第四話 三人 前編





 木々の影に隠れながら、金色の髪の少年は何かを探していた。葉と葉の間から目的の物を確認すると、少年は静かな動作で背中にくくり付けている矢筒から矢を取り出し、弓につがえる。


 少年の細い指は矢についた黒鷲の羽根の感触を確かめるように、力加減を調整してゆく。額に流れる汗を拭わない様子からも少年が緊迫した状況に置かれている事が分かる。


 少年の視線の先には、大きな単眼を持つ巨大な緋眼あかめの魔獣が三体いた。魔獣は何かを探しているのか、うろうろと森を闊歩かっぽしている。


 少年は息を止めると同時に矢を引き絞り、精確せいかく緋眼あかめ魔獣の大きな瞳に狙いを付ける。

 獲物が弓の射程に入ると、滑らかな動作で指が離された。


──シュッ


 放たれた矢は風を切りながら、先頭を歩いていた緋眼あかめの頭蓋に寸分違わず突き刺さる。物音を聞いて自分たちが攻撃を受けたことを理解した魔獣が雄叫びを上げる。

 少年はその様子を横目に見ながら即座に身をひるがえしその場を離れてゆく。

 残った二体の魔獣は、少年が踏み鳴らした音に導かれるように猛然と突き進んでゆく。


 倒れた木々を上手くくぐり抜けながら、流れゆく風の如くしなやかな体捌たいさばきで森を駆け抜ける少年。少年が木々を抜け広く開けた場所に出た時、追い掛けてきていたはずの二体の緋眼あかめはいつの間にか一体になっていた。


 仲間が居なくなったことに気付いて背後を見ようとした緋眼あかめの右膝に矢が突き刺さる。


──グオオオオオオオオオオオ


 痛痒つうようを感じているのか、膝に矢を受けて動きの鈍くなった緋眼魔獣は怒りの咆哮ほうこうを上げる。


「ワンワンワンワンとうるさいなぁ」

 逃げ回っていたはずの少年は足を止め、おどけた口調のままくるりと振り返ると、怒りで顔を歪ませた緋眼魔獣と対峙する。魔獣の大きな単眼は見開かれ、赤黒い瞳は怨嗟のこもった視線を少年へと浴びせ掛ける。


 少年と魔獣、彼我ひがの距離は三十歩程。

 少年は魔獣のそんな視線を意に介さず、半笑いのまま弓に矢をつがえて──


──放つ。


 矢は緋眼の無傷な左膝に刺さり魔獣は完全に機動力を殺がれる。

 その姿を見ても尚、少年に淀みはない。


 流れるように矢をつがえ、放たれる矢。

 二の矢は魔獣の健常な右肩へと突き刺さる。

 少年の動作に揺らぎはなく、自然な流れで繰り返される。


 少年の手が背に向けて動く。

 矢筒から抜かれた矢が円を描くように流麗につがわれて、


──放たれる。


 三の矢は魔獣の左肩を射ち抜き、衝撃で魔獣が僅かに後退する。

 天から糸で吊るされているかのようにピンと張られている少年の背筋。

 少年の動作は美しく精確せいかくに行われてゆく。

 魔獣は今、己がどうなっているのかも理解出来てはいないだろう。

 少年は矢筒に手をやる──


──構え


 魔獣は傷を修復させながら、ゆっくりと少年へ迫る。


──打ち起こし


 天高く上げられた少年の腕は弓とともに脈動するが如く。


──引分け


 つるしなり、少年の耳に心地良い音が残る。


──かい


 呼吸とともに世界が静止する。


──はな


 自然と共に流れ落ち、大地へと還りゆく朝露の如く、放たれた矢は吸い込まれるように緋眼あかめの眼底を貫いた。

 少年は息を吐くとゆっくりと弓を仕舞う。


「なんで自分の方が捕食者だと思うんだろう」

 少年は足取りも軽やかに、動きを止めた緋眼へと近付く。


 緋眼は少年と比べてもあまりにも巨大であった。

 四肢を貫かれ膝をつく緋眼あかめ

 傍から見ればそれは緋眼が少年へと懺悔をしている姿にも見える。


 うなり声を上げ、目の前に立つ少年を威嚇し傷を修復する時間を稼ごうとする緋眼魔獣。

 だがそれよりも早く、少年は腰に備えた剣を鞘走らせて緋眼の首を断った。


「元居た場所に還れよ」

 少年の冷ややかな言葉が地へと伏した緋眼へと降りかかる。

 そこに巨大なつちを持った大男が合流する。


「クルス、大丈夫だったか」

 心配の感情を乗せて、低い声の大男が少年クルスへと声をかける。


「ディー、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」

 クルスは笑いながら自らがディーと呼んだ大男へと無邪気に駆け寄った。


「お前はまだまだひよっこだからな、どこで足をすくわれるか分かったものではない。だが何も無かったなら良かった」

 ディーと呼ばれた男は近付いてきたクルスの頭を撫でる。


「もうっ、僕は子供じゃないよ」

 膨れたような表情を見せるが、満更でもないように嬉しそうにクルスは笑顔を見せる。


──ザッ


 音が鳴る。

 二人が武器を構えた先に現れたのは、緋眼魔獣の別個体であった。

 少しだけ違うのは、先ほどまでクルスが相手をしていた緋眼とは違って、目の前の緋眼はその全身を漆黒に変化させていた。


「まずいよディー、あいつ黒化こっかしてる!」


 漆黒の魔獣。

 魔獣は黒化という変異をすることで、その脅威が飛躍的に上がる。

 仕組みは解らないが、黒化した緋眼魔獣は平時の数倍の硬度へと変質し、その肉体は生半可な力であれば簡単に弾き返してしまう強靭さを持つようになる。


 クルスはそれを知っていたから、慌ててディーの腕を引いてその場を離れようとした。

 だが、焦燥に駆られるクルスと違ってディーはその場から微動だにしなかった。


「ディー!」


「いや、大丈夫そうだクルス」

 ディーはクルスが落ち着くよう目の前の緋眼へと視線を促す。


 ディーの視線の先にある魔獣をクルスが見返すと、その頭頂部には真紅に輝く刀身の剣が刺さっていた。

 次の瞬間、燃え盛る業火が魔獣の全身を覆い尽して一瞬で灰と化す。


「ディー、クルス。怪我は無いか」

 無骨な鎧を身に纏い、上から白の道衣を羽織った男がやってくる。


「サイ兄!」

 クルスが名前を呼んだ男は、右に左に首を振りながら草臥くたびれたように溜息を漏らす。


「斬っても斬っても湧いて出る、本当に疲れることだ。大災害、魔獣グアヌブの本体どこへやら」

 飄々とした態度のまま灰となった魔獣の亡骸から真紅の剣を回収すると、サイは二人のいるほうに歩いてゆく。


 グアラドラの導師であるサイと、導師の従士的な役割を持つグアラドラの巡礼騎士であるディーとクルス。

 三人は一年前に災厄をもたらした魔獣グアヌブを探すために各地を放浪していた。


 聖女の予言した大災害。

 予言には段階がある。

 後になればなるほどにその規模は大きくなり、対処が難しくなる。

 導師の役割とは、予言の最終節にある終焉が来たる前にその全てを討果うちはたす事にある。


 サイ達が追っている緋眼の魔獣グアヌブは一年前にグアラドラのヤン導師が直接相手をした魔獣だ。

 交戦的な緋眼魔獣の中でも特殊で、形成が不利になるとすぐに穴に隠れ逃げ出すという臆病さも持ち合わせている。


 頻出する魔獣の多くがグアヌブの亜種とも呼ばれるものであったから、これ以上被害を広めぬためにもサイが逸早いちはやく見つけ出し討伐せねばならない。


 だがそんな思いとは裏腹に、状況は遅々として進みはしなかった。

 サイ達がグアヌブの探索に出て既に一年が経っている。

 伝え聞く話によればすでに第二の大災害も現出げんしゅつしたと聞く。


 このままの状態を放置すれば魔導王の目覚めの前に、大災害の波に飲み込まれて全てが滅んでしまう。


 サイ自身は魔導王の存在に懐疑的であったが、魔導の力は身を持って理解していたし、何よりもサイはヤン導師を信じていたから、魔導王の存在はそれほどサイにとって重要ではなかった。


「サイ兄、やっぱりこっちの地域には他より魔獣が多くいるみたい」


「ふーむ。魔導は相も変わらずここいら一帯を指し示しているみたいだが、本体かどうかまではわからんな。いやはや、手間だが一度近くの街に寄る必要があるか」

 サイは己が身に宿した魔導を利用することで、大地に顕在けんざいする歪みを辿りながら魔獣グアヌブの行方を探していた。


 それなりに魔獣を狩れはしていたが、グアヌブの眷属が見つかるばかりでいまだ大きな成果は得られていない。

 こうも偽物を掴まされると、人伝ひとづてに情報を集めて潰していくしかないが、サイの悩みは尽きそうにない。





 * * *





 一帯の魔獣を狩りつくした後、サイ達は近くの街に寄り周辺で魔獣被害がないか情報を集める事にした。

 サイ達が流れ着いた街の名をベリオドンナという。

 

 住人達は慌ただしく動きまわり、そこらじゅうが喧騒に包まれている。街の中心を通る大通りには大声が飛び交い、その姿は活気に満ち溢れていて商売に生を出す者達が目に入る。


 ベリオドンナの街の人口は軽く一万人を超える。

 その中には街の守護や治安を維持するため警邏、王都より赴任している騎士団も六百余名存在している。


 ここ数百年は近隣諸国で戦乱の気配もない。

 グラム王国が隣接している地域には、超大国であるルード帝国が存在していたが、国同士が同盟を結んでいることから、これといったいさかいもなく民間の交流も盛んに行われていた。


 物珍しそうに露店を見て回るクルス。

 それを横で歩きながら親のように見守るディー。


 その様子を後ろから眺めつつも、サイは雑踏の中に情報が転がっていないか耳を傾け、周囲の様子を窺っていた。

 音は乱雑に見えつつも一定の方向へ流れているようだが、ふとしたところに違和感を覚える。

 その正体が何なのかサイは掴めずにいた。


「ディー! あれ何だろ」

 無邪気に露店を見回りながら、久々に生まれた休息をクルスは堪能していた。ディーも大きな身体を縮こまらせながら、クルスが興味を持った物を一緒になって見ている。


「こうして見ると、親子だな」

 サイは二人を見ながら笑みを浮かべる。


 だけどこうも思う。

 大災害が幻のままであれば、年若いクルスは戦いの中に身を置くこともなかった。

 だがそんな思いももはや夢幻ゆめまぼろしにすぎない。


 一年前、サイは遭遇してしまったのだ。

 ヤン導師より幼い頃から聞かされていた聖女の予言と魔導王の伝説。

 それを裏付ける魔獣という存在に。


 平和なままであればよかった。

 魔導を得て力を持つ身であるがゆえに、サイにはそう思えてならなかった。


「今更……か。俺はヤン導師を信じるだけだ」

 消え入るようなサイの想いは街が奏でる鼓動に飲み込まれて消える。





 * * *





「騎士達の動きが慌ただしい。何かあったみたいだな」

 夜も遅いころ、その日の宿を取った食堂で飯と酒を嗜んでいたサイは、視界の端で感じ取った違和感をそのままディーに伝える。


「確かに様子がおかしい」

 ディーも腰を浮かすように辺りの様子を窺う。


 この卓には今、サイとディーの二人しかいなかった。

 クルスは一人早めに部屋に戻り就寝の準備に入っている。


 二人は食堂の端から全体を見渡せる位置で食事を取っていたが、その三つ隣の席では軽鎧姿の男達が食事をしていたはずだ。

 はず、というのは、少し前に静かに入ってきた男が席に付くでもなく彼等に近寄って話をした後、席を離れたからだ。


 彼等が王国騎士団の人間だというのは身に纏う装備を見れば一目瞭然であったし、物々しい雰囲気で席を立つ様を見れば只事ではないという事態も伝播でんぱしてくる。


「ディー、クルスを頼む。俺は少し様子を見てくる、注意しろ」

 サイは言葉少なめにディーに警戒を促して、騎士達の後を付ける。

 ディーも即座に行動に移しクルスのいる二階へと駆け上がる。


 ひと呼吸遅れて外から爆音がとどろいた。

 建物全体が激しい振動を起こし、唐突な衝撃に対して悲鳴が起こる。


 外に駆け出たサイが目にした物は治安維持の騎士達が相対しているもの。


──魔鳥。


 漆黒の胴体と、鋭いくちばしに長大な尾。

 大人を三人並べてもまだ足りない程に巨大な鳥。


 辺り一面に粉塵が飛び交う。

 怒号と恐怖。

 その場にはありとあらゆる感情が溢れていた。


 体内の魔導を練りながらサイは冷静に魔鳥を見る。


 サイがヤン導師より学んだ魔導。

 それは大気中に揺蕩たゆたう魔導を身体の内に招き入れ循環させる事で、超人的な力を得るというものだった。


 魔導というものは扱う人間の特性によるのか発現の仕方が千差万別に異なる。

 体内で魔導を循環させ続ける事により、より大きな魔導を行使する事が可能になり、魔導自体を外界に顕現させる事が出来れば導師としての役割を与えられる事になる。


 人々を救い、導く為の導師としての役割を。

 全てを焼き尽くす炎剣えんけんはサイの魔導の最たる物であった。


 魔鳥は飛翔し、より優位な場所から眼下にある人間達を見下ろす。

 空を飛ぶ相手に対して近接特化であるサイの魔導は相性が悪かった。


「サイ導師、待たせた」

「サイ兄!」

 ディーとクルスが背後よりやってくる。


「クルス、あれの翼を狙えるか?」

 サイがクルスに話し掛けると、クルスは頷き即座に弓を構える。


「ディー、落ちたら二人で叩く」

「わかった」

 クルスとディーの返事を聞くと、サイは己の力を分け与えるように魔導を集め、クルスの肩に手をやる。


 クルスの体内にサイの膨大な魔導が流れ込む。


 クルスは幼い。

 だがそれでも導師を補佐するグアラドラの巡礼騎士としてディーと共に、サイのともを担う。

 導師とともに行動する巡礼騎士。

 それはグアラドラのともがらにとっても、誇り高い事である。


 クルスは目を凝らし魔鳥の動きを見極める。

 魔導の蒼い光がクルスの瞳に宿る。


 ギリギリと引いた弓のつるが高い音を出しながらしなり続ける。


──かい


 魔鳥は翼を一度大きく羽ばたかせると、騎士の牽制に対して己の尾で払いのける。

 魔鳥はその巨大な見た目とは裏腹に軽快に空を飛び回る。

 緊張のせいか、クルスは自身の心臓の鼓動の大きさを知る。

 しばらくして魔鳥はくちばしを大きく開き、威嚇する様に鳴き声を上げた。


 魔鳥の動きが止まる、その瞬間にクルスの指が動く。


──はな


 クルスの指先から圧縮された力が開放される。

 風を切って一直線にクルスの矢が空にある魔鳥へと飛翔する。


──刹那


 大空を悠然と舞っていた魔鳥の片翼が根本よりぜた。


くぞ!」

 サイとディーは魔鳥の予測落下地点に向けて走る。


 ダン、ダン、ダンと地面を揺らしながら、ディーは空気を掻き分け巨体を前に押しやる。

 ディーは身体が大きく、持っているつちも巨大だ。

 だが、大地を力強く踏みしめながら駆けるその速度はサイよりも速い。


「うおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ」

 大上段より振りかぶったディーのつちが、地上に落下して藻掻くように身を起こそうとしていた魔鳥の頭部を圧し潰す。


──ドゴオォッッ


 轟音と共に魔鳥が地面に縫い付けられる。


 追ってきたサイが跳躍すると、そのまま真紅の剣で魔鳥の胴体を貫く。

 ずぶりと突き刺ささってゆく剣は魔鳥に一切の抵抗を許さない。


「あぁ……第二の大災害、か」

 差し込んだ剣が炎化し魔鳥を燃やし尽くすと、サイは思い出したようにそう言う。


「もう猶予がないという事なのかね」

 辺りを見渡せば慌ただしく警邏の騎士達が被害にあった市民を救護していた。多くの建物が倒壊し、倒れている者も多い。


 たった一体の魔鳥を相手にして、被った被害は甚大だ。

 クルスとディーの表情も曇っている。魔鳥を討伐したというのに周囲の様子を見たせいで不安が顔を覗かせているようだ。


「いやはやだな。だが一つ言えることがある。良くやった、ご苦労さんだ」

 サイは剣を仕舞い、ディーとクルスの肩をねぎらうように後ろから強く叩く。


 長年顔に染み付いてしまった皮肉っぽい表情を、不器用な笑みに変えて。




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