第二話 導師 後編





 ヤンの声を受けて、オーリンとリバックは駆け出す。


 黒穴より這い出ようとしていた存在。

 あれの姿を少し見ただけで、オーリンの奥底に潜んでいた恐怖が目を覚ます。


 オーリンは麻痺していただけなのだ。

 強大な力を持つヤンの庇護ひごの元、オーリンは勘違いをしてしまった。


 己の武を持ってヤン導師と同じように、あの化け物達を何とか出来るのではないかと。

 だからこそ、ヤンの鬼気迫る声を聞いた時、オーリンは躊躇ちゅうちょなくその場を離脱した。


 思い上がりもはなはだしい。

 オーリンとリバックの二人は必死に草木を掻き分けながら道なき道を行く。


「オーリン、取り敢えずは山をくだる。出来る事なら王国の部隊と合流できればいいのだが。流石に俺達だけでは相手に出来そうもない」


「あれは……ヤン導師でなければ相対することすらかなわぬ化物だった」

 事実を口にして、オーリンの言葉が詰まる。

 そんな事はオーリンにとって生まれて初めてのことであった。

 初めて魔獣と対峙した時ですら己の意地の為に怒りを捻り出せたというのに。


 だが今はどうだ。


 そして、そんな言葉を迂闊にも吐いてしまった事を理解したとき、オーリンは拳を握り締め悲壮な表情で奥歯を噛む。


──グガアアアアアァァァァァァッッ


 そこかしこに存在する森の暗闇から、無数の号哭ごうこくと共に魔獣が襲い来る。


「くそっ、もう囲まれてるぞ、オーリン!」

 飛び掛かって来た魔獣の腕を盾で逸らしながら、振り向きざまに一太刀で魔獣の首を斬り落とすリバック。

 オーリンも自らの首を狙って牙を剥いてきた魔獣の眼を槍の一突きで穿つ。


 突きは入ったが、魔獣は傷付いた眼を見る間に修復させていく。

 オーリンは魔獣が硬直した隙を狙ってさらなる一歩を踏み込む。


 槍の刃先を器用に操り、身体の伸縮と膝の反動をつけて上方に抉りながら穂先を魔獣の脳髄深くまで差し込むと、一気に自分の身体を引くようにして上方へと切断しきる。


 魔獣の特性として分かったことがある。首を撥ねるか頭の奥底を破壊すると強靭な再生能力を停止させることが出来るという事だ。


 それでも無尽蔵に湧き出るそれらを相手に、二人の体力はジリジリと消耗していく。

 足を止めずに突っ切ろうとするが数十歩進む度に足止めをくらう。

 二人は互いの死角を消すように二人で魔獣を狩る。


 鎧を着ているとはいえ動きやすさを重視している軽装のオーリンに対して、魔獣が横手から襲い掛かる。

 対してリバックは魔獣の進路に入り込む。身に纏った鎧と同じくらい頑丈な盾を駆使し魔獣の牙を反らす。


 反れた勢いのまま突き進もうとする魔獣を背後から追うようにオーリンが助走をつけて跳ぶ。勢いをつけて突き下ろされた槍が魔獣の頭蓋を上空から串刺しにする。


 刺している槍を引き抜く瞬間を狙い、さらなる魔獣がオーリンへ飛びかかった。

 オーリンはその状況を空中で精確に判断すると、槍を手放しさらに高く飛んだ。攻撃の相手を見失った魔獣を、リバックが背後から斬り捨てる。


 リバックの一撃で魔獣が治癒の為に一時的に沈黙するのを見て、オーリンは槍を拾いそのまま魔獣の頭を破壊する。

 オーリンとリバックは交互に攻撃対象を切り替える事によって、魔獣の猛攻を一つずつ対処していた。


 二人が同行していた時にヤン導師が葬った魔獣の数は百や二百では利かない。

 だが未だに魔獣の追撃が終わる気配はなかった。


 向こうでは今頃どうなっている事か。


 ヤン導師の強大な力を知ってなんとでもしてしまいそうな雰囲気はある。だが別れ際の状況を考えれば予断を許さない。オーリンが心配出来るような状況ではないのだが、それでも空白の時間が生まれるたびに、不安が頭をよぎってしまう。


「オーリン!」

 切羽詰まったようなリバックの声に気が付いたオーリンが目にしたのは、目の前に拡がる闇。

 あらゆる光を遮る深淵がオーリンの眼前に現れていた。


 円状に存在し、ふちを歪ませながら存在する黒穴。

 それがいつ現れたのかオーリンは認識出来なかった。

 ひと呼吸前にはたしかに無かったそれ。


 そこから覗き見えるのは、絶望をかたどる血濡れた緋色の単眼。

 今まで相手をしていた魔獣とは桁の違う威圧感。


「何で……」

 驚愕に染まるオーリンの顔を捉えようと漆黒の腕が伸びる。


「うおおおおおおおおおぉっっっ」

 その瞬間、リバックがオーリンを突き飛ばす。


「そう簡単にやらせてたまるかよっ」

 裂帛れっぱくの気合いとともに振るったリバックの剣が、新たに出現したその魔獣の腕を叩き斬るための軌道を描く。


 だが、打ち付けた瞬間に硬いものを叩いたような鏗然こうぜんとした音が鳴り響く。

 魔獣の皮一枚を裂いた程度でリバックの渾身の一撃は止められていた。


 その動作をじっと眺めていた魔獣の瞳が、ぐるりと色んな方向に動いた後、焦点を合わせるようにリバックの姿を捕らえる。


 よく見るとその魔獣は緋色の眼から赤黒い血を流していた。

 しかし、その血も瞬きの間に煙を吐き修復が終わる。


 そのまま魔獣は有無を言わさずリバックの腹を抉るように打ち付ける。

 リバックの鎧は完全なる破壊を免れたが、身体はくの字にまがり、肺の空気を全て押し出すようにリバックの呼吸を止める。


「がはっっっ」


──息ができない


 衝撃の余波でリバックの頭部を守っていた兜が飛び地に落ちる。

 灼熱色の鮮やかな髪が流れ落ちて苦悶の表情が晒される。


 口の端から血が流れ落ちる。

 魔獣の強烈な一撃で内臓がやられたのか、リバックの身体は鈍く止まる。


 宙に浮いた身体が落ちて来た所に、人の胴ほどは優にある魔獣の巨腕がゆらりと伸びた。


 リバックの頭を無造作に掴むと、ギリギリと力を込めてゆく魔獣。

 情動じょうどうもなく、ただ漫然まんぜんと破壊を行うように。


「リバック!!」

 魔獣から救われたオーリンは、直ぐ様槍を突き出し魔獣の巨大な緋の眼を狙う。

 だが、魔獣の緋眼はオーリンの一撃を受けても微動だにしなかった。


 オーリンの全体重を乗せた渾身の一撃を持ってしても、皮膜一つ貫くことがかなわない。それどころか、瞬間に加わった衝撃に耐えきれず、槍の刃部分であるひびが入る。


 オーリンは眼前にある魔獣を知っていた。

 こいつは、間違いなく先程までヤン導師が相手をしていた存在。


 これが目の前にあることでヤン導師がどうなったのか、考えたくない想像がオーリンの頭をよぎる。


「あああああああああああ」

 絶望がオーリンの表情を翳らせようとした時、魔獣グアヌブに掴まれていたリバックの身体が一瞬膨張したように見えた。


 絶叫に近い大声で周囲の空間を圧倒する。

 離れた所に数多いた魔獣共も、リバックの声を聞いて動きをとめる。


 リバックの灼熱を思わせる鮮やかな髪が輝いてゆく。

 生命を思わせる瞳もまた赫赫あかあかと光を放つ。


「俺は、こんな所で、死ねんのだああああぁぁぁ!!」

 リバックの憤怒の声に魔獣も負けじと力を込める。


 魔獣の腕を挟み込むようにリバックは両腕で左右から力を加える。

 人の手で掴むには大きすぎる魔獣の腕を。


 魔獣の瞳をリバックの憤怒の眼光が貫く。


──ドゴォッ


 その刹那、鈍い音と共に魔獣グアヌブの漆黒の腕がひしゃげる。

 魔獣グアヌブは変な方向に折れ曲がった自身の腕を気にする様子もなく、残った腕をリバックへと伸ばす。

 そっと手を添えるようにリバックの左手が力の指向性を逸らすと、地に落ちていた剣をひろい回転しながら水平に薙ぐ。


 灼熱色の髪が鮮やかに、オーリンの目に焼き付く。

 するりと魔獣の脇の下から刃が通り、先程までの頑丈さは欠片も見えぬ程の呆気なさで魔獣の身体を半ばまで切断する。


「オーリン……」


 リバックは剣を握り締め、力が抜けてゆく身体を支えるように足を踏ん張り持ちこたえる。

 刃は魔獣の身体に呑まれたままであったが、それ以上動きそうにもない。

 リバックを無数の深淵たる眷属が囲んでゆく。


「生きろオーリン」

 リバックは動かなくなってしまった剣から手を離す。

 尋常ではない程に無理をさせている肉体が悲鳴を上げ、口からは血が流れ落ちてゆく。


「お前は生きろ」


 リバックはゆらゆらと覚束ない足で、オーリンの落とした槍を拾う。

 その瞬間もグアヌブの身体が修復を始めている。

 それに呼応するように周囲の魔獣も動きはじめる。


「俺はいつも逃げ出したかった。でも逃げられなかった」

 今にも消えてしまいそうなリバックの小さな声。

 だがその言葉ははっきりとオーリンの耳にまで届いた。


「リバック、何を……」


 無数の魔獣はリバックの姿を覆い隠す程に増え続けてゆく。


「俺はお前が羨ましかった。お前は、俺が幼き日になくしてしまった英雄のようだ」


 リバックは襲い来る魔獣に槍を構えると、ごく自然体なままに切り裂いてゆく。

 槍の穂に入った傷を物ともせずに、槍は魔獣の胴をするりと抜ける。

 風が唸る。魔獣は吸い込まれる様にリバックに向かっていくが、その全てが瞬時に貫かれた。

 その動きはオーリンの演舞によく似ていた。


「大災害も、家も関係ない。使命なんて欲しくはなかった」


 リバックは泣いていた。


「幸せに皆と生きられればそれだけでいい。何もいらない。だけど最後の最後に誰かを守れたのなら、悪くない」


 リバックの鮮やかな髪と同じように、かつてオーリンが褒めた鎧はリバックの血で朱く染まっていた。


「だけど、そうだな……。マーク、シイナ。もう一度、お前達に会いたかったなぁ」





 魔獣グアヌブの腕がリバックを貫く。





「あぁ、死にたくねぇな……」





 * * *





 静謐せいひつという言葉が似合う、その空間に色は無かった。

 時が止まったように動くもののない、その空間。

 ただただ広いその空間には、絢爛たる玉座とそこに座する少年の姿があった。

 その姿は目をつむり眠っているようであった。

 生きているのか死んでいるのかすらもわからぬ程に、微動だにしない少年。

 少年の周囲では虹色に輝く蝶が舞っていた。


「……オーリン」


 虹色の蝶が意思を持つように、揺蕩たゆたい、そして消える。

 音もなく色もないその世界で。





 * * *





 鼻をくすぶるような血の匂いに満ちた戦場跡。

 それは戦とも言えぬ満足に戦えぬ者たちの墓標でもあった。


「遅かったであるか」

 ヤンは悲しそうに一点を見つめる。


「ヤン導師、既に多くの被害が出ている」

 サイ・ヒューレは感情を押し殺すように、ヤンに話し掛ける。

 ヤンは目をつむりサイの言葉を心にしまう。


「多くの者が死んだ。願わくば、王よ。……我らが王よ。我らの愛しき幼子達が、安らかなる時を迎えるその日まで、どうか……」


 ヤンの言葉はただ虚しく風音に混ざるように消える。


 その言葉に応えられる者は、誰もいなかった。




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