第30話 悪魔の花2
――ホント、自分のバカさ加減が嫌になる。
毎度のことだけど、私はにやにやと笑うマルクを見て自己嫌悪に陥った。
私って人を見る目がないのね。マルクのことは妹思いの、普通の青年だと思ってた。
だけどまさか事件の黒幕が、そのマルクだったなんて。
これはどう見てもヤバい奴。
二人の人間を誘拐しておいて、ちっとも悪びれる素振りがないんだから、あまりに不気味すぎるわ。
「ごきげんよう、マルク。こんなところで会うなんて奇遇ね」
「フーン、やっぱり気が強いですね。そーゆー所が公爵のお気に召したのかなぁ?」
「………」
舐めるように私の全身を見るマルクは、完全に善人の仮面を外していた。
そう言えばマルクは薬屋を営んでいるって言ってた。でもまさか非合法の薬にまで手を出していたなんて。
「でもそのくらい気が強いほうが、屈服させる甲斐があるっていうもんですよねぇ?」
「屈服?」
「ええ、屈服。俺からフィオナを奪った報復ですよ、これは」
「――」
フィオナの名が出て、私はようやくああ、そうか、と合点がいった。
デボビッチ家に連れてこられてから、まるで別人のように生き生きと働きだしたフィオナ。もしかしたらこの兄の許にいる間、彼女はひどい目に遭っていたんじゃないかしら?
予想を裏付けるかのように、マルクの仲間達も後方から現れ、フィオナのことを話題に出した。
「フィオナちゃん、可愛かったよなぁ、従順で」
「それに比べると、マルクの嫁さんはクソだったな。ちょっと殴ったくらいですぐ死ぬし」
「おいおい、人の嫁を殴ってんじゃねーよ。まぁ、そう命令したのは夫の俺だけどな」
ギャハハハハッと下品な笑いを浮かべる男達を前にして、私は怒りで目の前が真っ赤になった。
何なの、こいつら!? お嫁さんを殴って死なせたって……超DV下種野郎じゃないの!
フィオナはどうしてこんな兄に服従してたの?
つまりあれ? 洗脳ってやつ? もしくは共依存?
どちらにしろこいつらが揃いも揃ってろくでなしだということに変わりはない。
「……最低ね、あんた達」
「お褒め預かりどうも。俺達小悪党には最高の誉め言葉です♪」
しかも怒りに震える私をあしらうだけの余裕が、マルクにはある。私だけなら今すぐ噛みついてやるところだけど、すぐそばにはアヴィーがいる。こいつらの怒りを買って、もしアヴィーにまで危害が及んだら……。
そう考えると、今はこいつらがどう出るのか様子見するしかない。
私は悔しくて悔しくて、血が滲むほど強く下唇を噛み締めた。
「それで私をここに連れてきた理由は何? 身代金でも欲しいの?」
「は? 金なんか要らないですよ。ここにあるグレイス・コピーを売り捌けば、大金はいくらでも転がり込みますからね」
マルクは両手を広げ、陽気にその場でくるくると回ってみせた。
マルクの仲間達もギャハハハと笑い、マルクにすっかり同調している。
「その余裕がいつまで続くかしら。カイン様は優秀な領主よ。あんた達なんてすぐに捕まって破滅するわ」
私は公爵の名を出して、マルク達に揺さぶりをかけてみた。だけどこれでビビってくれるほど、さすがに甘くはない。
「そう、それなんですよねー。カイン様の代になってから商売がやりづらい。うちのボスも迷惑してますよ」
「ボス?」
「グレイス・コピーを扱ってる元締めがいましてね。俺らは顔も名前も知りません。いわゆる末端の雑魚ですから仕方ありませんけど」
マルクは自分を卑下しながら、クックッと肩を揺らして笑った。その姿からは一種の狂気が滲み出ている。
「なので俺達はそろそろ、アストレーから去ろうと思います。ボスがそのための船を用意してくれるというんでね」
「アストレーから去る?」
「港があれば、グレイス・コピーはいくらでも密輸できる。また新たな地で商売を始めるんですよ」
「――」
………ふざけんじゃないわよ。
私は本日何度目かわからないブチ切れモードに突入した。
こいつらを野放しにしてたら、グレイス・コピーのせいで苦しむ人達が後を絶たない。何とかしなくちゃと気ばかりが焦るけど、今の私はあまりにも無力だ。
「でもアストレーを去る前に、デボラ様を誘拐できてラッキーでした。あなたにはフィオナの代わりを務めてもらおうと思います」
「フィオナの代わり?」
「だっていつでも好きな時にこき使える奴隷がいないと、色々不便じゃないですか」
「……っ」
アホか! なんで私があんたの奴隷にならなきゃならないのよ!?
怒りに震えるあまり、また脳内で考えていることが勝手に口をついて出る。
「私がいつ大人しく奴隷になると言った? バカじゃないの」
「うーん、いいですねその口調。ゾクゾクします。でもその強気がいつまで持ちますかね? あなたみたいな美人を自分好みに調教できる薬があるんですよ。ほら、目の前に」
「!」
「ククク、大事な奥方がクズの奴隷になったと知ったら、カイン様は悔しがるでしょうねぇ……」
そう言ってマルクは近くの箱からグレイスコピーの小袋を取り出し、私の前でヒラヒラと揺らしてみせた。
うん、こいつ、真正ドSね。人をいたぶって楽しむド畜生。公爵に報復するためだけに私を攫ったってわけか。
でもさすがにグレイス・コピーを使われたんじゃたまらないわ。
これはもしかして思っている以上に……ピンチかもしれない。
こいつらに侮られないようになんとかポーカーフェイスを貫いてるけれど、内心はかなり動揺していた。
「おい、マルク、そろそろ取引の時間だ」
「おっと、そうだった」
「女はいいとして、ガキはどうする?」
「そうだな、奥方をおびき寄せる餌としての役目はもう終わったからなぁ」
「!」
マルクは何やらコソコソと仲間達と相談し始めた。その視線は一直線にアヴィーへと向けられている。
私は顔面蒼白になっているアヴィーを背にして立ち、威勢よく啖呵を切った。
「この子に何かしたら、今すぐ舌を噛み切るわよ!」
「おや、素晴らしい。正義の味方みたいです、デボラ様」
「……バ、バカ女……」
マルクはわざとらしくパチパチと拍手する。
ああ、ムカつく。この小馬鹿にされてる感。
でも私はともかくアヴィーだけはここから逃がさないとやばい。この流れだと、多分。
「まぁ、いいでしょう。とりあえずそこでしばらく大人しくしてて下さい。アストレーでの最後の取引が終わったら、すぐに別天地へと旅立ちます。あなたもせいぜい泣きながら、ここにはいない公爵との別れを惜しむといい」
「……」
「おい」
「おう、わかってるわかってる」
再び私達を軟禁している部屋の扉は閉められ、ガチャリと重い鍵がかけられた。
私はすぐ扉に近づき、耳を澄ませる。「じゃ行ってくる」「見張りは任せた」「1時間後には戻る」といったマルク達の会話が聞こえてきた。
「もうダメだ……」
アヴィーはこの状況に絶望して、力なく床の上に座り込んでいる。私は再び倉庫の中を見回し、窓付近に置いてある木箱に近づいた。
「ほら、何してるのよ、アヴィー、あんたもこっち来て手伝いなさい」
「………え?」
「しっかりしなさい、あいつらの言ってたこと聞いてたでしょ。このままじゃあんた、口封じのために殺されるわよ」
「………っ!」
ガタガタと震えるアヴィーを、敢えて厳しい言葉で叱咤する。
「殺される」……なんて物騒な言葉、私だって本当は使いたくないわ。何せ前世では犯罪とは無縁の、平和ボケした日本で育ったからね。
でも何もしなかったらその結果がどうなるかなんて、さすがにわかりきっている。だったらせめてアヴィーだけでも、ここから逃がさないと。
「ほら、アヴィー、天井近くに小窓が見えるでしょ。私は無理だけど、子供のあんたならあそこから出られるわ、きっと」
「む、無理だろ、どうやってあんた高いところまで上るんだよ?」
「だから手伝いなさいって言ってるのよ! ……フンッ!!」
私は近くにあった木箱を押し、小窓の下まで運ぼうとした。中にはグレイス・コピーではなく、なんだか怪しい食器やら壺やらが入れられている。
うーん、さすがに重量があるわね。でも見たところこの木箱が一番大きくて足場になりそうなのよ。私は深く腰を落とし、もう一度体当たりする要領で木箱を強く押してみた。
「ほら、アヴィー、早く!」
「わ、わかった!」
アヴィーも慌てて駆け寄ってきて、私を手伝ってくれる。ズズッという低い音と共に、わずかに木箱が動き出した。
「ゲッ、なんだよ、これ、めちゃくちゃ重い……」
「それでも男なの? 情けない。もっと気合を入れなさい!」
「うるせえっ! そもそも女のくせにおまえが馬鹿力過ぎるんだよ!」
アヴィーからこれ以上ない誉め言葉をもらって、私はニッと口角を上げた。
あら、当たり前じゃない、私はこう見えてもヴェイン推薦の筋肉体操メニューを、毎朝欠かさずこなしてきたのよ?
公爵を絞め殺すだけの腕力を養おうと始めた筋トレも、なんだか見当違いのほうで役に立ったわね。でもそれでこそ鍛えてきた甲斐があったというものよ。
「フンッ、フンッ、フンッ!!」
「その荒い鼻息やめろ!」
そして数十分後かけて、ようやく木箱を小窓の真下まで移動させることができた。私はドレスの袖をまくり、木箱の上に飛び乗る。
「さぁ、次は肩車よ!」
「……え?」
「私があんたを肩車して小窓まで押し上げるから、そこから逃げてちょうだい」
「……」
女が男を肩車?……と言う顔をして、ひたすら呆れているアヴィー。
あのね、私は小学校の運動会で人間ピラミッド最下段を務めたこともある女よ。器械体操だってお手の物。
グズグスしてないで、さっさと私の肩に乗りなさい!
「ん、しょ……あ、窓の縁に手が届いた!」
「あと少しよ。もっと背伸びして!」
「わ、わかってるよ!」
私とアヴィーの身長、さらに木箱の高さを足して、ようやく小窓に届くくらいの位置に来た。ギリギリと肩に食い込んでいたアヴィーの足がふっと離れて、途端に体が軽くなる。
「バカ女、確かにここから外に出れそうだ」
「やったわね」
私は小窓の縁まで上りきったアヴィーを見上げながら、グッと親指を立てた。
でもアヴィーは外に飛び降りず、私のほうをじっと見ている。
あら、飛び降りるのが怖いのかしら。まぁ、小窓は2階建てくらいの高さはあるからね。でも足の一本や二本折れても、命を失うよりはずっとましなはず。
「何してるの、早く行きなさい。グズグズしてると見張りに気づかれてしまうわ」
「……バカ女、あんたは?」
「………」
今それを聞くか。
私は軽く肩をすくめ、これ見よがしにため息をつく。
残念だけど、今の状況じゃ私は逃げられないわ。そんなのは最初から分かり切っていたこと。
「なんのためにこんなに苦労したと思ってんのよ。ここから逃げだしたら、すぐに保安局に駆け込んで、助けを呼んできなさいよ」
「あ、そ、そうか、わかった!」
そう高飛車に命令すると、この時ばかりはアヴィーも素直に頷いた。
だけど……と私は、最悪のパターンも考える。
ここは港の倉庫群のどこかだとアヴィーは言っていた。マルク達はこの後すぐに高飛びすると言っていたから、数ある倉庫の中からここを突き止める頃には、私はすでに別の場所に連れ去られている可能性もある。
そして助けが間に合わなければ、当然その先には奴隷破滅エンドが待っているわけで……。
……。
………。
…………。
くっそぅぅぅぅぅぅーーー、なんでゲーム開始前に破滅しなきゃならないのよ!?
しかも私の公爵への復讐、まだ全然終わってないんですけどぉぉぉーーー!?
至極納得できないものの、私は念のためにアヴィーに一つの伝言を頼むことにした。公爵はさておき、せめてデボビッチ家の人達には私の思いを伝えておきたいから。
「それでも……そうね。私にもしものことがあったら、デボビッチ家のみんなにこう言ってくれる? 『デボラのことは忘れなさい』――と」
「………え」
「いいから必ず伝えなさい。『忘れろ』――と」
「………」
私のメッセージを聞いた刹那、アヴィーの顔が今にも泣きだしそうなくらいに、ぐにゃりと歪んだ。
だからそこ、そんな顔しない。
そんな顔されたら、なけなしの決心も鈍るじゃないの。
「さぁ、もう行って。そして絶対に後ろを振り向かないで」
「………」
「行きなさい! みんながあなたの帰りを待ってるの、アヴィー!」
「……っ!」
私の声を合図に、アヴィーは小窓から外へと一気に飛び降りた。
ドスン、と言う着地の音の後に、タッ、タッ、タッと言う軽快な足音が聞こえたから、おそらくは無事逃げ切ることができるだろう。
あとは時間との勝負。
マルク達が私を連れ去り高飛びするのが先か。
それともアビーが助けを呼んできて、私が保護されるのが先か。
(あ、だめだ、全然いいビジョンが見えてこない。ゲームで悪女・デボラ=デボビッチの破滅エンドを全コンプリートしたせいだわ、こりゃ。だってデボラが幸せになるスチルなんて、一枚もなかったもの……)
一人倉庫に取り残された私は、緊張の糸がぷつんと切れて、ずるずると壁に寄りかかった。
イルマ、エヴァ、レベッカ、ハロルド、それにヴェイン、ノアレ、フィオナ、コーリキにジョシュア、ケストラン、マリアンナ……。
あとついでに憎たらしい公爵も。
まるでこれが最後であるかのように、みんなの顔が走馬灯のように浮かぶ。
だからちょっぴり涙が滲んでしまったのも仕方ない。
うん、仕方ないわよね……。
鼻の奥がつんとして、気づけば目の淵から熱が溢れていた。
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