第4話 デボビッチ邸にて



「おかえりなさいませ、カイン様」

「おかえりなさいませ」


 四大公家の一つ・デボビッチ家の邸宅は小高い丘の中腹にあり、洋館というよりも城と言える規模だった。

 白亜の壁に青を基調とした屋根。中央の主塔を囲むように配置された4つの城郭とそれを装飾するたくさんの塔。東京ドームいくつ分あるのかわからないほど広大な庭園。もちろん内装も豪奢で、いかにも高そうな絵画や調度品があちらこちらに鎮座している。

 主人を出迎えるために玄関ホールに揃った使用人の数もまさに圧巻で、これが同じ貴族なのかと目を疑うほどだった。曲がりなりにも子爵家で育った令嬢ではあるが、私などやはり末端に過ぎなかったのだと思い知らされる。


「例の娘、連れ帰ったぞ」


 公爵の一声で、使用人の間に緊張が走った。視線という視線が私に注がれ、一瞬怯みそうになる。


「ようこそお越し下さいました。皆を代表して、メイド長の私から歓迎の意を表させて頂きます」


 長い列から一歩前に進み出て一礼したのは、白髪交じりの恰幅のいい女性だった。さすがデボビッチ家のメイド達を束ねるだけはある。中々の貫禄だ。


「――で」


 さらにメイド長は、コホン、と一つ咳ばらいをし、


「一体どちらが新しい奥方様でございましょう? カイン様」


 と、尋ねる。


「――へ?」


 思わず私の口から間抜けな声が出たのは許してほしい。よくよく確認すれば、隣には目元を真っ赤に晴らした可憐なフィオナが立っていた。ちなみに庶民のフィオナと大して変わらないほど、私はいつもの地味な服を着ている。


 ……なるほど。

 ですよねーーーーー!?

 これじゃどっちが貴族令嬢か、すぐに見分けは付きませんよねーーー?


「くっ! くくくく……」


 何かがツボに入ったのか、公爵は体をくの字に曲げて笑い出した。

 え? 何この人、笑えるの? というか、すっごくムカつく! 

 めちゃくちゃ笑ってるけど、元はと言えば花嫁と愛人候補を一緒に連れて帰る公爵、あんたが悪いんでしょーが!

 私の顔は怒りと羞恥で真っ赤になった。


「とりあえずふてぶてしそうなほうだ。後は任せる」

「かしこまりました」


 公爵の指示を聞き、メイド長と何人かのメイドが私の前に歩み寄った。

 おいコラ、この主人にしてこの使用人ありとは、よく言ったものね。『ふてぶてしい』の形容詞で、今迷いなく私を選んだでしょ。


「お初にお目にかかります。メイド長のマリアンナ=デミーでございます。こちらはデボラ様付きのメイドのイルマ、エヴァ、レベッカでございます。ご要望がありましたら、何なりとお申し付け下さいませ」

「……こちらこそよろしくお願い致します」


 怒りに震えながらも私は小さく膝を折り、何とか最低限の礼だけは返した。

 後ろに控える使用人達が必死に笑いを堪えているようで、それがまたツボにはまったのか、公爵は小さく肩を揺らしながら笑っている。背後ではハロルドが困ったように天を仰ぎ、護衛のヴェインは顔色一つ変えず仁王立ちしていた。

 こうして私は最初から辱めを受ける形で、デボビッチ家に足を踏み入れたのだった。



            ×   ×   ×



 さすがというか、当たり前というか、正妻である私のために用意された部屋は、とても豪華で重厚感あふれる、いかにも貴族のお屋敷!という感じだった。

 もちろん重厚感だけでなく、天井や壁は女性が好みそうなパステルカラーで彩られ、窓や寝台にはたっぷりとしたドレープカーテンが使われている。

 昔、アニメで見たお嬢様の部屋がちょうどこんな感じだったかも。前世で庶民だった私には少し……いや、だいぶ恐れ多いけれど。


「デボラ様、まずはお召し物が汚れるといけませんので、こちらをお使い下さい」


 部屋へと案内してくれたのは私付きのメイド、イルマ・エヴァ・レベッカの三人だ。

 衣装棚を開いて見せるイルマは20代前半の落ち着いた感じの銀髪の女性。背が高くて美人で、三人の中ではリーダーっぽい。

 対してエヴァとレベッカは若く、私と同世代くらいに見える。エヴァは明るい栗色の髪をした目鼻立ちのはっきりした少女。レベッカは異国の血が入っているのか、ヴェインと同じような褐色の肌をしていた。


「いや、私はこのままで……」


 衣装棚の中には、そりゃもう数えきれないほどのドレスが用意されていた。もしかしたら歴代の奥様方の遺品もあるかもしれない。そんなことを疑ってしまうほどに、清楚系・セクシー系・可愛い系、あらゆるデザインのドレスが揃っている。


 実はアストレーに着くまでの間に、ハロルドも私用の新しい衣装を用意してくれていた。けれど長旅に豪奢な衣装は必要ないからと断り、頑なに手持ちの服を着続けていたのは他ならぬ私だ。公爵が用意された服にいそいそ着替えるなんて、それこそ施しを受けるようで悔しかったから。でもそのせいでさっきは子爵令嬢と気づいてもらえず、惨めな思いをすることになった。


「いえ、やはり公爵のお心遣いは素直に受け取ることに致しましょう。どれが私に似合うかしら……」


 私はにっこりと微笑み、新しいドレスに袖を通すと決めた。あまり公爵のすることなすことに拒否反応を示していては、周りの人間に怪しまれてしまうかもしれない。目的が果たされる瞬間まで、殺意は胸に秘めていなくては……。


「そうですね、デボラ様はプロポーションがよろしいので、こちらのドレスなどいかがでしょう?」


 イルマが取り出したのは鎖骨から肩のラインまでが露出しているオフショルダーのドレスだった。いわゆるセクシー系で、的確なチョイスではある。だが私は表情を曇らせ、静かに首を横に振った。



「ありがとう、でも私、露出の多いドレスは着られないの。説明不足でごめんなさい」



 謝りながら、私は着ていたワンピースの背中側のホックを外し、露出系のドレスが着れない理由を示した。

 背後からハッと息を飲む気配がする。

 コルセット越しにも、私の背中の状態がよくわかるはずだ。


「私の住んでいた屋敷が火事で焼けてしまって……その後遺症なの」

「も、申し訳ございません」


 私の背中には、右肩から背中の中心にかけて大きめの火傷の痕が広がっていた。でもイルマが謝ることじゃない。私の体に醜い傷が残ってしまったことは、どうしようもないこと。


「そ、それでしたらこちらの立ち襟の深緑のドレスはいかがですか? 細かいレースの刺繍があしらってあり、デホラ様にとてもお似合いだと思います!」


 素早くイルマのフォローに回ったのは、年若いエヴァだ。確かゲーム内のデボラも、セクシー系キャラの割にいつも立ち襟の露出の少ないドレスばかり着ていた。実はこんな裏設定があったのね。


「ありがとう、これからどうぞよろしくお願いしますね」

「はい、誠心誠意お仕えさせていただきます」

「よろしくお願いします!」


 さすが公爵家、メイドの教育も完璧。数段グレードの落ちる貴族出身の私に対しても、差別も偏見もなく接してくれる。正直、悪魔公爵と噂される男に仕える人間なんて、みんな冷たい人ばかりじゃないかと予想していたんだけど……。


「それじゃ、レベッカ。こちらのドレスとこちらのドレスは別の部屋に移動させるわ。そちらの衣装ケースにまとめてちょうだい」

「……」


 イルマは露出の多いドレスをすぐに仕分けしてくれた。だけどその間もなぜかレベッカだけは一言も発せず、ただ黙々と言われた通りに動くだけだった。もちろん作り笑顔一つ見せず、私と目を合わせようともしない。


(まぁ、一人くらい、私のことをよく思わないメイドがいても仕方ないわよね……)


 私は心の中で嘆息する。

 それにどんなに素晴らしい部屋を宛がわれても、どんなに洗練されたドレスに身を包んでも、心はちっとも浮き立たない。依然として胸の奥に重い石が詰まったような息苦しさを感じて、自然と笑顔は曇るのだった。

 







 その後、私は自室で夕食をとることになった。本来ならばメインホールで夫である公爵と共に食べるはずなのだが、何でも公爵は執務で忙しく、晩餐の時間が取れないらしい。

 もちろん運ばれてきた食事は、贅を尽くした素晴らしいものだった。

 だけど花嫁がやってきたその日に即放置プレイってどういうことなのかしら?

 ここでまた私のこめかみの血管の耐久力が試されたのは言うまでもない。目の前に並べられた豪華な食事も、今はただ空しく感じられた。


「そう言えばフィオナは今どうしてるの?」

 

 砂を噛むような思いで尋ねれば、イルマが困ったように眉尻を下げる。


「デボラ様が気にするようなことではございません」

「確か別れ際、瑞花ずいか宮に連れて行けって公爵が仰ってたわよね?」

「………」


 返答を無視して畳みかければ、イルマはきゅっと口をつぐむ。

 そうなのだ。屋敷に到着して屈辱の時間が過ぎた後、フィオナは私と別れてどこかへ連れていかれたのだ。

 どうやら聞いたところによると、このデボビッチ家は大まかに東西南北に分かれていて、それぞれのエリアには通称があるらしい。

 主にメインホールや玄関のある中央棟は「白雪宮」、南棟は「天花宮」、東棟は「風花宮」、西棟は「暮雪宮」、そして最も遠い北に位置するのが「瑞花宮」。北の領地らしく、全て雪の別名が由来になっている。

 ずいぶん大仰な名前が付けられているなぁと思ったけれど、元々この屋敷自体、過去の王族が建てた別荘だったらしい。

 そしてその瑞花宮で、今頃公爵はあの美少女と……。


「デボラ様」


 それまで柔和だったイルマの顔つきがやや険しいものに変わり、口調もきつくなる。


「これだけは申し上げておかなければなりません。この屋敷の中で瑞花宮にだけは、決して足を踏み入られませんよう、お願い申し上げます」

「瑞花宮だけ? それ以外ならいいの?」

「はい、問題ございません」

「ではなぜ瑞花宮だけ出入りが禁止されるのかしら? その理由を尋ねても?」

「申し訳ありません。それが決まりだから……と申し上げる他ございません」

「どうしても?」

「どうしてもでございます」

「……」

「……」


 イルマの返答は明瞭で、有無を言わさぬものだった。それでなるほど……と私も納得する。

 噂には聞いていたけれど、公爵には美女ばかりを集めた秘密の館があると言う。それはこの屋敷の中の、瑞花宮に該当するのだろう。つまり郊外にではなく、堂々と自邸に愛人を囲む区画があるのだ。公爵は今頃、その愛欲の館に入り浸っているに違いない。


(なーるほーどーねー。そういえば昔、青髭っていう童話でも似たようなエピソードあったわね。絶対に入っちゃいけない部屋があって、そこには歴代の妻の死体が吊るされてたって奴……)


 私は作り笑いを維持しつつ、目の前の鴨のローストソテーをギリギリとナイフで切り刻んだ。レアな肉からは真っ赤な肉汁が染み出し、皿の上はさながらスプラッタ映画の1シーンのようだ。


「デ、デボラ様……」

「……」


 私の食事を見守るエヴァとレベッカの顔色が悪い。明らかに引いてる。

 あら、やだわ、ホホホホ……。隠さなきゃいけない殺意が、思わずダダ漏れてしまったわ。気にしないでちょうだい……と言っても、それは無理な話かしら。


「そうなの。公爵様のご命令とあらば従いましょう。執務のし過ぎで、お体を壊さなければいいけれど(愛人に溺れたまま、×××ピーーしてしまえ、このド助平野郎!)」


 稀代の悪女が暗黒オーラを放ちながら微笑む姿は、想像以上に迫力があったらしい。エヴァは涙目になり、レベッカは顔面蒼白。イルマだけが鉄壁のポーカーフェイスを貫いている。


(現代の青髭……上等じゃない。すぐに地獄に落としてあげるから、せいぜい今のうちだけ甘い夢見てるがいいわ!)


 せっかくなので最上級の食事を堪能しつつ、私は不気味で手ごわい敵をどう攻略すべきか脳内をフル回転させ始めた。


 ――今日は初夜。


 公爵を殺せる最初のチャンスが、もうすぐやってくる。



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