第12話 デボビッチ家をめぐる人々4
「本日はわざわざこんなところまで足をお運び頂きありがとうございます。デボラ様は花や植物がお好きなのでしょうか?」
「ええ、刺身のツマの食用菊とか好物よ。昔おじいちゃんが食べ方を教えてくれたの。飾りの菊は花びらをちぎって醤油に浮かべて刺身と一緒に食べると、シャキシャキして美味しいんだよって」
「は?」
「あ、いえ、何でもないわ、ホホホ……」
おっと、いけないいけない。動揺するあまり、ノアレの何気ない質問に、前世の知識で答えてしまったわ。
花が好きかってそーゆー意味じゃないわよね。わかってる。わかってますってば。
このデボビッチ家に嫁いできてから、ちょうど十日目。ようやく毒草の在処がわかるかもしれないチャンスだもの。言動には注意しないとね。
「もちろん美しい花は大好きよ。ここでは色々な種類の植物が育てられているそうですね」
「ええ、可能な限り古今東西の珍しい植物が集められています。ですがデボラ様ほど美しい大輪の花は、この温室中のどこを探しても見当たらないでしょうね」
「まぁ、ノアレ様ったら。お世辞が上手ですこと」
「ノアレで結構でございますよ。お世辞だなんてとんでもない。思っていたことがつい口を出ただけです」
「ホホ、ホホホホホ……」
「フフ、フフフフフ……」
あら、何かしら、この表面上は和やかだけど、裏ではお互い牽制しまくっている雰囲気。この愛人一号(仮)、正妻である私を警戒しているのかしら? 今見せてる笑顔が本気の笑顔じゃないことくらい、私にだってわかるわよ。(まぁ、それはお互い様だけど)
「相変わらずだな、ノアレ」
「やぁ、ヴェイン。今日はカイン様の親衛隊長自らが、奥方様の護衛ということですか?」
「そんなところだ」
私の背後に立つヴェインが、ムスッとした表情で口を開いた。
そういえばこの二人、知り合いだと言ってたわね。同じような褐色の肌だし、もしかして同郷?
マジマジと二人の顔を見比べてると、私の考えてることが分かったのか、ノアレが軽く肩をすくめた。
「私とヴェインはモルド=ゾセ出身なのです。幼い頃、近所で育ちましてね」
「モルド=ゾセ……確か西の自由都市国家……だったかしら」
「とは名ばかりの、難民の国でございます。今はもう国家の体を成しておらず、貧しいばかりの地域となっております」
「ああ、そういえば……」
西の自由国家・モルド=ゾセ。10年前、隣国との戦争に負けてから、各国から干渉を受けて激しい紛争地域になっていた。アストレーは大きな港町だから、西からの難民も多く流れ着くと聞いたことがある。
「吾輩もノアレもモルド=ゾセから亡命し、4年前にこのアストレーに流れ着きました。カイン様とはそれ以来のご縁です」
「カイン様がデボビッチ家を継いで、すぐにお仕えしたということ?」
「その通りです。思えばあっという間の4年間でした。私どものような流浪の民まで救い上げてくださったカイン様には、心より感謝しています」
ノアレは目を眇め、過ぎ去りし日々のことを思い出しているようだった。
つまり彼女が愛人一号(仮)というのは、あながち間違いじゃなかったようね。それだけ公爵とは長い付き合いなんだ。
あれ? そういえば私の周りにもう一人、モルド=ゾセ出身と思われる子がいたっけ。
「じゃあレベッカも? あの子はつい最近奉公し始めたと聞いたけど……」
「ああ、あの子をメイドにと推薦したのは私なのです。元気にしていますか?」
「ええ、私のためによく働いてくれています」
「それはよかった」
ノアレはホッとした様子で息をつく。
「あの子はサバナスタ孤児院の出身なのです。その中でも特に才気ある子だったので、是非にとメイド長のマリアンナさんにお願いしたのです」
「サバナスタ孤児院?」
「城下にある孤児院です。難民の子供達も広く受け入れております」
……なるほど。孤児院。乙女ゲーのイベントでもよく出てくるキーポイントの一つ。
大体孤児院と言えば常に困窮していて、保護者や子供達の生活は厳しい。それをヒロインが援助して、攻略キャラに向けて優しさアピールするのよね。
も、もちろん悪女である私には必要のないサブイベントだわ。あの公爵の好感度を上げる必要なんてさらさらないですし!
でもそっか。レベッカは孤児院出身だったのね。もしかしたら私と会話しない理由も、そのあたりにあるのかもしれない……。
「ノアレは領民の暮らしについて詳しいのね。それに公爵家の人事にまで口を出せるなんて、カイン様やメイド長の信頼がよっぽど厚いのでしょう」
「そんなことはありません。私は良いことは良いと、ご忠言しただけにすぎませんから」
ホホホホホ……。
フフフフフ……。
表面上は微笑み合いながら、視線と視線の間にはバチバチと火花が散っている。
このノアレという女性、正妻の私を前にしてもちっとも悪びれる様子がない。それどころか威風堂々とさえしている。
その背後には公爵の寵愛を受けているのは自分だという自信があるのかもしれない。だからこそ、こんな風に艶然と笑っていられるんだわ。
……。
………。
……………。
………………。
――え? 別にムカついてなんかいませんけど?
どうして私がここでムカつく必要があるのかしら?
私と公爵は夫婦とはいえ、それは形式上のこと。私が嫉妬する理由なんて、爪の欠片ほどもないですわ。ええ、爪の欠片ほども!
私はコホンと咳払いをして、仕切りなおすことにした。
「ノアレ、お忙しいとは思うけど、温室内を少し案内してもらってよい?」
「ええ、喜んで」
ノアレは私のお願いをすんなり受け入れてくれた。
とにかく今は目的を果たすべく、温室内を探らなくては……。
「あれは南国で咲く珍しい食虫花。動いてるものに反応するので、決してお近づきになりませんように……。あの花の根には、即効性の神経毒も含まれております」
「あの木の樹液は光毒性があり、樹液が皮膚に付着した状態で日光に当たると水疱ができて、その傷跡が醜い痣となって数年間残ることになります。ご注意を……」
「あの赤い花の棘は、刺さると激痛を引き起こします。少し触れただけで痛みは3年間続くと言われおり、刺されるだけでなく飛散した棘を吸引することでも症状が現れるので、水をやる時には細心の注意が必要です……」
温室を回っていると、あんなに喉から欲しかった毒草の情報が、次々から次へとノアレの口から飛び出した。
……って、おおぉぉーい!? 毒草を探しに来た私も、さすがにドン引きよ!
こんな広い温室に、一体何を集めさせているの、公爵は!
(ハッ、つまりこれらの毒を使って、歴代の奥方様を殺してきたのかしら? 危ない危ない、油断すれば足元を掬われるのは私のほうかもしれない。気をつけなくちゃね、デボラ……)
私の顔色が青くなるのを見て、ノアレはいったん立ち止まる。
「デボラ様、どうなされました? 急に歩みが遅くなりましたけど?」
「いえ、何でもないわ。綺麗な花ばかりで見とれていたの」
「美しい花には毒がつきもの。うっかり手を伸ばしては、痛いしっぺ返しを食うことになります。くれぐれもお気を付け下さいね」
「もちろんですわ。ホホホ……」
「わかっておられるならいいのです、フフフフフ……」
――くそ、この女、なんか私のこと煽ってない?
なんだかわからないけれど、試されている感がひしひしとするわ。
さすが公爵の愛人を4年やっているだけはある。大人しそうな顔して、度胸だけは人一倍ありそう。
でも見てなさい。私に毒草の情報を漏らしたこと、いつか後悔させてあげるんだから!
「まぁ、もしかしてそこにいらっしゃるのはデボラ様?」
「!?」
私とノアレが緊迫の攻防を繰り返している最中、ふと前方から聞いたことのある声がした。
見ればそこにはジョウロを持つ金髪美少女――フィオナの姿があった。
「フィオナ! 無事だったのね!」
「ご無沙汰しております、デボラ様。その節はお世話になりました!」
私とフィオナは同時に駆け寄り、手に手を取り合った。
よかった、フィオナ、元気そう。無理やり瑞花宮に連れていかれてから、どうしているのかと心配していた。
公爵がどれほどイケメンでも、好きでもない男の愛人にされるなんてやっぱり辛いと思うもの。でも顔色もいいし、初めて会った時に全身から漂っていた悲壮感も、今は完全に消えている。
「大丈夫? ご飯はちゃんと食べてる? カイン様にひどいことされてない?」
「ひどいことなんて……とんでもない! それどころかノアレ様の助手として、こちらの温室で働かせて頂いております。あ、こちら、お返ししますね」
フィオナは作業着のポケットから、綺麗に洗濯したハンカチを取り出した。
これは屋敷に着く前、馬車の中で貸したハンカチだ。フィオナはいつか私に会えた時のためにと、肌身離さず持ち歩いていたという。
うーん、なんて健気。いい子。可愛い。
こりゃ一目で公爵が骨抜きにされるのもわかるわ。私はよしよしとフィオナの頭を撫でた。
「あなたが元気そうで何よりよ。でももし辛いことがあったら、いつでも私を頼ってらっしゃい。必ず逃がしてあげるから」
「まぁ、デボラ様ったら。大丈夫です。辛いことなんてありません。ノアレ様はじめ、屋敷の皆さんも大変よくして下さいますし」
「あら、そ、そう……?」
フィオナは10日前とはまるで別人のように、生き生きとしていた。あまりの変わりように私も毒気を抜かれ、思わず首を傾げる。
すると後ろから、くすくすとノアレの笑い声が聞こえてきた。
「お二人とも、仲がおよろしいのですね」
「……無理やり屋敷に連れてこられた女の子を心配するのは当たり前じゃなくて?」
「ごもっともです。でもフィオナにこの屋敷から逃げられたら、せっかく確保できた優秀な助手がいなくなり、私が困ってしまいますね」
「まぁ、ノアレ様。私、絶対逃げだしたりしません!」
フィオナはノアレに近づくと、ぶんぶんと勢い良く首を振った。
うーん、と言うか、私よりもあなた達のほうがよっぽど仲よく見えますけど?
愛人同士がいがみ合うんじゃなく仲良くしてるなんて、世にも珍しい光景ね。
普通なら古参の
そんな私の心配をよそに、フィオナはまぶしいくらいの笑顔を返してきた。
「デボラ様、今日はどうしてこちらまで足をお運びになったんですか?」
「あ、珍しい花がたくさんあると聞いたのよ。それで興味を惹かれて……ね」
「確かに私もこの温室に初めて連れてこられた時は感動しました。本当に美しいお花がいっぱい咲いてますよね!」
「え、ええ……」
というか、私がここまで見せられたのは羽虫をむしゃむしゃ食べるグロテスクなラフレシアもどきとか、葉にも茎にもびっしりと棘が生えたおどろおどろしい樹とか、そんなんばっかりだったけどね……。
さて、ある程度ノアレから毒草の種類は教えてもらったし、そろそろ自室に戻ろうか……と思いかけた――その時。
「じゃあ特別室の花はもうご覧になられました? あそこには貴重な花が集められているんです。特にあの白い……」
「フィオナ!!」
「っ!?」
フィオナがうっかり漏らした情報を、ノアレが突然大声で遮った。その声の大きさにフィオナだけでなく、私までビクッとしてしまう。
特別室? ここにはそんな場所があるの?
ノアレに視線を送ると今までとは一転、眉根を寄せて厳しい顔をしていた。さっきまであんなに冷静沈着だったのに、明らかに狼狽している。
フィオナも自分の失言に気づいたのだろう。笑顔はたちどころに消え失せ、顔面蒼白になっていた。
「も、申し訳ありません、ノアレ様。私ごときが出過ぎたことを申しました……」
「いえ、私も大きな声を出してすいません。ですがあの温室のことは……」
と、ノアレは、ちらりと私を盗み見、
「……はぁ、参りましたね」
と大きなため息をつく。
私はにっこりと微笑んだ。
そう。そう……なのね? その特別な温室とやらには、私に見られたくない何かがあるのね?
フィオナ、グッジョブ。あなたには今日のMVPを進呈することに致しましょう。
「ノアレ」
「はい」
「その特別な温室、私も見てみたいわ」
「デボラ様、それは……」
「み・て・み・た・い・わ」
「……」
「……」
ノアレは諦めたように天を仰いだ後、「畏まりました」と渋々頷いた。
そして生い茂る緑のアーチの先のそのまた先、まるで誰にも見つからないように、特別な温室とやらはひっそりと存在したのだった。
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