第四話 三人 後編





──暁闇ぎょうあん


 空は低くしてを見せることはなく、篠突しのつく雨が降り注いでいた。

 ごうごうと。

 轟々と。


 そんな暗闇の中でも、ベリオドンナの街は呼吸をする様に目覚めを迎える。

 サイは借りている宿の軒先に立ち、絶え間なく続く雨を前に目をつむり耳を澄ませていた。


とどまっている時間はないのだがね」

 少し重さを見せる空間を漂い、雨とともに消えゆく言葉に虚しさだけが残る。


 雨の日は地を這うサイの魔導も感覚が鈍る。

 街を襲った魔鳥を討伐したものの、目の前を降る雨と同じようにサイの心が晴れることはなかった。


 日々生まれゆく大災害の化物ばけもの


 大災害は段階が進むごとに、化物という波を強大にしていき戦いは熾烈を極めていく。

 それら異形の存在に引けを取る気はないが、想いだけで全てが救えるわけでもない。


 サイは願い求め、手を伸ばす───

 せめて目の前にいる者がその手からこぼれ落ちぬようにと。


「虹色……魔導蝶か」


 ゆらゆらと燐光を纏い暗闇を舞う蝶。

 サイは暗闇の中に珍しい物を見つけた。


 魔導蝶とは、普段は自然の中において目に見えぬ状態で存在する魔導が形となって現れたものだ。

 ゆらりゆらりと揺れる動きはサイに何かを語り掛けているようにも見えた。


「サイ導師、この雨で出立しゅったつは遅れそうだ」

「サイでいいというのに、ディーはかたくなだな」

 どこか遠慮がちに声を掛けてきたディーに、サイは笑って返す。


 サイとディーは幼馴染だ。

 サイが導師となってから関係性が変わってしまったせいか、導師という呼称がサイとしてはどうにもむず痒くて仕方がなかった。


「そうもいかんだろう。それよりも例の魔鳥だが、西の空より流れて来たはぐれのようだ。騎士団が異変を察知して偵察隊を出しているみたいだが状況は良くない」


「地上における魔獣被害に加えて空も加わるとなると、一層厄介なことになるな。王国においてはエド家の御大に頑張ってもらうしかないか」


 グラム王国の魔導大家まどうたいけとも呼ばれるエド家。

 魔導王と共に研鑽を積んだ初代エドにより興された家の一つであり、今もなお魔導を現代に伝えている大家の一つである。


 魔導を高度に身に着けて操る事ができるのは王国の内外を見てもほんの一握りだ。帝国にも伝わってはいるようだが、魔導王のお膝元には比べるべくもない。


 しかし、魔導を扱える者がもう少し多ければ、大災害に対する事も沖融ちゅうゆうたるのにとサイは思う。


 魔導に関してはサイ自身も分かっている事は多くない。

 魔導王が魔導を発見してから五百年の時が過ぎたというのに、その力が未だ広く浸透せぬ理由も何かあるのだろう。


 博識であるヤン導師に聞けば答えが返ってきそうな気もするが、サイは今まで、深く魔導の真理について考えたことはなかった。

 サイはただ、ヤン導師の姿を見て育っただけなのだから。


「ディー、雨がったら直ぐに動けるようにする。東の森で魔獣を見た者がいるらしい」

「ふむ。今度こそ当たりだといいのだがな。分かった、クルスにも身支度をさせておく」

「魔導が騷いでいる、何かの前兆かもしれんな」





 * * *





 英雄とは何か。

 幼き日よりオーリンは考えていた。


「オーリン、お前はどうなりたい?」


 親父。俺は英雄になりたい。


「英雄とは何か?」


 強くなって困っている人達を救うんだ。


「強さで人が救えるのか?」


 うん、強くなって、悪い奴らから虐げられている人を助けるんだ。


「お前の言う悪とはどういったものを指す?」


 人に嫌な事をしているやつとか。


「嫌な事をする奴は悪なのか?」


 うーん。イーグのお父さんが街に悪い人がいるって話をしているよ。





「オーリン。私がお前に教えている槍は好きか?」


 好きだよ! とっても楽しいんだ。


「その力は使いようによっては人を害せるし、人を害せば、相手の家族は不幸になる」


 不幸になる。


「そうだ。そうなれば、お前の言う英雄が、お前を退治しにくるぞ?」


 それは嫌だ。


「力とは、人を傷付けると同時に、他の力から人を守る事ができる」


 守る?


「そうだ、その為に必要なのは、判断を他人に委ねないということだ」


 よくわかんないや。


「そうか、だがお前はすでに力を得た。それは幼いお前にとってとても大きな力だ。今のお前には難しいかもしれぬが、力を得た者には覚悟が必要になる」


 覚悟……。


「己自身で考え、判断し、それでも救いたいと思ったのなら、私の教えたその槍で大切なものを守れ」


 大切なものを守る。


「そうすれば、お前はお前の中にある英雄と共に生きることができる。忘れるな」


 英雄と共に生きる……





「だけど親父。俺は守れなかった」





 * * *





 男は、やっとの事で街にたどり着いていた。

 襲われていた者達を救ってから既に半日が経つ


 化物から襲われている者達を救った時に、男が王国騎士団より聞いたのは、あの化物共が尋常ではないほどの数を伴ってベリオドンナへと向かって来ているということだった。

 そこであの化物も予言に語り継がれる大災害のひとつ、魔鳥という存在であることもそこで知ることになる。


 王都より派遣された騎士団によって様々な取り決めが迅速に行われ、ベリオドンナの街を放棄するという決断がなされた。


 ベリオドンナは国境からも遠く元来戦場になるような場所ではない。

 ましてや、あのような化物に空から襲われて対処出来るような防衛設備もないし、人員も足りない。

 街に住んでいた商人達など、危機察知能力の高い者たちは王国の決断がなされる前に行動を起こしていた。自衛手段のない者たちに関しては、王都より派遣された騎士が同行して避難を開始している。


 いくら王都が巨大であっても、受け入れ体制は十分では無い。だからといってこのまま手をこまねいているわけにも行かない。グラム王都ではグラム王国の大家たいけであるエド家とフィテス家があくせく動き回り、何とか避難先を確保しているという。


 男が目にしたベリオドンナの街は、既に魔鳥による襲撃を幾度か受けているようで生々しい傷跡が残されている。


 王都より派遣された王国の騎士団とグアラドラより派遣された導師達の働きによって混乱は収まりつつあったが、これから始まるであろう大規模な移動を前にして故郷を後にする人々の顔からは笑顔が失われていた。


 男は混乱が未だ残るベリオドンナで、村に来るはずだった商人の営む商店の前にいた。訪れたその場所で男は呆然と立ち尽くすことになる。

 目を覆いたくなるほどの破壊の跡が眼前に広がる。


 家々は倒壊し、商店が立ち並ぶ大通りであったであろう場所は、元の状態を想像できぬ程に見る影もない有様であった。

 かろうじて残っている近隣の家の者に尋ねると、今より数週前に突如として襲ってきた魔鳥による襲撃で多くの人間が犠牲になったと言う。

 様々な感情の入り交じる中、ぽつぽつと降り始めた雪が男の心を冷やしていく。


 男は思い悩む。

 この惨状を前にして男に一体何が出来るというのか。


 魔鳥の話を聞いた時点で男は迷っていた。

 騎士団がいるとはいえ、現状ですら街の住民の全てが避難できているわけでもない。

 王都よりさらなる増援が来るとしても、あの魔鳥と呼ばれる化物が膨大な群れとなって攻めて来るとなれば、はたしてどこまで相手ができるものか。


 そして、もしその群れがベリオドンナの街を呑み込んだならば、その先にあるのは男の暮らしているスルナの村がある。


 そんなことは許せない。

 許せるはずがない。


 あの村の人達は誰一人としてあんな化物ばけものに奪われていい命ではないのだ。

 深々と雪の降る中、怒りとやるせなさが綯交ないまぜになり男の握り締めた拳が熱を持つ。





「街の人は後どのくらい残っているのですか?」

 冷気に覆われて普段よりも音が反響する街中に、玉を転がすような声が響き男の耳朶に届く。


「王国騎士団が早めに手を打っていたおかげか、残りは三区画の住人、三千といったところですなぁ」

 落ち着いた様子の、少ししゃがれた声がその問いに答える。


「──思ったよりも多いですね。身を守る術を持たない者も多いと聞きます。残りの王国騎士と増援を合わせても五百。西から来る魔鳥の数を考えると帝国の動きの早さに掛かっていますね」


 会話のする方向に向けた男の目に映ったのは、純白という言葉が似合う聡明そうな女性であった。

 白いころもを羽織りその下には美しい容姿に似合わぬ無骨な甲冑を纏っている。


「長旅の末やっとこさ到着したというのに難儀な事ですのう。しかしクインお嬢、集まった情報から分析すると山場はこのひと月といったところ。魔鳥共の大本が姿を現す時分じぶんまでに、はてさてどれだけの準備ができることやら」

 クインと呼ばれた女性の隣で言葉を発するのは、好々爺といった風体の老人。


 背の丈は低いが背筋は曲がることなく真っ直ぐと天へと伸びている。老年でありながらも歴戦の戦士の風格を持つ。

 身に纏う鈍色にびいろの鎧は老人が潜り抜けた戦場の数を物語っていた。


 腰に帯刀している二振りの剣も併せて見せる立ち振る舞いは、並のものではない。


「ヘム爺、帝国へはヤン導師が働きかけてくれています。今はあの方を信じて私達にできる事を行いましょう」

「かっかっか、腕がなりますなぁ」

 ヘム爺と呼ばれた老人。

 ヘムグランは腕まくりをしながら嬉しそうにクインに返す。


──ギャアアアァァ


 雪が散らつく空に、周囲をつんざ叫声きょうせいと共に巨大な影が陽を遮る。男が天空を見上げれば、そこには無数の異形が飛び交い空を黒く塗ろうとしていた。


 男は咄嗟に槍を持ち身構える。


──その時、雪の間を縫うように高らかに声が響き渡る。


「蒼天を揺蕩う雲のように、座する日輪の庇護の元、嘆きを飲み込み大地に慈悲を。白の塔」


 クインの全身が白い光に包まれる。

 振り上げた右腕から圧縮された魔導が一気に開放され、形を成す。

 大地へと光の収束が始まると、見る間に純白の塔が形成されていって凄まじい勢いで遥か空までそびえ立つ。


──ドンッッ


 瞬間、鈍い音ともに出来たばかりの塔に巨大な魔鳥が衝突する。

 出来上がった塔は破損の一つも許さぬ頑強さを見せつける。出来上がった白い塔は空を舞う魔鳥の渾身の体当たりをものともしなかった。それどころか、触れた先から魔鳥を塔の内側へと呑み込んでゆく。


 男はその力に目を奪われる。


──魔導


 空には未だ数多くの魔鳥がいる。


 白い塔の力に警戒をしたのか、残りの魔鳥は旋回して様子を窺っているようであった。

 しかし、そんな魔鳥達が制圧しているはずの空間に乱入者が現れる。

 人の頭上を遥かに超える天空へと、白の塔を駆け上がりながらその者は颯爽と現れる。

 その人物、ヘムグランは魔鳥と同じ高度まで一瞬で至ると、くしゃりと笑うように面を突き合わせる。


 眼前に突如として現れた小さきものを見つけて敵意を見せる魔鳥。

 魔鳥が大きなくちばしを開く動作を見て、老人は腰に提げていた二刀の剣を一息で抜く。


──烈風


 踊るように突出されたその刃が、空を舞う魔鳥の翼を斬りすさぶ。

 斬ってつらぬいた魔鳥を足場にしながら、ヘムグランは次へ次へと獲物に飛び付く。

 剣を器用に操り、まるで己の腕のように。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 魔鳥の繰り出す爪も、くちばしも、長大な尾ですらも、ヘムグランを捉えることはかなわない。


 四つ。


 五つ。


 六つ。


 触れるものを全て斬り裂く嵐は、如何なるものも寄せつけず。

 その姿、正に一騎当千。

 魔鳥が支配していた空は、一人の小さな人間の出現により一方的な蹂躪を受けることとなる。


 翼に胴に頭にくちばしに、そのことごとくが線を引くような軽さで斬られ地上へと堕ちていく。

 ヘムグランがたおした魔鳥は、しかして大地へと墜ちる前にクインの魔導『白い塔』に捕まり、塔の内側に呑まれていった。


 ヘムグランは息を切らすことなく目に映る魔鳥をたおし終えると、軽快に大地へと舞い戻る。それに合わせて役目を終えたのか白い塔も霞むように消えていく。まるでそこには初めから何もなかったかのように。


「おつかれさまですヘム爺」

「また魔導の腕が上がりましたなクインお嬢」

 ヘムグランは腰をさするように叩きながらクインの傍らへと戻る。


 強大である異形を軽々と討ち倒す二人の技を前にして、男は心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受ける。


 超人の如き動きと底を見せぬ立ち回り。

 魔鳥が数体ならば男としても遅れを取ることはない。

 地を這う魔獣を相手にしても同様だ。


 だが、目の前の二人が持っているのは、そんな男の幻想すらも軽々と打ち砕く程の力だった。


──隔絶された武勇の差


 それは男にとって苦しみに似た感情を呼び起こす。

 思い悩んだ男の中に最後に残った感情は、幼き日の憧憬しょうけいであった。

 目の前には己が目指してなれなかった英雄の姿がある。

 それを知った時、男の口から言葉がついて出た。


「待ってくれ!」

 まるで憑かれたように懇望こんもうする男。


「なんじゃあおぬしは」

「待ってヘム爺……。どうしたのですか?」

 クインの瞳に促され、男は口を開く。


「あぁ、……この街の東、森の中にスルナという小さな村があるんだ。あの化物ばけもの共がこの街を襲ったら必ず村にもやってくる。あんた達の力を見た、どうか村の皆を助けてほしい」

 頭を下げて訴えかける男。


「それは……」

「小僧、随分と簡単に言いよるのう」

 クインの言葉を遮るようにヘムグランは溜息をつくと、その眼差しを男に向ける。


 ヘムグランの眼差しに、男の心は揺れる。


「わしらは今この街に残る命を救わんと動いておる。命をただの積み木のよう扱っては、救える者も救えぬぞ」


「でも……俺では守れない」


「……儂にはそうは思えんがのぅ」

 ヘムグランの眼が男を真っ直ぐに貫く。


──息が詰まる


 英雄の眼。

 男はヘムグランの眼を真っすぐに見ることが出来なくなっていた。


「スルナ村の救助には手を貸そう。だが小僧。今のままではお主、後悔するぞ」

 クインは何か言いたげな様子を見せていたが、ヘムグランに連れられて男の前から姿を消す。





 男は自分の震える手を見る。

 湧き出る感情は核心をつかれたせいか。

 逃げ出そうとした、己の弱さを隠したい一心からか。


「俺は、何を?」

 泣くように声を絞り出す。

 握ることも出来ないその両手は、かつて男が救えなかった者の血で濡れているように見えて仕方がなかった。





 * * *





「ヘム爺、貴方があんなにも言葉を掛けるなんて珍しいですね」

 クインが傍らに控えるヘムグランに声を掛ける。

 いつものように親しみを込めた呼び方で。


「なに、昔のわしを見ているようでむず痒くなっただけですじゃ」

 頬を掻きながら外方そっぽを向くヘムグランに、クインは嬉しそうに答える。


「そんな事を言う貴方が、いつも一番多くの人を救いたいと願い実際に救っているのですね。彼の言っていたスルナの村に巡礼騎士の手配をお願いします。街の皆と合流してから行動した方が安全でしょう」


「それなんじゃがクインお嬢。いや、クイン導師。儂に任せて貰えんじゃろうか」


「ヘム爺、あなたが?」

 言葉を語るヘムグランの表情はクインからは見えない。


「万が一にも助けられんかったら格好わるいじゃろ。皆には迷惑を掛けるが」


「──あなたがそこまで言うのなら、分かりました。グアラドラの巡礼騎士筆頭ヘムグラン・オズ。あなたがいないのは心細いですが、ベリオドンナの民は私と騎士達で守りましょう」


「すまぬな、クイン導師。事が済んだら儂も直ぐに合流する」


 多くの思いが混ざりあい、一つの潮流を生みだしていく。

 いつしか雪は止み、雲の切れ間から陽光が顔を覗かせていた。




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