第9話 デボビッチ家をめぐる人々1

 


 天井に近いた高さから落ちても、難なく宙を舞った公爵の華麗な姿。


 視線を奪われる。


 まるで悪夢のように、手ではつかめない幻のように、何度も何度も脳内でリフレインされる。


 だから、停止させた。

 

 あの時芽生えた感情がなんなのか、答えが出ないように、思考すること自体を放棄した。


 不愉快な結論に至るだろう考察を回避するのは、自己防衛としては当然の事。

 

 そう、暗くて淀んだこの黒い感情だけが、今の私の生きるよすがなのだから。





            ×   ×   ×





 私がデボビッチ家に嫁ぎ、はや一週間が過ぎた。

 図書室での騒動に心乱れたりもしたけれど、その後はまたまた安定の完全放置。当然夜に公爵が私の寝室にやってくることもなく、私の安眠は保証されている。

 いえ、悔しくないですわよ、全然! ぐっすり眠れるなんて超幸せ! ビバ! 新妻放置プレイ!


「デボラ様、今朝も新しい本が届いております」

「そう、ありがとう」


 変わったことと言えば、私を本好きと勘違いしたのか、毎日図書室の司書から本が届けられる。どうやら命令したのは公爵らしいけど、その内訳と言えば


『筋トレ最強!』

『今日からできる筋トレダイエット』

『筋肉の科学知識』

『歩く即身仏アクモーン』

『祟り火怪人・タタルの呪いの村』

『不死身伝説-人魚の肉-』


 と、明らかに筋肉関係と伝奇・ホラー小説に偏っている。

 まぁ、そう誤解させたのは外でもない私自身なのだけど、公爵は本当に私がこれらの本を喜んで読んでいると思ってるのかしら? むしろこれは嫌がらせの類では?……と勘繰りたくもなる。


「はぁ……」

「デボラ様、髪の次は爪のお手入れ、させて頂きますね」

「あ、そうね、お願いするわ」


 そういえば一週間が経ち、ようやく自分の身の回りの世話をメイド達に任せるのにも慣れてきた。 これが彼女達の仕事だもの。最初は抵抗していた私も、今は大人しくマネキンのように、鏡台の前でなされるがままじっとしている。

 イルマが私の右手を取りネイルファイルで磨いてくれている間、私は今後のことに思いを巡らせた。


(あの図書室の一件で分かったのは、公爵を正攻法で殺すのは無理ってことね。あの驚異的な身体能力じゃ、どんな事故を装ってもあっさり回避しそう。チッ、ゲーム内に登場しないキャラなのに、チート能力ありってどういうことなのかしら!?)


 私は内心舌打ちしながら、これは長期戦になりそうだ……と計画の変更を余儀なくされる。

 正攻法が通用しないのなら、搦手で行くしかない。考えられる方法としてはやはり毒殺が一番よく思える。だけどこの屋敷にいながら毒を入手するにはどうしたらいいんだろう。まずそこから考えなくてはいけないわね。


「………」

「(ん?)」


 ふと手元に視線を落とすと、イルマが作業の手を止めて、私の指先を凝視していた。やや眉間に皺が寄っており、何か思案している表情だ。


「イルマ?」

「あ、申し訳ありません。デボラ様の爪はとても柔らかいので、傷つけてはいけないと緊張してしまいました。レベッカ、化粧箱からクリームを出してくれる?」


 私が声をかけるとイルマはいつもの落ち着いた笑顔に戻り、私の両手にクリームを塗りこんでくれた。しっとりと滑らかな感触。さすが公爵家の御用達とあって、効き目抜群のクリームだ。


「ありがとう。私、秋から冬にかけてとても手が荒れやすいの。でもこのクリームのおかげでだいぶ良くなってきたわ」

「それは何よりでございます。寒さが厳しくなってきましたら、保護用の手袋もご用意させて頂きますね」


 イルマはメイドとしての気配りが完璧だった。こちらが頼まなくても私のしてほしいことを一から十まで察し、先回りして準備してくれる。

 なんでこんな優秀なメイドが悪魔と噂される公爵に仕えているんだろう? イルマなら他の貴族からも引く手数多だろうに。

 そんなことを考えていたらノックがして、別のメイドが部屋に入ってきた。


「失礼いたします。イルマ、ちょっといいかしら?」

「はい」


 イルマは一礼してから私のそばを離れた。別のメイドがそっと耳打ちした瞬間、その表情が明らかに曇った。


「申し訳ありません。私でなければ務まらない急用が入りました。しばし御前を失礼させていただきます。エヴァ、レベッカ」

「はい」

「デボラ様のお世話、頼みます。そろそろ午前のお茶の時間だから、その用意もお願い」

「(こくこく)」


 では本日もごゆっくりお過ごし下さいませ、という言葉を残し、イルマは迎えに来たメイドと退出していった。

 うーん、何かトラブルでもあったのかしら? イルマの浮かない表情が気にかかる。


「イルマじゃないと務まらない急用って、何かしら?」

「さぁ? でもイルマさんは有能ですからね。メイド長の信頼も厚いし。あ、今お茶をご用意いたしますね!」


 エヴァもイルマの急用には心当たりがないようだ。レベッカはと言えば、


「(ぶんぶん)」


 と、首を横に振って、自分も何も知らないアピール。最初は私に対して終始無言だったレベッカも、最近は相槌を打ったり首を振ったりすることで、何とか意思疎通が可能になっていた。

 そういえば私、自分の身の回りの世話をしてくれるこの子達について、何も知らない。ここに来てから公爵をどうやって殺すかで頭がいっぱいだったせいね。



「エヴァとレベッカはここに勤めて長いの?」

「え?」



 お茶の途中、何気なく身の上話を振ってみる。エヴァは一瞬きょとんとしたものの、すぐに笑顔で答えてくれた。


「いいえ、実はカイン様の新しい奥方様の身の回りのお世話をする者が必要だということで、半月前からご奉公させて頂いてます」

「あら、じゃあ私とあまり大して変わりがないのね。もしかしてレベッカも?」

「(こくっ)」


 どうやらこの二人は、私のためにわざわざ用意されたメイドのようだ。その後の話で、エヴァはアストレーのある商家の息女だということが分かった。


「公爵家のメイドとして行儀見習いすれば、将来良い縁談が舞い込むからって父に説得されてご奉公に上がったんですけど、イルマさんみたいにかっこよくて完璧な先輩を見ていると、いずれ王都に上がって女官を目指すのも悪くないなーなんて大それたことも考えるようになってきちゃいました」

「あ、わかるわ、それー」


 お茶しながら、女子トークに花を咲かせる。相変わらずレベッカは一言も話さず相槌を打つのみだけど、


「あ、レベッカはちょっと訳があって、今はデボラ様とはお話しできないんです。でもとっても真面目な子なんで、ご容赦頂きたいです」


と、エヴァがすかさずフォロー。私は力強く頷いた。


「あなた達の仕事ぶりは見ていればわかります。いいのよ、無理しなくて。誰にでも話したくない事情や秘密はあるもの。どこの馬の骨ともわからない私の世話を文句も言わずに見てくれているだけで、とてもありがたいわ」

「まぁ、そんなことないです! デボラ様みたいにお美しい方、アストレーではめったに見かけませんもの! 初めてお会いした時、とても感動しました!!」

「い、いや、それは褒め過ぎ……」


 エヴァのストレートな賞賛に、さすがの私も照れてしまった。

 まぁね、顔とスタイルだけは抜群にいいからね、デボラ=デボビッチ。むしろ褒められる所は容姿しかない。

 そしてエヴァ、あなたいわゆる天然キャラね。インプットしたわ。裏表がないという意味では信頼できそう。


「じゃあ、もしかしてなぜ瑞花宮が出入り禁止なのかも知らない?」

「あー、そうですね……。実は私達新人もあそこには立ち入らないようにと厳命されていまして。でも隠されると何があるんだろうって、逆に興味が湧いちゃいますよねー」

「そう、それなのよ」

「(こくこく)」


 私達三人は顔を突き合わせて、何度もうなずき合った。エヴァがふと何か閃いたという風に言葉を継ぎ足す。


「そういえば瑞花宮と風花宮を結ぶちょうど真ん中あたり、庭園の一角に珍しい草花を集めた温室があるそうです。そこまでなら多分足を運んでも大丈夫じゃないでしょうか」

「まぁ、温室!」


 ナイスだわ、エヴァ! それこそが今私が一番求めていた情報よ!

 温室ならば、もしかしたら毒草もあるかもしれない。昔なんかのマンガで読んだことがあるわ。可愛らしい鈴蘭の花は、実は青酸カリの15倍もの毒性があるって。確かクリスマスローズも、古代ギリシャで矢じりに塗る毒として使われていたはず。

 前世のオタク知識もこんな時に役に立つわね! 温室ならきっと鈴蘭やクリスマスローズに似た花が栽培されている可能性が高いわ。それをこっそり拝借できれば……。


「それじゃあ今すぐその温室とやらに行きましょう。ちょうど退屈していたところだもの。善は急げ!」

「あ、デボラ様!」


 即お茶の時間を終了にして、私はまず中継地点である天花宮に向かった。エヴァとレベッカも茶器を素早く片付けて、小走りでついてくる。

 大階段を下りてからホールを曲がって長廊下へ。さらにその先をまっすぐ行けば図書室や大サロンがある風花宮へ着くわけだけど……。



「あら? ハロルド?」

「お、これはデボラ様……」



 応接間が並ぶ一角で、一人ぼうっと突っ立っているハロルドに出くわした。

 おかしいわね、ハロルドが仕事もせずこんな所でウロウロしてるなんて。

 何かよからぬ予感がして、私は眉間に皺を寄せる。


「こんな所で何をしているのかしら?」

「申し訳ありません。突然の来客がございまして、その方の接待をしていたのですが……」

「来客? カイン様を訪ねていらっしゃったの?」

「はい。ですがカイン様は本日カバスの視察に出向いており留守なのでございます。それで私が応対を」


 なるほど。確かアストレーの東にそんな名前の領地があったわね。

 あら、公爵ってば案外真面目に仕事をしているんじゃない。引き籠りっていう噂と、ちょっと違うわね?


「それでお客様の応対をしているはずのあなたが、なぜ廊下でウロウロしているの?」

「実はその……しばらく外にいろと命じられてしまいまして。……申し訳ありません」

「……」


 ハロルドは目の前の応接室の扉に視線を投げ、ショボンと項垂れた。

 なるほど、この中に問題のお客様がいるってことね。しかも筆頭家令のハロルドを追い出せるほどの権力者が。

 ふーん。ふーん。ふーん。

 なんだかきな臭い。これは捨て置けない臭いがプンプンするわ。

 野生の勘に突き動かされ、私はフンッと鼻息を荒くした。


「ならば私がカイン様の代わりにご挨拶させて頂きましょう。扉を開けなさい」

「いや、ですが、デボラ様……」

「開けなさい。三度は言わないわ」

「………」


 威圧的に命令すれば、ハロルドは仕方ないという風にドアノブに手をかけた。

 私の後をついてきたエヴァとレベッカは予想もしなかった展開に固唾を呑んでいる。

 コンコンと二度とノックした後、重苦しい金属音と共に扉が開いた。すると豪奢な応接室――その中央のソファに一人の恰幅のいい男性が座っているのが見える。その男性の隣に座らされた挙句、がっちりと手を握られているのは……先ほど急用があるからと退出したイルマだ。


「な、なんだ、お前は!?」

「ようこそ我が邸へ。カイン=キールの妻、デボラでございますわ」


 私はドレスの裾を持ち上げ、これ以上ないくらい高慢な微笑を浮かべてみせた。

 あらやだ、こいつ、私が前に想像していたカイン=キール像にそっくりじゃない。

 醜くく顔を歪めるその男を、私は心の中で『チョビ髭』と呼ぶことにしたのだった。



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