第3話 悪魔との邂逅
(この男が、カイン=キール=デボビッチ……!)
公爵と目が合った瞬間、稲妻のような何かが私の中を駆け抜けた。
それは怒りなのか、恐れなのか、それとも宿敵に出会えた興奮なのか、私自身もよくわからない。
ただ自然と足は震え、強く握りこんだ拳はいつの間にか汗だらけになっていた。
「カイン様」
「ん」
そばに控えている大柄で褐色の肌をした男が、公爵の名前を呼んだ。公爵の視線は私から離れ、再び哀れな兄妹に戻される。護衛の男の顔には大きな刀傷があり、腰に大剣を佩いていた。一見したところ、まるで義経と弁慶……といった感じの主従。二人から放たれる威圧感は半端なく、野次馬は事の成り行きを見守るばかり。公爵と対峙する哀れな兄妹を助けようとする者は、誰一人としていなかった。
「フィオナ、俺と一緒に来い。マルクを助けたいと思うならな」
「………」
公爵は兄をかばう女性に向かって、手を差し出した。それはついてこなければ兄・マルクはどうなるかわからないという、あからさまな警告。フィオナは両目に大粒の涙をためながら、それでもようやく決心したのかマルクから離れ公爵に近づく。
なるほど、公爵が大の女好きというのは本当だったのね。フィオナは庶民ながらに儚げな雰囲気を持つ、絶世の美少女。白い肌に華奢な体。全体的に色素が薄く、放って置けない……守ってあげたい……そんな魅力を持つ人だった。
「だめだ、行くな、フィオナ! お前までいなくなったら、俺は………!」
「に、兄さん……」
妹を助けようと、マルクもまた手を伸ばす。だけど彼が動くと同時に、護衛の男が剣を抜き、その切っ先をマルクの鼻先に突き付けた。
「――動くな」
「………っ!」
護衛の男から放たれる本物の殺気に、マルクの全身が固まった。
ああ、なんてことなの。守るべき領民を暴力と恐怖で屈服させるなんて。
市場中がシーンと静まり返る中、とうとう私は我慢できなくなって言葉を発した。
「それが四大公爵に名を連ねる者が、なさることなの?」
自分でもなかなかドスの利いた、いい声だったと思う。周りにいた人はギョッと私を振り返り、自然と人の波が割れる。おかげで私は公爵と真正面から対峙することになった。
自分で言うのもなんだけど、私は稀代の悪女設定。フィオナとはまた別の意味で他人を圧倒する容姿を持っている。本気になれば、威圧感では公爵にだって負けてない。
「……お前は?」
公爵が私を振り返った。その後ろでは相変わらずハロルドが困ったようにウロウロしている。私は腕を組んで仁王立ちし、公爵を強く睨み返した。
「カイン様、こちらデボラ=マーティソン子爵令嬢でいらっしゃいます。ご命令通り、王都よりお連れ致しました」
「ああ……」
ハロルドが報告すると公爵は今思い出したかというように、ボリボリと頭を掻き、
「……こんな女だったか?」
と、鼻白む。
……って、ちょっと待て、おぉぉぉーーーい!? 何なのよ、その薄い反応!?
言いたかないけど私は一度も会ったことのないあんたになぜか強引に求婚され! そのせいで家族まで失って!
無理やりこんな遠いところまで連れてこられた女なのよ!?
それを望んだのは、他でもないあんたでしょーが!
私はギリギリと歯ぎしりしながら、全身からあふれる怒気を隠そうともしなかった。
「あら、公爵様は結婚する前から新しい花嫁にはもう飽きられたようですわね」
「………」
わざわざ町まで下りてきて、女漁りをしているくらいだもの……と暗に皮肉を込めて言えば、周りから大きなどよめきが起こる。
「え? じゃああれが新しい奥方様?」
「そうか……なるほど、かわいそうに……」
「カイン様は相変わらずねぇ」
それまでフィオナに集まっていた同情の視線が、今度は私へと切り替わる。その隙をついて、マルクは妹・フィオナに駆け寄って奪還しようとした。
「フィオナ!」
「に、兄さん!」
「!」
が、その願いは叶わなかった。マルクがフィオナに触れるよりも先に、マルクの体が宙に浮き、後方へと大きく吹っ飛ばされる。肩から掛けられた公爵のケープが、美しい弧を描いて広がる。
それは悲鳴を上げることもできないほど、一瞬の出来事。
公爵は近づいてきたマルクに鋭い蹴りを入れ、力ずくで彼を屈服させたのだ。
「……動くな、と警告したはずだ」
「………ひっ!」
公爵から放たれる殺気はフルMax。マルクはうずくまったまま、もはや恐怖で立ち上がることさえ不可能。
まるで全身から暗黒のオーラが立ち上るかのようだった。
これが私の夫になる人。カイン=キール=デボビッチ。
次々と妻を殺し、悪魔と噂される引き籠り公爵――
「ヴェイン、行くぞ」
「はっ」
護衛の男――ヴェインは、フィオナの手を引いて公爵の後を追って歩き出した。結局何もできなかった私は、その場に立ち尽くす。理不尽にも妹を連れ去られたマルクは、立ち上がることもできずにその場で嗚咽していた。
(ごめんなさい、あの男の横暴を止められなかった…)
私は心の中で、そっと謝る。せめてフィオナではなく、新しい花嫁である私に興味を示してくれれば……と思ったけれど甘かった。公爵は私の姿を見て喜ぶどころか、ご覧の通りの塩対応。私よりも庶民であるフィオナにご執心のようだ。
(おかしいですねぇ? 私はあなたにどこかで見染められて、こんな所まで連れてこられたんですけどーー!? 公爵は私の顔をもうお忘れですかぁ?)
私の苛立ちが伝わったのか、ハロルドが何度も頭を下げる。
「申し訳ありません、デボラ様。とにかく馬車までお戻り下さい。屋敷まではあともう少しですので」
「……わかりました」
私は踵を返し、来た道を引き返した。公爵の略奪ショーが終わったのを見計らい、野次馬も三々五々と散っていく。空しい気分のまま再び馬車に乗り込めば、はぁ、と大きなため息が漏れた。
「――遅いぞ」
「ぎゃあぁっ!?」
だけどいざ馬車に戻れば、なぜかすでに公爵とフィオナが乗車していた。護衛のヴェインは二頭の馬の手綱を引き、馬車の外に控えている。
「フィオナが馬は怖いと言うんでな。俺達も馬車で戻る」
「か、かしこまりました」
「……」
公爵はフィオナを自分の向かいに座らせ、長い足を投げ出して狭い馬車の中を占領していた。
くっそう、全くなんてわがままで横暴な男なの、カイン=キール=デボビッチ。今こそ私のこめかみの血管の耐久力が、試されているような気がする。私は淑女の礼をとることをさっさと諦め、不機嫌アピールに専念することにしたのだった。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「……………」
「……………」
デボビッチ公爵邸に着くまでの間、馬車の中に流れる空気は最悪だった。
ある晴れた昼下がり、市場へとドナドナされた子牛は、きっとこんなやりきれない気持ちだったに違いない。
花嫁をがやってくる日に、町で女漁りする夫。
結婚する前から浮気される花嫁(私)。
そして嫌々ながら連行される愛人候補。
この三人が狭い空間に揃っていて、和やかになれってほうが無理だ。特に無理やり家族から引き離されたフィオナは、ぽろぽろと涙を流し続けていた。
「兄さん……兄さん……」
「……」
わかるわ、フィオナ、あなたの気持ち。私も家族を失ったばかりだもの。
私はポケットからハンカチを取り出し、そっと隣に座るフィオナに差し出す。
「あまり悲観しないで。生きてさえいれば、いつかまたお兄様と会える時が来ます」
「あ、ありがとうございます……」
ハンカチを受け取ると、フィオナは申し訳なさそうに私に頭を下げていた。
うーん、健気。男が庇護欲をそそられるのもわかるわ。だからって本当にさらっていい理由にはならないけどねっ!
(………ん?)
その時ふと、正面から視線を感じた。向かいに座る公爵が気怠るそうに私を凝視している。
(あら、やっと私が花嫁だったってこと、思い出したのかしら? でも花嫁と愛人を同じ馬車に乗せるなんて、さすが噂の女好き公爵。信じられないほどの図太さね!)
ここで視線を逸らしたらなんか負けたようながする。私はスッと姿勢を正し、やや細目がちに公爵をにらみ返した。すると公爵は呆れたように、
「……こんな女だったか?」
と、呟く。
はあぁぁぁぁ? 何なの、その期待外れでしたと言わんばかりの反応は! さすがに私の堪忍袋の緒も、スライスハムのようにブチ切れそうなんですけど!?
「ゴ、ゴホン、デボラ様。あと10分ほどで到着いたします。屋敷ではデボラ様のために最上級のお部屋をご用意してあります。到着しましたらお寛ぎ下さいませ」
「……、ありがとう、ハロルド」
同乗しているハロルドは額の汗を拭きながら、必死に公爵のフォローに回っていた。対する公爵は視線を窓の外に移し、一人どこ吹く風。
くっそう、なまじっか乙女ゲー補正がかかっているせいか、本来ゲームに登場しない公爵まで異様に美形なのは、めちゃくちゃ腹が立つ。
すっと通った鼻筋にすらり長い手足。目隠れ属性好きにはたまらない、絶妙に前髪で隠れた金色の瞳。デブでチョビ髭どころか、むしろ小顔で整ったフェイスラインは完璧に近い。身長は180以上あるし、さっきマルクを片足で軽く蹴り上げたところを見ると、何気に体も鍛えていそう。
声だって、雑味のない落ち着いたクール系低音イケボ。
いやだ、ちょっとこれ、私の推しキャラと同じ声優――
(ハッ! ちょ、何見とれてんのよ、私! こいつは敵! 私から大事な家族を奪った憎い敵よ!)
私はお花畑になりかけていた雑念を振り払い、公爵から目を逸らした。
ちょっと好みのイケメンだろうが、こいつの人間性は最低最悪。惹かれる要素なんて一切ない。
今必要なのは冷静さと、こいつを殺しても一ミリとも後悔しない鋼の心。
(今、心臓がドキドキとしてるのは、宿敵を目の前にしているからよ。そう、決して異性として意識しているからじゃない……)
長い沈黙が流れる中、馬車は道幅のある並木道へと入り、さっきまで晴れていたはずの空が、どんよりと灰鼠色の低い雲に覆われ始めた。やがて雨が降り始め、嵐になるかもしれない。
――悪魔と噂される引き籠り公爵との邂逅。
それは私の運命を変えていく、大きな分岐点だった。
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