現実認識

 初戦が終わって気が抜けたのだろうか。

 猛烈にトイレに行きたくなった私。 ちらり、と、三島さんを見る。

 内股で足をもじもじさせている私を見て、自分の太腿に視線を下げる彼女。

 そして、小さく頷いた。

 三島さんもか!!


「二ノ宮君、ちょっとごめんね。 三島さんと相談があるの!」


 と、ガーッ! と、三島さんの車椅子を自身の最高速で押して、約10m程二ノ宮君から離れる私達。


「ど、どうしよ。 ここでするしかないよね?」


 この迷宮に入ってから30分以上は歩いただろう。 入り口に戻って準備区画に戻るまでの時間、我慢出来る感じでは無かった。


「……あの、私、一人じゃ無理なんです。」

「え? あ、そ、そうなんだ。」

「織部さん、前から私を抱いて、持ち上げてくれませんか? そしたら私が自分で下着を下げますので。」

「う、うん。」


 私も猛烈にしたいのだが、彼女が先だ、と、判断した私は、車椅子の背もたれが丁度良く二ノ宮君の視界から私達を隠してくれるのを状況から把握すると、それは好都合、と、三島さんの前に移動する私。

 ちらり、と二ノ宮君を見ると、私達がこれから何をするのか察してくれているのか、私達に背中を見せて居た。

 私は、松明と杖を地面に置いて、三島さんの脇の下に両方の手を入れ、背中まで手を回し、彼女を引き寄せる様に持ち上げ……くっ!

 私の体格のせいか、結構重く感じてしまう三島さんの体重。

 でも、他の女の子の身体って、こんなに柔らかく感じるのだな。

 なんだかお母さんの身体の柔らかさを思い出してしまう私。


「ありがとう織部さん。 脱げました。」


 私は、彼女のリュックから簡易トイレボトルなるものを取り出した。 1.5Lのペットボトルくらいの大きさの鉄の筒の蓋を開けると、女の子の部分に被せるように出来ているのか、ボトルの口の部分がくの字に曲がっており、でも、すっぽり被せたら口の部分に溜まって中には入っていかないのではないか、と、考えてしまう私。

 と、口のすぐ下のところに、空気穴を発見。 なるほど。 ここから空気が出れば液体はそのまま入るのか。 で、くの字に曲がっている先端に、黒い、紙のような素材が付いているのも見つけた。

 …………紙。 黒い、紙。 もしかして、これは大きい方にも使えるのだろうか。

 ……でも、ティッシュがあるうちは、そちらを使うけれど。


「お、織部さん。 も……もう……。」

「あ、ご、ごめん。 じゃ、はい。」


 と、三島さんにトイレボトルを手渡す私。


「……あ、あの……足、開いて貰って良いですか?」

「え? 私が三島さんの足を……開くの?」

「は、はい。 すいません……。」


 そうか……動くのは腰まで、だっけ。 だめだな。 私。 ちゃんと気遣ってあげないと。

 私は松明を持つと、トイレボトルを三島さんから取り返し、ちゃんと出来るように彼女の足を開いて……なるべく局部は見ないようにしながら……ボトルを足の間に差し込んであげた。


「あっ。」

「え? あ、ごめん。 痛くしちゃった?」

「い、いえ。 急に感覚がある部分に当たったから……ちょっと吃驚しただけです……。」


 ……そうか。 どこからどこまでが感覚が無いのかは判らないが、トイレが出来るという事は、その付近の感覚はあるのだろう。

 ボトルに、おしっこが排泄される音がする。 恥ずかしそうに、俯く三島さん。

 同性とは言え、身近で排泄行為を見られて恥ずかしく無い訳が無い。

 それに、ボトルを保持している私も、鉄のボトルに生暖かい感触を感じ、自分のとは違う小水の匂いが広がって来るのは、心地いいとは到底言えなかった。

 障碍という物に対して、普段殆ど何も考えずに生活している私だが、こういう状況になって始めて彼女の障碍とはどういう物なのかをを考えてしまう。

 先天的な物と後天的な物があるが、三島さんは後天的の方だ。

 普段している事が出来なくなるという状況を想像すると……私は、ただ、恐怖を感じる。

 三島さんは用を足すのを終えると、羞恥からか、


「く…………ふっ……ううっ。」


 と、泣き出してしまった。

 私はボトルの蓋を閉め、車椅子の背もたれに掛かっている三島さんのリュックの中に入れた。

 言葉が出ないので、私は三島さんの背中を撫でる。

 すると、なんどかしゃくりあげた後、ポケットからを出したハンカチで目を拭いて、私を向いた。


「ごめ……ごめんなさい。 何だか、自分が情けなくて……。」

「大丈夫だよ。 ねぇ、三島さん。 友達になろう?」

「え?」

「友達となら、助け合っても恥ずかしく無いでしょ?」

「う……うん。 けど、良いんですか?」

「うん。 もう敬語も止めて良いし。」

「これは、こういう喋り方なので、何とも……。」

「まあ良いけど。 じゃ、私も……その、したいんだ。 三島さん、また持ち上げるから下着履いてくれる?」

「あ。 はい。」


 実を言うと、もう漏れそうである。

 が、まだ必死に下腹部に力を入れて、なんとか堪え、また三島さんを抱き上げて彼女に下着を上げて貰った。


「ちょっと三島さん、盾にさせてね。」


 と、三島さんを盾にして、まだ背中を向けているが、一応二ノ宮君の視界から自分を隠す私。

 自分のトイレボトルを出し、下着を下げ……立ってした方が良いのか、しゃがんでした方が良いのか悩む。 しゃがんだ方が上手く出来そうだが、車椅子の下と、三島さんの足の隙間から、遠目でも自分の局部を二ノ宮君の視界に入れる可能性があるのを嫌がった私は、よし、立ってしよう、と、心に決め、トイレボトルの口を局部に当てる。

 あぁ…………。

 我慢していたからだろう。 開放感に幸せを感じてしま……え?

 なんか……目の前に、居る……。 そして、カサカサと蠢く音。

 私は即座に小水を止めようと腹に力を入れるが、一瞬は止まるものの、溢れ出すような感覚でまた噴出してしまう。


「あ!! ちょ!! えっ!?」


 目の前には、もぞもぞと、地を這って来る大型のムカデ。


「織部さん!! 逃げよう!!」


 と、私に言う三島さんだが、おしっこが止まらない!!

 遂に、私の足元にムカデはやってきて……私の足を上り始めた!!


「ぎゃぁぁぁぁぁ!!! いやぁぁぁぁ!!!」


 ゴキブリと言い、ムカデと言い、私のスカートの中に何の用があるっていうのよ!!

 こうなっては背に腹は変えられない!!

 私は腹に強く力を込め、必死におしっこを止めると、トイレボトルをそのままムカデの上に落下させた。

 ゴツ、と、ボトルの底が当たる音。 蓋はしていなかったので、中身が零れるかもしれないが、そんな事を言っている場合ではない。


 そして、私は床に落ちている杖を取ろうと足を動かし――――躓いた。

 しまった!! 下着を上げるのを忘れて居た!!

 無様に石畳の床に前のめりにびしゃりと転び、メガネが前に飛んで行く。 そして、先ほど止めた筈のおしっこが、転んだ拍子にまた噴出してしまった。

 ローブのスカートの中、太腿の上あたりに生暖かい感触が広がり、そして、足首にはもぞもぞと何かが蠢く感触。

 もう、自分ではどうにも身体が動かせなくなり、歯をガチガチと合わせながら石畳を見つめる私。


 ――――その時だった。


「いだぁ!!!!」


 太腿の裏側に、激痛が走った。 ムカデに齧られたのか!?


「いたっ!! いだぁ!!!!」


 直後、反対側の太腿と、更に上の方に激痛を感じる私。


「助けて!! 誰か!! 三島さん!! 二ノ宮君!!」


 このまま足を登ってきたら、局部を齧られる!! そんなのは嫌だ!!

 ガシャン! と、何か硬い金属が地面に転がる音がして、そちらに視線を向ける私。

 すると、なんと、眼鏡が無いのでぼやけては居るが、私の足の下から這い寄ってくる三島さんの身体らしきシルエットが見えた。

 え? なんで? と、一瞬考えるが、すぐに、私の足に蠢いて居る何かが、引っ張られる感覚。

 無理矢理車椅子から降りてスカートの中からムカデを引っ張ってくれているのか!?

 更に私のスカートの奥に進もうとするムカデが、三島さんの腕による抵抗でそれ以上奥に行けなくなり、私の太股に掴まったムカデの足が、私の肌から離れるものか、と、強く締め付けながらその場所に留まろうと堪える。 と、ぎちち、と、私の太腿の肉にその足が食い込んでいった。


「あぐぅ!!」


 その痛みに耐え切れず、また声を上げてしまう私。


「ふるぁ!!」


 と、なんと上から二ノ宮君が飛んできた。

 そして、ガキュ!! と、二ノ宮君が突き刺したナイフがムカデを刺した後、石畳に当たった音がする。

 ……私の太腿に食い込むムカデの足の力が緩み、スカートの中で蠢くムカデの動きそのものもゆっくりになり……そして止まった。


「ん……はぁ……。」


 一旦、安堵のため息を漏らす私。


「大丈夫だった!? 織部さん!?」

「……わから……ない。 ……あ!!」

「何!? 織部さん!!」

「あ……ごめ……あんまり見ないで、くれる……?」

「え? え!? いや、でも……血、凄いよ!?」


 え? 血? 血!?

 私は身体を動かそうと右手を伸ばして、まずは自分の眼鏡を掴んだ。

 ……そして、顔に装着する。


 と、自分のすぐ横に居る二ノ宮君と目が合った。

 さ、と、床に向かって目を逸らす私。


「あ、ご、ごめん。」


 と、私の横から立ち上がって、数歩下がる二ノ宮君。 そして、私も立ち上がろうとして、うつ伏せの状態のまま、腕の力だけで上半身を持ち上げて、足に力を入れようとした途端――――太腿に激痛が走った。


「あっ!! つぅぅぅぅ!!!」


 そして生暖かい感触を、太腿の内側に感じ、痺れるような感覚が後でやってくる。


 ……これは、立てない。


 そのくらい、重症であるのを理解する私。

 そして、症状を自覚した途端、じくん、じくん、と、噛まれた部分が痛み出した。


「ぬ……く……はっ…………。」

「織部さん! 大丈夫!?」


 大丈夫、では、無かった。

 ムカデに噛まれた場所から痛みと共に下に生暖かい液体が流れて行くのを感じる。

 これは……私の血だ。


 迷宮とか、モンスターとか、何か絵空事ファンタジー的な物だと勝手に夢を見て勘違いしていた自分を恥じる。

 ゲームの様に私のヒットポイントが表示される訳ではないし、ステータスウィンドウで状態の確認も出来ない。

 冷や汗が私のこめかみから頬を伝って顎に垂れる。

 何故だか、耳がキーンと鳴る感覚。 これは耳鳴り?

 このまま出血が続けば、私は……死ぬ……のか?

 くらり、と、続いて眩暈が私を襲った。

 そして、意識が遠くなりそうな、その瞬間――――

 ――――私の顔が誰かの手で持ち上げられ、私の口元に小瓶の口が当てられた。

 

 ……これは、なんだ?

 見覚えのある……そうだ。 これは私が買ったポーションか!!

 誰かの手は、二ノ宮君の手であり、彼のもう片方の手に握られている小瓶の中から、口の中に注がれている赤っぽい液体。 それを私は喉を鳴らして飲み込んだ。

 ごきゅ、と、飲み込んだ後、ぽう、と、身体の芯から何か暖かい物が込みあがって来るような感覚。


「ぶほっ!! はっ!!!」


 その液体が肺に入りそうになり、咽てしまう私だが、頭の中ははっきりとして行き、太股の内側の痛みが引いて行くのを感じる。

 二ノ宮君が居るにも関わらず、うつ伏せの状態のまま、身体の下からローブのスカートの中に右手を入れ、傷の状態を確かめる私。

 ぬるり、とした液体の感触、だが、痛みは無かった。

 傷跡、噛み付かれた痕の感触はあったが、そこからの出血は既に止まっているようである。


 改めてむくりと上半身を起こし、二ノ宮君に背を向けると、床に座りながら自分の下半身を見てみる。


 酷い物だ。

 ローブは、血塗れで、しかも自分の小水とその血の匂いがする。

 だが……生きている。

 その事に一旦は安堵する私。


「織部さん!! 織部さん!!」


 そんな色々な体液でべとべとな私に構わず、泣きながらも這って私に抱き付いて来た三島さん。


「織部さん、ごめんなさい。 私が先に気付いていればこんな事にならなかったのに……。」

「ありがと、三島さん。 もう大丈夫。 いつも油断しちゃダメって事だよね。 二宮君も有難う。」

「うん……でも、助かって……良かった。」


 はぁ、と、肩を降ろしながら安堵の溜息を付く二ノ宮君。

 本当に心配してくれたんだ。 そう考えると、感謝の気持ちが溢れるが、同時に悪いことをしたな、とも感じてしまう。


「ごめんなさい。 次から、ちゃんと声を掛けてから……するね。」

「……わかった。 うん。 じゃあ、僕の時も、お願いするよ。」


 切羽詰ったこの状況では、恥ずかしいだの何だの言っている場合では無い。 改めてそう思った私は、二ノ宮君からは言い難いだろうから、私の方からそう提案し、真面目な顔で頷いてくれた二ノ宮君。

 三島さんにも、目線で、そうしようね、と、伝えると、彼女も納得したのか、首を縦に大きく振った。


 と、その時だった。


「しっ! 誰かの声がする!!」


 と、二ノ宮君が言って、私達に壁際に寄る様に促すと、私達の前にしゃがんで、警戒態勢に入る。

 私は、三島さんの肩を下から担いで壁際に寄せ、彼女を床に座らせた後、近くにあった私の杖を拾って構えた。 ふと、少し足を開いた下半身が、普段とは違う感覚――――空気に局部が直接触れて居る感覚がある事に気付く。

 俯いて足元を見てみると、縦に真っ二つに引き裂かれていた自分の下着が、血で脹脛ふくらはぎに張り付いて居た。

 きっとムカデに切り裂かれたのだろう。 そのように、私の肉も引き裂かれて居たのだと想像するとぞっとする。


 だが、下着が無いという不安感よりも、誰かが近づいてくる恐怖が勝ったのか、どうせボロだし、と、自分を納得させたからなのかは分からないが、か、私は下半身の事よりも、自分の目の前に集中する。


 ……やがて、頭上に眩い光を放つ球体を浮かべた一行、見た事のある顔ぶれの6人がその光に照らされて、私達の方に歩いてきた。


「あれ? ムカデ一匹、こっちに逃げて来なかった?」


 日立君率いる、優等生6人のグループだった。

 確かに彼等の方が先に迷宮入りしたのだろうが、その点を踏まえても、何をどうやったら短時間でここまで差が出るのか、彼等の装備は、見た目で私たちとは明らかに違う物だと理解出来た。

 日立君は白金の胸当てに、白いマントを羽織っていた。 他の面々も、この数時間で手に入れたのであろう、私たちの装備とはワンランク上の物を装備しており……既に、彼等の戦力は、ムカデが逃げ出す程の物であるという事を、彼の言動が物語っていた。

 その彼は、私と三島さんを見下ろすように見て、ああ。 と、何故か軽く二回頷くと、そのまま私達が行こうと思っていた方向に歩み始めた。

 言葉の一つくらい掛けてくれても良い様な物だが、彼の視線からは、詰まらない物を見たとでも言うような意思を感じた。

 これは――――侮蔑?

 私達を、汚れた路傍の石とでも見下しているのだろうか。


 通り過ぎる日立君が、ふと、鼻をすん、と、鳴らし。


「何か臭くないか?」

「っ!?」


 私は、びくん、と、肩を震わせた。

 同時に、涙がじわりと目から溢れてくる。

 悔しい。 悔しい!! 悔しい!!!!


「日立君、ちょっと私……良い?」


 と、日立君のグループの最後尾を歩く女生徒、小野寺里香、群青の癒し手ヒーラーである彼女が、泣きべそをかいている私の傍に寄ってきた。


「清浄なる我等が水よ、その力で彼の者を清め給え……清浄ピューリファイ。」


 青い光が私の身体を纏わり付く様に回転し、私の身体や服に付着した血や尿の汚れを洗い流して行き……やがて地面に吸い込まれるように、その光は消えて行った。

 ……これが、魔法か。

 私がまだ使えない、神秘の力。 魔法。


「ごめんね。」


 そして、小野寺さんは、そう私に謝って、日立君達の後列に駆け戻った。

 その謝罪の真意は、私には分からなかった。

 だが、謝られた事で、私の中に、大きな黒い塊が首を擡げるのを感じた。

 その黒い塊の名前は、嫉妬、憤怒、憎悪。 そんな負の感情の塊。

 私は圧倒的な力に何も出来ずに、最後には、同級生に同情された。

 それが、悔しくて、悔しくて、私は拳を握り締めて日立君達のグループの背中を睨む。


「日立ぃ!!」


 その時だった。 普段からは想像できない、腹の底から声を出すような声が、二ノ宮君から上げられた。

 その彼の声に、足を止めてくるりとこちらを振り返る日立君。


「あまり噛み付くなよ二ノ宮。 今やったら小学校の時みたいな軽いケガじゃ済まなくなるぞ。」

「せめてお前が織部さんに謝れよ。」

「はん? そんな血と小便臭い女が好きなのかよお前。 良い趣味してんな。」


 瞬間、ぞくり、と、背筋に恐怖が走った。 自分が血と小便臭いと言われた事に苛立ちは覚えたが、それよりも、二ノ宮君の凄い形相に含まれた殺気が、こちらにまで漂って来たのだ。

 小学生時代に二人の間に何があったのかは私には分からない。 分からない、けれど、それは一口では言葉に表せない確執があるのだろうと言う事だけは分かる。

 そして……二ノ宮君は、遂に太股に下げているスローイングダガーに手を伸ばす。


 途端、相手の雰囲気も、ざわりと変わり、私達を中立として見ていた物から敵であると認識を変化させたのか、前衛は剣を構え、後衛は杖を構えた。

 瞬時に、私は理解する。 今、ここで事を構えたら、私達三人は確実に負け、最悪、相手に殺される。

 

 私は、すぐさま二ノ宮君の前に移動すると、両手を広げて立ちはだかった。

 そして、泣きながら、首を横に何度も振る。


 私の為に怒ってくれた事、それは嬉しい。

 けれど、今一瞬の感情の爆発で、二ノ宮君を失う訳には行かないのだ。


「二ノ宮君が居なかったら、私達、成長出来ないから。 お願い。 我慢して。」

「……そう言う言い方、するんだ。」


 見透かされて居たのか、苦笑いして――――手を下に降ろす二ノ宮君。


「ごめんなさい! ちょっと二ノ宮君、感情が昂ぶってたみたいで!!」


 私は日立君のグループに向かって大声で叫んで、もう敵意が無い事を伝えると、あちらも流石に同級生と戦うのは後味が悪いのか、安堵の溜息を漏らし、それぞれ得物を仕舞った。


 だが、この一件で、完全に袂は分かれた。

 彼等と私達が協力し合う事は、この先有り得ないだろう。

 迷宮の奥に歩いていく同級生の背中を見て、そう思った私だった。


 ◇


 ムカデの経験値はたったの200だった。

 死ぬ思いで倒したのに、こんなものか、と、落胆して肩を下に降ろしてしまう私達だったが、あれは私達自身の油断が引き起こした事態だ。

 ちなみにポイントも6。 雑魚中の雑魚なのだろう。

 しかし、二つ、私達にとっては良い事があった。

 生半可な気持ちで、攻略なんてのは出来ないという事を理解出来たという事。 今も、私は下着を履いて居ないが、恥ずかしいとか、そんな下らない事は言って居られないのだ。

 むしろ、即座に排泄出来る分、こちらの方が良いかもしれない、と、意地かもしれないが、自分を納得させている。

 ……それはやせ我慢と人は言うかもしれないが。


 そうだ。 一番良かった事は、私達三人の絆が深まった事だろう。


 例え、その絆の向く矛先が、同級生に対する憎悪と共にあるとしても、だ。


 そして、その憎悪は、私達を前に突き動かす原動力ともなった。

 日立君達との出来事があってから、準備区画に戻るという選択肢もあったが、私達は三人共、やる気満々だったのである。


 さて、二ノ宮君曰く、敵はどこからか沸いて来るのではないか、との事である。

 何故なら、私達が最初にゴキブリと接触するまで、他の敵は見なかった。 それなのに、後ろからムカデがやってきたという事は、私達が進んだ後に、沸き出した、と、考えるのが自然だ。

 ならば、今は敢えてリスクを背負って迷宮の奥に進まなくても、入り口付近で索敵した方が良いだろう、と、二ノ宮君。

 その案に合意した私達は、たいまつの灯りが保つであろう残りの時間、なるべく迷宮の入り口付近で索敵をする事にしたのだ。


 結果的に、それは最良な作戦だっと言える。

 私達の前に次に現れたのは、3匹程の人間の三歳児くらいの大きさのネズミであった。

 なんというか、人間の心理的嫌悪感を逆撫でるような敵のラインナップである。


 私は、まず作戦通り、三島さんの車椅子を射撃可能位置に置いて、その横に杖を持って構える。

 二ノ宮君は、私達から3m程前に布陣し、スローイングダガーを左手に構え始めた。


 数が少ない、というのは、私達にとって有難い事だ。

 二ノ宮君も、三島さんも、初手は中距離攻撃と遠距離攻撃。


 そして、その二撃で上手く二匹を仕留められれば、後は残り一匹である。


 既に二度の実戦を体験した私達は、多少心に余裕が出来たのか、二ノ宮君も三島さんも初撃で突進してきた敵を一匹づつ仕留める事が出来、残りの一匹は二ノ宮君の横を抜けて、真っ直ぐ三島さんの方にやってきた。


 スピードがかなりある敵だった。

 今度こそは一撃くらいは当ててやる! と、私は地面を走ってくるネズミに向かって振り下ろした。

 ゴツッ!! と、杖が硬い物、骨か? に、当たる良い音がして、


「ピギュエッ!」


 と、ネズミだか何なのだか分からない敵は、声を上げて横にステップし、今度は私に頭を向けた。

 そのネズミの腹の肉に、何かが突き刺さる鈍い音が二度聞こえ、その場所を見ると血に混じって二本のダガーが突き刺さって居た。

 痛がってまた悲鳴を上げるネズミ。 が、まだ止めは刺せて居ない、と、と、私は前に出ようとする私――――だが、その瞬間、超近距離から三島さんが矢を放って居た。


 バツン! と、ネズミの頭が射抜かれる音、そして、矢尻が石畳に当たり、跳ね返され、同時に矢と共にネズミの身体も一瞬跳ね――――

 ――――即死だったのか、くてん、と、四肢の動きを止めるネズミ。


 私と三島さんは、見詰め合いながら、自分達の戦果を評価する様に数度頷く。

 と、二ノ宮君にも親指を立てて、私達、どうだったかな? 結構やれたと思うけど? と、無言で尋ねる私。

 すると、笑顔で親指を立てて返してくれた二ノ宮君だった。

 

 ちなみにネズミの経験値は300、ポイントは8。 強さはムカデとゴキブリの間、という事だろうか。 確かにゴキブリよりは戦い易かった。


 ◇


 更に約20分後。

 迷宮の入り口の周辺をぐるぐると回っていた私達だったが、また人の気配を二ノ宮君が察知した。

 何故人なのかと判るかと聞いたならば、人間は独特な足音を出すらしい。

 普通は分かりそうも無い物だが、彼の特技の様な物なのだろう。


「……どうする? 織部さん。」

「会って挨拶だけで終わるのなら良いけど……出来るだけ顔を合わせたくはない、かな。」

「私も同感です。 出来るだけ他の人には接触しない方が良いと思います。」


 日立君達との一件以降、他人に対しての警戒心は、皆一様に高いようで、私達は少し戻ったところにあった小部屋に隠れてその人の気配をやり過ごす事にした。

 まずは、小部屋の様子を、扉を少し開いて中を伺う二ノ宮君。

 中の異常は無かったのか、こくん、と、一度頷いて、扉を開くと、左手の親指で私達を中に入る様促した。


 私と三島さんはそれに頷いて、その小部屋の中に入る。

 その部屋は、6m四方の四角形の部屋で、じめじめとした感じ。

 私は迷い無く三島さんを部屋の隅に置いて、弓の射線が入り口に入るように位置を調整。

 その後、入り口の脇に居る二ノ宮君の横に立ち、杖を構えた。


「何これ。 僕達人間不信?」


 呟くように私達に言う二ノ宮君。


「違わないでしょ。 もういいよそれで。」


 私も、溜息交じりにそう言うと、何故だか二ノ宮君が笑い出した。


「織部さん、なんだか強くなった感じがするね。」

「強がってるだけだよ。 心臓なんて今もバクバクだから。」


 準備区画ならまだしも、レベルの低い私達が薄暗い迷宮で他のグループに出会ったら、その他のグループに遊ばれない・・・・・とも限らない。

 二ノ宮君は殺され、私と三島さんは犯された後に殺されるだろうか。

 そう考えると、対処できるモンスターよりも、人間の方がよっぽど怖いと感じてしまう。


「……こっちに来る。」


 と、二ノ宮君が真剣な顔になり、壁に耳を付けて、相手の動向を確認する。


「…………?」

「どうしたの?」


 様子を伺っていた二ノ宮君が怪訝な顔をしたので、小声で彼に聞く私。


「……足音が、一つ。 軽い。 子供?」

「一つって、一人って事?」

「そう……だと思う。」


 迷宮に一人で来るなんて。 余程自信があるのだろうか。


「足音が止まった……あれ? 虫の音!?」

「襲われてるの?」

「……多分。 どうする?」


 どうする、か。 遠目から見るくらいなら大丈夫だろうか。

 もし、私たちのような初心者が、一人で迷宮に迷い込んで居るのだとしたら?

 ……助けたい。


「様子を見て、ダメそうだったら加勢するっていうのは?」

「賛成。 じゃあ、三島さんを引いて来てくれる?」

「うん。 わかった。 三島さんも良いよね?」

「はい!」


 ◇


 私達は小部屋を出た後、二ノ宮君の後ろに付いて、足音と虫の音がした方向へと向かった。

 その場所は小部屋からすぐで、距離で大体12m。

 既に戦闘は終わっており、ムカデ5匹が倒れた一人の女の子の四肢を齧っていた。

 血溜まりに沈んでいる女の子は……空色の錬金術師、秋月美緒。 私達の同級生だ。


「二ノ宮君! 三島さん!」


 言わずともがな。 既に二ノ宮君は中距離に距離を詰めて、三島さんは弓に矢を番いで居た。


 ビシュッ!!


 と、先に攻撃したのは三島さん。 一匹のムカデの身体部分を射抜いた。

 続いて、二ノ宮君。 が、攻撃するかと思いきや、秋月さんにダガーが当たるのを嫌がったか、ショートソードを構えてそのまま突進して行った。

 ならば、と、私も駆け出した。


 やがて、数秒で距離は詰まり、秋月さんの状態が、目の中に飛び込んで来たのだった……。

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