無色のノエルは自衛がデキナイ 7

     ◆◆◆


 闇夜に紛れるのはヴァイパーと呼ばれる暗殺者と、その弟子の少女。とある貴族に仕える彼らは、クリムローゼ家の次女、リリスの暗殺を主より命じられた。


 暗殺者として育てられたヴァイパーは、これまでにも多くの命を奪ってきた。だがそれは、光の届かぬ闇を払うのに必要な行為。

 彼が一人殺すたびに、多くの無実の者が救われた。


 だがそれも今は昔。

 主が代替わりすることで、仕事の内容に変化が訪れた。


(なんの罪もない娘を手に掛けるとは、嫌な仕事ですね)


 それでも、主の命に従うのがヴァイパーの役目である。他の生き方を知らぬ男は、自ら暗殺者に育て上げた弟子の娘と共に、淡々と命令を実行するための計画を立てる。

 二人はまず金で悪党を集め、盗賊に扮した彼らにリリスの一行を襲撃させた。


 リリスの暗殺に成功すれば重畳。そうでなくとも、護衛を減らすことが出来れば暗殺をやりやすくなると考えての襲撃だった。


 その計画は半ばまで上手くいっていた。

 だが、あり得ない速度で走る馬車が手駒を跳ね飛ばした。それによって味方は総崩れになり、リリスの暗殺はもちろん、護衛を減らすことにも失敗した。


(……引くべきでしょうか? いえ、ここで引いても主はお許しにならないでしょう。であれば、この道中でターゲットを暗殺するしかありませんね)


 幸いにして、夜になると強い雨が降り始めた。

 その雨が自分達の侵入を気付きづらくする。まだ運には見放されていないと判断し、ヴァイパーは弟子を連れて野営地へと潜入した。

 だが――


「こんばんは。実験をするにはいい夜だね」


 不意に背後から聞こえたのは、とてもとても自然な口調で紡がれた声だった。

 だが、それは異常である。


 ヴァイパー達の正体に気付いているのなら、そのように自然体でいられるはずがない。だが、なにも気付いていない普通の娘なら、このように暗殺者の背後を取れるはずがない。


 ゆえに異常。

 本能的にそれを感じ取ったヴァイパーはとっさに前方へ身を投げ出した。


 判断は遅くなかった。たとえ剣を振るわれていても躱せるという確信があった――はずだったが、ヴァイパーはそのまま命を落とした。


 意識を取り戻したヴァイパーは、その手足を完璧なまでに封じられていた。顔を上げれば、見知らぬ少女がこちらを見下ろしている。

 死ぬ直前の記憶を失った彼は状況が飲み込めない。

 だが、いまの状況からなにがあったのかを理解する。


「……不覚を取りましたか。殺しなさい。私はなにも喋りません」

「あ、大丈夫。そういうのは特に興味ないから」


 少女が素っ気なく言い放ち、弟子の身体に触れる。

 その瞬間――弟子の頭が吹き飛んだ。


(いまのはなんだっ!? いや、それよりも――)


 ヴァイパーは殺されても仕方のない人生を送ってきた。弟子は今回が初仕事だが、暗殺者であることに変わりはない。いずれはむごたらしい最期を迎えると覚悟させていた。


 だが――あまりに無情。

 この黒髪の魔女は命を奪うことをなんとも思っていない。


「……うぅん、やっぱり女の子でも死んじゃうんだ?」

「なにを言っている、この魔女めっ! よくも私の弟子を殺したな!」

「心外だなぁ……」


 罵倒するヴァイパーの前で、少女の足下に純白の魔法陣が浮かび上がる。


(これは……白系統? ろくに傷も癒やせないような白系統の魔術を使って一体なにをするつもり――なっ!? なんだ、これは……私は、夢を見ているのか?)


 ヴァイパーの目前で、たしかに頭部を失って死んだはずの弟子が生き返った。


「な、なにをした……っ」

「心配はいらない。何度も、何度も殺すけど、最後はちゃんと生かしてあげるから」


 少女は無邪気に笑った。


(狂っている)


 そうとしか思えなかった。

 そして、それは間違いなく事実だった。


 少女は再び弟子の頭を吹き飛ばした。何度も何度も吹き飛ばした。指で触れ、武器で触れ、靴で触れ、容赦なく弟子の頭を吹き飛ばす。


「うぅん、私か、それとも相手の敵意に反応してるのか?」


 意味の分からない言葉を呟いて、弟子の頭を吹き飛ばす。それを何度も何度も間近で見せつけられたヴァイパーの心が擦り切れていく。


「もうやめてくださいっ! なんでも話しますっ! 私の名はヴァイパー。本名はありません。クリムローゼ家の第一夫人、テレシア様の弟、ダグラス・アルフィー男爵の部下です!」


 必死に彼女が求めているであろう情報を口にする。

 次の瞬間、弟子は魔女の長い髪で叩かれて頭が吹っ飛んだ。


「なぜですかっ! 嘘じゃありません! 私はすべて真実を話しています!」


 必死に訴えかけるヴァイパーの目の前で、またもや弟子が生き返った。ヴァイパーは既に、それが喜ばしいことだとは思えなくなっていた。


「やめてください! リリス様の暗殺を命じたのはダグラス様です!」

「――っ、師匠、なにを言っているのですか!」


 弟子は生き返るたびに直近の記憶を失っている。突然、雇い主の情報をぶちまける師匠に対し、彼女は信じられないと目を見張っている。

 それでも、この凶行を止めるためには話し続けるしかない。


「この件についてテレシア様はなにもご存じありません。これはダグラス様の独断だっ!」

「ふぅん、そうなんだ」


 洗いざらいぶちまけたというのに、魔女はまったく興味がなさそうだ。


(いや、そんなはずはありません。これは拷問、自白させるための拷問のはずです!)


 ヴァイパーは必死に自分を言い聞かせる。だって、そうじゃなければならない。これが情報を引き出すための拷問でなければ、この地獄を止める手立てがないことになる。

 そんな現実は受け入れられない。


 祈るような想いで魔女を見上げれば、彼女はついに弟子から離れた。

 やはり、情報を引き出すのが目的だった。この地獄がようやく終わるのだと安堵する。そんなヴァイパーの元に、魔女がゆっくりと近付いてきた。


「女の子でも変わらないみたいなんだ。だから――次はあなたで実験しよう」

「あ、あぁぁああぁぁぁああっぁっ!」


 無邪気な微笑みを前に、ヴァイパーの心は粉々に砕け散った。

 そして――



(……ここは? 地下牢か? くっ、どうやら私はしくじったようですね)


 ヴァイパーが目覚めると、手足を拘束されていた。


「貴様っ、師匠になにをしたっ!」


 先に意識を取り戻したようで、弟子がなにやら声を荒らげている。


(弟子よ、こういうときこそ理性を失ってはいけません。冷静にチャンスを――)



 ヴァイパーは目覚めるが、手足を動かすことが出来ない。

 どうやら拘束されているようだと判断する。


「いやっ、やめてっ! お願いだからこれ以上酷いことをしないでっ!」


 気付けば、弟子が普通の娘のように泣きじゃくっていた。


(もしや、さきに拷問されたのでしょうか?)


 ヴァイパーが抱いたのは、弟子に対する憐憫の情である。

 弟子はもともと身寄りをなくした子供である。いや、もっと端的に言ってしまえば、ヴァイパーがターゲットとして始末した夫婦の忘れ形見である。


 そのまま野垂れ死にすることを哀れと思って引き取った。

 暗殺者として育てたのは、それが最良だと思ったから。暗殺者として育てられたヴァイパーには、そうして救うことしか知らなかったのだ。


(せめて、弟子だけは――)



 気付けば、ヴァイパーは拘束されていた。気付けば、ヴァイパーは拘束されていた。気付けば、ヴァイパーは拘束されていた。気付けば、ヴァイパーは拘束されていた。気付けば、ヴァイパーは拘束されていた。気付けば、ヴァイパーは拘束されていた。


「――もうやめてええええええぇぇえぇぇぇっ!」


 弟子の悲痛な叫びを聞いて、ヴァイパーは意識を覚醒させた。

 不思議と、自分が拘束されていることを認識する。


「私と師匠はダグラス様の命を受けて、リリスお嬢様の暗殺をしようとした! そのことをテレシア様はなにもご存じない。すべて話したじゃないっ!」


 弟子が泣きじゃくりながらすべてをぶちまける。

 主を売ったことに眉をひそめるが――


「お願いだからもうやめて! 師匠にこれ以上、酷いことをしないで!」


 その言葉を聞いて、弟子が心配しているのは自分のことだとヴァイパーは気が付いた。意識が混濁しているのは、自分が拷問されているからだろうと当たりを付ける。

 当たりを付けて――言いようのない感情を抱く。


(いかなるときも冷静にあれと育てた弟子が、このように感情を露わにするとは。私はどうやら、師としての才能がなかったようですね。ですが……悪くない気分です)


 暗殺者として育てられたヴァイパーは、自分がいつかろくでもない最期を迎えると覚悟していた。だからこそ、こんな風に誰かに泣かれる最期は悪くないと思った。


「……どうか、弟子には慈悲を与えてください。その娘は、まだ手を汚していません」


 かつて、ヴァイパーが手に掛けた夫婦の言葉を思い出す。


『娘にはなんの罪はない。どうか、命だけは救ってくれ』


 かつて、ヴァイパーが手を掛けた夫妻の遺言。彼らは紛れもなく悪人だったが、娘への愛情だけは本物だった。いまの自分も、彼らと同じような気持ちなのだろうか?

 そんなことを考えながら、ヴァイパーはゆっくりと意識を手放した。

 

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