無色のノエルは見抜きがデキナイ 1

 ノエルが目覚めたのは柔らかなベッドの上だった。

 毎日寝起きしている自室のベッドだが、同時に久しぶりにベッドで眠ったと感じた。ノエルはその感情に気付くと同時にベッドから降り立ち、近くにあった大きな姿見を覗き込む。


 そこに映るのは、ノエルが十三年ほど見続けた自分の顔だ。

 夜空のように青みを帯びた黒髪は長く艶やかで、その髪に縁取られた小顔には、リディアを彷彿とさせる整ったパーツが収められている。


 とくに吸い込まれそうなアメシストの瞳はリディアとそっくりだ。その容姿を確認したノエルは、前世の自分がリディアという聖女だったことを思いだした。

 どうやら、転生は上手くいったようだ。


 続けて、ノエルは自らの体内に宿る魔力を手のひらから放出させた。

 立ち上ったのは無色の光を放つ魔力。


「いいね。生まれ変わった私の身体も無色の魔力持ちだ」


 魔力の放出を止めて拳をきゅっと握り、その愛らしい顔に満面の笑みを浮かべた。


 魔力は光と同じ性質を持つ。

 すなわち、無色の光を放つ魔力は、赤、青、緑の魔力を内包していると言うことだ。今世でどのような人生を歩むにしても、あらゆる魔術を使えれば困ることはないだろう。

 それを確認したノエルは、前世と今世の記憶の摺り合わせをおこなう。


 リディアとしての記憶を取り戻した彼女の名前はノエル。リディアの幼少期を彷彿とさせるその身は、ウィスタリア子爵家に生まれた次女である。


(転生するのは初めてだけど……ノエルとしての私が、リディアとしての人生を思い出したかのような感覚なのか。なかなか興味深い感覚だ)


 その感覚に自意識を慣らしながら、二つの人格を統合していく。前世の記憶を自分のモノにしたノエルは、この時代はどうなっているんだと首を傾げた。


 ノエルは子爵家の令嬢である。

 下級貴族に分類されるが、特権階級であることに変わりはない。にもかかわらず、この家には、前世では当たり前に存在していた便利な魔導具や機械がほとんど使われていない。

 照明に魔導具の灯りが使われているくらい。

 ハッキリ言って、前世の平民のほうがマシな魔導具を使っていた。


(その灯りの魔導具も光が揺らいでるし……一体なにがあったんだ?)


 首を傾げるが、考えても分からないものは仕方ない。ノエルは錬成魔術を発動。部屋に設置されている灯りの魔導具を作り直した。

 光がちらつかないようにして、その上で魔力の消費量を七分の一くらいに抑えた。


(うん、ちゃんと魔術は使える。……けど、前世と同じように、とは行かないみたいだ)


 ノエルの身体が、魔術を使うことに慣れていない。

 訓練が必要だ――と考えつつ、ノエルは朝の準備を始める。


(まずは顔を洗って……って、水道がないんだっけ)


 リディアとしての自意識が不便さを訴え、魔術で解決したい衝動に駆られる。

 だが、ノエルとしての自意識が不用意に目立つことを避けるべきだと訴えかけた。ノエルとしての判断を受け入れ、ハンドベルを鳴らし、メイドに水を張った桶を届けてもらう。

 その調子でドレスに着替え、いつものように食堂で朝食を採った。


 その後、午前中は子爵家の娘として礼儀作法を学ぶ。

 ノエルは子爵家の娘として、年相応の礼儀作法を身に付けている。リディアには貴族令嬢としてのマナーを身に付ける機会はなかったが、一般教養はそれなりに身に付けていた。

 二人分の知識と経験を統合したノエルは、その日の授業をそつなく終えた。


 そうして、昼からは自由時間だ。

 屋敷を見て回っていると、姉のアレクシアと出くわした。


 艶やかなプラチナブロンドに、ノエルと同じアメシストの瞳を持つおっとりとした女性。

 アレクシアは三つ年上の姉で、ウィスタリア子爵家の長女である。まだ十六歳の娘ではあるが、ドレスを身に纏う彼女は実年齢以上の気品と妖艶さを兼ね揃えている。


「アレクシアお姉様、おはようございます」

「おはよう、ノエル。今日はずいぶんと礼儀正しいのね?」


 アレクシアが柔らかな笑みを浮かべる。


(やばっ。そういえば私は十三歳の女の子だった)


 昨日までのノエルは、姉のアレクシアを見つければ『お姉様、おはよ~』といった感じで駆け寄って、その胸に飛び込んでいた。

 さきほどの態度はいくらなんでも変わりすぎである。


「……あ、えっと、その……さっき礼儀作法の授業で色々と学んだから、私もそろそろ、レディとしての自覚を持とうかなって」

「あらあら、ノエルはおませさんね。でもお姉ちゃんとしては、もうちょっと甘えて欲しいかな? なんて、姉としては妹の成長を喜ばなきゃダメよね」


 そう言いつつも、どこか寂しそうに笑う。


(お姉様が可愛すぎる……)


 昨日まで、ノエルにとっての姉は、とても尊敬できる大人の女性というイメージだった。だがいまのノエルから見ると、とてもしっかりした妹的なイメージになる。

 ノエルは期待に応えるべくアレクシアの元に歩み寄り、その胸に飛び込んだ。


(優しい匂い……それに、暖かい)


 ノエルにとっての日常でも、リディアにとっては特別なことに感じられる。アレクシアの腰に腕を回したノエルは、その身体にぎゅ~っと抱きついた。

 それからふと、アレクシアなら自分が知らないことも知っているかもしれないと思う。


「お姉様、これから中庭でおしゃべりをしませんか?」

「ふふっ、そうね。少し早い時間だけど、ティータイムにしましょうか」


 アレクシアの提案に、使用人達が中庭でささやかなお茶会の準備を始める。ほどなく、準備が整ったとの知らせを聞いたノエル達は中庭へと足を運んだ。



「どうかしら? ノエルのために取り寄せた茶葉なのよ」

「とても薫り高い紅茶ですね。それに……心にじぃんと染み渡ります」


 ノエルにとっても薫り高い紅茶だが、リディアにとってはもうずっと忘れてしまっていた温かみのある飲み物だ。こんな風にゆっくりとした時間は十年ぶりと言っても過言ではない。


「今日のノエルはなんだかセンチメンタルなのね?」

「そう、かもしれませんね……あはは」


 前世の記憶を取り戻したなんて、言っても気味悪がられるのが関の山だと誤魔化す。


「ところでアレクシアお姉様は、歴史とか詳しいですか?」

「詳しいかどうかは分からないけど、子爵家の長女として必要な分は学んでいるわよ? でも、急にそんなことを聞くなんて、歴史に興味を持ったのかしら?」

「えっと、まぁ……そんな感じです。よかったら、いくつか教えてくれませんか?」

「いいわよ。なにが聞きたいの?」


 嫌な顔一つせずに微笑んでくれる。

 ウィスタリア子爵家の第一子。

 優しくて優秀なアレクシアは良き跡継ぎになるだろう。


「えっと……家には灯り以外の魔導具とか、便利な道具はないんですか?」

「発火の魔導具とか、ポンプとか……そういうのかしら?」

「そうそう、そういうのです。この家にはないようですけど、他所にはあるんですか? 昔は、もっと凄い魔導具とか機械があるって聞いたんですが……」

「そうね。私は見たことがないけど、王都には残っているそうよ」


 どうやら存在自体がなくなってしまった訳ではないらしい。


(でも、王都にしか残ってないなんて……文明が衰退してるのか?)


 もとから、中央と地方の格差は存在していた。それを考慮したとしても、この家にある魔導具の品質は低すぎる。なにがあったのか、早めに調べる必要があるだろう。


「そういえば、アレクシアお姉様は魔術を習っているのですよね?」


 魔術師であれば、その気になれば他人の魔力を感知することが出来る。アレクシアからは上質な魔力が感じられる。おそらくは青系統が強く、魔導具を創ることも可能なはずだ。

 そう思って探りを入れたのだが、アレクシアの表情がわずかに強張った。


「……アレクシアお姉様?」

「うぅん、なんでもない。私は先生に教えてもらっているわ。と言っても、私そんなに才能がないから少しだけ、だけどね」

「才能がない……?」


 才能がないという部分に気を取られ、私“も”という部分は聞き逃す。ノエルは、なぜアレクシアが、自分に才能がないなどと言うのかと首を傾げた。


(まさかとは思うけど、自分の魔力について気付いてない、とか?)


「アレクシアお姉様は何色の魔力を持っているのですか?」

「ノエル、他人の魔力について尋ねるのはマナー違反よ?」


 ノエルはパチクリと瞬いた。

 相手の魔力なんて魔術師ならちょっと意識するだけで分かる。自分の魔力を隠蔽している相手ならともかく、そうでない相手に聞くことがマナー違反だなんて予想外。

 どうやらこの時代、魔術関連ではだいぶ常識が変わっているらしい。


「ごめんなさい、お姉様」

「いいのよ。私も強く言い過ぎたわ。可愛い妹の頼みだから今回は特別ね。とても自慢できるような魔力じゃないんだけど……これが私の魔力よ」


 アレクシアが右手をノエルに差し出し、手のひらを上に向ける。

 そこから立ち上るのは藤色の光を纏う魔力だった。


 青い魔力がかなり強く、緑と赤の魔力も多分に含んでいる。

 すなわち、青と黒は上級まで扱え、白、赤、緑も中級までなら扱うことが出来る。限定的な五系統使いフィフス。ノエルほどではないにせよ、類い希なる才能の持ち主である。

 もちろん、この領地に不足している魔導具もその気になれば作ることが出来る。


「……お姉様は、ウィスタリア子爵家に生まれるべくして生まれたんですね」

「あら、急にどうしたの?」

「その魔力の色が藤色だからです。別名で、ウィスタリアと言うんですよ」

「へぇ~、ノエルは物知りなのね」


 どうやら知らなかったらしい。

 それどころか――


「ありがとう。私も黒い魔力なら良かったってずっと思っていたけど、ノエルのおかげで少しだけ自分の魔力が好きになれそうよ」


 アレクシアはそう言って微笑んだ。

 だが、黒い魔力は黒系統の発動に関しては最速であるものの、黒系統以外の魔術が一切使えないためにシングルと呼ばれ、一般的にはハズレ魔力として認識されている。


(そんな黒が良いなんて、アレクシアお姉様は戦闘狂かな?)


 人は見かけによらないと、ノエルは姉への認識を少しだけあらためた。



 ティータイムを終え、アレクシアはお稽古があると去っていった。それを見届けたノエルは、自分が姉ほどに教育を受けていないことを確信する。


 礼儀作法や芸術などの教養は学んでいるが、魔術に関する授業が一切ないのだ。

 魔術は才能と努力の両方が必要になるので、無色のノエルはとっくに英才教育を受けていてしかるべきなのに、である。


 これが平民の家ならノエルの才能に気付いていない可能性もあるが、ウィスタリア子爵家は曲がりなりにも貴族の家だ。ノエルが無色であることに気付いていないとは考えにくい。


 それに、両親や姉はノエルの前で魔術について話題にすることを避けている。それどころか、兄はノエルのことをあからさまに見下す傾向にある。

 だから、いままでのノエルは、自分に魔術の才能がないのだと思い込んでいた。


 だが、ノエルの持つ魔力は無色。

 リディアの知識から判断すれば、とても希有な才能を持っていることになる。この世界で唯一、あらゆる色の魔術を使える希有な魔力の持ち主が、無能と断じられるはずがない。


(なのに、私を魔術から遠ざける。……なぜかな?)


 なにか事情がありそうな気はするが、ノエルは魔術を学んだことがない。ゆえにこの時代の魔術についての知識がないため、いまは考えても無駄だと諦めた。


 それより――と、ノエルは自分の能力について分析する。

 前世のときよりも更に純度が高い無色の魔力を身体の内に秘めている。ゆくゆくは、前世の自分を超える魔術師へと成長することが出来るだろう。


 だが、この身体はまるで鍛えられていない。

 知識と才能はあるので、普通の新米魔術師には決して扱えないような禁術も扱うことが出来るが、魔力の変換速度や魔法陣の構築速度などは見習い魔術師と大差ない。

 色々とアンバランスな状況である。

 このままでは自衛もままならないため、ノエルは早急に魔術の鍛錬をおこなうことにした。

 

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