第21話 学校を作ろう1



「学校を作りましょう。あなた達みたいな粗暴なお猿さんは、徹底的に躾け直す必要がありそうですからね」


 そう微笑む私は、いかにも悪役!って表情だったと思う。

 我ながらナイスアイディアだと思うんだけど、周りの反応はいまいち鈍い。

 レベッカや院長は「学校? このアストレーに?」と首を傾げ、ジョシュアやコーリキは「またデボラ様がとんでもないこと言いだした……」と苦笑している。

 そんな中、一番激しいリアクションを示したのは、顔を真っ赤にしたアヴィーだった。


「ふ、ふざけんなっ! お猿さんってなんだよ! どれだけ俺達を馬鹿にすれば気が済むんだ!?」

「ふん、礼儀も躾も行き届いてないガキなんて、むしろ猿以下でしょーが」


 絶対零度の視線を投げかけ、とことんアヴィーをこき下ろす。

 自分の欲求を満たすために集団で個人を攻撃するような人間、私は絶対認めなくてよ。それがたとえ子供であろうとも。

 いえ、むしろ子供のうちにその性根を叩き直さないといけないわ。そのためにも学校設立は有効なはず。

 

「デボラお姉ちゃん、『学校』って何?」


 中にはリリのように、学校が何だか知らない子供もいた。私はリリにもわかるような簡単な言葉で説明する。


「学校とは文字や算数や、これから生きていくために必要な知識を学ぶ場所のこと。ルールを守り、集団行動しながら、いつかみんなが好きな仕事に就けるよう、いろいろなことを訓練するの」

「え? 文字も教えてくれるの? じゃあリリも自分で『おくびょう姫』を読めるようになるかなぁ?」


 リリは瞳を輝かせ、おくびょう姫の絵本をぎゅっと抱きしめた。

 リリみたいな女の子のためにも、学校を作ってあげたいな。柄にもなく、私の胸が熱くなる。


「ケッ、今さら学校なんているかよ。そんなとこ、俺は死んでも行かねぇ!」

「そーだ、そーだ、アヴィーの言う通り!」

「お貴族様の気まぐれになんか付き合ってられるかー!」


 もちろん反発する子も少なくなかった。でも逆らわれれば逆らわれるほど、私のやる気は燃え上がる。


「ふん、貴族の気まぐれかどうかは、その目で確かめてちょうだい。イルマ、レべッカ、屋敷に戻るわよ」

「は、はい!」

「了解ですだ!」


 さて、そうと決まったらぐずぐずしちゃいられない。

 アヴィー達のブーイングを聞き流しつつ、私は急いでデボビッチ邸に戻ることにした。











 もちろん学校設立なんてことを言いだしたのは、ある程度勝算があるからだ。

 先日売りまくった先代・クァールの美術品。あの売り上げがかなりあったはず。あの一部は私の財産としても還元されているし、費用は何とかなる……と思ったのだ。

 だがそれがぬるぬるソフトクリームのような甘い考えだったと、すぐに思い知らされることとなった。



「――却下」

「………」


 

 バッサリと、一刀両断。

 デボビッチ邸に戻ってすぐ、私は公爵の執務室まで出向いた。知らなかったけど、公爵の執務室は風花宮の一角にあったらしい。ここからならハーレムの瑞花宮も近いしね。スケベな公爵が考えそうなことだわ。

 私は書類に囲まれている公爵に、意気揚々と学校設立を提案してみた。そして返ってきたのが、先ほどの「却下」という無情な一言だ。


「どうして!? 確かに今のままでも子供達は食べて暮らしていけるけど、それ以上でも以下でもない。まともな教育を受けられないままだと、未来は閉ざされているも同然ですわ!」

「一理あるな」


 公爵は私と目を合わさず、次から次へと書類にサインしている。

 あらやだ、この人まともに領主の仕事してるじゃない。

 ハッ! だからって別に見惚れたりしませんけど!

 私は自分の思考が脱線しないよう意識を保ちつつ、粘り強く交渉を続けた。

 

「それならどうして……。アストレーの子供達に学校は必要ですわ」

「その設立の費用はどこから捻出する?」

「ですから、この前売り払った美術品の……」

「確かに先日の売上金で、学校の土地建物は用意できるかもしれない。だが学校を開くということは教員をはじめ多くの労働者を雇うということだ。その給金はどうするつもりだ?」

「えと、それは……」


 私が答えられず口ごもっていると、公爵はさらにド正論を畳みかけた。


「それと子供達に支給する教本はどこから購入する? 給食という形で子供達の昼食も用意したいと言ったな。その食材はどこから買い付ける? 学校を建てるということは、それを維持する経費も毎年かかるということだ。臨時収入で賄える額じゃないだろう」


 確かに。

 確かに公爵の仰る通り。

 学校は建てて、はい終わりじゃない。むしろ学校ができてからが本番。学校の経営と維持にはお金がかかるのだ。しかもそれがこれから何十年も続く。必要となる費用は莫大なものになるだろう。


「ですからそれは、税金から……」


 私も負けじと、こんな時のための公費だろうと反論してみる。だがこれは、公爵の傍らに控えるハロルドにやんわりと却下された。


「もちろん税は、デボラ様の仰る通り民に還元されるべきでしょう。ですが何事にも優先順位がございます。現在、我がアストレー領では、去年洪水で大きな被害が出たカバスの復興が何より優先されているのです。洪水の大きな原因となったカバス川の堤防の工事、避難民が安心して暮らせる仮設住宅の設置、家や職を失った者への支援金の交付など、公費はいくらあっても足りません」

「………」


 ハロルドの話を聞いて、私は顔から火を噴きそうになった。

 公爵が度々カバスを視察に訪れているのは知っていた。だけどその理由まで知ろうとはしなかった。

 まさかカバスでそんな大きな災害が起きていたなんて。無頓着どころか、あまりにも無知すぎる。これでよく領主の妻だなんて言えたものだわ。


「申し訳ございません。そんな事情があるとは露しらず……」

「仕方ない。おまえは元々アストレーの者ではないからな」

「………」


 やんわりと、公爵に嫌味を言われた気がする。

 でも呆れられても仕方ない。私がアストレーのことを何も知ろうとしなかったのは紛れもない事実。これじゃ公爵夫人の気まぐれと、アヴィー達に笑われるのも当然だわ。

 ああ、ごめんね、リリ。あれだけ堂々と学校を作ってあげると宣言したのに。

 私はやるせなくなって、ぎゅっと瞼を閉じる。

 だけど学校建設は夢のまた夢か……と諦めかけたその時、なんと公爵自らが救いの手を差し伸べてくれた。


「――事業計画書」

「え?」

「俺を納得させるだけの事業計画書を作って来い、デボラ」

「――」


 は? 今なんと?

 閉じていた目を開けて視線を上げれば、公爵が椅子にもたれ、私を見ながらまた意地の悪い笑みを浮かべている。

 くっそー、絶対に今の状況を面白がっているでしょ、この表情。


「確かに我がアストレーには余裕があるわけではない。だが子供達の未来のために学校を作りたいという志は理解できる。ならば公費を投じる必要性があることを、俺に納得させろ。そのための事業計画書だ」

「……」


 えーと、それって公爵夫人がするべき仕事? むしろ家令や役人がやるべき仕事では?

 ……などと反論したくはなるが、これは公爵のお情けでもらえたチャンス。無駄にするという選択肢はない。私は公爵の提案を、強気で受け入れることにした。


「わ、わかりましたわ! 必ずカイン様を納得させるだけの事業計画書を作成してまいります!」

「その意気だ」


 公爵は再びにやりと笑い、この日の交渉は打ち切りとなった。

 窓の外の雪はいつの間にかやみ、鮮烈なオレンジ色の影に紛れて空には一番星が控えめに輝いている。

 それは暗闇の中で一筋に光る、わずかな希望のようだった。
















「あああ、もうっ! 事業計画書なんてどうやって作ればいいのよ!? さすがの私も起業したことなんてないんだけどぉぉーーー!」


 自室に戻った後、私はこれからどうしていいのかわからず頭を抱えた。

 ぶっちゃけ何をどうしたらいいのかわからない。

 前世の知識を総動員しても、やっぱ事情計画書なんて作ったことない!

 公爵の前で大見栄を切ってはみたけれど、八方塞がりとはまさにこの事だ。


「デボラ様、どうか無理はなさらねぇでくだせぇ。今のままでも孤児院のみんなは充分すぎるほどの手当てをしてもらってっから……」


 私の苦悩を見てレベッカが申し訳なさそうにしている。

 レベッカの話によると、4年前のクァール時代は、かなりひどい状態だったらしい。その日食べる物にも事を欠き、子供達は常に飢えている状態。病気になって死んでしまう孤児も、数多くいた。

 それをカイン公爵に代変わりしてから4年もの月日をかけて、今の状態までやっと改善したと言うのだ。

 食べ物に困らず、寒さに震えることもない。そんな生活は一朝一夕でもたらされたものではなく、ひとえに公爵とその側近達の努力あっての賜物。

 だからこれ以上を望んだら罰が当たる。

 レベッカはそう言って、悲しそうに笑った。


「わかる。レベッカの言いたいことはよくわかるわ。だけど今よりもっと明るい未来が開ける可能性があるのに、それを放棄したくはないのよ……」

「デボラ様……」


 夕食後、私はイルマ達メイドと共に、今後の対策を練った。

 正直、公爵がここまでまともな領主なのは意外だった。……というか、むしろそこまで荒れてた領地を立て直した手腕は見事過ぎるのでは?

 だとしたら王都で聞いてた悪評は何だったのかしら?……という疑問が残るけど、今は考えてもわからないので、それはいったん保留。


 当座の問題は、どうやったら子供達のための学校を設立できるのかということ。

 もちろん私一人だけの力でどうこうできるレべルの問題じゃない。

 三人集まれば文殊の知恵、という諺もあることだし、私は素直にイルマやエヴァを頼ることにした。

 

「そういえばエヴァやイルマは、学校に通ったことある?」

「ありますよー、子供の頃は家庭教師をつけられたりしましたけど、父に命令されて王都に近い私立の学校に1年だけ通わされたことがありました。花嫁修業として、最低限の教養や礼儀作法はそこで身につけたつもりです」

「そうね、私も似たようなものです。ある程度財のある商家の子息・令嬢は、そういう選択肢もありますわね。でも多くの農民・町民は子供のうちから働き始めるんじゃないでしょうか。子供も重要な労働力ですから」

「うーん、そうだよねー……」


 むしろ異世界で貴族という身分に転生できた私は、まだラッキーなほうなのかもしれない。

 腕組みしながら、私は深く考え込む。

 するとエヴァから、ある質問が返ってきた。


「そういうデボラ様は、やはり王都のウィルフォード学園に通われていたんですよね? ウィルフォードと言えば貴族御用達の名門ですもの!」

「ええ、でも貴族と言っても子爵家じゃ大したことないけど」


 私はやや謙遜しながら苦笑する。

 そう、『きらめき☆パーフェクトプリンセス』の舞台となるウィルフォード学園。王都に住む貴族は、ほとんど全てがここに通うことになる。

 王族も在学することで有名なウィルフォードは、ヴァルバンダの中でも最高峰の学園だ。乙女ゲー補正で美男美女の生徒も揃っているし。


「じゃあデボラ様も華やかな学園生活を送られていたんですね。いいなぁ。憧れるなぁ……」


 エヴァはうっとりしながら、もっと学園の話を聞きたがった。

 だけどなぜだろう。

 ウィルフォードの名前が出た途端、私の体が無意識にすくんだ。

 

「じゃカイン様と結婚して、ご学友の皆様とも離れ離れになってしまったんですね。あ、でもまたいずれ王都を訪れる機会はあると思いますし、その時に再会できるといいですね!」

「ええ、そうね、友達……友達……ね」


 無邪気なエヴァの言葉に何とか笑顔を返すけれど、なぜか私の脳内に友達の面影は浮かばない。




 ――いや、浮かばないんじゃない。


 真っ白だ。


 私に友達なんていた?


 その友達の名は? 顔は? どこの家の貴族だった?


 それらの情報が、すっぽり頭から抜け落ちている。




(――え? これって……どういうこと?)


 その事実に気づいて、私は愕然とした。

 

 おかしい。


 何かがおかしい。


 私には友達なんていなかった。


 ただの一人さえも。


 そして貴族の令嬢としてウィルフォードに通った記憶も――




 何も、ない。




 私の記憶は、『きらめき☆パーフェクトプリンセス』と家族にまつわること以外――



 


 完全に空白だった。






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