第13話 祝福の花
温室の中に特別に用意された栽培室――そこはさほど広い場所ではなかったけれど日当たりは最高だった。
様々な植物の鉢が理路整然と並べられ、ここでは温度管理も徹底されているようだ。私はノアレの後について、狭い特別室の中を見て回る。私の後ろにはヴェイン。あいにくとフィオナはノアレに別の仕事を言いつけられ、ここにはいなかった。
「こちらの特別室では希少株の播種、挿し木、株分け、などを行っております。そちらの棚にあるアイビービーンズは、南のコンチカヤ国で採れる珍しい果樹です。見た目は少々グロテスクですが、とても甘い匂いがするでしょう?」
「まぁ、本当だわ」
私はノアレが指さした真っ黒な果物に鼻を近づけた。なんだかぶつぶつと醜い突起が出ていて、見た目は全然おいしそうじゃない。でも確かにバニラのような甘い匂いがする。うん、この匂い好きかも。なんか甘いものが食べたくなってきた。
「もし気に入られたなら、アイビービーンズの花で作った香水を後でお届けしますよ」
「ありがとう。でもこの香りは私にはちょっと似合わないかもしれないわね」
ノアレが気を利かしてくれるものの、私は苦笑するしかなかった。
だってこのアイビービーンズの香りは、甘くてガーリー過ぎるもの。フィオナみたいな可愛らしい女の子にはぴったりだけど、私みたいな悪女系が身に着けたら何のギャグ?って笑われそう。悪女にはやはりフェロモン系のムスク系の香水がお似合いね。
いや、別に誰かを誘惑する気なんてないから、香水自体必要ないですけど!
「それじゃあ、あの厳重に区画分けされてるエリアには何があるの?」
「……」
特別室の奥には、透明板と透明な扉で仕切られたいかにも重要です!と言わんばかりのエリアがあった。指さして尋ねると、ノアレはにっこりと微笑み、作業着のポケットから鍵を取り出す。
「ご案内します、どうぞこちらへ」
内心「チッ、目ざとい奴め!」と思っているだろうに、ノアレはそんなことは億尾にも出さず私を扉の奥へといざなってくれた。
そこではただ一種類の花だけが栽培されているようだ。タンポポくらいの大きさで、真っ白で可憐な花弁を付けている。一株一株鉢分けされていて、中には葉だけで花をつけてないものもいくつかあった。
「ノアレ、この花は?」
「アストレー山の高地で咲く花です。とても珍しいのですよ」
ノアレはまるで我が子を見つめるような優しい眼差しになり、そっとその名を呟く。
「――グレイス」
「………え?」
「『神の祝福』という意味を持つ花です。この花はかつて、アストレーで原因不明の病が流行った時に特効薬として用いられ、多くの人々を救った奇跡の花なのです」
「奇跡の……花……」
なるほど。多くの人の命を救った『神の祝福』であり、『奇跡の花』。そりゃ大事に育てるのも納得だわ。私はなんだか恐れ多くて、グレイスに伸ばしてた手を慌てて引っ込めた。
「そんなに貴重な花なら、厳重に保管しているのもうなずけるわ。でも花を咲かせていない鉢もあるようだけど?」
「そうです、それが悩みの種なのです」
ノアレは眉宇を寄せ、大きくため息をついた。聞くところによると、グレイスはとても繁殖が難しい植物らしい。3年に一度しか花を咲かせず、しかも高山の日当たりのいい場所にしか根付かない。虫にも弱く、ほんの少しの環境変化で枯れてしまうらしい。とてもデリケートな花なのだ。
「グレイスは貴族でもなかなか手に入れられないため、社交界でも高値で取引されています。庶民にはとても手が届かない高価な薬なのです。ですがグレイスは肺の病や、原因不明の下痢・高熱などあらゆる病の症状を和らげることが臨床でも確認されています。このグレイスの繁殖に成功すれば、多くの貧しい病人が救われるのですが……」
「なるほど……」
ノアレの志の高さに、私は思わず唸ってしまった。
悪魔公爵の愛人の割には、なんだか結構いい人……みたいじゃない? 貧しい多くの人を救いたいなんて、まるでマリア様かマザー・テレサみたい。
いえ、だからって、そう易々と気は許しませんけど!
でも確かに『きらめき☆パーフェクトプリンセス』のモデルは中世ヨーロッパ。乙女ゲー基準のかなり緩い設定とはいえ、医学は現代ほど進歩していないのかもしれない。
(肺の病や、原因不明の下痢・高熱などあらゆる病の症状を和らげる……って言った? あら、それってつまりウイルスによる感染症全般に効くってことじゃないかしら? ならグレイスにも抗生物質みたいな働きがあるのかも?)
そこで私はピンときた。現代知識バンザイ!
現代医療では風邪をひいた時にでも気軽に処方してもらえる抗生物質。でもこれって世紀の大発見だったはず。
「ねぇ、ノアレ、ここで菌糸類や土壌の研究はやってないの?」
「菌糸類……ですか?」
「平たく言うとカビね、カビ。グレイスの大量栽培が難しくても、カビならすぐに大量培養できるでしょう?」
「……」
私の提案を耳にして、ノアレは「この人何言いだすんだ」という顔をした。
いや、唐突だったのは認めるわ。ごめんごめん。
私だってそこまで詳しいわけじゃないの。所詮元オタクのにわか雑学程度だから。
……そう、あれはいつのことだったか。新選組をモデルにした乙女ゲーが大ヒットした時があった。元オタクの私も当然寝る間も惜しんでフルコンプした。
数いる攻略キャラの中で私の推しメンになったのは、薄幸の美少年・沖田総司だった。乙女ゲープレイヤーじゃなくても、一般人なら誰でも知ってるわよね。新選組一番隊組長。幕臣として忠義を尽くすという志半ばにして結核に罹り、不運の死を遂げた青年剣士。
ちなみに長州藩の高杉晋作も同じ病で亡くなっている。こちらも追加ディスクで登場し、大人気になったキャラよ。
で、何が言いたいかと言うと。
元オタの私はこう思ったわけよ。推しメンの沖田総司を救いたい。どうやっても事実に沿った悲恋エンドにしかならない未来を変えられる方法はないかしらって。
そこでちょっとググってみた、結核の特効薬がなんなのか。すると結核の治療にはストレプトマイシンやペニシリンなどの抗生物質が有効だってグー〇ル先生が教えてくれた。最初の抗生物質・ペニシリンがアオカビの中から発見されたのは、沖田総司の死からおよそ百年以上後のこと。
百年……百年以上って……。それじゃあどうやっても沖田総司は助からなかったってことねーーー!?
当時の私、周りからキモイって引かれても仕方ないほど、推しメンの死の真相に絶望したわ。だけど乙女ゲーを愛する同志には、この気持ち、わかってもらえると思う。
LOVE! 推しメン・フォーエバー!
それに十年以上前のドラマでも、現代の医者がタイムスリップした先の江戸時代で、ぺニシリンを作って多くの患者を救うっていうチートが流行ったじゃない。
だからグレイスの繁殖が難しいなら、カビの研究してみるのもいいんじゃないかと思ったの。
でも案の定、私の提案はノアレには突拍子のない絵空事に聞こえたらしい。私の背後に立つヴェインに対して、ノアレはやれやれというふうに軽く肩をすくめてみせた。
「デボラ様は面白いことを仰るのですね。カビが生えた食材を食べてお腹を壊すことはありますが、カビを食べて病気が治った者を私は見たことがありません」
「うーん、それはそうなのだけど」
「まぁ、ヴェインくらい剛の者なら、少しカビただけのパンを食べても腹は下さないかもしれませんが」
「おい、そこで俺を引き合いに出すな」
「ふふ、すみません。とにかくカビは薬と言うよりも毒である、と私は認識しています」
ノアレはアルカイックスマイルで、私の提案をすんなり却下した。
まぁ、そうよね。そうなるわよね。所詮素人の思い付きのアイディアなんて採用しなくて当然。
それに私は抗生物質がアオカビから発見されたということは知ってるけど、その抽出法を知ってるわけじゃない。さすがに元オタクでもそこまでは覚えてないわ。
中途半端な知識など、やはり必要ないかと諦めかけた――その時。
「カビの研究。――いいんじゃないか?」
「っ!!」
意外なところから意外な援護射撃が飛んできた。
聞き覚えのある声を耳にして、私の全身の毛穴と言う毛穴から冷や汗が噴き出る。
「おや、カイン様」
「カイン様! またそのようなところで居眠りなど!」
鼓膜がビリビリするほど大きいヴェインの怒声が響いた。
いつからなのか、特別室にはあの公爵もいた。棚の陰に隠れていてわからなかったけど、特別室の一角には東屋のような休憩スペースが設けられている。公爵はその東屋のベンチに寝転がって居眠りしていたのだ。
「ここ、日差しがいいから、つい……」
「コーリキとジョシュアはどうしたのですか。あなたの護衛につけていたはずですが」
「まいた」
「ま……」
公爵の返事に、ヴェインは絶句した。そしてすぐ「ケイン様は気まぐれすぎる! よいですか、あなたの護衛に我々がどれだけ気を張っているか……」と説教を始めるが、公爵は一つあくびをしながら起き上がって総スルー。それどころかノアレに対して、本格的な指示を出し始める。
「カビの研究とは面白い。そーゆーのが好きそうな人材もいただろう?」
「クライド……のことですか?」
「そうそう、王都の大学院で土壌や肥料の研究をしていた、あの変わり者のクライド」
――変わり者のあんたに変わり者って言われるクライドって奴、ちょっとやばくない?
私は一人心の中で突っ込む。
「デボラはたまに面白いことを言う。この前も玄関前でイルマやハロルドと一緒に奇妙奇天烈な呪術式を行ったと言うしな」
「あ、あれは単なる厄払いです!」
私は即座に否定した。
別に玄関前で塩撒くくらい普通じゃないの。イルマやハロルドも楽しそうだったしさ! 人を怪しい人物みたいに言わないでほしい!
「どうせグレイスの繁殖もうまくいかなくて、研究自体が滞っていたんだ。息抜きと思って、別の伝手を当たるのもいい。ここが手狭なら瑞花宮の一角に別の部屋を用意させる」
「……」
具体的な指令が出たせいか、ノアレも「わかりました」と渋々頷いた。
あら、やだ、私の何気ない提案が現実になっちゃいそう。それはそれで提案者として責任を感じるわ。
「デボラ」
「は、はいぃ!」
そして急に、公爵に名前を呼ばれた。
ゼンマイが壊れた人形のようにギギギと首を動かすと、公爵がベンチに座りながら手招きするのが見えた。
「ん」
「は?」
「こっちこっち」
「そっち、とは?」
「ここ」
「?」
公爵は自分の隣をぺしぺしと叩き、とんでもない言葉を口に出す。
「ここ、硬くて眠れない」
「はい、だから?」
「膝貸して」
「っっっっっっっっ!?」
――はあぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~!?
――なんで私があぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~!?
その叫びは光の速さで地球を一周し、さらにもう一周してから再びこの暖かな温室へと戻ってきたのだった。
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