第20話 レベッカの秘密




「この悪戯坊主! デボラ様相手に悪さするなんて、とんでもねぇ奴だ!」

「いてっ! 痛ぇよレベッカ姉ちゃん! なんでそんなに怒ってるんだよぉ……っ」

「怒るのは当たり前だべ!? アヴィー、おめえ、自分が何したのか本当にわかってねぇだか!?」


 普段着に身を包んだレベッカは、鬼の形相でアヴィーの耳をつねり上げていた。

 その剣幕にアヴィーだけでなく、周りの子供達も震えおののいている。


 一方の私と言えば、突然の味方の乱入にポカーンと口を開けていた。

 と言うかレベッカの声を、今日初めて聞いたわ。そしてなぜ今まで私に対して、頑なに口を噤んでいたのかも、わかったような気がする。


「デボラ様、本当に申し訳ねぇだ。この子達は後でちゃんと叱っておきますんで、どうか許してやってくださいまし」

「姉ちゃん、なんでそんな女に謝るんだよ!? 本当は貴族の屋敷になんか行きたくない、俺達とずっと一緒にいたいって言ってたじゃねぇか!」

「このボケナス! あの時とは状況が変わったんだべ! 今のおらにとってデボラ様は大切なご主人様だ。そのご主人様をいじめる奴は誰であろうと許さねぇべ!」

「そ、そんなぁ……」


 レベッカの剣幕に圧されてか、アヴィーをはじめとする子供達はしゅんっと意気消沈した。

 いったん騒ぎが収まったのを見て、シスター達が「とにかくあなた達はこっちに来なさい」と子供達を別の場所に移動させる。


「あ、ちょっと待って。リリは残ってくれる?」


 私は慌ててリリを呼び止めた。レベッカとアヴィーの会話で大体の事情は呑み込めたけど、念のため確認したいことがある。


「デボラお姉ちゃん、レベッカお姉ちゃん、アヴィーを止められなくてごめんなさいぃぃ……」

「別にリリが謝ることじゃないわ。泣かなくていいのよ」

「そうだべ。リリだけがデボラ様を庇ってくれて、おら嬉しかっただよ」

「レベッカお姉ちゃあん……」


 リリはレベッカにぴったりくっつき、思いっきり甘えてみせた。

 その仕草だけで、レベッカがどれだけ子供達に慕われていたのかがわかる。

 

「つまり私はここの子供達からあなたを奪った大魔王みたいな存在ってことよね」

「デボラ様、そんなことはねぇべ。もしかしたらと思って、内緒で後をついてきただけど、まさかアヴィー達がこんな露骨な嫌がらせをするなんて。本当にすまなかっただ……」


 私が苦笑する傍らで、レベッカはリリを抱っこしながら、ただ粛々と頭を垂れるだけだった。












 その後、やっとゲストルームで落ち着いて話をすることができた。

 温かいお茶も用意されて、院長はひたすら子供達のいやがらせについて私に謝罪していた。


「それにしてもレベッカ、ようやく私の前でちゃんと口を開いてくれたわね」

「!」


 笑顔で話題を振れば、レベッカは今度は借りてきた猫のように小さくなる。


「お、お恥ずかしい話ですだ。おら、モルド=ゾセの辺境で育ったもんだから、どうしてもみっともねぇ訛りが抜けなくて……それで……」


 自分の訛りを恥じているらしいレベッカを、私はここぞとばかりに勇気づける。


「何言ってるの。方言はその地方で生まれた文化の結晶よ。ちっともみっともなくなんてないわ。誇りを持ちなさい。むしろモルド=ゾセの伝統ある方言を、後世に伝えていくべきじゃないかしら」

「デ、デボラ様……」


 レベッカは涙目になって、私の言葉に感動していた。その傍らで、イルマがくすくすと笑っている。


「ほら、だから言ったでしょう、レベッカ。デボラ様ならあなたの訛りも気になさらないって」

「はい、イルマさんの言う通り。でもおら、なかなか勇気が出なくて……」


 レベッカの訛りについては、イルマやエヴァは承知していたようだ。以前エヴァが言っていたのはこういうことだったのね。

 さらに護衛のジョシュアの言葉も、レベッカを元気づける。


「いやいや、モルド=ゾセの方言、オレも新鮮でいいと思うな。素朴で可愛いし!」

「か、可愛いなんて……やんだ、おら、照れてしまうだよ!」

「い、いて!」


 レベッカはジョシュアをバンバンと小突きながら顔を真っ赤にしていた。

 ふぅ、どうやらこれでレベッカのコンプレックスは解消されたみたい。

 災い転じて福となす……とは、まさにこのことね!


「それでリリ、もう一度改めて確認したいんだけど……」

「うん、なぁに? デボラお姉ちゃん」


 私は改めてリリとレベッカから事情を詳しく聞いてみた。


 デボビッチ家に奉公に上がる以前、レベッカはこのサバナスタ孤児院の年長でアヴィーをはじめとする子供たちに慕われていた。

 だけどこの孤児院は15歳を過ぎたら自立しなくてはならないという決まりがある。そのためレベッカはノアレの推薦を受けてデボビッチ家に仕えることになった。ちょうど同じ頃、私の輿入れの話も進んでいたので、奥方付きのメイドという破格の待遇で働くことになった。

 けれどレベッカは当初、貴族の屋敷に仕えることを不安に思っていたらしい。でもそれも無理はない。慣れ親しんだ孤児院を一人出て、全く未知の世界に飛び込まなくてはならなかったのだ。「本当はずっと子供達と一緒にいたい」と、当時のレベッカが願ってしまったのは自然な流れだと思う。

 レベッカは過去を回想しながら、もう一度私に頭を下げた。


「アヴィーはそん時のおらの言葉を覚えていたんだと思います。今でもおらがいやいや公爵夫人に仕えていると思ってて、それでデボラ様を敵視したに違いねぇですだ。本当に本当に申し訳ねぇ……」

「いいのよ、レベッカ。つまりアヴィーはあなたがここを去るきっかけになった私を恨んでて、それで私に嫌がらせしたって事でいい?」

「ア、アヴィーはただレベッカお姉ちゃんを心配してただけなんです。ご奉公に上がったせいで、プライドの高い貴族にいじめられてるかもしれないって。でもデボラお姉ちゃんがご主人様ならそんなことしないって、リリわかりました!」

「そうだべ、リリ。おらも最初は不安だったけど、デボラ様はお優しい上になんだか面白い方で退屈しないんだべ。毎日欠かさず筋肉体操する貴族の奥方様なんて、きっとデボラ様くらいだべ!」

「筋肉体操? なにそれ、面白そう。リリもやってみたい!」

「いや、なぜそれを例えに出すの、レベッカ……」


 確かにこのプロモーションを保つために、筋肉体操は毎日の日課になってるけれど!

 私が慌てて言い訳すると、その場にドッと明るい笑い声が起きた。

 レベッカが笑ってる。リリも笑ってる。

 イルマも、コーリキも、ジョシュアも。

 さっきまでペコペコ頭を下げるだけだった院長のバルバラも、空気が和んでホッとした様子だ。

 自然と私の口元にも笑みがこぼれて、ようやく孤児院の視察をまともにできるようになったのだった。







 その後は孤児院の各所を回り、子供達の暮らしぶりを見て回った。

 院長が最初に説明してくれた通り、子供達には一人ひとりベッドが与えられ、厨房には給食用の食材が山積みされていて、特別困窮している様子はない。

 また食事作りを手伝っている子供、シスターと一緒に園内の畑を耕す子供、部屋を掃除して回る子、洗濯を手伝う子……などの姿が各所で見受けられ、役割分担もちゃんとされているようだ。

 私はこの孤児院を訪れるきっかけになったある疑問を、院長に投げかけた。


「でも私、この前市場で客引きするリリやアヴィーを見かけたんだけど……」

「ああ、あれは就職活動のようなものなのです。ここで養われている子供達は、いずれ院を出て自立しなければなりません。働き口の第一候補となるのが、あの市場なのです」


 院長の説明を聞きながら、小さな図書室に差し掛かった。そこには子供達のために童話や絵本、伝記などが置かれているが、本を読んでいる子供の姿は皆無だ。

 院長はふと悲しげに目を逸らし、厳しい現実の一端を口にする。


「お恥ずかしい話ですが、今私達ができることと言えば40人もの子供達を飢えさせないだけで精いっぱい。一日のほとんどは食事の支度、洗濯、畑の世話、これからの季節は雪かきも必要となり、ほぼ家事だけで終わってしまいます。このように図書室があっても、文字を読める子はごく少数です。レベッカはモルド=ゾセ時代に読み書きや算数を習っていて、ある意味特例でございました。だからこそデボビッチ家に仕えることもできたのです」

「そうだったの……」

 

 眉間に皺を寄せつつ、私は相槌を打つ。

 つまり行政の支援を受けて最低限の生活はできているけれど、基礎教育は行き届いていないという訳ね。読み書きも計算もできない子供がつける仕事と言えば、肉体労働しかない。だから孤児院の子供達は将来の布石として、市場で客引きのバイトをしているんだわ。


「デボラお姉ちゃん、あのね、このご本、読んでくれる?」


 私達が真面目な話をしていると、リリが図書室から一冊の絵本を取ってきた。

 とってきたのは『おくびょう姫』というヴァルバンダでは定番の童話。簡単に説明すると、継母に育てられて臆病に育った姫が、森の奥深くの家に閉じ込められ、使用人同然にこき使われる。そこを偶然通りがかった王子に見染められて幸せになるというシンデレラストーリーよ。


「リリはこのお話、好きなの?」

「うん、大好き!」


 院長は慌てて「奥方様に失礼をしてはいけません」と窘めようとするけれど、私はそれを制止し、


「じゃあ図書室の中で、読みましょうか」

「うん!」


 と、リリと一緒に図書室の椅子に座る。

 やっぱりリリみたいな小さな女の子は、こういうシンデレラストーリーに憧れるのね。わかるわ、私も元乙女ゲーマーだもの。

 王子様を夢見る乙女心に共感した私は、早速絵本を開いた。

 だけどどこからか私達の様子をうかがっていたのか、

 


「ふん、ばっからしー。貧しい姫が金持ちの王子と出会って幸せになるなんて、そんな都合がよくて甘い現実あるわけないだろー」


「!」


 

 と、またどこからかぞろぞろとアヴィーと子分達が現れた。

 しかも私を睨む眼差しは、さっきよりも鋭いものになっている。まるで悪しき魔女でも見るかのように……。

 

「アヴィー! デボラ様になんてこと言うんだべ!?」

「ふん、レベッカ姉ちゃんもすっかりお貴族様の手下になっちまったな。見損なったぜ」

「アヴィー!」


 今度はレベッカの言葉さえ、アヴィーは聞こうとしなかった。

 バチバチと向けられる敵意に、私はかえって冷静になる。

 なるほどね。ふーん。微妙に拗らせた子供って、時には大人よりも厄介よねー。

 チベットスナギツネのような心境になりつつ、私は『おくびょう姫』をぱたんと閉じた。


「ごめんね、リリ。このお話はまた今度」

「あ、うん、リリこそ無理を言ってごめんなさい」


 聞き分けのいいリリは私とアヴィーの顔を交互に見比べ、また何か起こるんじゃないかとハラハラしている。

 ちなみに護衛のイルマやコーリキは静観、ジョシュアはかワクワクした目でこっちを見つめていた。

 えーい、ジョシュア、この不謹慎な奴め。でも確かに私は売られた喧嘩は基本買う主義なの。


「それじゃあ今日はアヴィーの好きそうな物語を読んで聞かせましょうか? どんなお話が聞きたい?」

「……フンッ」


 仏頂面のまま私とまともに会話しようとしないアヴィーを見ていたら、嗜虐心がむくむくと沸き起こってくる。

 さっき雪玉をぶつけられた&椅子の脚に切れ目を入れられたお返しもまだしてないしね。私はにやりと笑い、アヴィーぴったりのお話を素早くチョイスした。


「『おくびょう姫』を都合がよくて甘い現実……って言ってたわね。それなら、アヴィーにはこんな童話なんてどうかしら?」

「……は?」


 そして図書室のカーテンを閉め部屋の中をわざと暗くする。

 私はなまっちろい現実を否定するアヴィーに、スペシャルなお話をプレゼントすることにしたのだった。





















「そして最後にケタケタは言いました。『いらねぇ子はいねえか? いらねぇ子はいねぇか? 友人を裏切り、自分だけが幸せならいいと自分の家族まで生贄に差し出した人ならぬ化け物は、このケタケタが頭からむしゃむしゃと喰ってやろう……』。男がこの世で最後に聞いたのは、自分の断末魔の叫びだったのです……」


「う、うわあぁぁぁぁーーーっ!」

「ひいぃぃぃーーっ!」

「デ、デボラお姉ちゃん、怖いよぉぉぉーーっ!」


 貞〇よろしく長い黒髪を振り乱し、私が滔々と語ったのはいつぞやデボビッチ家の図書室で見つけたホラー伝記だ。

 どうやらアヴィー達はホラーに全く耐性がなかったようで、初めて聞くバッドエンド話に震えおののいている。

 私の迫真の演技の賜物か、本気で泣き出す子まで出る始末だ。

 

「さらにケタケタは振り向きざまこう言いました、『我が呪い、この程度では済まぬ。生きとし生けるものの血を啜り、全ての皮を剥ぎ、そのしゃれこうべにケタケタのの名を刻んでやろう。さすればお前らは未来永劫……』」

「もういい! 甘い現実だけじゃないのはわかったから! それ以上気色悪い話を続けるな!!」


 アヴィーは泣いている子供を庇いながら、私をギンギンに睨みつけた。

 あら残念。ここからがさらに面白いところなのに。

 私は振り乱していた髪を元に戻し、ふふんとアヴィーを嘲笑った。


「ふーん、このくらいで音を上げるなんて大したことないのね」

「ふ、ふざけるな! あんた本当に貴族の奥方様なのか? どっかの劇団の女優じゃなくて? どっちにしろリックやキャシーが本気で怖がってるじゃないか! 今夜みんながトイレに行けなくておねしょしたらどうしてくれるんだ!?」

「知らないわよ、そんなこと~、あんたが何とかしなさいよ~」

「せ、性格、わるっ!!」


 アヴィーはギャンギャンと子犬のように喚き散らし、私はそれを軽く受け流す。

 ジョシュアは「いいぞいいぞ、もっとやっちまえ、デボラ様!」と場を煽って、イルマやコーリキ達はくすくすと肩を揺らして笑っていた。

 院長やシスター達も残酷な話はちょっと……とドン引きしてたけど、仕方ないわね。なんでも有害有害と排除していたら、それこそ子供の感性は育たないもの。

 これ、乙女ゲーを愛してきた私だからこそ言えることよ。

 

「性格が悪いついでに、一つ提案があるの。よろしいかしら?」


 私は悪女の面目躍如とばかりに、上から目線である提案を持ち掛ける。

 実はさっきこの孤児院の現状を聞いていて、思いついたことがあったのよね。

 アヴィーはあからさまに私を疑ってるようだけど。


「な、なんだよ。どうせろくなことじゃねーんだろ? お貴族様の考えることなんてよ……」

「ええ、もちろんろくでもないことよ。あなた達にたっぷり嫌がらせしたいと思って」



 ――にっこり。

 私は腰に手を当て、胸を張ってこう宣言した。



「学校を作りましょう。あなた達みたいな粗暴なお猿さんは、徹底的に躾け直す必要がありそうですからね」





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