第三話 名前のない男 後編





 その日も雪が降った。


 周囲を森の木々に守られしスルナ村は比較的大雪たいせつになる事もなく、冬の時期であってもそこまで被害を受ける方ではないのだが、今年は違った。


 数日に分けて散発的に雪が降り続けたせいもあり、このままの状態が続けば日を浴びても雪が溶けぬくらいに気温が下がるだろうと予想はできたが、案の定である。スルナ村には一月ひとつきの頭に一度、馴染みの商人が往来しているのだが、この雪の降りようでは荷を積んだ馬車も思うようには動くまい。


 約束の時刻を過ぎるであろうというテオの予感は当たり、予定の日は終日をかけても商人が到着することはなかった。


 余裕を持って取引をしている為、そう簡単に村の備蓄が尽きることはない。

 だが、雪が止んでから二日経っても、三日経っても商人はやって来なかった。


 商人の住まう街はスルナ村から馬車を使って片道で三日程の距離であるため、そこまで遠いというわけではない。

 もしかしたら街の方ではスルナ村の周囲よりもさらに雪の降りようが激しかったのかもしれない。


「道中で何か起こっている事も考えれば、人を出さねばならんか」

 村の顔役であるテオは、急遽村に降りかかった問題に頭を抱えていた。

 冬の時期は村の中で寒さをしのぎ、暖かくなる春を待ってから本格的に働き出すのが慣例であったからだ。外に出るという選択肢を選ぶには決断が必要だった。


 スルナ村から街へと通じる道は一つである。行き違いになるということもないから、村から馬を出せば道中で状況も知れるだろう。何らかの理由で商人が来られないとなると、そのまま森を抜けて街へ向かう事も視野に入れる必要がある。


 商人の住まう街の名をベリオドンナという。

 テオたちの住んでいるスルナ村は三百人を若干割る程度の本当に小さな村であったが、ベリオドンナの街には少なくとも一万人以上の人間が生活をしている。


 何か先方で問題が起こっていた場合、迅速に新たな商人を手配しなければならない。


 決断は早いほうがいい。

 テオには小さいながらも村を纏めるという立場もある。


 テオ自身が村の外に出ることは難しいが、それならば狩人として仕事をしているあの男に任せてもいいかもしれないと、テオは考えていた。


 最近は男の表情もましになってきてはいたが、まだまだ本質的な部分、人が生きる上で必要な根源的な何かが足りない。

 テオ自身は選んでこの村に住んでいるから、今の暮らしについてなんら思うところはないのだが、あの男は自ら選んでここにいるわけではない。


 何かから逃げてきた結果としての現状であれば勿体ないとも思う。


「良い時期ではあるのかもな」

 テオは少し考えた後、鍛冶小屋の奥に仕舞っていた物を取り出すことにした。


 望む望まざるに関わらず世界は変容してしまった。

 この異常な気象も、もしかしたらただの雪ではないのかもしれない。


「目的地へ至る道は一つではないか」

 テオは迷いを振り切るように考えを決めると、小屋を出て男を探しに行く。

 気が付けば空と混ざり合いながら淡く溶け込む様に、少し暗くなった空を細雪ささめゆきが舞っていた。


  



 * * *





「俺が街に?」

 久々の珍しい客人を相手に、茶でもてなそうとしていた男の手が止まる。


「そうだ。予定の日程を過ぎても商人が来る気配がない。ただ遅れているだけならば待てばいいが、何らかの理由があるのならば一度確認せねばならん」

 顔を上げた男の目を見てテオが言葉を伝える。


「あなたには感謝している。俺に出来ることであればやりたいが、いいのか?」


「馬は用意してある。なに、今更お前を疑うということもない、気にするな」


 スルナ村で一年を共に過ごした男。


 その時は短いようでいて人生を考えると長くもある。

 とはいえ、男は元々外部の人間であり村の人間ではない。

 余所から流れ着いただけの根無し草だ。


 貴重な馬を貸し与えて、村にとってもとても重要な仕事を任せるというのは意外であると、男は思った。

 だがそれと同時に、男はこのテオという一人の男に認められた気がして嬉しくもあった。


「その任務、任された」


「頼む。ついでだ、これを持っていけ」


 男がテオから差し出されたのは、布に包まれた大きくて細長い形状の物質であった。

 男はテオから手渡されたものを手に持つと、少し緊張した面持ちで布によって封じられている紐を解いてゆく。


「これは……」

 布を解いて輪郭を現したもの。それは、長大な槍であった。


 普通の槍ではない。

 闇夜を思わせる漆黒の柄と、頑丈な金属で覆われた石突き。

 さやを外して見える穂先の刃長はちょうは長く、剣とも優に打ち合える程の幅を持つ。


 獣であればその重みだけでも両断出来るであろう重量。大身槍おおみやりと呼ばれる業物であった。


「お前が何者なのか俺は知らん。だが、それは持っていけ。駄目になっていた穂先は替えておいた。近隣に野盗が出るなどの話はついぞ聞かぬし、魔獣とやらもそうそう出くわすわけではないだろうが、元々はお前の物だ。旅の役には立つだろう」


 男は震える両手でしっかりと柄を握る。


 ずっしりと背中まで伝わる重みに、懐かしい緊張感を思い起こして男の鼓動が早くなる。

 手の震えを抑えることは出来なかったが、それでも手放すべきではないと男の本能が訴え掛けてくる。


「理由があってそいつを手放した事は分かる。だが、鍛冶職人としての俺が言えるのは、そいつは紛れもなくお前の一部だってことだ。迷いがあろうとも気にするな。歩みを止めぬ限り、その迷いはお前に追いつくことは出来んだろうさ」


 男はその槍を見て思い出す。

 父に憧れ、英雄を目指していた幼き日の己を。


「俺の中の英雄……」





 * * *





 顔を覆うように防寒布を巻き、男は街道にいた。

 スルナ村のある森を出てからしばらく経っていたが、男は背にくくった槍の重みを全身に感じながら馬を走らせる。


 街に着くまでの間に道中で一夜を過ごす事になるが、街との中間地点に丁度休める場所があると聞いている。


 日はまだ高いがそれでものんびりとはできまい。

 村にはまだまだ余裕があるとはいえ、問題を解決するのならば早いに越したことはない。 


 男は事ある毎に周囲に気を配る。

 スルナ村から街に向かうにつれて、やはり積雪が高くなっていると男は感じていた。

 踏み込む馬の脚も少しずつではあるが緩慢になってゆく。


 道中、森を抜けて街道までの道のりで男が他の人間を見る事はなかった。日頃であれば旅人の使うであろう大街道に出てからもその様子が変わることはなかった。


 天候が不安定で雪がいつ降るとも分からない状況ではあったが、それにしてもである。


 それに、男は目にみえて寒気を感じるようになっていた。

 男の口から漏れ出る吐息は白くなり、気温の変化を物語っている。


「街に近づくにつれて寒さが増しているのか?」

 ふいに口から出た言葉も、実感が伴えば妙に真実味を帯びてくる。


 そんな時、男は村を出てから初めて人を見つける。

 距離的には男のいる場所からまだまだ遠いが、数台の馬車が集団となって街道を走っている。

 入れ違いの商人であればいいとも思ったが、様子を見ればどうやら違う。


 通り抜けに馬車の主に話を聞こうとしたが、帰ってきた言葉は男がおよそ予想していた答えとは違っていた。


「あんたも早く逃げた方がいい。西から魔獣の大群がやってきているんだ」

「魔獣の大群?」


「そうだ。王国の騎士団が対処してはいるようだが、あまりにも数が多すぎる。急がないと巻き込まれちまうよ。悪いことは言わない、街の方には行かないほうがいい」

 さらに詳しく話を聞いてみると、ベリオドンナの住人の多くが既に街から避難を始めているという。


 焦りがあったのか、そう言い残すと馬車の一団は足早に去っていく。

 家族を連れ立っていたのか、すれ違う時に子供が馬車の幌から顔を覗かせたのがちらりと見えた。


「どういうことだ? 街から人が逃げ出すほどの魔獣の大群だと……」

 男の額を嫌な汗が伝い落ちる。


 本当であれば商人と交渉どころの話ではない可能性が出てくる。

 引くか進むか、男に迷いが生じた。


 魔獣は西から来ているという。


 ベリオドンナの街を挟んでその先には広大な草原があり、更にその草原を越えた先には隣国であるルード帝国との緩衝地帯として砦があるのみだ。


 魔獣が一体どこからやって来ているのか、考えてみても答えは出ない。

 だが、話がそこまで喫緊きっきんの問題であればスルナ村の人たちにも危害が及ぶ恐れがある。


 先程の集団も王都へ避難をしようとしていたみたいだが、村の人間を連れ立つにしても準備が必要になるだろう。

 世界は一体どうなってしまったというのか。


 対策を練るにしても村に帰るにしても、手持ちの情報が少なすぎるため男は街を目指すことを決める。

 何をするにしても詳細な情報が必要であった。


 急ぎながら道を進んでいた男は、嫌な予感を感じて空を見上げる。

 真っ黒に染まる空は、男に不吉な予兆を感じさせる。


 先ほど分かれた人間達とは違う方向から馬のいななきが聞こえる。


 男は目を凝らすように嘶きのする遠方を見る。

 空を飛ぶ巨大な化物鳥。

 それに二十人程度の集団が襲われている。


 悲鳴が聞こえた瞬間、男は馬の腹を蹴る。

 全力で馬を走らせながら見えてきたのは、鎧を着た人間が空へと剣を振るい、中心に集まった人達を懸命に守る姿だ。

 剣を持つ者達はグラム王国騎士団の鎧を着ていた。


 集団が対峙している巨大なものは、黒い体毛に覆われた胴体と異常に肥大化した両翼を持ち、一尺いっしゃく以上はある刃物のようなくちばしを持った化物のような鳥だった。


 尾は深緑を更に濃くしたかびのような気持ち悪い色味を持ち、揺れ動きながら蛇のように空を漂う。

 姿は確かに鳥に近いのだが、そう呼ぶのがはばかられる程の異様さを持っていた。


 怪鳥とも呼べるそれは、自らの頑強さを見せつけるように長大な尾で騎士達の剣を弾き空を舞う。


 騎士達は中央に集まった人間達を囲むように円状に整列して戦っていたが、化物鳥の軽快な動きに為す術を見出みいだせずいるようであった。


 化物鳥は背に持った巨大な翼で風を巻き起こしては、空という空間を縦横無尽に飛び回り被害を拡大させていく。


 男は馬に騎乗したまま、己の背に括り付けていた槍に手をやると、機敏に両の手を使って正面で構える。

 力を込めて握り締めた指は、何かを掴み取る為に必要な覚悟を男に思い出させる。

 鞘を払い、馬をさらにはしらせる。


「行くぞ!」


────迅速果敢じんそくかかん


 姿勢は低く、風すらも切り裂くように速度を上げると、そのまま人間達の集団に迫ってゆく。

 騎士達が気付いて男を見るが、男は化物鳥から目を離さない。


 馬体もろとも風を巻き込みながら突き進む。テオから借り受けた馬は、鳥への畏怖もなくさらに脚を加速してゆく。

 最大限に加速が付いたところで、男は馬の背を蹴るようにして勢いのまま宙に身を委ねた。


「うおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ」

 自らを鼓舞する叫びと共に全身全霊を掛けて槍を突き出す。


────雷轟電撃らいごうでんげき


 耳に残るのは滑るように肉を断つ音。

 化物の胴をやすやすと貫く刃。

 全身を使って身をひるがえしながら槍を振り切り、化物鳥を両断する。


 勢いを止めぬまま滑るようにして地面に足をつけると、砂煙が巻き起こった。


 化物鳥を怯えた様に見つめていた視線が男へと集まる。

 男は深く息を吐いて、振り返り自らが屠った獲物を見る。

 テオに用意して貰った槍は男が思っていた以上の力を見せてくれた。


 手に震えはない。


「──もう、大丈夫だ」

 己自身に言い聞かせるように、言葉が自然とこぼれ落ちた。




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