無色のノエルは手抜きがデキナイ 2

 お屋敷に滞在が決まったその日の夜、ノエルはアレクシアに連絡を入れた。


「こんばんは、アレクシアお姉様」

『ノエル、元気そうね。いまはもう王都の近くかしら?』

「いいえ、もう王都に着きました」

『あら、早いわね。なら、もう宿は取った?』


 アレクシアの問い掛けに、ノエルはさり気なく視線を逸らした。だが、音声のみの通話では、そんな仕草が相手に通じることはない。

 急に沈黙したノエルに対し、アレクシアが『なにかあったの?』と訝しんだ。


「んっと……クリムローゼ伯爵に、お屋敷を一年無償で貸してもらいました」

『………………え?』

「おっきなお屋敷を貸してもらったんです。メイド付きで、一年間」

『……ノエル、またやらかしたわね?』

「や、やらかしてませんよ?」


 ノエルは明後日の方を向いた。


『こら、目をそらして誤魔化さない』


 バレバレである。

 なにがあったか問い詰められたノエルは、おおよそのことを白状することになった。


『クリムローゼ伯爵の次女の命を救い、三女へ服をプレゼント……』

「ま、まずかったですか?」

『うち的にはコネが出来て助かるけど……あなた、がっつり貴族にかかわっちゃってるけど、気ままに旅をするんじゃなかったの?』

「したくないことはしないので大丈夫です」


 助けたい相手は全力で助け、助けたくない相手は容赦なく見捨てる。それがノエルにとっての自由気ままな暮らしである。


『なら良いけど……あなたがうっかり冒険者育成学校を牛耳ったり、うっかり王都の流通を支配したりしないか、お姉ちゃんはちょっと心配よ』

「そんな面倒なことはしません」


 断言すると、腕輪から返事が返ってこなくなった。

 しばらくして、溜め息だけが聞こえてきた。


「……アレクシアお姉様?」

「なんでもないわ。ところで――」


 その後、軽い世間話をしてアレクシアとの通信を終えた。



 その翌日、ノエルとフィーナは冒険者育成学校に入学願書を提出した。余裕を持って出発したため、入学試験の当日まではまだだいぶ余裕がある。

 二人は座学や剣術、それに魔術の訓練を自主的におこなっていた。


 そうして十日ほど過ぎたある日。

 ノエルはそろそろ良いかと、シシリーにプレゼントする服を錬成魔術で作り始めた。


 シースルーのブルゾンに肩出しのブラウス。スカートはフィッシュテールに生地を重ねたティアード調。ニーハイのストッキングと編み上げのショートブーツを用意する。


「後は仕上げだけど……どうしよ? 借り、作っちゃったからなぁ」


 メイド付きのお屋敷を一年間貸し与えられた。おかげでとても快適な暮らしをさせてもらってはいるが、服のお礼としては過分に過ぎる。

 少し迷った後、ノエルは自らの魔力から緑と赤を抜き――青系統の魔術を発動させた。錬成魔術を使って服にある細工を施し、ノエルはいたずらっ子のように笑う。


「これでよし。後はラッピングして――」


 ハンドベルを鳴らすとすぐにメイドが駆けつける。


「ノエル様、お呼びでしょうか?」

「リリスに頼まれていたシシリーへのプレゼントだよ。悪いんだけど、クリムローゼ家のお屋敷まで届けてくれるかな?」


 受け取ったメイドはけれど、なにか言いたげな顔をしてその場に留まった。


「どうかしたの?」

「……差し出口をお許しいただけますか?」

「別にかまわないけど……なに?」

「ノエル様が直接お渡しになった方が、リリスお嬢様はもちろん、シシリーお嬢様も喜ばれると思います。よろしければ、誕生日の当日にお渡しいただけないでしょうか?」


 メイドいわく、シシリーは病弱であるために大きなパーティーは開催できないが、身内だけでのささやかなパーティーは開催されるらしい。

 その上で、リリスからノエルを誘うようにと指示を受けているらしい。


「なるほどね。そういうことなら、当日にお邪魔させてもらうよ。でも、その服はリリスに届けてあげて。それは、リリスからシシリーへのプレゼントだから」


 ノエルはノエルで別のプレゼントを用意するという意味。

 それを察したメイドはぺこりと頭を下げる。


「お心遣いに感謝いたします」

「気にしないで。それと――誕生日って五日後だったよね?」

「はい、その通りです」

「なら、リリスに一つ伝言をお願い。その洋服はパーティーの最中に贈るんじゃなくて、パーティーの前にプレゼントした方がいいよ、って」

「……? かしこまりました。そのように伝えます」


     ◆◆◆


 リリスが帰還後、クリムローゼ伯爵家は大きく揺れた。リリスが暗殺されそうになったばかりか、その黒幕が第一夫人の弟という情報を手に入れたからだ。


 ここで、少しクリムローゼ伯爵家の事情について補足しよう。

 クリムローゼ伯爵家の子供達で一番魔術師として才能があるのは三女のシシリーである。ゆえに、次期当主はシシリーだと目されていた。


 だが――シシリーは虚弱体質である。しかも、最近は寝込むことが多くなった。屋敷で暮らす者はみな、シシリーがそれほど長く生きられないことを予感している。


 そこで新たな次期当主として見込まれているのが次女のリリスだ。


 リリスは冒険者育成学校に入学する予定で、魔術師としての才能にも恵まれている。だが、当主という地位に興味がなく、政治的な手腕も優れているとは言い難い。

 ゆえに、リリスが次期当主となり、政治的手腕に優れた姉が補佐をする予定であった。


 にもかかわらず、長女と三女の母親であり、第一夫人でもあるテレシアの弟が、第二夫人の娘であるリリスを暗殺しようと企てた。


 世間的には、第二夫人の娘に次期当主の座を奪われ、実権を失うことを危惧した第一夫人が、邪魔者であるリリスを暗殺しようとした――としか見えない。


 実際には、幼くして母親を失ったリリスは、テレシアを実の母親のように慕っているし、家族の仲は円満で、テレシアがリリスを排除することはあり得ない。

 少なくとも、クリムローゼ伯爵家の人間はそう確信している。


 だが、それと世間体は別である。


「アルフィー男爵め、余計なことを……」


 クリムローゼ伯爵の執務室。

 当主であるグリムと、その第一夫人であるテレシアが話し合っていた。


「グリム様、わたくしの弟が大変申し訳ありません。このままでは、クリムローゼ伯爵家の名誉に傷が付いてしまいます。どうかわたくしを切り捨て、実家を断罪してください」

「馬鹿を言うな。無実のそなたを切り捨てるなどあり得ぬ。それにそんなことをすれば、おまえの娘達はもちろん、リリスも傷付くことになるではないか」


 リリスが傷付くという言葉に、テレシアは泣きそうな顔をした。


「……ですが、弟の罪を明かせば、必ずわたくしを通してクリムローゼ家に波及します。それを防ぐ手立てがない以上、私を切り捨てるのが最善ではありませんか?」

「ダメだ。なにか他の手……他の理由でアルフィー男爵を排除するというのはどうだ?」


 ここでいう排除とは、なんらかの取り引きをするという意味である。助命と引き換えに口を閉ざすことを約束させた上で、理由を付けて子供に爵位を譲らせる方法などがある。


「私は反対です」

「なぜだ?」

「……とても悲しいことですが、シシリーの容態が日に日に悪化しています。もし弟の排除とシシリーの死が重なれば、必ずリリスに結びつける者が現れましょう」

「……次期当主となるために、有力な候補を潰し、継母の実家を牽制した――か、たしかに娯楽に飢えている連中が食い付きそうな筋書きだ」


 グリムは唇を噛んで沈黙。ほどなく、意を決してテレシアに尋ねた。

 シシリーは後どれくらい持ちそうか――と。


「薬師が言うには、次の誕生日は迎えられそうだ、と」

「……そうか」


 言い方を変えれば、命が保証されているのはわずか二週間程度。いや、その二週間ですらも、大丈夫そうだという憶測でしかない。

 その事実を告げたテレシア自身が泣き崩れ、涙を堪えたグリムがその身を支える。このような状況で良案が出るはずもなく対策は保留。

 グリムは部下に証拠固めの指示を出し、テレシアと共に眠れぬ夜を過ごした。




 そこから更に十日ほど過ぎたある日。ノエルから伝言と一緒に洋服を受け取ったリリスがさっそく、その包みをシシリーにプレゼントした。


「……こほっ。お姉様、これは?」

「あなたへの誕生日プレゼントよ。少し早いけど、開けてみて」

「わぁ、なんでしょう……っ。お姉様、これはまさかっ!」

「ええ、あなたが欲しがっていた洋服」

「凄い凄い、とっても素敵です!」


 シシリーは時折、咳き込みながらもプレゼントの洋服を抱きしめて喜びを表現する。その笑顔を前に、リリスは自分の選択が間違っていなかったことを実感する。


「気に入ってくれたようね」

「はい、凄く嬉しいです! リリスお姉様、ありがとうっ!」

「どういたしまして。それと、今度会ったらノエルにもお礼を言いなさい」

「ノエルさんに、ですか?」


 シシリーはこてりと首を傾げる。


「やっぱり気付いてなかったのね。あなたが欲しがってた服、ノエルブランドと言うそうよ」

「え、ノエルって……まさか、ノエルさんのことですか?」

「ええ。その服は、ノエル自身が作ってくれたのよ」

「わぁ、そうなんですね。とっても、とっても嬉しいです。けほっ。こほんっ」

「シシリーお嬢様、はしゃぎすぎですっ」


 咳が止まらなくなったシシリーの元にメイドが駆け寄り薬を渡す。だが、シシリーは薬を飲む前に血を吐いて、その血がプレゼントされたばかりの洋服に掛かってしまう。

 それを見たシシリーは、その緑の瞳に大粒の涙を浮かべた。


「……汚してしまいました。せっかくお姉様からいただいたのに」

「すぐに拭けば大丈夫よ。だから、少し良くなったらそれを着て散歩しましょう。そのためにも、いまは薬を飲んで少し眠りなさい」


 リリスが努めて笑顔を浮かべた。だが、彼女の指は血の気がなくなって白くなるほどに強く、スカートをぎゅっと握り締めている。

 リリスはシシリーが横になるのを見届け、服を預かったメイドと共に部屋を出る。


「シシリーにはああ言ったけど、血は落ちるかしら?」

「難しいですが……なんとしても落として見せます」


 決意を露わに、メイドは足早に立ち去っていった。

 それを見送り、リリスもシシリーの部屋の前から離れようとする。そのとき、ちょうど廊下の向こうから歩いてきた父、グリムと出くわした。


「リリス、おまえもお見舞いか?」

「いいえ、お父様。わたくしはノエルが届けてくれたプレゼントのお洋服をシシリーにプレゼントしてきたところです。物凄く喜んでくれました」

「シシリーは喜んでいたか?」

「はい、とっても喜んでいました。ただ、はしゃぎ疲れていまは休んでいます」

「……そうか。では、顔を出すのはもう少し後にしよう」


 事情を察したのだろう。グリムはとくになにも聞かなかった。その代わり、リリスに向かってひどく真面目な顔をする。


「リリス、大事なおまえに話がある。落ち着いたら俺の部屋に来なさい」

「……はい、お父様」


 とても重要な話だと察したリリスは大人しくグリムに従った。



 グリムの執務室に行くと、グリムとテレシアが待っていた。

 ローテーブルを挟んだ向こう側のソファにはグリムとテレシアが座り、リリスがその向かいのソファに腰を下ろすと、グリムがリリスをまっすぐに見据えた。


「単刀直入に言おう。アルフィー男爵が自供した。だが、問題があってな。アルフィー男爵を断罪すれば、テレシアが共犯者と目される可能性が非常に高い」

「お義母様がかかわるなどあり得ません!」


 幼くして生みの母を失ったリリスは、テレシアを本当の母のように慕っている。テレシアが暗殺計画に加担していたなんて欠片も思っていない。


「ありがとう、リリス。その言葉だけで十分よ」


 その言葉に、リリスは目を見張った。

 まるで、テレシアが共犯者と目されることが決定事項のように聞こえたからだ。


「他に、方法はないのですか?」

「ある……が、その場合、おまえに疑惑の目が向く可能性が高い」

「わたくしに、ですか?」


 リリスは続けて、アルフィー男爵を別の理由で排除するという案を聞かされた。その上で、シシリーになにかあったとき、リリスが次期当主の座を奪うために暗躍したと思われる、と。


「わたくし、次期当主になりたい訳ではないのですが……」

「世間にはそう見えないからな」


 家族は揃って溜め息をつく。


「妹が元気になってくれれば……」

「そうだな。そうすればすべてが上手くいく」

「あの子はやる気も才能もありますからね」


 幼いながらも利発でやる気に溢れ、しかも魔術の才能にも恵まれている。理想的な領主としての資質の持ち主。だが、そんな彼女も時間だけは与えられなかった。


「お父さん、お母さん、お姉ちゃん、見て見て~」


 ――突然、執務室の扉がバーンと開けられ、そこからシシリーが入ってきた。ノエルの作った洋服を纏う彼女は、その服を見せびらかすようにクルクルと回る。


「シ、シシリー、そんなにはしゃいじゃダメよ!」


 リリスが慌てたように声を掛ける。


「大丈夫、私、いま凄く身体が軽いの。まるで羽が生えたみたいに――」


 シシリーがその場で屈み込み、ぴょーんと飛び上がった。その垂直跳びは自分の身長ほど飛んで、天井にドカンと頭をぶつけた。

 そのまま体勢を崩したシシリーが絨毯の上に倒れ込む。


「――シ、シシリー!?」


 我に返ったリリス達がシシリーの元に駈け寄る。理解できないことが立て続けに起こっているが、頭をぶつけたことが危ないことだけは間違いない。

 だけど――


「えへへ、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃった」


 シシリーは気にした風もなく、無邪気に微笑んだ。いまの彼女を見て、余命数週間だと信じる者はどこにもいないだろう。


 なにが起きているか、正しく理解できた者は一人もいない。だが、これが暗闇に包まれていたクリムローゼ伯爵家に差し込んだ光明の光だと誰しもが気付いた。

 

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