胡蝶之夢

 秋月さんを遠目で見た時、肌色が多かったので、私が下着を噛み切られた様に、秋月さんの服も噛み千切られたたのだろう、と、思って居た。

 しかし、近付くに連れ、血塗れで倒れて居る彼女の身体から異様な雰囲気を感じる。


 噛み千切られた割には、その衣服の痕跡が、少ない。

 まるで制服の上だけを着て、ムカデに齧られて居た様に見受けられるのだ。

 女の子として、普段隠していなければならない部分も剝き出しになっており、仰向けで倒れて居る秋月さんの股間に生えて居る僅かな恥毛も血に塗れ、私の持つ松明の灯りに照らされていた。

 その秋月さんに群がっていた四匹のムカデは、一転して私達の方に意識を向け、石畳の床を這って私と二ノ宮君に迫って来る。


 床を這って来る相手にショートソードでは戦い難いのか、ムカデとの間合いを取りながら身を低く構える二ノ宮君。

 私のロッドは長いので立ったまま構えても床に届く。 そう判断した私は、松明を前に放り投げ、両手でロッドをしっかりと握り、先程の恨み! と、言わんばかりに床を這うムカデに飛び掛った。

 私に迫ってきたのも、二ノ宮君の前に迫っているのも、どちらも二匹。

 その二匹の左側のムカデを狙って、ロッドを上から下に振り下ろす私。


 ゴチュッ! と、ロッドの先端の太くなっている部分が、ムカデの頭に見事に当たり、ムカデの体液が飛び散る。 しかし、その一撃だけではまだ殺せなかったらしく、頭を半分潰されても尚、私に迫ってきた。

 先程の足の内側を這うムカデの足の感触を思い出し、背筋がぞわりとする。

 今度は、ゴルフのスイングの様に振り被ったロッドを横から振り下ろす私。

 ドフッ! と、ムカデの腹のあたりに命中して、床から引き剥がされ、グチャ! と、石の壁に叩き付けられ、ようやく動かなくなった。

 次は右のムカデだ、と、そちらを向くと、なんとムカデが頭を持ち上げて、まるでコブラの様に身を起こして居るでは無いか。

 ――――嫌な予感がして、私は大きく右に飛び退いた。

 ふわりとローブのスカートがなびき、下着を履いて居ない股間にも風を感じ、そんな事を気にしている場合では無いのだが、ついスカートの裾を片手で押さえてしまう私。

 その私の横、つい先程まで立って居た私の腰あたりを、ムカデが前から後ろに飛んで言った。


 と、またこちらを狙ってくるのかと思い、振り向いてムカデを見るが、今度は私では無く三島さんに狙いを定めたらしい。 左右に激しく身をうねらせながら、三島さんに向かっていく。


「三島さん!」


 声を掛けて敵の接近を知らせると、灯かりが足りないだろうと考えた私は、先程放り投げた松明を拾い、三島さんの元に駆け出した。

 が、それは杞憂だったようで、ビシュカ!! と、ムカデの頭から胴体深くに、三島さんが放った矢が入り込み、一瞬で敵は動かなくなる。 当たれば一撃という三島さんの攻撃力が、少し羨ましくなってしまう私。

 そうだ、二ノ宮君の方はどうなった、と、そちらを見ると、一匹は既にショートソードで切り裂かれ息絶えており、もう一匹は距離を取った二ノ宮君が放ったスローイングダガーに今まさに胴体を二箇所刺されて、痛みにより床をのた打ち回っており――――すぐに絶命した。


 私は、三島さんの車椅子に駆け寄ると、横に置いてある自分のリュックサックからポーションを取り出した。 それと、自分の制服のスカートを持って、秋月さんの元に駆けつける。

 二ノ宮君は、秋月さんの状態をちらりと見た後、自分がまじまじと彼女を見てはいけない、と、秋月さんに背中を見せて居た。


「秋月さん!! 大丈夫!?」


 駆け寄ってそう秋月さんに声を掛ける私。

 一目で大丈夫では無い事は分かるが、意識があるかどうかの確認もしかったのだ。

 返事は無かったが、秋月さんは、空虚を見つめるように、ただ石畳の床の上に仰向けで倒れ――――ヒューヒュー、と、かろうじて息をしていた。 


「秋月さん、これ飲んで!!」


 と、私が二ノ宮君にして貰った時の様に、口元に小瓶を傾ける。

 半開きの彼女の口に、すんなりと液体は入り込み、秋月さんの喉が、こくん、と、動いた。

 一瞬秋月さんの身体が、淡い赤色の光を帯びた。 自分がポーションを飲んだ時もこうだったのかと想像する私。


「大丈夫? 立てる?」


 秋月さんの顔を覗き込んで、声を掛けてみるも、彼女はまだ空虚を見つめたままだ。

 だが、やがて、口が何か言葉を紡ごうと、ふるふると唇が動き出した。

 喉が動いて、秋月さんは何かを語った。 繰り返し何かの言葉を言って居るようだが、蚊の泣くような声なので、私は帽子を脱いで秋月さんの口に耳を近づけ、何を言って居るのか聞き取ろうとした。


「…………げなきゃ…………逃げなきゃ…………逃げなきゃ…………。」


 駄目だ。 ポーションが効く様な怪我ではなかったのか。 手遅れだったのか、と、一瞬考えるが、秋月さんの身体を見て見ると、足や手に噛み付かれた傷は癒えており、致命傷の部分は無いように見受けられる。

 つまり、これは彼女が精神的に衰弱しているという事であった。


 履いていなかったスカートと下着、かといって靴下とローファーは履いて居る。

 その状態で、松明も持たずに真っ暗な迷宮に1人で来た彼女。

 ムカデに襲われて、普通なら悲鳴の一つでも上げるだろう。 だが、彼女は暗闇の中を歩いて、ムカデに襲われても、声一つ上げなかったどころか、抵抗さえしなかったのだろう。

 つまり襲われた時点で、彼女はこの精神状態だったと推測出来る。

 そして、逃げなきゃという言葉に連想される、彼女がこの状態になった原因は……あのバスの乗務員。 あの男に悪戯されたのか、と、行き着いた。 しかも、単なる悪戯では無く、きっと最後まで……されたのだろう。

 彼女の内股を見てみると、血に混じって白っぽい液体が垂れた跡が見えた。

 私は咄嗟に、さっ、と、秋月さんの身体から目を背ける。

 ガチガチ、と、上下の歯が打ち鳴らされ、背筋にぞくりと悪寒が走る。

 自分がされたら、と、想像すると、怖くて堪らないのだ。


「織部さん、秋月さんの様子はどう?」


 と、二ノ宮君が聞いて来た。 彼の方を見て見ると、まだ私と秋月さんに背中を向けて居た。

 正直に言うべきかどうか、と、逡巡しゅんじゅんするが、隠しても仕方ないわよね、と、覚悟を決め、私の制服のスカートを寝転がったままの秋月さんに無理矢理履かせた後、二ノ宮君の方に足を進めた。


「どうしたの織部さん。 もしかして……もう手遅れだったの?」


 私の多分青ざめて居るであろう顔色を見た後、眉を顰めて聞いて来た二ノ宮君の言葉に、ふるふる、と、首を横に振る私。

 何て言って切り出したら良いのかしら……。


「あの……ね、秋月さん……あのバスの運転手に何かされたんだと思うの。 あ、ちょっと三島さん連れてくるね。」


 そうだ、三島さんにも聞いて貰おう、と、慌てて三島さんの元に向かう私。 あ、ちょっと待って、と、一瞬私を引き止めようとする二ノ宮君だが、私の先程の言葉を反芻して気付いたのか、三島さんを連れて彼のところに戻って来た時には、既に険しい表情で考え込んで居た。


 ◇


「秋月さんが、悪戯されたって、どういう事ですか?」


 自分も口にしたくなかったので、敢えて、強姦という言葉を使わなかったせいか、三島さんには最初上手く伝わらなかった様だ。


「三島さん……織部さんは、秋月さんがもっと酷い事をされたんだって言いたいんだと思う。」


 と、私の言葉を代弁してくれる二ノ宮君。


「もっと……酷い? ……えっ!?」

「多分、そういう事だと、思う。」


 三島さんがその考えに行き着いたと判断した二ノ宮君は、静かに頷いた。


「こういう時ってどうしたら良いのかな。」


 と、二人に聞いてみる私。 正直、どうしたら良いか何も分からないのだ。


「そ、そんな……あの運転手に、されたって言うんですか……どう、って、どうしたら良いんでしょうか。 あの、赤ちゃん……とか。」

「っ!! ……今は……道具も薬も無いし、お医者さんが居るかどうかも分からないから……。」

「あ……そ、そうですよ……ね。」


 そうだ。 強姦されたという事は、最悪そういう事も有り得るのだ。

 私は、考えたくも無かったせいか、その可能性がある事を頭の中からすっかり抜け落として居た。

 私よりも一回り身体の小さい秋月さんだが、ポーチを持ってトイレに入っていたのを覚えて居る。 つまり、私達と同じように、彼女にも初潮は来ていたと考えられる。

 けれど、考えたところで対処方法は見付からず、結局は黙り込んで、俯いてしまう私と三島さん。


「意識はあるの?」


 そうだ。 身体もそうだが、彼女の精神状態の問題もあったんだ。


「ずっと、逃げなきゃって呟きながら天井見てる。 今は、会話が出来る感じでは、無いみたい……。」


 二ノ宮君の質問にそう答える私。 答えた瞬間、そんなに酷い状態なのか、と、三島さんも表情を固くした。


「取り敢えず、準備区画に戻った方が良いんじゃないかな。 僕が三島さんの車椅子を引くから、織部さんは秋月さんに肩を貸してあげるってのはどう?」

「そう……だね。 ここに居たらまた敵が出るかもしれないし。」


 じゃあ、と、私は自分のリュックサックを背負い、秋月さんの近くに寄った。


「秋月さん、起こすからね。」


 一応、そう秋月さんに言ってから、腕を引っ張って引き起こす。 と、何故か抵抗せず、そのまま私が促したようにその場に立ち上がった彼女。


「歩ける?」

「…………。」


 返事は無く、ぼーっと虚空を見つめる秋月さん。 あんなに表情の豊かだった可愛い彼女の面影は、今の表情からは何も感じなかった。

 一部の女子に、そんなに可愛いのだから、アイドルのオーディションでも受けてみたらどうだ、と、勧められ、本人もその気になって、アイドルになる事に憧れて居た彼女。

 その彼女の夢は、希望は、彼女の笑顔と共に、こんな異世界で踏み躙られた。

 彼女に残されたのは、蹂躙された後の身体と、癒えるかどうかもわからない、心の傷だけ。


「っ! くぅっ!!」


 同じクラスの女の子がされた仕打ちに、他人事だとはとても思えず、つい涙が込み上げて来た。

 乱暴に扱われたのだろう、制服の上から見える彼女の胸元には、青い痣が見えた。 強い力で握られたのか、叩かれでもしたのだろう。

 私は、そんな秋月さんを、眼鏡を取って自分の身体に抱き寄せた。

 自分でも何故そうしたのか分からない。

 けれど、もし、自分が同じ仕打ちをされたなら、せめて誰かにこうして慰めて欲しいと考えたからなのかもしれない。

 頬に零れる涙が、彼女の頬をも濡らす。


「だれ……泣いて、るの……。」

「っ!? 秋月さん!?」

「……加奈ちゃん? ……めがねは?」


 秋月さんは、何故か女の子の苗字では呼ばず、皆を名前で呼ぶ子だった。

 その彼女の瞳に、虚ろな表情でありながらも、私は自分の姿が映っているのが見えた。

 名前を呼ばれた。 意識が戻った。 それは嬉しくて、でも、彼女の言葉は、痛々しい彼女の身体とは対照的で、切なくて、悔しくて、また涙が溢れて来てしまう。


「あのさ、あたし……いっぱい、されちゃった……初めてだったのに……。」

「言わなくて良い。 言わなくて良いからぁ!!」


 慌てて、泣きながら彼女の口を左手で押さえる私。

 途端に、秋月さんの目からも、じわりと涙が溢れ出し、


「あぁぁぁぁぁ!! んはぁぁぁぁぁぁ!!!」


 と、大声で泣き始め、私のローブの胸元を握り締め、胸に顔を押し付ける。


「うぅぅぅ!! うあぁぁぁぁぁん!!」


 彼女の頭を、しっかり自分の胸元に抱き止め、背中に回した眼鏡を持って居ない方の手で、優しく背中を撫でる。

 悲しかった時、辛かった時、お母さんが私にしてくれた様に。

 こうして抱き締めると、秋月さんの身体の小ささが更に実感出来てしまい、私よりも一回り小さい身体で、大人の男の人を受け入れざるを得なかった彼女の悲痛が、自分の心が締め付けられる程良く分かった。

 とは言え、私はまだそういう事をした事は無いし、彼女のように強要された事も……無い。

 痛かったね、辛かったね、という言葉を口にしそうになって、知らないのにそんな事を言ってはいけない、と、慌ててその言葉を引っ込めた私。

 だが、引っ込めたと同時に、今度は怒りが湧き上がった。

 あの男め――――秋月さんを脇に抱えて持って行った時、つまり最初からこうするつもりだったのだ!!

 私は、涙をローブの腕の部分で拭いて、左手は秋月さんの背中に回したまま、右手に持って居た眼鏡を付け、周りを見る。

 二ノ宮君は三島さんの車椅子を引いて近くに来ており、私と秋月さんの様子を二人は心配そうに眺めて居た。


「二ノ宮君。 あのバスの運転手。」


 ビクン! と、秋月さんの身体が震える。 その後、小刻みに身体を震わせ続ける彼女。

 しまった、今言うべきでは無かったか、と、一瞬考えるが、いや、これは彼女の為でもあるのだ、と、話を続ける事にする。


「……うん。 最初からこのつもりだったんだろうね。」

「ねぇ、二ノ宮君、三島さん、私、許せないよ。 こんなの絶対、ダメだよ!!」

「織部さん…………。 どうするつもりなの?」


 私が叫んだ後、薄々気が付いては居るのだろうが、確認するように聞いて来る二ノ宮君。


「1人なら無理でも、4人なら、あいつをなんとか・・・・出来るんじゃないかな。」


 つまりは実力行使である。 懲らしめてそのまま放置、とはならないだろうから、最悪、命を奪う事にもなるだろう。

 命を、奪う。 その言葉に拳を握りしめる私。


「……わかった。 僕も協力するよ。」

「私も協力します。 出来る事があるなら……。」


 ここには日本の様に警察は居ない、軍隊も居ない、あるのはこの身体と、武器だけである。

 つまりは、二ノ宮君と三島さんも、秋月さんの為に、自分達の手を汚す事も厭わないと言ってくれたのだ。

 その二人の力強い返事に、秋月さんも泣き止み、ぐっ、と、身体に力を込め、私を見上げた。

 私を真っ直ぐ見るその瞳には、今は悲壮感ではなく、怒りと覚悟が宿っている様に感じた。

 彼女も、復讐を決心したのだろう。


 ◇


 準備区画に戻った私達は、真っ直ぐに宿泊施設のある扉を目指した。

 そこは、秋月さんの逃走元で、運転手はこの宿泊施設の一部屋を借りると、横に抱き抱えられた秋月さんはいきなりベッドに放り投げられ、スカートと下着を脱がされ、股間を執拗に舐められた後に犯されたそうだ。

 その犯人である男は、宿泊施設に併設してある酒場で、悠々と酒を飲んで居た。


「何だお前ら?」


 その男の姿を見つけ、近付いた途端の第一声がこれである。 秋月さんは私の背中に隠れて居て、男の視界には入って居ないので、いきなり現れた私達に怪訝な顔を見せる男。

 こんな男に秋月さんが好き勝手な事をされたと思うと、怒りで今にも飛び掛りそうになるのを必死で押さえる私。


「もしかしてあれか? 事故の件で俺を責めに来た訳?」

「は?」


 斜め上の反応だったので、つい間抜けな顔でそんな声を上げてしまった。


「まあ、悪かったよ。 ちょっと昨日飲みすぎちまってな。 あんま寝て無かったのよ。」

「そん……な……。」

「でもさ、あれだよな。 結局死んでないから、俺関係ないよな? な?」


 何という事だろうか。 こんな男のせいで、私達はたった13歳や14歳という年齢で、平和な日本から、こんな世界に召還されたという――――事か。

 ぎり、と、ロッドを持つ手を強める私。

 ――――その時だった。


『準備区画での戦闘行為は禁止されています。 万が一相手を死に至らしめた場合は、極刑となりますのでご注意下さい。』


 そんな声がいきなり頭を過ぎった。 これは、念話の一種だと直ぐに認識する私。

 ……なん、ていう……事……。 この男は最悪殺してやろうと考えて居たが、戦闘行為が、禁止だとは……。

 ちらり、と、二ノ宮君を見る。 と、私とほぼ同じタイミングで念話を聞いたらしく、彼も私を見て、どうしよう、という顔をする。


「こ、攻撃出来ないってどういう事。」


 っ!! 背中に居た秋月さんも、殺意を抱いたせいで念話を聞いたのか、そう声を上げてしまった。


「ん? 後ろに誰か居んのか?」


 と、出さなければ良い物を、私の体の脇からちらりと顔を出してしまう秋月さん。


「あれ? お帰り。 逃げたのかと思ったぜ。 って、血塗れじゃん。」


 な、何がお帰り、だ、この最低男が。


『準備区画での戦闘行為は禁止されています。 万が一相手を死に至らしめた場合は、極刑となりますのでご注意下さい。』


 しかも、この念話がうざい!! もう分かったわよ!!


「いやー。 君、もう最高だったね。 うちのカミさんなんてもうでっぷり太ってっからさ、セックスアピールとか? そんなの無いしさ。 子供産んでからアソコは緩いし、うちの娘はカミさんに似て不細工でさ。 あ、最後のは関係ねぇか。 あははははは!」

「もう止めてよ! 何様のつもりなの!?」


 あまりの怒りに、つい口を荒げてしまう私。


「え? 何? 君も犯されたいの? だから一緒に来たの? 君も中々可愛いね、赤い眼鏡が良いね。 眼鏡したまま犯して良い?」

「な…………。」


 開いた口が塞がらないとは、正にこの事か、と、実感する私。

 秋月さんにした事を悪びれないどころか、私も犯してあげる・・・と言ったのだ。

 男のあまりの傍若無人ぶりに、私はつい、じり、と、後ずさってしまう。


「良いねぇ。 たまんねぇなその表情!! こいつは4回目くらいから反応無くなって面白く無かったんだよね!!」


 秋月さんを、こいつ呼ばわりして、しかも、面白く無かった、だと?

 ――――面白く、無かった、だと!?

 また頭に警告が聞こえるが、もうそんな警告など、私の怒りにはもう無意味だった。

 私はロッドを握り締め、野球のバットの様に振り被った――――が、振り回す前に、


 パキャン!!


 と、テーブルの上に置いてある、男が飲んで居た酒の瓶が、土台を残して粉々に砕かれた。

 その土台の上に乗っかっているのは、一本の、矢。 やがて中身もだぱりとテーブルの上に広がり、蒸留酒のきついアルコール臭が、むわりと広がる。

 周りの客も、何事か、と、テーブルの様子を見ると、巻き込まれたく無いと考えたのか、渦中である私達から距離を置く様に離れて行った。


「な……。」


 その酒瓶の惨状を見て、言葉を失う男。 入り口付近に待機していた三島さんが、矢を射たのだ。

 まさか弓矢で攻撃されるとは思わなかったのか、立ち上がって、矢が飛んできた方向、三島さんを見る男。

 すると、にたり、と、また厭な笑みを浮かべるではないか。

 しかし、その笑みは、一瞬、はっ、とした表情に入れ替えられ、そしてまた、今度はもっと厭らしい笑みを浮かべて、


「くは、あははは。 なんだ、そういう事か。 お前ら、そいつの仇を取ろうと俺に喧嘩を吹っ掛けに来たけど、これにダメって言われた訳だ。」


 実際笑いながら、そう言って腹を抱える男。 この男が警告を聞いたという事は、三島さんに殺意を抱いたという事で、犯してから殺そうとでも考えたのだろうか。 何処まで下衆な男だと言うのだろう。


「でも、何で犯すのは良いんだろうな。 あ、やっぱ女も気持ちいいからか?」


 その時、私達の誰もが、ある人物の行動を予測出来なかった。

 とても素早い動作、迷いの無い動作で、二ノ宮君の腰に刺さっているショートソードが引き抜かれ、小さな影が、私の横を通り過ぎ、男の脇腹にそのショートソードの切先が突き刺さった。


「お……あ……。」


 じょぷっ! ずぷっ! ちゃくっ! と、無表情で男の胴体を何度も突き刺す……秋月さん――――彼女の小さな手に握られた、ショートソードで。


「きもち! いいわけ! ないでしょ!! いま!! どんな!! 気持ち!? これ!! と!! いっしょ!! だよ!!」

「ご……お……う……あ……ああっ……おっ!!」


 がくん、と、両足の力が抜け、両膝を床に落とす男。

 今度はショートソードを逆手に持って、肩や首、顔を突き刺し始める秋月さん。

 血飛沫が飛び散り、私のローブや二ノ宮君の服にも、男の鮮血が飛んできて、付着する。


「や、やめて、秋月さん!! そんなに刺したら本当に死んじゃう!! 殺したら拙いわ!!」

「そうだ!! やめるんだ秋月さん!!」


 私と二ノ宮君は必死に叫ぶが、秋月さんは、男を殺す手を、止めなかった。

 その小さい身体に、どれだけの力があったというのだろうか、泣きながら必死に男を刺し続ける彼女。


 遂に、私と二ノ宮君も、彼女を止めるのを、諦めた。

 なぜなら、傍目から見ても、男が絶命しているのが明らかだったからだ。

 男は完全に身を板張りの床に横たえ、血溜まりの中に沈んで居た。


 自分のクラスメイトが齎した、男の死に、先生が殺された時の様な恐怖は感じなかった。

 ただ、秋月さんが、こういう選択をしたのだ、という、事実のみを実感していた私。

 自分がどうなろうとも、この男を殺す、という、選択を、したのだ。


 と、秋月さんが急に手を止めた。 そして、きょろきょろ、と、周りを見渡して――――入り口付近を見て、はっ、と、表情を変えた。

 私と二ノ宮君も、その入り口に視線を移し、そこに居た足元まで伸びた裾の長い白いローブを着た女性、私達を召還した女性とは違う女性を見止める。 そして、その女性を挟むように、二人の鎧を着た兵士も立って居た。

 ローブの女性が何かを言うと、秋月さんはびくり、と、全身の動きを止めて、


「あ……が…………う……。」


 と、苦悶の表情を浮かべ、ガラン! と、床にショートソードを落とした。

 今、ローブの女性に何かをされていると言う事なのだろうか。

 やがて、動かない秋月さんに近付いて来る二人の兵士。

 極刑という名前の仕置きを思い出す私。


 ――――何をされると言うのか。


「や、やだ。 それだけはやめて!! もういや!! いっそ今すぐ殺して!!」


 念話で何か言われたのか、青ざめた表情で必死に訴える秋月さん。

 それだけはやめて、という彼女の必死な言葉に、ある事を連想する私。


「や、やめて!! 秋月さんに何をするって言うの!?」


 勇気を振り絞って、秋月さんの前に立ち、両手を広げて兵士達に尋ねる私。

 同時に、こんな風に逆らって斬られた先生の事を思い出し、足が震え出した。

 私は、何をしているんだ!! 殺される!!

 と、短絡的な行動を後悔し、


『極刑とは、本人にとって一番嫌な事、されたく無い事、と、なります。』


 兵士達に斬られる、と、覚悟した瞬間、そんな念話が、私の頭の中に響いた。


『彼女の場合は、死ぬまで犯される、という事、です。 残念ながら。』


 この念話を送っている人物は、白いローブの女なのだろう。 その彼女は、同じ女として、同情しているのか、念話の最後に、残念ながら、と、付け加えていた。

 だらん、と、肩から力が抜ける。

 人を殺した代償。

 例え、自身が犯されて、その復讐で殺したとしても、その罪は、償わなくてはならないというのか…………。

 理不尽だ、と、考えてしまうが、一方で、その刑は、確かに、極刑である、と、理解する自分も居て、その二つがせめぎ合う。


 その時だった。 私の手をぐいと引っ張って、自分の背中に隠すようにする二ノ宮君。

 そして、何を思ったのか、徐に秋月さんのスカートを右手で前から捲り上げ、ローブの女に見せると、自分はそこを見ないようにして指を指した。

 次に、そのローブの女を睨みながら、秋月さんが殺した男を指差す。


『そういう……事、ですか。 しかし、その女子おなごがその者も殺めたのも事実。 法は法です。』


 二ノ宮君は、チッ、と、舌打ちし、秋月さんのスカートを捲っている手を放すと、口に手を当てて、何かを考え始めた。

 ――――――そして、自分の顔を親指で指差した。


「え?」


 次に、二ノ宮君がした行動に、私は口を開けて驚いてしまった。

 なんと、自分を指差した後、秋月さんを次に指差して、白いローブの女に向かって、二度頷いたのだ。


『あなたが、その女子を抱いても良いか、という意味ですか?』


 そう、取るだろう。 私も、そう思った。

 ローブの女の念話に――――――大きく頷く二ノ宮君。


「そ、そんな…………。」


 二ノ宮君が、そんな人だったとは……信じられない……。

 秋月さんは確かに可愛いし、男の人だったら、一度は抱きたいと思うのだろうか。

 でも、酷い。 それでも、酷い。 だって、クラスメイトだよ?

 昨日まで一緒の教室で授業を受けていた相手を、犯すって言うの?

 あれだけ傷ついた、秋月さんを、犯すって言うのか!?

 私は、裏切られた気持ちを持って、二ノ宮君を睨み付けた。

 しかし……私を見返した二ノ宮君は、悲しそうな表情で私の顔を一瞬見た後、目を伏せるではないか。


 あ。 と、二ノ宮君の意図に、気付かされた私。


『咎人が一人産まれました。 名前は秋月美緒あきづきみお。 14歳、女性。 罪状は殺人。 刑は、輪姦刑とします。 額に付いた咎人の印を間違えないように、挑戦者の方は一時間後・・・・から、死ぬまで自由に犯して下さい。』


 挑戦者とは、私達の事か。 その私達挑戦者全員に念話でアナウンスされたのだろう。


「やだ!! やめて!! もうやめて!! お願い!! もう犯さないで!!」


 秋月さんは、身体が自由にならないのか、その場で硬直したまま泣き叫んだ。 やがて、額に、『”』という文字、いや、紋章だろうか、が、浮かぶ。 何故か、それが頭の中で変換されて、咎人と脳内に入って来た。


『あなたに与えたのは一時間、だけですよ。 そのまま逃げようとしても無駄ですからね。』


 ローブの女の念話に、また、こくりと頷く二ノ宮君。

 ローブの女は、二ノ宮君の必死な態度に、最後の逢瀬をする恋人同士の様な印象を持ったのか、一時間、という時間を、二ノ宮君に与えた。

 ああ、あれが咎人か、と、下卑た笑いを浮かべる酒場に居たギャラリーの男達。

 自分達が次に秋月さんを犯そうと、狙って居るのだろうか。

 既に、じゃんけんを始めて居る者も居た。

 ……やっぱり、男なんて……最低な生き物だ。

 頭がつきん、と、痛み、私の心を蝕む。

 まるで歓声を上げる様に騒ぐ男達は、自分達が好きに犯して良いとても都合が良い女が出来た事を単純に喜んで居たのだ。

 ギャラリーの中には女性も居たが、その女性の中には私と同じような印象を持った人が多かったらしい。 汚らしい物を見る目で、騒いでいる男達を眺め、まるで自分達が一緒に居る男は違うわよ、とでも言いたいかの様に、連れが居る女性は、男にしな垂れかかったり、腕を組んだりしてその自分の男をアピールしていた。


 二ノ宮君は、秋月さんの手を取り、無理矢理引っ張っていく。


「やめて!! 孝太君!! ねぇ、やめてよ!! お願い!!」


 泣き叫ぶ秋月さんだが、二ノ宮君の意図が分かった以上、彼を止める理由は私にも無かった。

 その二ノ宮君は、ちらり、と、私の方を一瞥する。

 大丈夫、私は、分かってるよ、と、悲しげな顔をして、小さく頷いた。

 ほっとしたような、でも、寂しそうな笑いを浮かべる二ノ宮君。

 やがて、宿のカウンターの方に向かって、秋月さんを引っ張っていった。


 私は、三島さんのところに行くと、彼女の車椅子を引いて、二ノ宮君の後を追うように、同じく宿のカウンターの方に向かうのだった。

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