朝令暮改

 さて、現状をまとめてみよう。

 まず――――――私達は、他の挑戦者、つまり他の人間達と殺し合いデスゲームをしながら、迷宮を攻略している。

 これが基本だが、更に現状が複雑になった理由は、長谷川さん、もしくは彼女のパーティメンバーのスキルにより、私が池谷さんを殺害した事が察知されてしまったからである。

 私達にとっては、出来るだけ公にはしたくなかった事実である事から、彼女達に看破されてしまった、と、言い方を変えるべきだろうか。


 彼女達がこれからどう出てくるかは分からないが、まず私達が他の挑戦者の様に準備区画を休憩場所や待機場所にするという選択肢は消えた。

 長谷部さん達が私を糾弾しに来るとして仮定するならば、私は前の世界の道理を引き摺って来る彼女達の話を聞くつもりは毛頭無い。

 ならば何が起こるかと言うと、私は普通に反抗するだろう。

 反抗した場合、最悪私達が彼女達の誰かを準備区画で殺してしまう可能性も出て来てしまう。

 その場合、この世界の管理者達、と言えば良いだろうか――――その、者達に殺人を感知され、私や仲間の二人は極刑を言い渡される事になる。

 極刑とは、二ノ宮君が殺してあげた秋月さんの様に、自分が一番されて嫌だと思われる事をされる刑だそうだ。

 それを言うならば、私も多分……秋月さんと同じ様に、女として生きて来た事を後悔して死んで行く様な事を言い渡されるかもしれない。

 

 それを踏まえれば、私達に残された選択肢は一つしかない。


『もし誰が私達を追って来たとしても、その誰かを殺しても良い場所に自分達が潜伏する』


 という物だ。 

 その場所は、勿論準備区画以外に立ち入り出来る場所。 迷宮である。

 迷宮の仕組み自体を完全に理解していない私達にとって、リスクはかなり高い物になるが、それ以外に選択肢が無いのだから、どうしようも無い。

 どうしようも無いのだが……現在、迷宮への入り口に立って居る今の私達は――――実はそう悲観的に考えては居なかった。

 レベルアップにより自分達が強くなり、更に有用な装備が追加されたという事が、資質のある人達で固まっている委員長達までもを、もしかして返り討ちに出来るのでは無いか、などと言う至極攻撃的とも言える希望を私達に与えたのだろう。


 人間とは単純な生き物で、一つ嫌な事があっても、それよりも大きな良い事があれば簡単に感情を上書き出来るらしい。

 これがあるいは、自身の生存本能という物から来て居るのかもしれないが、そんな学術的な事は私には分からないので、頭にキツネの耳が生えたのは横に置いておいても、目に見えて自分が以前より強くなったのが嬉しいのは確かで、それが憂鬱な気分を吹き飛ばしたのも事実だ。


 さて、三島さんに至っては、レベルが上がって敏捷度が上がった事と、以前の弓よりも取り回しやすい小型の弓に持ち替えた事により、前回のレベルアップの時よりも更に速く正確に車椅子を動かせる様になっており、なんと、私や二宮君が普通に歩くよりも速く動ける様になった。

 それが両足に障碍を持っている彼女に、どれほどの希望を与えたのかは、彼女が現在も言いようも無い満足げな表情を浮かべて居る事から容易に察する事が出来る。


 私達三人の中で一番恍惚とした表情を浮かべて居たその彼女は、迷宮への入り口で私達と向かい合って私と二宮君をちらりと見た。

 と、はにかむ様な表情を返した二宮君の様子を見て、あれ? と、首を傾げ、自分の右手を口元に当てた。

 ……ああ、そうか。

 自分は……笑っているのか、と、自分の手で確認する三島さん。

 今度は自分が浮かべていた笑みを恥じる様な複雑な表情を見せるのだった。


「別に恥ずかしい事なんて無いよ。 急に強くなったり、良い装備が手に入ったら……皆、喜ぶものだし。 ね、二ノ宮君。」


 私はそう言って二ノ宮君を見ながら、三島さんの左肩に自分の右手を置く。

 と、その私の手の上に自分の右手を添えて、『ありがとう。』と、私だけに聞こえるか聞こえないかの小さな声でお礼を言う三島さん。


「まあ……うん。 そうだね。 結局、僕達に一番必要なのは、今三島さんが得て、嬉しいと思っている、長谷川達を殺せるその力だし……素直に喜んで良いと思うよ、僕は。」


 と、二ノ宮君。 長谷川達を殺すという言葉は、物騒ではあるが、私へのフォローも含まれて居るのだろう、と、解釈した私は、その気持ちに彼の心の暖かさを感じて、私自身の心にも、暖かい物を感じずには居られなかった。


「じゃ、じゃあ、二階に転送。」


 と、気障な台詞を口にしたと思ったのか、頬を少し赤く染めながら、二ノ宮君は迷宮への転送の言葉を紡ぐのだった。

 

 ◇


 既に攻略した迷宮の一階に再度行って、他の挑戦者を待ち伏せして狩るという選択肢もあるにはあった。

 私達の様な、何も知らずに迷宮に放り込まれたLV0の挑戦者を目標にして殺す。

 その行為は今の私達にとっては、それこそ私一人だけでも瞬時に6人全員を屠る事が出来るであろう、言わば何とも簡単な作業。 でも、それでは効率が悪い。

 倒した相手が持っているポイントや貯めた経験値が得られるというのならば、初期ポイントを使い切ってしまった後、迷宮に入りたての初心者を倒すのは――――勿体無い。

 少し泳がせて、稼がせた後に狩った方が効率が良い。

 その効率という計算から私達が導き出した解答は、ポイントと経験値を一階でそこそこ稼いで来た挑戦者達を二階以降で待ち伏せて狩った方が良いという物だった。

 まるで対人攻撃を最重要目標として想定している様な考えであるが、それは事実であり、その罪悪感を埋める為か、私達はその他の迷宮の挑戦者である人間、最重要目標を――――


 ――――餌。


 その様に、呼ぶことに決めた。


 人を、しかも同級生を殺すという行為で、人の倫理としての一線、言わば死線を既に越えてしまった私達だが、自分達が生き残る為に人を殺すと決めた今の自分達でも、未だに人を殺すという行為自体に心が罪悪感を全く抱かない訳では無いらしい。

 ならばその罪悪感を受け入れて人を殺さないかと言えば、それも有り得ない。

 誰がどのような悪意を持って自分達を攻撃して来るのか分からないのに、その場で立ち止まってただ殺されるのを待つなど、有り得ない事だからだ。


 ……他の挑戦者達を、つまり、私達の敵を、餌と呼ぼう、と、言い出したのは二ノ宮君だった。


 迷宮への転送ゲートである魔方陣の上に立った時に彼が、『これからあいつらを、餌って呼ばない?』と、呟いた言葉に、私は最初、その言葉の意味も、その意図も、理解出来ず、ただ戸惑いの表情を浮かべた。

 が、苦笑いを浮かべながらも、真剣な彼の表情から、あいつらという名詞と、餌という繋がりを考えて、人を殺す事なのだと察した私。

 と、三島さんも察したようで、彼の言葉がどの様な意味なのか、お互い視線を交して確認し合い――――やがて二人とも二ノ宮君に顔を向けて、深く頷いたのだった。

 

 勿論、人としての倫理を既に捨てた事も、お互い確認し合って、である。

 

 餌を食べるのは捕食者であり、その捕食者が生きる為に必要不可欠な物であるという事。

 これから他人を殺す度に、罪悪感を抱いていてはきりがないから、極端な話、肉団子みたいな物だと思えば良いという事なのだ。

 で、自分の中で勝手に人間の肉団子とかを想像して『うえっ』となって、自爆してしまう私って馬鹿。


 まあ、肉団子の話は置いておいて、餌を食べてるだけなんだから、私達は別に『特別な』事なんてしてないよ、という自己防衛の言葉が、『餌』である。

 そもそもこの世界のルールを理解していながら、尚且つ捨てた筈の倫理という仮初のベールを再び纏いたいという私達が甘いのだけれど。

 だが、私達はその様に、精神的な安寧の為、口先だけの倫理的防衛を試みたのだ。

 あと、もう一点では、自分達に長谷川さん達や、委員長を、殺す意味を与える必要もあった。 これは覚悟というべきか。

 同級生であるが、差別化はしない。 あれもただの『餌』であると思い込む事で、こちらも自己防衛ではあるが、もしそう言った機会があった場合に自分を納得させる理由が欲しかったのかもしれない。

 

 突き詰めれば、いつかは戦わなくてはならない相手なのだから。


 迷宮に転送される数度瞬きする程の短い合間、そんな事を考えていた私だった。


 ◇


 二階に転送された私達三人は、中央に居る二ノ宮君が使用したスキルによって白く眩しい光によって照らし出された。 一時的に彼が装備した私の大規模放出マッシブエミッションスタッフを使用して、二宮君のLV1魔法のコストを一つ消費して召還された白く眩い光の玉がその光源だ。

 杖は彼の手から私の手に戻され、杖の上に浮かんだままの眩い光は私達の姿と同時に周囲も照らし出す。

 そこには迷宮の一階の石壁と同じ様な……やや湿り気を感じさせる、壁があった。

 最初に迷宮に入った時には感じなかったが、よく見れば所々赤ずんだ部位が石と石の隙間にある、壁。


 まさかそれがこびり付いた人間の血だなんて昨日の私ならば思わないだろうが、その赤ずんだ部分が何故そうなったのか、今の私には瞬時に想像出来てしまった。

 

 なんにせよ、多少一階の壁の方が綺麗かな、くらいの印象はあるが、その壁はここが二階だと自分が認識していなければ分からない程一階の物と酷似していた。


 まず、三島さんのスキルで敵の様子の感知。


「近くにはあまり敵は居ないみたいです。 …………今のところはも見えませんね。」

「なら、奥に進んで適当な小部屋を確保しよう。」


 と、安堵のため息を小さく吐きながら言う二宮君に頷く私と三島さん。


 そして歩み始めた私達三人だったが……三島さんが、やはり速い。

 車椅子を操るのが上手くなった――――というレベルでは無い程速い。

 それこそ、この石畳の悪路でありながらも、普通の人間が全力疾走しても追い付くのが難しいのでは無いかというレベルで車椅子で滑走しているからだ。

 その彼女の速度には驚かされたが、私と二宮君も速くなった。 敏捷度が上がったせいだろうか、早歩きのつもりだが、普通の人間の全力疾走と同じ位の速さなので不気味である。

 レベルアップの効果なのは分かるが、神殿で飛び上がって驚いた様に、体で実際感じると案外変な感覚なものだわ。


 ある程度奥に進んで、適当な小部屋に一旦入り、三島さんに周囲を確認して貰って安全を確認した後、一旦落ち着く私達。

 三人の中で唯一腕時計をしていた三島さんがその時計に目をやり、


「八時十分くらいですね。 どうしましょうか。」


 現時刻であるその時間を告げ、どうするかと私達に意見を仰いだ。

 宿屋を出発する前にシャワーも浴びたので後はキャンプセットを使って休むだけの予定だったのだが、時間的にまだ眠いという感覚は無い。

 更に言えば、迷宮に入ったという緊張感と……レベルが上がった効果を、試してみたい、と言う好奇心が湧き上がってしまっていた。

 それは全員がそうなのだが、特に三島さんは、レベルが上がった事によりあれ程の高速機動が車椅子で可能になったのだ。 加えて、以前から使いこなして居た、武器、その新しい弓があるとなれば、試してみたくて仕方が無いのだろう。

 言わずとも、手持ち無沙汰に左手の人差し指と親指で弓の矢を番えるグリップの部分を擦る仕草が物語って居た。

 そして、私と二宮君を上目遣いでちらりと見て、試す行為に問題があるかどうかを伺う三島さん。


「あ。 あちらの方向に敵が居るみたいですよ。 キャンプしているところを強襲されたりしませんかね?」


 と、少し悪戯っぽい口調を混じらせた声と視線で、私達に告げるのだった。

 キャンプの邪魔になるというのは、ただの言い訳でしか無いのは知っているが、まあ、仕方ないか、と、見詰め合う私と二ノ宮君。


「じゃ、やってみようか。」

「はい!」


 二宮君の提案に満面の笑顔で答える三島さんだった。


 ◇


 居たのは、人間で言えば5歳児くらいの子供の背丈の……牙が凄く長い白い――――兎。

 いや、その長い牙と真っ赤に光るつり上がった目を見て……うん。

 あのふわもこで可愛い動物である兎さんと一緒の種族として認識してはいけないわ、と、暴れウサギとして勝手に頭の中で変換する私。

 ほら、あれだ。 カタカナに変えただけでもなんだか凶暴に感じるよね。 ってやつだ。

 

 そのウサギの群れ10匹に、出会い頭に三島さんの弓から、頭の中で2つ数を数える程の合間、連続でパシュシュシュ、と、ほぼ音も無く4本の矢が放たれ――――

 ――――それぞれの矢は、ボツツツツ! と、ウサギの胴体、肩、腹、または頭などを貫いて500円玉大の風穴を開けた。

 言葉として例えるならば、太いバーベキュー用の串を超高速で飛ばす為の機械に乗せて、それが瞬く間に四本連続で押し飛ばされた感じ。

 その押し飛ばされた串はそれぞれ命中した部位を貫通し、更に後方に居た他のウサギにさえも、バチュン!と、命中。 かつ貫通し、ようやく3匹目でドッ! と、矢が止まり、その矢を止めたウサギは後ろに三メートル程吹き飛ばされた。

 矢がそのウサギで止まった理由は、先端から矢の3分の2がひしゃげて全体の半分くらいの長さになり、その歪に曲がった部分が肉や骨に引っ掛かった事による物らしい。

 もし素材がもう少し硬かったならば、更に貫通したかもしれないと考えると、恐ろしい攻撃力である。


 その他のウサギに当たらなかった矢は迷宮の通路の奥の闇へと消えて行き、ガチュチュチュ!! と、石畳に弾かれる音がする。 まるで銃弾が跳ねる様な音に、その攻撃力の凄まじさを実感しざるを得ない私。

 威力系のスキルを全て取ったせいか、小型の弓だと言うのに本当に半端無い。

 彼女だけでこのフロアが攻略出来るのでは無いかという印象さえ抱いてしまった。


 結果、三島さんの攻撃により、一瞬で5匹のウサギが絶命した。

 まあ……ウサギを敵という言葉で分類する必要も無い、言わば雑魚とでも言えようか、程の圧倒的な力量差による、そして一方的な殺戮であった。

 すると、残る5匹のウサギが、こちらに背中を向けて、正に脱兎の如く逃げ出した。

 敵が逃げる事があるのは知っているが、あまりにも無防備な背中を見せるウサギ。


 その瞬間を見逃すか、と、言わんばかりに、今度は更に早い弓さばきで矢を放つ三島さん。

 先ほどは狙って射て、今回は狙いを定めず数を敵の居る方向に放ったという事なのだろうか――――今度は何本放たれたのかも私の目では数え切れない程の量の矢が直線上に放たれた。

 逃げるウサギ達の背中に襲い掛かる最大速度の矢の――――というか、弾丸? まあ、矢なんだけど。

 だって、まるでマシンガンの様に、鉄の塊が瞬時に横殴りの雨の様に吹いたのだから、これが矢だと言われても信じられない。


 ウサギの肉を貫く音は、50m程離れたこの距離ではほぼ聞こえなかった。

 ただ、石畳に矢が当たった、ギィン!という金属音や、ブキッ!という、多分骨が砕かれる音かな。 そういった甲高い音だけは幾つも重なって聞こえ、ウサギ達が居たであろう空間に、一瞬真っ赤な血の花が咲いた。

 その花は瞬時に壁や床に飛び散り、パシャ!という水音が聞こえると、その赤い花ははウサギ達から噴き出した鮮血だったのだと理解する私。

 そして訪れた静寂の中――――逃げたウサギ達が居たであろう一帯に残ったのは、彼等の屍となる、血と肉と骨の絨毯が広がっていた。


 ふふ、と、恍惚な表情と共に漏れた彼女の笑い声が聞こえ、三島さんの方を見やる私。

 つい、彼女のその笑みで、稲本と保科を殺した時の彼女の顔を思い出してしまった。

 しかし、それよりも……なんという強さなのだろうか。

 機関銃を連想させるような、圧倒的な火力で敵を射抜く様を見て……資質がある人間の、レベル8というのはこれほどの強さなのかと実感する私。

 やがて、ウサギ達の死骸は人の死体とは違って、すう、と、透明になって迷宮の中に消えて行く。

 私はふと二ノ宮君を視界に入れると、彼も三島さんの強さに圧倒されて居たのか、ウサギ達が殲滅された場所を見て呆然としていた。

 と、私の視線に気付いたのか、私を見返す二ノ宮君。

 その目は、あれ、僕達じゃ絶対に勝てないよね、と、物語っているように感じた。

 うん。 私もそう思う。 敵じゃなくて本当に良かったと思うよ。 うん。

 人はたとえ味方の力だったとして、それが圧倒的な物であればその力に怯えてしまうものだ。


「織部さんのも結構凄いけど、ね。」


 と、そんな事を言う二ノ宮君。 そう言われてみると、私の魔法を食らった不良グループ、ヲタグループ、そしてまたその魔法を見ていた仲間の二人にも、今私が三島さんの強さを見て思ったのと同じような印象を抱かせて居たのかもしれないな、と、考えさせられる私。


「そうですよ。 雑魚を殺すのと、を食べるのは違いますし。」


 謙遜けんそんしているのか、そう言って弓を仕舞う三島さん。


「でもあたしあんな攻撃絶対防御出来ないよ……。」

「私だって織部さんの魔法一発で木っ端微塵みじんですよ……。」


 と、何故か自分達が殺し合う話になってしまった私達。

 けれど、それが何故かお互いを褒め合って居る様な感じがして、仲間同士強さを認め合ったという事だろうか。 何だか急に可笑しく感じてしまい、声を出して笑ってしまう私と三島さん。


「っくくく!!」

「ぷっ。 ふふふっ。」


 私は堪える様にして、三島さんは口元を抑えて二人向かい合って笑い合う。

 この瞬間だけを見れば、普通の女子中学生が戯れて居るだけの様に見えるが、殺す方法を褒め合って居るというギャップが、更に滑稽で笑えてしまう私達。


「ふ、二人で何で急に笑い出すのさ……。」


 その光景を見て首を傾げる二宮君。


「なんでだろ。 わかんない。 ぷっ! っくくくっ。」

「私にもわかりませんね。 ふふ、ふふふっ。」


 今度は二宮君に私達の心理が分からないのが可笑しくなった。

 普段は私達の誰よりも勘が良いくせに、こういうのは分からないんだ、と考えてしまう。

 ごめんね、二ノ宮君。 でも、可笑しいんだもの。


「ねー。」

「はい。」


 笑いながら三島さんの顔に向かって顔を横に倒す私。

 そして、同じ方向に首を倒して微笑み返す三島さんだった。


 ◇


 三島さんの力を試して、彼女の急成長に驚きながらもその結果に満足した私達は、就寝の時間には少し早いが先程目処を付けて居た小部屋にキャンプセットを展開して休む事にした。

 元々は準備区画の宿屋で休むつもりであった私達だが、長谷川さん達の一件から結局三時間以上動き回る事になってしまった。 まあ、最後のウサギの惨殺は自分達の意思で行ったのだが。


「「「はぁぁぁぁ…………。」」」


 先程就寝の時間にはまだ早いと思っていたが、知らない内に大分疲れて居たらしい。

 キャンプセットの部屋に入った途端、気が抜けたというか、逆に気を張りすぎて居たのが晴れたというか、一気に疲労感が身体を襲って来て、三人が三人共、吸い込まれる様にそれぞれのベッドの上に雪崩れ込んでしまった。

 二ノ宮君は部屋の一番手前の左側、私は一番奥の右側、そして三島さんは私の足向かい側となる、部屋の奥の左側のベッドの、柔らかい布団の上に、ぼすん、と、突っ伏す様に身を横たえたのだった。

 気だるさと、布団の心地良さで頭の芯がぽー、っとなり、数十秒程その居心地に身を委ねた私だが、しまった、三島さんを手伝わなければならなかったのだ、と、既に身を布団の上に横たえて居るその三島さんを見る私。

 ――――瞬時に、彼女にはもう、介助の必要が無い事が分かった。

 両腕で自分の身体を車椅子から持ち上げた後、自分の力で身体をベッドに投げ出していたのだ。

 その彼女の首が動き、顔を私の方に向け、誇らしげな表情を浮かべる。


「自分で何でも出来るって、良いものですね……。」


 三島さんが呟いたその言葉は、その口調の軽さとは裏腹に重い意味合いの印象を私に与えた。

 自然と私の視線が三島さんの身体の一部ではあるが、彼女の意思では動かす事のない二つの足に向けられる。

 切れば血が出る様に、普通に血は通っているが、痛みも感触も感じないその部位。 それは、今も彼女の身体に付属している。

 彼女がその部位をどのような存在と認識して居るのかは、私は三島さんでは無いので定かではない。 が、一つだけ言えるのは、その動かない部位の本来の機能・・を、他の自身で動かす事の出来る部位である手や腰を使っても補う事は出来ないであろうと言う事だ。

 普通のトイレを使う事も、お風呂に入る事も、シャワーも浴びる事も、着替えでさえも一人では難しい――――いや、ほぼ不可能だろうと推測出来る。

 数時間前に一緒にシャワーを浴びた時、私が彼女を介助した様に、誰かの助けか、もしくは相応な機材が必ず必要となる。

 だが、今は筋力が上がったお陰で、動かない足をも腕だけでカバー出来る様になったと言う事だろう。

 つまり、腕の筋力、しかも片腕だけでも全身を容易に持ち上げられる様になったという事か……。

 ……その事に、彼女は素直に喜び、私に向かって微笑んで居るのだろうが、私はと言えば、そんな彼女の微笑に対して、素直に返事も笑みも、返す事は出来なかった。


「あ、ごめんなさい。 変に気を使わせてしまいましたか?」


 と、私の様子に気付いた三島さんが、自分が先程言った言葉を反芻してか、まだブーツを履いたままの自身の足を見下ろした。 そして、少し困った様な表情で私を見つめ返す。


「う、ううん。 三島さんが、良いって思ってるなら、あたしはそれで……うん、あたしも嬉しいかな。 うん。」

「……爪とか、髪とか、勝手に伸びるじゃないですか。」


 ――――刹那、三島さんの表情が、自分を苦痛に耐える様な物に変わった。

 それは、物理的な苦痛では無く、心の痛み。

 大事な事を私に話す――――私に何かを告白しようとしているのだろうか。


「え? う、うん。」


 それが何かは分からないが、取り敢えず相槌を打つ私。


「そういう物と一緒の様なものだって思えるようになったら、足の無い人生に慣れたって事だよって、リハビリしてた時の……ああいう場合も先輩って言うんですかね。 その先輩、年上のお姉さんが言ってました。」

「そう……なんだ?」

「ええ。 そして、私はまだその人生に慣れてなんて居ませんでした。」

「……うん。」


 それは、分かる。 忌々しげに自分の動かない両足を見て俯く彼女の姿を、この世界に来て以来、何度かこの目で見ているから。


「自分の意思で自分の思った場所に行ける。 自分のしたい事が出来る。 生きる為に必要な事が出来る。 当たり前の様な事が出来なかった私が、急にそれを出来るようになったとしたら……わかります?」


 横になって寝ている三島さんの瞳から、うっすらと滲み出る彼女の涙。


「レベルが上がって、強くなっただけじゃなく……また前の様に一人で自分の事が出来るようになるなんて……。 私、迷宮を攻略するのなんて、この足じゃ無理なんじゃないかと思ってましたが、これから、迷宮の中で人をもっと殺して、もっと強くなったら……自分の足を取り戻す願いを叶えられるかもしれない。 ……そう考え始めた私は、傲慢でしょうか。」

「……………み、三島さん……。」

「――――それで良いんじゃないかな。 自由になりたい、殺されたく無い、そして、自分の足で歩ける様になりたいっていうのが、今、三島さんが決めた、自分の為に戦う理由だよね。」


 と、そこに二ノ宮君が私達を遮る様に歩いて来て三島さんに答えた。

 正直、良いタイミングだったと思う。 私ならばきっとすぐには答えられなかったであろう質問だったから。

 が、二ノ宮君の一言――――それは真理だと私も瞬時に理解し、彼女に与えるべき言葉、そして、自分達に言い聞かせるべき言葉で彼女に即座に返せなかった自分を叱咤する様に――――

 

「――そうだよね。 資質の無い私は、餌を食べてもっともっと、強くなる必要がある。 強くならないと、生き残れないから。 だから、それが……私が戦う理由。 もっと傲慢な理由も一つあるよ。 大切な友達が戦うって言うんだよ。 私も、手を取り合って一緒に戦いたい。」


 ――――起き上がって、三島さんに向かってそう言い切った。


「織部……さん。」

「僕は、傲慢って人だと誰かが言うのならば、その人達に言わせておけば良いと思う。 ただ、自分がそれを言われたく無いなら、傲慢だと指を指す指も、言う口も、無くしてしまえば良いだけの事じゃない?」


 私の言葉に追随するように、言葉を紡ぐ二ノ宮君。

 やがて、苦虫を噛み潰したような顔に表情を変た彼は更に言葉を繋げる。


「結局、そういう方向での選択しか出来ないんだよ、僕達は。 だから、受け入れるしか無い。 でも、受け入れるなら前向きに受け入れない? 自分の行動が間違って居ると感じながら戦うのは、それこそ間違いだ。 焼き直しになるけど、何の為に僕達は他の人を『餌』って呼ぶ事にしたのかな。」


 すう、と、大きく息を吸う二ノ宮君。


「それ以前に、僕も織部さんも、三島さんみたいに本音をお互いに告白していないから、自分の傲慢さを受け入れられないんだ。」

「本音って……。」

「織部さん……本当は分かってるんでしょ?」


 薄ら笑いを浮かべながら私を見る二ノ宮君。

 私が、何を分かっているというのだろうか。

 いや。 むしろ、何を告白して居ないというのだろうか。 

 

「三島さんは言ったよ。 今、自分の願いを。 じゃあ、次は僕が言おうか。 僕は、前の世界に…………帰りたい。 生き残って、自分の望みとして、三人で前の世界に帰りたい。 だから、迷宮を攻略する。」

「あ…………。」


 唇が、ふるふると震える。 自分の心の奥底で、ずっと先延ばしにしていたというか、考え無い様にして来た事。 攻略出来るならしても良いという言い方で誤魔化して来たが――――最終的に迷宮を攻略出来た時の私の願いは何なのかという告白。

 三島さんは、確かに言った。 また自分の足で、歩いたり、走ったり、出来るようになりたい。 三島さんが言って居たのは、現在強くなる事だけでは無く、物理的に事故が起こる前の自由な身体が欲しい、という願いそのもの。

 そして、二ノ宮君は、前の世界に帰りたい、という願いを言った。


「わ、私は…………。」


 私は、何が欲しいのだろう。

 自分の手を見つめる私。 私は、この手に、何が欲しいのだろうか……。

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