エピローグ
シシリーが執務室に飛び込んできた後、クリムローゼ伯爵家は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。掛かり付けの薬師が呼ばれてシシリーの容態を診察する。
同時に、シシリーの側仕え達から事情を聴取した。
まず、服についた血はなぜか簡単に取れたそうだ。
理由は分からずとも、喜ばしいことに変わりはない。という訳で、メイドが届けてくれた服をシシリーに見せると、どうしても来てみたいと言い出した。
そんな主の願いを叶えると、あんな風に元気になったのだという。
いくらなんでもテンションが上がりすぎである。
――と、そんな感想を抱いたリリス達だが、薬師の報告を聞いて更に驚くことになる。シシリーの身体がどう見ても健康体そのものだと報告されたからだ。
その事実を聞かされたリリス達は目を見張って、最初は信じられないと疑った。だが、何度確認しても、シシリーは健康体だという。
それが事実だと理解したリリス達は、シシリーに抱きついて涙を流した。
しばらくして、姉のナナリーが報告を聞いて外出先から飛んで帰ってきた。そうして家族で喜び合っていると、リリスはグリムから話があると部屋から連れ出された。
グリムについて歩き、執務室へと移動する。ローテーブルを挟んで向かい合ってソファに座ると、グリムが静かに口を開いた。
「しばらく観察が必要だが、本当にシシリーが元気になったのなら色々と事情が変わる。おそらく、次期当主の座はシシリーに譲ることになるが、おまえに異論はないか?」
「はい、むしろ望むところです」
「……そうか。分かった。ではアルフィー男爵の件も解決だな。病気という名目で当主の座を降りてもらい、次期当主はこちらが用意した者に変わってもらう」
実質的なお家乗っ取りであるが、もし真実を明かせば多くの血を流すことになる。一番平和的で、クリムローゼ伯爵家に取っても利のある選択である。
こうして、アルフィー男爵の命運は決した。
彼は療養という名目で、残りの人生をずっと狭い部屋の中で過ごすのだ。
「ところで、シシリーは服に着替えた瞬間に元気になったという話だが、おまえはなにか心当たりがあるか? あれは、ノエルが作った服なのだろう?」
「……そういえば、早めに試着するようにと言っていたそうです」
「ふぅむ」
もしもシシリーの復調の理由が服に着替えたことであるならば、ノエルがかかわっている可能性は高い。ノエルが残した伝言も、その可能性を示唆している。
だが、服を着替えたことで余命数週間の少女が元気になるなど普通はあり得ない。
「あ、あの報告も、もしかして……」
「なにか、他にも気になることがあるのか?」
「わたくしが襲撃犯に襲われたとき、ノエルが駆けつけてくれたと言いましたよね? あのとき、襲撃者の一人がノエルに襲いかかったそうなのですが……」
言葉を濁したリリスに、グリムはなにかあったのかと続きを促す。するとリリスは少し困ったかで視線を彷徨わせた後「驚かないでくださいね」と前置きを入れた。
「護衛達が言うには、襲撃者の頭が吹っ飛んだように見えた、と」
「なんだそれは。比喩的ななにかか?」
困惑するグリムに、リリスは首を横に振った。
「では、それをあの華奢なノエルがやったと?」
「いえ、ノエルはそれをとても驚いていたそうなので違うと思います。そのうえで、とても棒読みな口調で、誰がこんなことをと誤魔化していたそうです」
ノエル本人の所業ではないが、ノエルが誤魔化そうとした。
そこから導き出される可能性は――
「あの幼い娘、フィーナと言ったか? 彼女は名うての冒険者なのか?」
「おそらくは。その後の働きも見事だったと聞いています」
冒険者とは、ダンジョンに潜る者達のことである。
ダンジョンで魔物を倒すと、その魔素を取り込んで能力値が上がる。大抵の人間は、その上限が低いので冒険者ではない戦士とそこまでの能力差は生まれない。
だが希に、際限なく能力が上がる者が現れる。
加えて、フィーナのような子供の冒険者も珍しくない。
ダンジョンで魔物を倒せば子供でも強くなる可能性があるので、その可能性に賭けて、ストリートチルドレンなどがダンジョンに潜るからだ。
大半はすぐに脱落し、残った者も弱い魔物を倒して生計を立てるに留まる。だがごく希に、子供とは思えないほどに強くなる者が現れる。
それがフィーナだとすれば、すべての辻褄があう。
「フィーナちゃんはノエルをお姉ちゃんと慕っていますが、その礼儀作法はどう見ても付け焼き刃です。おそらく、その才能を見いだされて拾われたのでしょう」
「なるほど。それならば、ろくに供も付けずに二人旅をしていたことも納得だ」
子爵令嬢であることに加え、王都で流行する服のデザイナーでもある。そんな少女がろくに護衛を連れていないというのは普通ならあり得ない。
だが、ダンジョンで大成した少女が護衛をしているのなら不思議はない。
「フィーナが強いということは理解したが……それとシシリーの件とどう関係がある?」
「それが……報告によると、ノエルは治癒魔術を使えるそうです」
「治癒魔術だと? だがあれは、自然治癒の能力を気持ち高める程度のはずだ」
「はい、わたくしもそう認識しています。ですがノエルは白い魔法陣を描き出し、さきほどの襲撃者を治療したというのです」
「治療した? いや、その襲撃者は頭が吹き飛ばされていたのではないのか……?」
「そのはずです」
グリムはおまえはなにを言っているんだという顔をする。
「お父様の気持ちはよく分かります。報告を上げた騎士も、見間違いである可能性が高いと言っていました。ですが……」
「見間違いなのは頭を吹き飛ばしたことだけで、強力な治癒魔術を使えるのは事実である可能性がある、ということか。そういえば……」
グリムは暗殺者を尋問した担当からの報告を思いだした。
「お父様?」
「いや、暗殺者を尋問した者が言っておったのだ。暗殺者達は妙に怯えていて、何度も殺されたとかなんとか、意味不明なことを口走っていた……と」
二人は揃って沈黙する。
その報告と、さきほどの報告に妙な共通点を見つけてしまったからだ。
「いや、しかし、まさか……な」
「そうですよ、お父様。さすがにそれは……」
「うむ、そうだな。さすがに死者を生き返らせるのは不可能だ。おそらく、ノエルは普通より強力な治癒魔術が使えるのだろう」
「そうだと思います。ただ、だとしても、ノエルの服を着たからといってシシリーが元気になるはずはないので、やはり関係があるかどうかまでは……」
「ふむ……そうだな」
ノエルが直接服を手渡したというのなら、そのときに治癒魔術を使った可能性はある。だが、服を届けに来たのは使いのメイドだった。
ゆえに、ノエルが治癒魔術を使った可能性は零だ。
零なのだが――と、二人は顔を見合わせた。
「ね、念のために、本人にそれとなく聞いてみるか?」
「お父様、しかしそれは……」
「分かっている。もし事実なら、国を騒がすほどの能力だ。本人が隠そうとしているのなら無理に聞き出したりはしない。あくまで、それとなく、本人が嫌がらない程度で、だ」
このままでは埒があかないと、ノエルを夕食に招いて探りを入れることとなった。
◆◆◆
夕食にお呼ばれしたノエルとフィーナがクリムローゼ伯爵家を訪れると、あれよあれよといううちに食堂へと案内された。
そこには伯爵夫妻と三姉妹、クリムローゼ伯爵家の面々が揃っていた。
「お招きいただきありがとう存じます」
ノエルがカーテシーをすると、隣でフィーナも慌ててそれに続く。
「う、うむ。急な呼び出しにもかかわらずよく来てくれた。さぁ、遠慮なく座ってくれ」
「では、お言葉に甘えまして」
クリムローゼ家の人々に挨拶をしながらフィーナと並んで席に座る。ノエルの向かいにはリリスが、そしてフィーナの向かいにはシシリーが座っていた。
「ノエルさん、フィーナさんこんばんは」
斜め向かいの席に座っていたシシリーが無邪気に笑った。
それに対して、ノエルやフィーナが挨拶を返していると、グリムとリリスがなにやら顔を寄せ合ってヒソヒソと話し始めた。
「……リリス、どう思う?」
「そうですね……シシリーが元気なことに疑問を抱いていないようですが、そもそもノエルは、シシリーの容態を知らなかった可能性も……」
「たしかに、フィーナも不思議に思っていないようだな……」
(あの二人、なにを話しているんだろ?)
リリスが小首をかしげていると、シシリーが再び話しかけてくる。
「ノエルさん、お洋服ありがとうございました」
「あの服はリリスに頼まれただけですから、お礼はリリスに言ってあげてください」
「もちろん、お姉様にはもうお礼を言いました。でも、ノエルさんが引き受けてくださらなければ、服は間に合わなかったと聞いています。ですから、ありがとうございます」
「そうですか。では、どういたしまして」
ノエルが笑顔で応じる。
そこに、リリスが会話に混じってきた。
「そうそう。シシリーったら凄く喜んで、物凄く元気になったのよ。ね、シシリー」
「はい、凄く元気になりました!」
「そうですか、よかったですね」
無邪気で可愛らしいと、ノエルは目を細めた。それを見たリリスとグリムが顔を見合わせ、無言で首を振っている。やはり気のせいのようだという呟きが聞こえてきた。
「あ、そうだ、シシリーちゃん。その服を脱ぐとまた身体に負担が掛かるから気を付けてね」
ガタガタっと、クリムローゼ夫妻と、上の娘二人が立ち上がった。
(え、なに、急に)
ノエル達がびっくりして視線を向けると、彼らは無言で座り直した。なんだったのかと、ノエルがじぃっと見ていると、リリスが大きく咳払いをする。
「ね、ねぇ、ノエル。さっきの口ぶりだとまるで、シシリーが元気になったのは服のおかげだって言ってるように聞こえるんだけど、服になにかあるの? ――あっ、もちろん無理に聞き出そうと思ってる訳じゃないわよ!? ただ、可能なら教えて欲しいかな、なんてっ」
「あぁうん、私からのサプライズだよ」
「サ、サプライズ?」
「そう。シシリーちゃんは魔力過給症――過剰な魔力が身体に負担を掛けていたから、その余剰な魔力を魔石に移す魔導具にしたんだ」
クリムローゼ伯爵家の面々が沈黙した。
無言で顔を見合わせ、やがてラッセルが意を決したように口を開く。
「す、すまない、ノエル。その魔力過給症とはなんのことだ?」
「えっと……体内を巡る魔力は、大気中の魔力素子(マナ)を取り込んで生成されることはご存じですよね。通常、魔力が生成されるのは、体内を巡る魔力量が減少したときだけなのですが……希に、許容量を超えても生成し続ける体質の人がいます」
「それが魔力過給症で、シシリーがそういう体質である、と?」
ノエルがこくりと頷くと、クリムローゼの面々は再び顔を見合わせ、ふるふると横に首を振り合った。どうやら、誰も魔力過給症について知らないらしい。
彼らは教えて欲しいと言いたげな視線をノエルに向けてきた。
(魔力過給症も忘れられているのか)
「ひとまず、そういう体質だと思ってください。シシリーちゃんの容態が悪かったのは、過剰に供給していた魔力が身体を蝕んでいたからです」
「む? 少し待ってくれ。それはつまり、魔術を使った方がいいという意味か? 身体に負担が掛かると思い、魔術の訓練をさせなかったことが裏目に出たのか?」
「残念ながら……」
シシリーの今後のためを考え、ノエルは気遣いながらも肯定した。
「……なんと言うことだ。いまから訓練をさせれば間に合うだろうか?」
「定期的にその服を着せてあげれば問題ありません。そのあいだに、シシリーちゃんが自力で魔術を使えるように教えてあげてください」
「そうか。貴重な情報に感謝する。そなたは我がクリムローゼ伯爵家の恩人だ。なにか望みがあれば言ってくれ。総力を挙げて恩に報いると約束しよう」
「いえ、そもそも宿のお礼ですから、気にする必要はありません」
「そういう訳には行くまい。……そうだ、ではあの屋敷は周辺の土地ごとプレゼントしよう」
「……はい?」
「権利書ごと贈る。好きに使ってくれ」
「――という訳で、おっきな屋敷をもらってしまいました、どうしましょう?」
『また派手にやらかしたわね……』
夜、アレクシアにことの顛末を報告したノエルは思いっ切り呆れられてしまった。
「やっぱり、服を贈っただけでお屋敷や土地をもらったのはやり過ぎだってお姉様も思いますよね。返した方がいいでしょうか?」
『いえ、やらかしたのは相手じゃなくてあなたよ。付与魔術も魔導具も現代に存在するけど、あなたの言うような能力は作れないの。基本的にアーティファクトに分類されるわ』
「安っぽいアーティファクトですね」
『いや、あなたがおかしいだけだからね?』
再び呆れられてしまう。その上で、相手のメンツを考えて、お屋敷と土地はありがたくもらっておきなさいと進言される。
「お屋敷は宿代わりになるので嬉しいんですが……周囲の開いてる空いてる土地どうしましょう? 王都にノエルブランドの支店でも作りましょうか?」
『……どうして王都が支店なのよ』
「え、だって、ウィスタリア子爵家のお店ですよ?」
(子爵領に本店があるんだから、王都のお店は支店であってるよね?)
「お店、必要ありませんか? お姉様のために、王都におっきなお店、建てますよ」
『ありがたいのはありがたいけど……ノエルは冒険者育成学校に通うのよね? あまり派手にやらかして有名になると、色々と面倒ごとが増えない?』
「大丈夫です。願書はリディアって名前で出しましたから」
この時代には、写真機のような魔導具は存在しない。直接会った相手以外には、名前を変えてイメチェンすれば他人として振る舞うことができる。
つまり、ノエルとしてのやらかしは、リディアにはなんの関係もないと言うこと。それを聞いたアレクシアはわずかに沈黙した。
「ノエル……自由すぎない?」
「自由に生きるのが私の望みです」
「……そっか」
「そうですよ」
「そっかぁ……」
魔導具の腕輪から今日一番の深い吐息が聞こえてきた。
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