考えて始めた陽菜。

 確かに彼等亜種族のスキルや魔法は、人殺しに特化していると言えるし、まるで対人間戦をする為にその特性はあると言えばある。

 だが、陽菜の様に、同じパーティのメンバーとして行動するならば、デスゲームが組み込まれて居るこの世界の摂理に対して、とても頼もしい味方になり得るのだ。

 だから、種族が人間では無いという特性を、イコール完全悪として考える論理は、説明がいささか不十分ではないかと陽菜は感じていた。

 ただ、この世界の仕組みとして、LV10、一般的に一人前の挑戦者になると言われるそのレベルに達した時、亜人種に対して討伐書が書かれるという事実は存在し、その仕組みを利用して、この安全と言われている準備区画でも、ポイントと経験値を亜種族から一方的に奪えるという答えが待っている。

 その答えに結び付く理屈は、陽菜自身にも全く見当が付かない。

 だが、確信を持って話をしていた彼女達の言葉に、討伐書の存在を疑う余地は無いし、実際にそれが書かれた状況を、話を始めた女は知っていたのではないかと思われる。 だから、確率で言えば、99%は真実であると陽菜は認めざるを得なかった。

 だから、現時点で陽菜が孝太に伝える情報は、出来るだけ亜種として他の人から見られない方が良い事、そして、完全に日立や佳苗を信用してはならないという事の二つに絞られる。

 後者は勿論、現時点で孝太自身も日立を完全に信用していない事から、陽菜の口から伝えてはいなくとも、彼が考えている事でもある。 だから、それに関しては念を押して言う必要は無いし、亜種としての資質を隠して行く事の重要さは、陽菜が掻い摘んだ話で十分に伝わった事だろう。

 それに、幸い、現在LVが7である孝太には、あと3つのレベルの余裕があると言えばある。


 気を取り直し、再び孝太を見つめる陽菜。

 孝太も孝太で何かを考えて居たようで、唇に右手の拳の、人差し指の付け根を当てながら、視線を石畳の床に向けていた彼。

 ならば、と、陽菜も更に先の話を考える事にし、一度だけ強く目を瞑り、再びゆっくりと見開く。


 ――現時点では、加奈は本当は自分達に合流出来ては居ない。 が、裏を返せば、加奈だけは日立達の監視の目からは逃れられているという事だ。

 もし、加奈を本当に説得出来て・・・しまい、彼女がもしこの場に居たとしたならば、事態はもっと悪い方向に向かっていたかもしれないと考えると、その点だけはこの偶然に感謝して良いと陽菜は考え、小さいながらも安堵の溜息を一つ漏らす。


 しかし、実は孝太は全く逆の事を考えて居た。

 種族的な理由から人間に一方的に狙われる可能性があるのだとしたら、一人迷宮の中に置いて来てしまった加奈の事が気掛かりになったのである。

 もし自分と同じように尻尾が生えて、それを隠そうともせず自分達を探し回るのだとしたら……?

 人間達に無残に蹂躙される彼女の姿を想像して、同じ亜種として怒りさえ抱いてしまい、自然と伸びてきた牙を下唇の裏に感じる孝太。

 ……自分が加奈に対して、今出来る事は何も無い。

 が、一つだけ日立の目的と陽菜の目的、そして孝太自身の目的が合致した点が存在し、それを認識した孝太は、顔を見上げて陽菜を見つめる。


「僕達の為にも、織部さんの為にも、あの殺人集団はまず何とかしないとね。」


 例え加奈と陽菜と孝太の三人で行動していたとしても、遅かれ早かれ、あの人達とはぶつかる運命だったのかもしれないと考えると、陽菜も確かに、と、納得する。

 探知をする者を潰していっているという事は、陽菜はその狙われる対象に確実になっていたのだし、加奈と孝太も亜種として普通の人間以上に殺人集団に狙われる可能性があったのかもしれないのだから。


「二ノ宮君の隠蔽が無かったら、もう私も殺されて居たかもしれませんね。」


 孝太の隠蔽のお陰で相手に感知される事は免れて居たが、もし一度でもパーティを離れて居たならば、その恩恵は失われ、狙い撃ちにされていたらと思うとぞっとする陽菜。

 そうなってはいない今の状況に、瞬間的に安堵はするが、自分と孝太の二人だけで噂の殺人集団を殺す自信は陽菜には無いし、この点においては日立達の助力を仰ぐのが最適だと思われた。


「詰まる所、当面の目的は変わらないみたいだね。」


 それは、孝太も同じだったようである。


「そうみたいですね。」


 やはり、ここは何もなかった様に殺人集団の討伐に参加し、相手の対探知の目を潰した後に、残った殺人集団も全滅させ……その後は……孝太と二人で日立達から逃げ、加奈と合流する。

 陽菜と孝太は互いの目で目的を確認し合うと、何故か二人共笑い出してしまった。


「もう……なにこの背水の陣って言うんだっけ? 逃げ場が無い感じ。」

「逃げ場が無いから兵士は必死で戦うんじゃなかったでしたか。」

「まあ、死にたくなきゃ頑張れって言われたら、そりゃやるよね。」


 はは、と、声を上げて笑う孝太。 そして、口元を抑え、笑いを堪える陽菜。


「迷宮の攻略とかじゃなくて、これじゃ戦争ですよね、ほんと。」

「……じゃあ、行こうか。 僕達の戦争に。」

「はいっ!」


 ◇


 待ち合わせ場所の宿屋の横にある酒場に戻ったのは、夜の九時頃となった。

 孝太達の話は長くなるだろうと予想していた日立は、前の世界での優等生らしくは無く、酔っては居ないだろうが、赤い葡萄酒をグレープジュースで割った飲み物、まあ、軽いカクテルの様な物で喉を潤しながら、オリーブとニシンの酢漬けを食べていた。


「随分おっさん臭い趣味だな。」


 そう言いながら日立に近づいて行く孝太。 日立の横には澄まし顔をした佳苗が座っており、日立と同じ飲み物で喉を潤し、そして彼と同じ物を食べていた。


「親が食べている物の習慣ってのは、自然に子供にも伝染るものなんだろうな。」

「じゃあ、僕の習慣はコンビニ弁当かな。」


 そう毒付きながら、日立の前の席の椅子を引っ張って、そこに座る孝太。 同時に、孝太はその隣の席の椅子を引いて、自分の椅子の後ろに置く。

 そして、その空いたテーブルの席に、車椅子を押し入れる陽菜。


「織部さんの姿が見えないみたいだが。」


 孝太と陽菜の二人を見て、唐突に切り出す日立。


「……ああ。 説得はある意味成功したが、僕達に保険を掛けると言ってね。 一人で隠れて居るよ。」

「保険? ……成程。 食えない奴だな……。 今に至っても俺達が何かをするかもしれないと危惧してるのか。」

「いや。 僕じゃなくて彼女が僕達よりも疑い深くてね。 彼女からの伝言だが、三島さんに怪我の一つでもさせたら、お前たちの一人が半殺しにされる覚悟で居ろってさ。」

「随分とまた……ひねくれたものだな。」

「誰のせいだと思ってる。 これは自業自得だよ日立。」

「まあいい。 協力する予定は変わって無いという事で良いか?」

「そうだ。 殺人集団と戦争する予定は変わって無いって事で良い。」


 戦争という言葉に眉毛を釣り上げる日立だが、逆にその響きは日立の耳には聞こえが良かったらしい。

 軽く微笑みながら、


「その先は?」


 と、孝太に続きを促す日立。


「残念ながらそれは今は答えられない。」

「またそれか……。 だが、それだとお前の母親の件も、秋月の件も約束出来ないぞ。」

「勿論それで構わない。 だが、前向きに検討しているとだけは言わせてもらおうかな。」

「しかし、聞けば聞く程中学生の会話に聞こえないわね、あなた達。」


 孝太の答えに、何かを言おうとした日立だったが、佳苗のその言葉で遮られた。


「織部さんを保険にしたという話だけど、実際にどうやって彼女と連絡を取り合うと言うの?」


 日立と孝太の話を纏め、不確かな部分を付いて来る佳苗。 流石は委員長、と、心の中で毒付きながら、


「ああ。 これさ。」


 と、小指の銀色の指輪を見せる孝太。

 すると、意外にもその存在が何なのか一瞬で判断が付いたらしい日立と佳苗は、驚いた表情を見せた。

 日立も自分の人差し指に嵌って居る指輪を見せ、


「成る程。 これか。」


 と、孝太にピピナ商店の指輪の在庫が、数時間で二つ無くなって居た事を安易に連想させてくれた。


「もう一つは誰が?」

「私よ。」


 孝太の言葉に、しっかりと左手の薬指に嵌めた銀の指輪を見せる佳苗。

 すると、厭らしい……と、それを見て目を細める陽菜。

 まあ、前の世界に戻ったら日立に告白すると自分から暴露していたのだから、今のうちから余計な虫が付かない様に気を付けて居るのかもしれない。

 そう考えると、その厭らしさも何だか潔く感じてしまう陽菜だった。


「そうか。 指輪の効果も分かってるなら、これで僕達からの話は終わりだ。 ……作戦に関して何か考えている事はあるのか?」

「早速明日にでも決行しようと思っている。 三島さんの体調は?」

「わ、私ですか? まあ……普通に休めば問題無いと思いますが。」

「僕には聞かないんだな。」

「お前に関しては顔を見ればすぐに分かるからな。」

「それは褒め言葉として受け取っておくよ。 じゃあ、そっちの部屋番号を教えてくれ。 明日の朝九時頃にこっちから顔を出すよ。」

「242番だ。 で、そっちの部屋番号は?」

「教える必要性を感じた時に教えるさ。」


 不敵な笑いを浮かべて手を上げると、そのまま日立達に背中を向ける孝太だった。

 佳苗では無いが、本当に中学生らしくない会話ね、と、苦笑する陽菜が、その孝太の後ろに付いて車椅子を押し進めるのだった。

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