無色の聖女は手抜きがデキナイ LV01

緋色の雨

プロローグ

 光の持つ色は、絵の具などと異なる性質を持つ。

 すなわち、赤、緑、青からなる光の三原色を合わせると白――見た目は無色になるが、魔力もそれと同じで、赤、緑、青を併せ持てば無色の光を放つ魔力となる。

 無色の聖女とは、あらゆる色の魔術を扱う少女――リディアに与えられた称号である。


 自らの魔力とは対照的な漆黒の衣を纏(まと)い、夜色の髪を風になびかせる幼い少女。数多の戦場を駆け抜けた彼女は数え切れないほどの敵を殺し、その何倍もの味方を救った。


 いまもまた、リディアの放つ魔術が、町を蹂躙(じゅうりん)していた魔物達を滅ぼしていく。

 生き残った彼らは即座に撤退を始めた。


「逃がさない。無垢な人々を苦しめた罪、死(し)を以(もっ)て償(つぐな)え」


 リディアは体内に循環する無色の魔力から三原色を抜き、光を纏わぬ黒き魔力を生成。その黒き魔力を持って、足下に凶悪な魔法陣を描き出す。


 黒系統、最強の攻撃魔術――終末の鐘エインデベル

 戦場に鐘の音が鳴り響き、その音源を中心に存在するすべてが消滅していく。

 次の瞬間、物質が消滅した空間に向かって突風が吹いた。


 ――刹那、リディアは腰から引き抜いた刀を振り上げた。

 キィンと甲高い音が戦場に響き渡る。


 振り下ろされた剣を、リディアの振り上げたクリスタルのような刀が受け止めていた。その剣の向こう側、背中から漆黒の翼を生やした戦士が獰猛(どうもう)な笑みを浮かべている。


「魔族――おまえが指揮官か」

「そういうお前は我らの宿敵、無色の聖女だな?」

「ええ、初めまして。そしてさようなら」


 リディアは一瞬で魔族の背後へと回り込んだ。

 緑系統の強化魔術を用いて自分の身体能力を限界まで上げた結果である。


 無色の魔力持ちが緑の魔力を生成するには、赤と青を抜かなければならない。一流の魔術師でも一秒近い時間を必要とするその行為を、リディアは零コンマ一秒以内に終えた。

 そして次の瞬間には、驚くべき速度で背後へと回り込んでいた。


 魔族にしてみれば、聖女がいきなり消えたように見えたはずだ。


 リディアは魔族の無防備な首を狙って刀を振るう。それより一瞬早く、魔族は本能的に前方へとその身を投げ出し、刀の射程外へと逃れた。


「無駄だよ」


 リディアは距離を詰めながら無色の魔力から赤、緑を抜いて青い魔力を生成。

 青系統――錬成魔術を発動した。


(構造の認識……完了。再変換……完了。結晶の整形……完了)


 刀身が細くなり、その分だけ長くなり、一度は射程から外れた魔族の首が、再び射程圏内へと捉えられる。その瞬間、リディアは二の太刀を振るった。

 その事実に気付いた魔族が目を見張り――そのまま胴体に別れを告げた。


 束の間の静寂。

 運良く――あるいは、運悪く、生き残っていた魔物が恐慌に陥って潰走を始める。けれど、リディアはその残党の群れに飛び込み、刀を振るって命の燦めきを刈り取っていく。


 動く者がいなくなり、リディアは刀を軽く振るって血糊を払った。

 再び錬成魔術を発動させれば、刀は元のサイズへと形を変える。彼女が戦場に到着してわずか数分、町を襲っていた魔物は一体も残さずに滅び去った。


(後は……被害者の救済と、町の復興だ)


 町は魔物によって破壊され、至るところに人だったモノが転がっている。生きている者もいるが、その大半は死に瀕している。無事な者は一人としていない地獄絵図。

 リディアは唇を噛み、体内を巡る無色の魔力を使って魔法陣を描き出した。


 足下に一つ。続けて町の外縁上に五つの魔法陣を展開。それらの魔法陣を魔力で繋ぐと、町全体を覆う五芒星が浮かび上がる。


 広域化した聖女の祈り。

 純度の高い――すなわち、限りなく無色に近い魔力を持つ者にしか扱えない白系統の上級魔術で、範囲内に存在するすべての生物の傷を癒やし、死者すら甦らせる。

 リディアが聖女と呼ばれるゆえんでもある。

 その魔法陣に魔力を注ごうとするが――


(……っ、さっきの戦いで魔力を使いすぎた)


 いまのリディアには、発動に必要な魔力が残っていなかった。

 だが、暢気に魔力の回復を待っていれば、死者の魂が天に帰ってしまう。そうなれば、いかな無色の聖女でも死者を甦らせることは出来ない。残された手段は――と、リディアは自らの命を削って魔力へと変換、その魔力を使って聖女の祈りを発動させた。


 幻想的な光が町全体を包み込む。

 負傷者の傷が瞬く間に癒え、死者はその命を取り戻す。その光景を見届けたリディアはふらりと身体を揺らすが、歯を食いしばって踏みとどまった。


 続けて、腕輪に組み込まれた通信用の魔導具を起動する。しばらくして、対となる腕輪を所持する機関の責任者――この国の王太子と通信が繋がった。


『レミィ、これから食事でもどうだ? ……ん? あぁ、いま入った通信か? こっちはいつもの報告ですぐ終わるから心配ない』


 唐突に聞こえてきたのは王太子と、それに応じる甘ったるい女性の声。リディアはこめかみを引き攣らせつつも「殿下、応答願います」と王太子に呼びかけた。


『……あぁ、聞こえている。終わったのか?』

「はい。町を襲っていた魔物はすべて殲滅、負傷者も癒やしました。ただ、町の被害は甚大です。すぐに復興のための部隊を派遣してください」

『残念だが、我が国にそのような余力はない。町の修復はおまえがやっておけ』


 そのぞんざいな物言いに、リディアはぎゅっと拳を握り締めた。


「何度も言っていますが、私一人では出来ることに限界があります」

『甘ったれるな! 分かっているのか? おまえが働かなければ無力な民が苦しむのだぞ?』

「分かっています。でも私は足りない魔力を命で補っていて、既に限界だと言っているんです! 人手が足りないと言うのなら増員してください」

『こちらも何度も言っている。我が国にそんな余裕はないと言っているのが理解できないのか? おまえしか対応できないのだから気合いでなんとかしろ!」

「だから、いくら努力しても、これ以上は無理だと言っているではありませんか!」


 堂々巡りに苛立ったリディアが声を荒らげる。


 リディアが所属するのは、国を脅かす災害や脅威から民を守るための機関である。

 ……いや、機関だった、と言うべきかもしれない。


 リディアがこの組織に所属したのは八年前、十歳にも満たない頃だったが、その頃はまともな組織で、皆が一丸となって脅威に立ち向かっていた。


 だが、機関の責任者が王太子に代替わりして方針が変わった。彼の強権によって上層部が入れ替えられ、費用削減だなんだと規模が縮小され、部隊がいくつも解体された。


 結果、残された者達の負担が一気に増した。当然のように脱落者が増えて、リディアが十七になったいまでは、まともな実働部隊は数えるほどしか残っていない。


「このままでは、遠くない未来に破綻します」

『あぁ、分かった分かった、その話はまた今度にしよう。それより、魔物が現れた地方は他にもある。今日中にその町の復興作業を片付け、急いで駆けつけろよ』


 王太子はそう言って、一方的に通信を切ってしまった。


(このバカ王太子、死んでしまえっ!)


 リディアは通信の腕輪を破壊したい衝動に駆られる。

 だがリディアが動かなければ、なんの罪もない人々が苦しむことになる。安全な土地でぬくぬくと暮らしている特権階級の者達が被害を受けるのはその後だろう。


 だから、リディアは沸き上がる怒りを必死に抑え込み、町の人々にとって必要なライフラインに使われる魔導具や機械を作ることにする。


 使用するのは青系統の魔術。

 様々な物質を自在に変形、思ったとおりの道具を生成する錬成魔術だ。


 青系統の錬成魔術を使うには青い魔力が必要だ。無色の魔力から赤と緑を抜いて、青い魔力を生成する必要があると、再び自らの命を削る。


「あと、少し……っ」


 自分の寿命が削れる感覚に吐き気を覚えるが、リディアはみんなを守るためにと歯を食いしばり、命の燦めきを魔力へと変換していった。

 そこへ、リディアが生き返らせた町の住人達がやってくる。

 その先頭に立つのはこの町の町長だ。彼の無事な姿にリディアは頬を緩めた。


「みなさん、無事に復活できたようですね」

「無事なものか! どうしてもっと早く助けに来てくれなかったんだっ!」

「……は、い?」

「おまえの救援が遅いから、町はこのような被害を受けたんだ! 我々はその賠償として、以前よりも整った設備をおまえに要求する!」

「……あは、あはは」


 予想の斜め上の言葉。

 その言葉の裏にある欲望に気づき、リディアは乾いた笑いを零した。


 いつからか感じていたことだ。

 最初の頃はリディアが駆けつけるだけで感謝されたし、死者を復活させればそれこそ泣いて喜ばれた。リディアを無色の聖女と最初に呼んだのはそうして救われた町の人々だった。

 だがいつしか、彼らは守られることが当たり前だと考えるようになった。


「……聞こえているのか? 今日中に終わらせくれないとこっちは困るんだ!」

「そう、だったら一生困ってなさいよ」


 リディアは無慈悲に告げる。

 呆気にとられた町の住人達。そのうちの何人かがふざけるなと逆ギレして迫ってきたが、リディアは体術を使ってその者達を叩きのめした。

 それを見た町長が腰を抜かす。


「わ、我々に暴力を振るうのか! おまえ、それでも無色の聖女か!」

「勘違いしているな。私はただの一度だって、自分から無色の聖女と名乗ったことはない。私に喧嘩を売るのなら……最高に高値で買おう」


 不機嫌そうなリディアを前に町長が息を呑む。

 それを横目に、リディアは再び通信用の魔導具を起動した。


『レミィ、今日は二階の部屋を取ってあるんだ……って、またおまえか! しつこいな、こっちは取り込み中だ。増員の話はしないと言っているだろう!』

「いえ、それはもう必要ありません」

『む? おぉ、そうか。ならば、なんの用だ?』

「はい。私はいまこのときをもって、機関を脱退させていただきます」


 リディアは朗らかに言い放った。

 わずかな沈黙の後、腕輪から焦ったような声が聞こえてきた。


『……な、なにを言ってるのだ! そんなことが許されると思っているのか!?』

「許されようと許されまいと知りません」

『ふざっ、ふざけるなっ! おまえが働かなければ町の民が苦しむのだぞ!?』

「そうですね。たくさん苦しめばいいと思います」


(どうせ、私が本当に護りたかった人達はもういないんだ)


 リディアは状況を見守っている町の住人達に視線を向けて自嘲気味に笑った。

 彼らがなにか言いかけるが、リディアは自分の足下に魔法陣を展開する。その得体の知れない魔法陣を目の当たりにした彼らは一目散に逃げ出していった。

 そして――


『お、おまえはなにを言っているのか分かっているのか!? 民が被害を受ければ、その怒りの矛先が国に向く。最悪、国自体が滅びるかもしれないんだぞ!』

「それが嫌なら、自分達でなんとかしたらいかがですか?」

『だから、人材が足りないと言っているではないか! ……あ、レミィ、どこへ行くんだ、ちょっと待ってくれ! え、なに、慌てふためいて情けない? ちがっ、俺は――』


 通信から必死な声が聞こえてくる。


『ぐぬ……お前のせいでフラれただろうが!』

「知りませんよ。人材が足りないのは、私の意見を無視して増員しなかったからではありませんか。というか、もう切りますよ。貴方も無駄話は嫌いでしょう?」

『なにが無駄話だ。おまえは国を危険に晒そうとしているんだぞっ!』

「……では、私の代わりに頑張って国を救ってください」


 リディアは素っ気なく通信を切った。そうして、途中だった魔法陣の展開を再開しようとするが、すぐに王太子から折り返しの通信が入った。

 リディアは皮肉めいた笑みを浮かべて通信を受ける。


「なんですか? 私は忙しいので切りますよ」

『ま、待て待て、ちょっと待ってくれ。いや、俺が悪かった! すまない、この通りだ。まずは話し合おう! なにが不満だ? 報酬を二倍にしたら満足か?』

「いいえ、謝罪も報酬も必要ありません」

『じゃ、じゃあどうしたら満足なんだ! 頼む、いままでのことは謝る! いまも魔物の被害報告が入っている。これを対処できなければ王太子の座を引きずり下ろされるんだ!』

「どうしたら満足、ですか? そうですね、私はいまとっても満足です」

『……は? それは、どういう、意味だ?』


 困惑する王太子。

 リディアは――


「失脚、おめでとうございます」


 無邪気に言い放ち、通信用の魔導具を地面に投げ捨てた。魔導具越しに『なにが無色の聖女だ、この悪魔! 腹黒な魔女めっ!』なんて罵声が聞こえてくる。

 リディアは笑って、通信用の魔導具を足で踏み潰した。


 その瞬間、憑き物が落ちたように気持ちが楽になる。

 だが気が抜けた瞬間、リディアはこふっと血を吐いた。足りない魔力を何度も命で補っていたリディアの余命は齢十七にして既に尽きかけていた。


 リディアは使い魔を使い、友人達に別れのメッセージを飛ばす。

 今世の未練を断ち切ったリディアは、残りの命のすべてを魔力に変換。最後の力を振り絞り、足下に展開していた魔法陣に無色の魔力を注いでいく。


 それは白系統の秘術。

 リィンカーネーションという転生の魔術である。


「生まれ変わったら、嫌なことは嫌だって言おう。でもって、今度は誰かのためじゃなく、自分のために生きるんだ。誰かの言いなりになんて、ならない」


 そう決意したリディアを眩い光が包み込んでいく。

 その光が消え失せたとき、その場に彼女の痕跡はなに一つとして残っていなかった。



 ――この日を境に人類は永い時を掛けて衰退していくことになる。

 魔族との連戦で疲弊したというのが一番の理由だが、後の歴史家は揃って、当時の愚かな王太子が、偉大な漆黒(・・)の聖女を使い潰したことが切っ掛けだと結論づけた。

 

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