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 それから連絡を取り合った二人は週末の休みに映画へと出かけた。丁度、彰人に見たい映画があったらしくそれを見に映画館へ。



「じゃ俺チケット買ってくるよ」

「ならあたしは飲み物とか買ってきますね。何がいいですか?」

「んーっと。ウーロン茶」

「分かりました。ポップコーンとかはいります?」

「そうだなぁ。どっちの味も食べたいっていうのは欲張りかな?」

「ふふっ。いいと思います。それじゃあ二つ買って欲張りましょう」

「そうだね。じゃよろしく」

「はい」



 チケットに飲み物とポップコーン。映画を観る準備を完了させた二人は中で上映を待ち、時間が来るとその映画を楽しんだ。

 その後は映画の感想を言い合ったりしながら適当に時間を過ごし夕食を食べて、夏希は家まで送ってもらった。



「ありがとうございました」

「じゃまたね。お休み」



 それからも二人は何度も時間を合わせては遊びへ行ったり食事をしたりと共に時間を過ごした。彰人と過ごす時間は夏希にとっても心から楽しめる時間で傷つき、ぽっかりと穴の開いた心を徐々にだが確実に癒していった。忙しい仕事やお酒などとは違い誤魔化すのではなく毎日聴いている蛇希の歌声のように癒えてゆく。それは彼女に活力を与えるだけでなく心から笑わせた。



「最近、よく笑うようになったよね。別に前まで笑ってなかったって訳じゃないけど、何て言うんだろう。こう……。心から笑ってるって言うのかな、すごく楽しそう」



 笑みを浮かべた夏希を見た彰人は食事する手を止めた嬉しそうに言った。



「確かに前より少し楽になった気がします。これも彰人さんのおかげですね。本当にありがとうございます」

「いや、俺も楽しい時間を過ごさせてもらってるから。こっちこそありがとう」



 目の合った二人の間には少し沈黙が訪れその何とも言えない気まずさのような雰囲気に夏希は思わず笑ってしまった。それに釣られるように彰人も笑いを零す。



「食べようか」

「そうですね」



 そしてその夕食の帰り、いつものように送ってもらった夏希はお礼を言い車を降りようとした。



「あのさ」



 彰人のその声に手を止める夏希。だが夏希が彰人の方を見ても彼はすぐには言葉の続きを言おうとしなかった。

 そんな数秒の静けさを破ったのは夏希。



「どうしました?」

「あっ、いや。その。……おやすみ」

「おやすみなさい」



 何度も躓くように言葉を詰まらせた彰人へ笑みと共に返事を返した夏希は車を降り家へ帰った。部屋に着くといつものルーティンで蛇希のプレイリストを流しながら化粧を落としたりと色々すべきことをする。それが全部終わり時間がくればベッドに入り眠りにつく。


 ここ最近、寝つきが良く朝を気持ちよく迎えられるのは彼女が立ち直り始めている証なのかもしれない。人は忘れる生き物。だが記憶はそうでも心に刻まれたモノはそう簡単に消えず、癒えず夏希の心にも傷痕のように刻まれたモノが確実に残っていた。

 それから何度目かの彰人との食事。いつも通り楽しい食事を終えると、いつも通り彰人が夏希を家まで送る。一緒にお酒を飲みタクシーで帰ることも多々あったが今回は彰人に送ってもらった。



「今日もありがとうございました」



 いつも通りお礼を言いバッグを持ちドアへと手を伸ばす。



「夏希さん」



 いつもとは少し違いどこか真剣味を帯びた彰人の声。それ振り向くと彼の真っすぐな目が彼女を見つめていた。



「今まで何度も会って食事をしたりしてきたんだけど……」



 少し言葉に詰まる彰人。



「――俺はやっぱりきみのことが好きだ。もし良かったら……付き合ってくれないかな?」



 真剣な眼差しで夏希を見つめながら彰人は勇気を振り絞るように告白した。

 だが夏希はすぐには返事をすることが出来ず車内には彼女の答えを待つ何とも言えない静寂が漂う。


 その間、夏希の頭に浮かんでいたのは優也だった。彼との日々が走馬灯のように再生される。だが同時にひどく落ち込んでいた頃と彰人との楽しい時間も流れ始めた。まるで過去と現在が争うように頭の中を埋め尽くす。


 すると夏希は視線を彰人から窓外へと向けた。今、あの暗がりから優也が走ってきてやり直そうと言えば自分はそれに応じるはず。そう考えるとこの状態で彰人の申し出を受けるには彼に悪い気がした。



「俺は別にいいよ」



 すると彰人は夏希の心を見透かしたようにそう言った。その言葉に夏希は思わず彰人の方へ視線を戻す。



「俺は別にきみが彼の事を引きずってても構わない。今じゃなくてもいい。この先、いずれ俺のことを見てくれればいいよ。いや、俺がきみを振り向かせて見せる。だから俺と付き合ってください」



 手を差し出す彰人の真剣で夏希を想ったその言葉は彼女の後ろ髪を引いていた未練ごと自分の方へ引き寄せた。彼となら再び前を向いて歩き出せるかもしれない。そう思わせてくれた彰人に夏希は迷わず返事をした。



「はい」



 夏希は返事をしながら彼の差し出した手を握り返した。

 それから少しの間、幸せが満ちた車内で照れの混じった微笑みを浮かべていた二人は今を噛み締めるように見つめ合う。そんな二人が引かれ合うように交わした一度目のキスは甘く、離れた後に互いの目を見ると面映ゆさで頬がほんのり染まりニヤけるように口元が緩んだ。まるで初めてのキスをした学生のような雰囲気の中、思わず少し顔を俯かせる夏希。


 そして顔を上げてもまだ照れ笑いの余韻が残る表情で同じような彰人を見つめる。



「それじゃあ……。そろそろあたし、行きますね」

「あぁ、そうだね。おやすみ」

「おやすみなさい」



 初恋のように初々しくぎこちない会話を交わし車を降りた夏希は車内の彰人に一度手を振ってから部屋へと帰った。

 その日を境に二人は日常的に会うようになった。もちろん恋人同士として。

 比較的アウトドアだった彰人とは優也とはしなかったようなデートを沢山した。サイクリングをしたり、山登りをしたり、パラグライダー・バンジージャンプ。季節が変ればダイビングやカヌー・SUP・ラフティング。二人はより多くの時間を共にしながら心躍る体験を共有した。


 その時間は確実に二人の心の距離を縮めていった。



「でもあたし今日が初めてなんだけど?」

「大丈夫だって」

「登れるかなぁ」



 心配そうに呟く夏希の前にあったのは断崖絶壁。ではなくボルダリングの壁。その垂壁を夏希は見上げていた。



「まずそこからスタートだからそれを両手で掴んで」



 夏希が選んだのは少し遠回りだが比較的初心者でも難なく進めるルート。スタートに着くと彰人に下から色々と教えてもらいながら一歩つずつゴールを目指して上り進める。前から興味のあったボルダリングは進むにつれ少しキツくなっていったが、初めての体験はそれを凌ぐ程の新鮮味と楽しさがあった。


 それを胸に自然と出て来る笑みを浮かべながらまるで困難を乗り越えるように一つずつ丁寧に登りゴールを目指す。下を見ることなく目の前のホールドに意識を集中させ手を伸ばした。



「そう! それでその最後のを両手で掴んだらゴールだから」



 彰人の声を聞きながら最後のホールドに手を伸ばし掴む。そしてもう片方でも最後のホールドを掴んだ。



「やった! ゴール出来た!」



 その瞬間、達成感や初めてのゴールに心の奥底から喜びの感情が溢れ出し気が付けば勝手にガッツポーズをしていた。踊り出してしまい程にテンションの上がっていた夏希はそのまま喜色満面に溢れながら下で見守ってくれていた彰人の方を見てピース。



「彰人さん! ゴールしたよ!」



 下では彰人も嬉しそうな笑みを浮かべ拍手をしながら一緒になって喜んでいた。



「おめでとう!」



 そして慎重に下まで降りた夏希は彰人の方に駆け寄りまだ上がったままのテンションで達成感と喜びを胸に抱き付いた。だがすぐにハッとした表情を浮かべ離れる。



「ごめんね。汗かいちゃってるのに」

「いいよそんなの。どうせすぐに俺もかくんだし。それよりどうだった?」

「すっごい楽しかった! でも次はもっと難しいやつに挑戦したいな」

「おっ! やる気だね。じゃ一緒にもう少し難しいのやろうか」



 それから夏希は彰人と共にボルダリングを思う存分楽しんだ。ボルダリング自体はまたやりたいと思えるほどに楽しかったが、次の日の筋肉痛はそれを少し揺るがすくらいには痛かった。

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