第10話 デボビッチ家をめぐる人々2
「デボラ様、こちらはニール=ゼン=ドピング伯爵でいらっしゃいます。カイン様とは従兄弟の関係であられます」
ハロルドは私とチョビ髭の間に立ち、初対面の私達の仲介をしてくれた。
なるほど、つまりデボビッチ家の親戚ってわけね。どうりでどこか横柄そうな顔立ちをしているわ。私が部屋に入室した直後、ニマニマと気持ち悪いスケベ面でイルマの手を握っていたわね。なんだかムカつく。
「イルマ」
「は、はい、デボラ様」
「あなたがさっき言っていた急用とは、ドーピング伯爵の接待と言う事かしら?」
「は、はい…」
「おい、君ぃ、さりげなく名前を間違えてるね。私はドーピングじゃなくドピングだ!」
私とイルマが話していると、すかさずチョビ髭が割りこんでくる。
うるさいわね。その丸々と肥え太ったスタイルはどう見てもドーピングありきの体じゃないの。私はチョビ髭に冷え冷えとした視線を投げかけた。
「あら、それは失礼いたしました。――イルマ」
「は、はい」
「あなたはこちらにいらっしゃい。そもそもあなたの主人は誰だったかしら?」
「申し訳ありません、デボラ様」
「あ、イルマ……」
イルマはややホッとした様子で、素早くチョビ髭から離れ、私の斜め後ろに立った。途端にチョビ髭の機嫌は悪くなり、きつく私をにらみ返す。
ふん、このセクハラジジイが。気合だけなら私だって負けてないわよ。イルマはあんたの専属ホステスじゃないっつーの。
「君、初対面でずいぶん失礼な奴だなぁ。私が誰だかわかっていて、そういう態度を取るのかね」
「ご不興を買ったなら申し訳ありません。ですが伯爵様はカイン様の従兄弟と伺ったばかりですが?」
「違う違う、私はただの従弟ではない。元々はこのデボビッチ家を継ぐはずだった正統なる後継者だよ。君は確かカインの5番目の妻だったかね? だとすれば、私は君の夫になっていたかもしれぬ男というわけだ!!」
――はぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー?
目の前で誇らしげに胸を張るチョビ髭を、私はまじまじと見返してしまった。
この男がデボビッチ家の正統なる後継者? 初耳なんですけど。
というか、私って公爵にとって5番目の妻だったのね。それも今初めて知ったわ。
「ハロルド、伯爵様は何を仰ってるのかしら?」
「ニール様、滅多なことをお口になさいませんよう。カイン様を当主とお決めになったのは先々代のご遺志。それに異を唱えることは不敬に当たります」
「ンン……。ンンンン~~~~ッッ!」
ハロルドに窘められ、チョビ髭は口をへの字にして、変な声で唸りだした。
うーん、よく考えたら、私はデボビッチ家の家系がどうなってるのかよく知らなかったわ。だってその辺りの設定、ゲームの中では出てこなかったんだもの。
「うるさいうるさい! ハロルド、お前も元々は我が父に仕えていた身だろう! あの盗人猛々しいカインさえ現れなければ、お前の主は今でも私だったはずだ!」
「それは……そうなのですが」
……なるほど。つまりチョビ髭とハロルドは元主従なのね。どうりでハロルドが強く出られない訳だわ。だからって横柄な態度を取り続けていい理由にはならないけれど。
「ですが今は違う。ハロルドの主はカイン様であり、あなたではない。加えてここは公爵家の邸内。公爵家の者でもないあなたが、私どもの使用人をまるで我が物のように扱うのはいかがかと存じますが?」
「ンンッ! ンンンン~~~~ッッ!」
言外に、身分を弁えて他人の家では大人しくしてろよ、と伝えれば、チョビ髭の顔が怒りで真っ赤になった。
「な、生意気な女だな! 貴様、どこの家の出身だ!? 私は社交界でそれなりに顔が利く存在だが、どの夜会でも貴様の顔など見たことないぞ!」
わーお、とうとう私の呼称が「君」から「貴様」に格下げされちゃったわ。
ま、だからって別に痛くも痒くもないですけど。
だってこのチョビ髭、どこからどう見ても小物じゃないの。ゲームで言えばモブ悪党ってところね。
「失礼致しました。私の実家はマーティソン子爵家です。先日火事で、家族は皆亡くなりましたが」
「マーティソン子爵……?」
私が出自を名乗ると、チョビ髭の怒りがいきなりトーンダウンした。まじまじと私の顔を見つめ、何やら考え込んでいる。
「あの子爵の縁者か…。なるほど、カインの奴め……」
「………?」
「これは………そうか……ならば私は……(ぶつぶつ)」
「あの、伯爵様?」
「ふんっ、私は急用を思い出した。これにて失礼させてもらう!」
チョビ髭はソファから立ち上がると、デブとは思えない身軽さでさっさと玄関ホールへ向かった。
あら、どうして態度が急変したのかしら? 気になるけれど、とりあえず最低限の礼儀として私やハロルド、イルマ達メイドも総出でお見送りする。
「まったく、あの男にしてこの妻ありだな! どんなに美人でも、私ならば貴様のような生意気な女は絶対に娶らない!」
「ご縁がなくて残念ですわ、ホホホ……」
チョビ髭渾身のイヤミも、余裕の笑みでスルー。
チョビ髭の乗ってきた馬車はかなりの成金趣味(全面ゴールド)で、この男の素養の貧しさを感じさせる。
もしもこの男が私の夫なら、躊躇わずにさっさと殺せてたかもね! あー、残念!
「イルマ、こんな屋敷で働かなくても、その気になったら我が伯爵家にいつでも来い! 倍の給料で雇ってやるぞ!」
「ありがとうございます、ニール様。ですが私は公爵家に全てを捧げるつもりでおります。その儀ばかりはどうかご容赦を」
「ンンッ! ンンンン~~~~ッッ!」
イルマをスカウトするも、こちらも全力でスルーされてた。
へへっ、ざまぁ。
私はこれ見よがしにプッと吹き出した。するとそれが癇に障ったのか、チョビ髭から再び飛び出す罵詈雑言。
「貴様、余裕でいられるのも今のうちだぞ! 次に会う時は、貴様の葬式かもしれん! 何せカインの妻は悉く呪われる運命だからな! ガハハハハハ……!」
「ご心配痛み入ります。ですが健康には自信がありますの。ちょっとやそっとのことじゃ死にませんわ。呪いとやらも、見事跳ね返してごらんにいれます」
「グッ! 本当に生意気な女だな! やはりカインや貴様なんぞにデボビッチ家は任せておけん! 正統なる後継者である私が、定期的に監視せねばなるまい。また来るぞ、覚悟しておけ!」
そんな覚悟するか、バーカ!
あっという間に遠ざかっていく馬車を見つめながら、私は心の中で舌を出す。
そして完全に馬車が敷地内から立ち去った後、ハロルドが私とイルマに向かって頭を下げた。
「わざわざデボラ様のお手を煩わせてしまい申し訳ありません。イルマにも嫌な役目を押し付けてしまいました」
「そんな……伯爵様のお相手をしますと自ら名乗り出たのは、私ですから。どうか気になさらないで下さい、ハロルド様」
ハロルドは以前の主従関係上、どうしてもチョビ髭相手に毅然とした態度を取れなかったことを悔いているようだ。
まぁ、そこは同情するわ。前世、身分差がない日本で生活していた私には、そのあたりの縛りの重さがいまいちわからないもの。だからこそ、あんなに強気に出れたわけでもあるけれど。
「エヴァ、レベッカ、塩!」
「……え?」
「いいからすぐ厨房から大量の塩をもらってきなさい!」
「は、はいぃぃ!」
「(こくこくっ)」
私は玄関前で仁王立ちし、急いで二人に塩を取りに行かせた。5分後、二人が持ってきた塩壺を受け取ると、その中に片手を突っ込む。
「うりゃっ!」
そして厄払いとばかりに、大量の塩を玄関前にばらまいた。確か昔土俵で豪快に塩を投げる力士が話題になったわね。なんていう四股名だったかしら? ああ、懐かしい。
「あ、あの……デボラ様?」
「一体何をなさって……る、んです?」
だけどこの世界では、厄払いに塩を撒くという習慣はなかったらしい。突然奇妙な行動をしだした私を、みんながポカンと見つめている。私はいったん動作を止め、コホンと咳払いした。
「あら、皆知らないのね。東方の国では塩には魔を清める力があるとされているの。だから招かざる客が来た場合は、こうして塩を撒いてお祓いするのよ。もう二度と来るな。来たら清めの塩の力で追い払ってやる……っていう願いを込めてね」
「へぇ、デボラ様って、ホント物知りですねぇ!」
「(こくこくっ!)」
エヴァとレベッカの瞳が、好奇心でキラキラと輝いた。私はニヤリと微笑み、エヴァとレベッカの前に塩壺を差し出す。
「ほら、あなた達もやってみなさい。この屋敷から悪しき者を追い払う神聖な儀式だと思って」
「え? 私達がやってもいいんですか?」
「もちろんよ。そうね……ただ投げるだけだとつまらないから、『鬼はそーと、福はうーち!』って言いながら撒くといいわ」
「オ、オニハソート? フクハウーチ?」
「災いはどっか行け、幸せだけやって来いっていう、東方の国のおまじないよ」
「わー、なんだか楽しそう!」
エヴァとレベッカはまるで子供のようなはしゃぎっぷりで『オニハソート、フクハウーチ!』と叫びながら塩を撒きだした。季節外れの節分が始まってしまったけれど、まぁ、こんなのもたまにはいいわよね。
そんなことを思っていいたら、ふと私の隣に立つイルマが何やらソワソワしているのに気付いた。
「……」
「あら、イルマ、どうしたの?」
「いえ、別に」
「なんならあなたもやってみる?」
「いえ、私は……」
と言いながらも、イルマは楽しそうに塩を撒くエヴァ達を視線で追っている。
私はエヴァとレベッカを呼び寄せて、改めて塩壺を受け取った。
「さぁ、イルマ、あなたもおやりなさい」
「え?」
「今日一番嫌な思いをしたのはあなたなんだから、あなたこそちゃんとお清めしなきゃいけないわ。これは命令よ」
「………」
『命令』という伝家の宝刀を抜けば、イルマも早々に観念したみたいで「では……」と、控えめに塩を撒き始める。
「オニハソート……フクハウーチ……」
でもやっぱりエヴァ達のようにはしゃぐのは恥ずかしいのか、塩の撒き方も控えめだ。そんなイルマを見ていたらむくむくと悪戯心が芽生えて、気がつけば私は古き良き時代の少女漫画に出てきたスパルタ鬼コーチと化していた。
「声が小さい! そんな弱々しい清め方じゃ、またすぐチョビ髭がやってきてしまうわよ! それでもいいの!?」
「は、はい、デボラ様! それはいやです!」
「ププッ、デボラ様、チョビ髭って……」
「(くすくす)」
イルマが塩を撒く傍らで、エヴァとレベッカが肩を揺らして笑っていた。それにイルマもやはり鬱屈がたまっていたのか、徐々に声が大きくなる。
「オニハソート! フクハウーチ!」
「そう、その調子よ、イルマ! ほら、ハロルド、あなたも仲間に加わりなさい!」
「ええっ!? 私も……でございますか?」
「イルマの次に嫌な思いをしたのはあなたでしょう? それともまたチョビ髭に来てほしいのかしら?」
「いいえ、デボラ様。正直なところ、真っ平御免でございます!」
「うむ、素直でよろしい!」
鬼コーチの命令に、ハロルドも大人しく従った。
こうしていつの間にか公爵家の玄関前で、『鬼は外、福は内』の大合唱が始まる。
私とイルマ、エヴァ、レベッカ、ハロルド。5人の間で塩壺を回しつつ、天に向かって白の結晶をばらまいていく。
「オニハソート、フクハウーチ!」
「チョビ髭はもう来るんじゃないわよー! 次来ても接待なんてしないからねー!!」
「(こくこくっ)」
「オニハソート、フクハウーチ……でございますぅぅ!」
「オ、オニハソート! フクハウーチーーッ!」
はっきり言って、この時の私たちのテンションは異常だった。
くだらなくて意味のないことをやってる時ほど、なぜかアドレナリンが大放出しちゃうのよね。
もちろんこんなに騒いでいればそれを聞きつけて、他の使用人達も遠巻きに集まってくる。「何が起きたんだ……」「イルマやハロルド様まで一緒になって……」というざわめきが聞こえてくるけど、もちろん華麗にスルーした。
「ふふふ、オニハソート、フクハウーチ!」
そんな中、いつもは冷静沈着なイルマが、他の使用人の視線もものともせずに本当に楽しそうに笑っていた。
それは今まで私の前で見せていたビジネスライクなそれじゃなく、20代前半女性相応の、自然に零れ出た笑顔だった。
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