無色のノエルは自衛がデキナイ 3

 いまから二年ほど前。

 その日、体調を崩していたフィーナは、院長先生の診察に訪れた薬師に、ついでで診察してもらうことになり、いくつかの質問を受けた。


 なんてこともない日常。

 ――だけど、後から考えればきっと、それがフィーナの運命を変えた。


 それから少し経った頃、院長先生の容態が悪化した。原因不明の重い病気で、その病気を治すには高価なポーションが必要になるという。


 院長先生はそのポーションの購入を断った。だが、フィーナはもちろん、孤児院の誰も、院長先生を諦めることは出来なくて、孤児院で借金をしてポーションを購入した。

 そして――


「おまえの孤児院にフィーナという娘がいるだろう。その娘を差し出せば、借金をすべてチャラにしてやる。どうだ、悪い話ではないだろう?」


 ある日、孤児院に訪れた借金取りのおじさんが、院長先生に言った言葉だ。

 フィーナはそれを偶然耳にしてしまった。フィーナはどうすれば良いか分からなくて怯えるが、院長先生がその要求を突っぱねるのが聞こえてきた。

 それで、その件は終わったはずだった。

 だが、その日を境に、孤児院には多くの不幸が降りかかるようになった。


 森に自生する薬草が誰かに乱獲され採取が難しくなり、ときどき寄付をしてくれていたおじさんのお店が経営不振になり、森で狩りをしていたアッシュも怪我をした。


 そうして、借金取りが足繁く孤児院に顔を出すようになる。借金の返済が滞っているのだと、まだ幼かったフィーナにも分かった。


 フィーナは怖かった。

 売られるかもしれないことも、自分のせいでみんなが不幸になっているかもしれないことも、自分がどんなに頑張ってもこの状況を打開出来ないということも。

 なにもかもが怖くて、心がくじけそうになったあの日。


「――大丈夫、もう怖くないからね」


 空から優しいお姉さんが振ってきた。


 そのお姉さんの名前はノエル。

 とても珍しい服を身に纏う、とてもとても綺麗な女の子。


 ノエルは早々に借金取りの頭を吹き飛ばした。

 その事実にフィーナは怯えるが――それを見たノエルは酷く傷付いた顔をした。それでもフィーナのことを心配して、家に帰るんだよと言って身を引こうとする。


 気付けば、フィーナはノエルの腕を捕まえていた。あの日の診察が不幸の始まりなら、この日に手を摑んだのが幸運の始まりだった。


 ノエルにもらったポーションは、アッシュの足の怪我を瞬く間に治してしまった。それどころか、薬師のポーションでも治らなかった院長先生の病気も完治してしまう。

 そして――数日後。


 借金取りと薬師の悪事が陽ノ下に暴き出され、孤児院はお貴族様の管理下に置かれた。

 借金もなくなり、孤児院に平和が戻ったのだ。


 だが、孤児院に訪れた幸運はそれだけに留まらない。

 隙間風の酷かった孤児院は新築みたいに綺麗になって、裏手の廃屋は工場になった。みんなが仕事をして、それで得たお金で美味しいご飯をお腹いっぱいに食べられるようになる。


(ぜぇんぶ、ノエルお姉ちゃんのおかげ)


 あの日、空から降ってきた女の子は、フィーナにとって掛け替えのない恩人になった。だから、ノエルが旅に出るつもりだ知ったとき、フィーナの心は決まっていた。


「私――ノエルお姉ちゃんと一緒に行きたい!」


     ◆◆◆


 ノエルとフィーナが同時に同じ願いを口にする。その事実に、二人は目を瞬いて見つめ合った。互いに相手の言葉を反芻して、信じられないと目を見開く。


「フィーナはそれで良いの? 孤児院を出ることになるんだよ」

「それは大丈夫だよ。私達はどのみち、大きくなったら孤児院を出なくちゃいけないから」

「そっか……そうだね」


 大きくなったら独り立ちするのが孤児院の基本ルール。フィーナはまだ小さいが、これほど恵まれた独り立ちの機会は他にない、ということ。


「そういうノエルお姉ちゃんは大丈夫なの?」

「えっと……ね。一人旅は危ないから、信頼できる人を連れて行くのが領地を出ることを認める条件だって言われてるの。だから、フィーナが付いてきてくれたら嬉しいかな、って」

「え、それは凄く嬉しいけど……え? それって、護衛としてってこと?」


 フィーナが凄く困った顔をする。ノエルに付いていきたいが、護衛をするのはさすがに無理とその困った顔が物語っている。


「もし受けてくれるなら、私がフィーナに戦い方を教えるつもりだよ」

「私が……戦う、の?」

「うぅん。基本的には、フィーナを危ない目に遭わせるつもりはないよ。ただ……アレクシアお姉様には認めてもらう必要があるんだ」

「……どういうこと?」


 フィーナがプラチナブロンドを揺らして首を傾けた。ひとまず、頭ごなしに無理と言われなかったことに安堵しながら、ノエルはアレクシアとのやりとりを打ち明ける。


「え、ノエルお姉ちゃんが戦って負けたの!?」

「いや、その……負けたというか、戦えなかったというか」

「どういうこと?」


 純真そうな瞳で問い掛けてくる。

 ノエルは痛みに耐えかねて胸を押さえた。


「えっと……その、私が借金取りの頭を吹き飛ばしたこと、覚えてる?}

「う、うん。忘れる訳ないよ」


 むしろ、忘れられるはずがないと言いたげに、愛らしい顔が少し引き攣っている。ノエルは思わず、思い出させてごめんと心の中で謝罪した。


「その上で打ち明けるんだけど……実はあれ、私の意図したことじゃないんだ」

「え、どういうこと?」

「なんというか……その、無意識に吹き飛ばしちゃってる、みたいな」


 フィーナが笑顔を浮かべ――一歩後ずさった。


「え……やだ、こわい」


 物凄くストレートに拒絶される。


「あああぁああぁ。待って、大丈夫、たぶん大丈夫だから!」

「……たぶん?」


 フィーナは半眼になった。


「ほら、フィーナにはなんども触れてるけど大丈夫だったでしょ? アレクシアお姉様も吹っ飛んでないし、孤児院の子も吹っ飛んでないよ。大丈夫、怖くないよっ!」

「それ……吹き飛ばなかったのは結果論だったって言わない?」


 ――正論である。


「えっと……それは、その……」


 ノエルはダラダラと汗を流し始めた。ほどなく、それを見ていたフィーナがクスクスと笑い始める。青い瞳の奥にいたずらっ子が顔を覗かせていた。


「冗談だよ。私がノエルお姉ちゃんを恐がるはずないじゃない」

「え、でも……」

「もちろんあの力は怖いけど、ノエルお姉ちゃんが優しいことを私は知ってるから」

「……っ。ふぃ~なぁ~」


 嫌われるかもと不安だったノエルは、ちょっぴり涙目でフィーナに抱きついた。

 だが、フィーナは別にからかった訳じゃない。彼女は本当に、少しだけ怖かったのだ。だが、ノエルが優しいお姉さんだと思いだし、その恐怖を克服した。

 ノエルの不安を知って、冗談だと笑ったフィーナは本当によく出来た女の子である。


「……それで、ノエルお姉ちゃん。戦えなかったって言うのはどういうこと?」

「だから、その……条件が分からないから、模擬戦の相手の頭を吹き飛ばすかもって」

「……あぁ、それで攻撃できなかったんだね」


 自分の見た光景が、模擬戦で再現されるところを思い浮かべたのだろう。フィーナはなんとも言えない顔をしてプラチナブロンドを掻き上げた。


「負けた事情は分かったけど……私、戦いなんてしたことないよ? それなのに、アレクシア様に護衛として認めてもらわなきゃダメ、なんだよね?」

「フィーナが信じてくれるなら、私が責任を持って強くしてみせるよ」


 それはつまり、アレクシアの護衛に匹敵するような実力を身に付けさせると言うこと。普通に考えれば、十に満たない歳の子に出来るはずがない。

 だけど――


「私は自分がそんなに強くなれると思わないけど、ノエルお姉ちゃんのことは信じてるよ」


 迷いのない青い瞳がノエルを見つめる。

 こうして、フィーナ護衛化計画が始まった。戦いの基礎も知らない女の子が、アレクシアの護衛騎士を上回るようになるまで、後――五分くらい。

 付与魔術でエンチャントがたっぷり施された、ノエルの作った趣味全開の服を身に着けたフィーナは色々な意味で最強になった。


 それから、あっという間に一年が過ぎた。

 ノエルはその一年、アレクシアに錬成魔術を教え、孤児院の子供達には薬学を教え、エリカには様々なデザインを教え、そしてフィーナには――あらゆることを教えた。

 そして――


     ◆◆◆


 ある麗らかな昼下がり。

 アレクシアは、ノエルが護衛候補を連れてきたという知らせを受けて中庭に向かった。そこには、最近すっかり見慣れた、可愛らしい洋服を身に着けたノエルが待っていた。

 隣には、ノエルをずいぶんと慕っている孤児院の子供が一緒である。


「ノエル、ようやくお供を決めたそうね。紹介してくれるかしら?」

「はい、お姉様。私が旅に連れて行くのは――この子です」


 ノエルが隣に立っているフィーナを紹介する。フィーナの存在に気付いた時点からまさかと思っていたアレクシアは、プラチナブロンドを掻き上げて溜め息を吐いた。


「ノエル……分かっていると思うけど、私が言っているお供というのは護衛よ。その子を連れて行くなとは言わないけど、ちゃんと護衛を用意なさい」

「いいえ、お姉様。フィーナが私の護衛です」


 アレクシアはフィーナへと視線を向ける。

 あれから一年が経ち、ノエルは十五歳になった。フィーナはその五つ年下だと聞いているので十歳。身長は年相応で140㎝を越えた辺りの子供である。


 そんなフィーナはプラチナブロンドをツインテールに纏めていた。

 丈の短いオフショルダーのトップスに、デニム生地のショートパンツを着用。上にはジャケットを羽織り、下にはガーダーベルトで釣った黒のニーハイソックスを履いている。


 すっかりノエルの着せ替え人形――もとい、垢抜けして小悪魔可愛い女の子になってはいるが、どこからどう見ても護衛が務まるようには見えない。


「あなたは本気でノエルの旅についていくつもりなの?」


 あなたにノエルの護衛が務まるの? という意図でアレクシアは問い掛けた。

 けれど――


「あ、あのあの、私、ノエルお姉ちゃんの身の回りのお世話とかもちゃんとしますっ!」


 返ってきたのはそんなズレた言葉。まさか、護衛をするのは当然として、その他にも出来るアピールをしているのだろうか――と、アレクシアは困惑した。

 だがすぐに、護衛での不足を他で補うという意味だろうと考え直した。


「フィーナ、あなたに私の護衛と対等に戦える自信はある?」

「……ごめんなさい、対等は無理です」


 フィーナがしょんぼりとした。

 アレクシアはその様子に罪悪感を抱くが――


「――私、まだ上手く手加減が出来ないので」


 恥じるような口調。その言葉にアレクシアは目を見張った。フィーナは自分の方が強すぎるので、護衛騎士とは対等に戦えないと言っているのだ。


 普通に考えればあり得ない。騎士達のプライドはいたく傷付けられた。本来であれば、アレクシアが主として、護衛騎士の名誉を守るために反論するべき状況にある。


 だけど――と、アレクシアは規格外の妹へと視線を向けた。この二年ほどで、何度あり得ない現象を見せつけられたか分からない。

 そう考えれば――と、再びフィーナに視線を戻す。


 途端、所在なさげにしている女の子が、得体の知れないなにかに見えてきた。


「フィーナ。あなたは私の護衛よりも強いと、本気でそう言っているの?」

「い、いえ、そんなことはないです。私はまだまだ未熟だから。でも……戦えば絶対に私が勝ちます。たとえ、ここにいるみなさんと同時に戦っても」


 ごく自然に、なんの気負いもなく言ってのける。それはつまり、虚勢でもなんでもなく、フィーナが本気でそう思っているという証拠である。


「い、いいわ……なら、その実力を試させてもらうわね」


 こうして、フィーナと護衛騎士の手合わせが始まったのだが――その光景はまるで悪夢だった。十歳になったばかりのフィーナが、熟練の騎士達を圧倒している。

 それも、技量がどう――とかいうレベルではない。


 騎士の名誉を重んじて、一対一での試合を始めたのだが――一本目、開始の合図の直後、いつの間にか、フィーナが背後から騎士の首筋に木剣を突きつけていた。


 二本目、開始と共に騎士が斬り掛かるが、フィーナはその木剣をあろうことか素手で受け止め、そのまま小さな手で刃の部分を握りつぶしてしまった。


 フィーナは「あ、ごめんなさい」と青系統の錬成魔術で木剣を修復した。しかも、「簡単に砕けないようにしておきました」というコメント付きである。


 三本目、二人は真正面から木剣で打ち合った。木剣であるにもかかわらず、なぜかキィンと金属を打ち合わせるような音が響き、騎士の持っていた木剣が弾かれた。


「……ノエル、あなたは他所様の子供に一体なにをしたの?」

「なにって、ちょっと戦い方を教えただけですよ?」

「どう見てもだけってレベルじゃないでしょ!」


 呆れるしかない。

 だが、フィーナがノエルの護衛に相応しい力を持っているのは事実のようだ。その上で考えれば、フィーナを短期間でここまで育てられるノエルが弱いはずがない。

 ――と、アレクシアはフィーナの言葉を思いだした。


『私、まだ上手に手加減が出来ない』


(あのとき、ノエルが一歩も動けなかったのはそれが理由、という訳ね)


 どうやら認めるしかなさそうだ――と、アレクシアは少しだけ寂しげに笑う。こうして、ノエルとフィーナの王都行きが認められた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る